青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

清水町先生

2018-04-05 07:04:42 | 日記
小沼丹著『清水町先生』

小沼丹との出会いは偶然だった。
書店で別の作家の本を探していた時にたまたま目に留まったのが、講談社文芸文庫『村のエトランジェ』。タイトルに惹かれて購入して以来、端正な文章と虚静恬淡な人柄を滲ませる作風に魅了され、一時はかなりよく読んでいた。
小沼丹の本業は英文学者で、文筆はいわば余技。故に寡作。手に入り易い文庫版は一作を除き読破した。そうして、いつの間にか読まなくなってしまっていた。

その唯一未読だった作品が『清水町先生』である。
この作品を読まなかった理由は入手し難いからではない。ちくま文庫から出ている本作は、講談社文芸文庫に比べると安価で、寧ろ手に取り易い。私が本作を読む気になれなかったのは、収録されている随筆、解説の殆どが小沼丹の師・井伏鱒二についてだからである。
別に井伏が苦手なわけでは無いのだが、なんせ私が読んだことのある井伏作品は『黒い雨』と『山椒魚』の二作のみ。つまりはその程度の関心しかない作家について丸々一冊読み通すのは、私の乏しい集中力ではハードルが高いと思ったのだ。
それでも本作を手に取る気になったのは、本書には太宰治についての随筆も収録されていることを知ったからだった。当然、それらから読み始めた。

「太宰治の記憶」は、井伏宅で初めて顔を合わせてから太宰が亡くなるまでの両者の交流を、ふんわりとした親愛と寂しさを滲ませて綴っている。
太宰とは井伏宅で三、四度同席したくらいだから、格別親しい間柄だったわけでは無い。
もっとも太宰の作品については、『晩年』を買って以来、かなり良く読んでいた方ではなかったかと思う、というのが小沼の弁である。

昭和十五年頃。
小沼はまだ学生で、井伏宅に度々お邪魔しては井伏の将棋の相手をしていた。『清水町先生』の中で何度も触れられているが、井伏の将棋はかなりしつこい。勝つまで止めないのだ。井伏が勝ち越して御機嫌になる頃には、小沼の方は精神朦朧状態に陥っている。

初めて太宰と遭ったのも、井伏宅に将棋を指しに行った日のことだ。
いつものように長々と師の将棋の相手をしているところに、詩人の青柳瑞穂が訪ねてきた。青柳には井伏宅で何遍も遭っていたそうなので、彼もまた井伏宅にちょくちょく遊びにきていたのだろう。

“青柳さんが見えて、酒が出て御馳走になつてゐると、
――かうやつてうちで飲んでいゐると、太宰が現れるはずなんだがね……。
と井伏さんが云つた。ところが、それから暫くすると庭に下駄の音がして、事実、太宰さんが現れたのだからこれには驚いた。青柳さんも、
――へえ、驚いたね、本当に現れたぢゃないか……。
としきりに感心してゐた。
太宰さんは井伏さんの奥さんの、
――津島さんがお見えになりました。
と云う声に続いて、なんだか恥ずかしさうな笑顔で座敷へ這入って来ると、畳に両手を突いて井伏さんに大きなお辞儀をした。それから、顔をあげるとき垂れた長い髪を片手で掻き上げた。その動作にはちよつと好い感じがあつて、いまでも目に浮かぶやうである。井伏さんが笑つて、太宰君には不思議な嗅覚があつて、うちで酒を飲んでゐるとちやんと嗅ぎつけて姿を現す、と云つたら太宰さんは、
――いやあ……。
と笑つて髪を搔き上げたが、何だか嬉しさうな笑顔だつたと思ふ。“

長い引用になってしまったが、この感じを私の言葉で上手く要約することが出来なかったので仕方なく。太宰について書かれた随筆や評伝はいくつか読んだことがあるが、私にとって最も好ましい太宰はこのときの彼である。

小沼はこの時初めて見る『晩年』の作者に瞠目した。
この日の太宰からは、作品の印象に反して、礼儀正しく健康的な人物、という印象を受けて意外に思ったのだった。小沼は、その座で太宰がこんなことを話していたのを記憶している。

“――先日、鴎外の或る作品を読んでゐて、「緩頬」と云ふ単語を鴎外が用ゐてゐるのを発見した。いい言葉だと思ふので、今度小説を書くとき使はうと思つてゐます。”

「緩頬」はカンキョウとよむ。因みに私のパソコンでは変換できなかったので、単語登録しておいた。太宰の解説によれば、微笑に近いのだが微笑まではいかない。その一歩手前くらいの所を言うのに用いる言葉なのだそうだ。ここで太宰は素敵な例を挙げている。

“――例へば田中貢太郎さんは井伏さんに逢はれると、何となく嬉しさうな顔をなさる。つまり、あれが緩頬です。”

なるほど。良い言葉である。
もう十年位前になるが、太宰の妻・津島美智子の『回想の太宰治』を読んだ時にも、太宰治って案外お茶目で剽軽な人だったのだな、と良い印象を受けた記憶がある。が、本作の彼は更に良い。含羞と喜色の混じった親しみやすい笑顔、これもまた「緩頬」だと思う。

小沼が初めて太宰宅を訪ねたのは、昭和十七年の秋。
あちこち聞いて回ってようやく辿り着いた太宰宅の玄関。その左手の壁に「仕事中につき御遠慮下さい」と半紙に書いて張ってあったことを、小沼は覚えている。この日の小沼は太宰と打ち合わせ済みだったから遠慮の必要はないのだが、そうでなくてもこの張り紙にはどの程度の効果があるのかが気になったのだ。

暫く話したのち、女房が留守だけど構わない、という太宰と一緒に新宿に出だ。
この時の太宰はお洒落だと評判の彼にしてはちぐはぐな服装で、本人もその恰好が気になったものか、女房のせいにしてボヤいていた。

その後、何軒か廻った酒場では様々な話をした。
その頃太宰が発表した短編「花火」(この作品は戦後「日の出前」と改題された)について。アブサロムを喪ったダビデについて。それから、太宰の所に出入りしている新聞配達員が良いものを書くという話もでた。この新聞配達員は小山清のことである。小沼は、小山とは太宰の没後、井伏宅で知り合った。更には井伏鱒二についても。これは、太宰が亡くなった後、彼の想い出話の一つとして井伏に伝えられた。この場面からも、寂しさと優しさと温もりが混じり合った何とも言えない柔らかな印象を受けたので引用しておく。

“井伏さんの話が出たとき、太宰さんは「井伏さんは日本には珍しい優れたストオリイ・テラアであつて、その意味では、井伏さんは嫌がられるかもしれないが、芥川龍之介の系統を引いてゐる」と云つた。(中略)太宰さんが亡くなってから想ひ出話をしてゐたときだつたと思ふが、井伏さんにこの話をしたら、井伏さんは目をぱちくりさせて、
――怪訝しなことを云ふ奴だな……。
と云はれた。もう一つ、想ひ出したから書いて置くが、いつだつたか井伏さんのお宅で何人かで酒を飲んでゐたとき、井伏さんが、
――かうやつて飲んでゐると、昔は決まつて太宰が現れたものだ……。
と云はれたことがある。途端にみんなしいんとして耳を澄ます格好になつたが、何だか庭に下駄の音が聞こえるやうな気がしたのを想ひ出す。“

小沼が太宰と酒場に行ったのはこの夜限りだった。
どういうものか、太宰は古い知り合いを敬遠するようになり、戦後は井伏宅にも姿を見せなくなった。そうして、入水した。あの夜、芥川龍之介の自殺について語っていた太宰には、既に自分の結末について思うところがあったのかもしれない。


「御坂峠」は、御坂峠に建てられた太宰の文学碑にまつわる話。
昭和十三年の秋、太宰は御坂峠の茶屋に八十日ばかり泊まって仕事をした。その時のことは「富岳百景」に書いている。その中には、井伏と一緒に三ツ峠に登った時のことを書いた文章も含まれている。

除幕式が行われたのは昭和二十八年十月段十一日のことだった。
小沼はこの時の除幕式に出席したが、御坂峠にはその前にも二度行っている。前年の七月、吉岡達夫と共に井伏のお供をして御坂峠を超えた時に、井伏の口から太宰の想い出話と共にこの峠に太宰の文学碑を建てる話がでたのだ。

二度目の御坂峠行は二十八年七月のことで、井伏、吉岡の他に小山清と朝日新聞の伴記者が同行した。この時は既に文学碑建立の話は具体化していたので、碑の立つ場所と石を見に行ったのだ。

その三ヵ月後の除幕式には、河上徹太郎、青柳瑞穂、浅見淵、小田嶽夫、木山捷平、伊馬春部、村上菊一郎、小山清その他知った顔がたくさん出席した。
挨拶は甲府市の新聞社長・野口次郎と井伏鱒二。祝辞は甲府市長とか富士吉田市長とか河口町長とか盛り沢山。それぞれちょっとした失敗があって笑いを誘った。浅見淵が、
――如何にも太宰君の式らしくて好かつたね……。
と云ったら、即座に相槌打った人が何人もいた。親しい人たちにとって、太宰は笑いの似合う人だったようだ。太宰の素行については色々思うところはあったかもしれないが、それでも皆、彼の想い出を愛していたのだろう。そんな彼らも、この随筆が書かれたころには殆どが亡くなって、想い出の中の人になっている。


何だか太宰についての感想ばかりになってしまったが、小沼丹にとっては、太宰の想い出とは井伏の想い出の一部なのだろうから、それほど問題でもない気がする。

本書を通して日本文学の巨星の生の姿に少し触れることが出来た。
井伏鱒二は、将棋、絵画、釣り、酒と多趣味な人だが、こと趣味に関してはかなりの負けず嫌いで、独り善がりな言動も多い。それが愛嬌になっているから、得な性分だ。
本書にも、「僕の見てゐるときは先生は一尾も釣れませんね」という小沼の指摘に対して、井伏が「魚は人間を見る目があるからね、君がそばにゐると寄つてこないんだ」と切り返してきた話や、酒の席で皆に潰れられてしまって、一人残された井伏が、「一人去り、二人去り、近藤勇はただひとり」と意味不明なことを言ってぶすくれていた話など、クスリと笑えるエピソードがいくつも出てくる。文豪の意外な可愛げを微笑ましく思ったなんて言ったら、彼の癖である「目をぱちくり」出るだろうか。
本書に出てくる人物の多くは、本書が書かれた頃には既に亡くなっている。故人の想い出話は温かいけど寂しいものだ。それが小沼丹の滋味溢れる文章で描かれると、寂しいけどしみじみと幸せ、という奇妙な安寧に包まれる。深く静かな愛情に満ちた彼の作品を、また読み返してみようと思った。
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