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現代国家とナショナリズム

2010-10-16 21:47:22 | Weblog
市民革命以降、「国民国家」の成立過程は、ナショナリズムの成立過程でもある。

フランス革命は、反革命勢力の諸外国の干渉に対する、防衛意識とアンシャンレジームに対する憎悪がナショナリズムを醸成していった。

もっとも、自然発生的なナショナリズムではなく、国家、政治権力が醸成するナショナリズムもある。明治維新の日本は、近代化と同時に国家としての求心力のためのナショナリズム、富国強兵、教育による統制、その中核である「天皇中心」の「皇国史観」、国家体制の構築であった。施政者たちは、立憲君主制による近代国家というフレームに天皇を中心とした家族的国家観によるナショナリズムの統制を意図した。明治の前半は、試行錯誤的な政策が、明治憲法を制定する後半期からそのビジョンは明確になっていく。当時の施政者たちは、天皇が神であるとは実際には考えていたわけではなく、現人神観念は国民向けの便法であった。
ところが、昭和前期から軍部の台頭は、政党政治の崩壊は、明治政府が国民にインストールした天皇崇拝的ナショナリズムが良くも悪くも影響を与えたといえる。マスコミも大衆もそろって、戦争突入の扇動をになったのは、単に軍部や政治家の責任ではない。逆をいえば、このナショナリズムのコントロールが誰もできなくなったこと、その停止は昭和天皇による玉音放送に依存するしかなかったという皮肉である。

この歴史的教訓からすると国民的熱狂を呼ぶナショナリズムは、現代国家において諸刃の剣である。

韓国と中国は、自国のナショナリズム醸成のため「反日教育」を効果的に用いて、「愛国心」の名のもと、対日圧力、国内政治の不満そらしを行う。
しかし、現代国家が意識的に行うナショナリズムは、諸刃の剣として、自国の崩壊に結びつく危険もある。中国が、自国内の少数民族弾圧の報道規制を行なったり、政府批判のネット配信を管理する一方で、反日行動だけは黙認するというナショナリズムのコントロールが、どこまで継続できるのか。
中国の経済力の拡大と格差の増大は、国家の管理によるナショナリズムの限界を遠からず招くように思われる。


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