これは福田内閣メールマガジンに載っていた中で私の興味を引いた記事です。
ここに取り上げられた茂木(もてぎ)町元古沢地区と言う所謂、茨城県境に接する山間地だそうで、放棄された農地が多いと言うところだったそうです。
そこに生まれたTさんは、昭和50年代、嫁さんの来る元気な村を再生したいの思いから、そのTさんは、脱サラしてこの困難な荒れ地挑戦する日々が始まったようです。そこでこの荒れ果てた農地に最初はゆずを植えて、集落全戸参加型の『みんなでやっぺーゆずの里』を目指したようです。それから、昭和60年にゆず生産組合を設立して、元気村がやっと動き始めました。
この集落の人達をもっと元気を出して欲しいとの思いから・・「こだま運動」というみんなで「やっぺー」と叫ぶんだそうです。そうすると周りの山々から「やっぺー」とこだまが返ってき手それに誘われるように村人も元気になると言ってます。このこだま運動は思わぬ効果を挙げたようで、陥りがちな減気を元気に変える・・・意識が全員を一丸とさせたようです。
さらに「カキクケコ」を提唱したとの事です。「カ」金をかけずにある物生かせ(埋
もれているお宝発掘)。「キ」気力で乗り越える。「ク」工夫(知恵を出せ)。「ケ」景観づくり。「コ」後継者づくり・・・これらが功を奏して、6人の嫁さんと1人の婿さんを迎える事が出来たそうです。
このTさん中々のアイデアマンのようで、 平成5年には、都市と農村の交流拠点づくりとして「ゆずの里かおり村」を設立して、ゆずの木オーナー制度を創設したそうです。このオーナー制度の元祖として評価を得ているようです。
これらの手法が評価され、茂木町は、そば・梅・いも・しいたけ・棚田など、各種里づくりのオーナー制度が町内に生まれ・・・その15団体の組織で協議会を創設できたので、オーナーの地域だけで、年間60万人の交流人口が得られたと言うから大変なものです。
茂木町には、道の駅や、モータースポーツを中心とする総合レジャー施設「ツインリンクもてぎ」が出来て一層の活気が生まれているとの事です。この記事を読んで実際に寒村を生き生きとした」街に作り変えるきっかけを提唱し、村民と共に歩んだこの行き方の中に、いま日本が抱えている、廃村になりつつある村でも・・・このTさんのような英知と実行力のある人がいる事で、それを帰ることが出来るのだと・・・教えられました。 大尊敬・・・
私も地方にこのような反骨精神に満ちた人がいる事にある種の感動を覚えました。
幕藩時代の日本人は、或いはこんな苦労をして少しでも自分達の藩財政を豊かにするためある人は原野に水路を作って美田に変えたり、護岸工事で川の流れを変えて・・・と様々な優れた人の働きで日本は今日があるのだと思いました。
この方もやたら国家に頼らず知恵と実行力で寒村を蘇らせました。このような優れた指導者をもっと多くの人に知らせたいのですが・・残念ながらテレビはこのような話題には手をつけません。そこが悲しいです。
ここにもこんな素晴らしい生き方をしている人が要るんですね。報道ではこのような寒村の悲鳴だけが報道されますが、
僕はむしろこのように、どっこい生きている・・・人を報道して欲しいと思いますよ・・・
泣き言を言う前に、この困難にどう立ち向かうとを実戦した人こそ、真の勝者だと思うナァ・・
これこそ全国の寒村のモデルになって、ここで育った人達は全国の寒村に指導員になって貰いたいものです。