日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

日限山4丁目は満50年

2023年01月10日 | 社会

1972年京急電鉄分譲開始当時の京急ニュータウン港南第3期(二次)分譲地

(出所)京急分譲地パンフレット(1972.11.18発行)

写真右側の緑地が現在の丸山台方面です。当時はまだ山谷が昔のままでした。日限山こどもスポーツ公園の右上方向にのびる薄緑の川のように見えるのが谷部で、永谷天満宮の方に伸びていました。日限山郵便局あたりから天満宮の方を見ると、この谷部は結構深く見えました。

日限山4丁目は複雑な山谷構造だったのですが、山を削り、谷を埋めて現在の台地にしました。埋立部は地盤沈下がおこるのではないかと心配していましたが、50年、目立った地盤沈下はなく、台地は安定しているようです。台地に降った雨が地下に浸み込み、昔の谷部を伏流となって流れるとこわいのですが、雨のほとんどは下水管に流れこむ仕組みになっていると思います。

 

京急電鉄が日限山4丁目の宅地分譲を始めたのは1972年11月か12月でした。したがってわが町はちょうど満50年です。第一世代がどんどん消え、第二世代の時代になりつつあります。まちなかの道路が整然としている、高度経済成長期の戸建住宅ということで初期の美しい住環境が今も残っていますが、初期の建築協定は破綻、地区計画への移行は失敗ということで、町の住環境保全は思うようにならなかった50年でした。

しかし、快挙は、公園墓地になる確率が高かった舞岡公園が、西洗自治会の町をあげての墓地反対運動の勢いで自然・農業公園になったことです。反対運動の対象は日限山4丁目に近い久遠寺墓地建設計画でしたが、その激しい墓地反対運動は、横浜市にとってショックだったと思います。舞岡に日野公園墓地のような大規模公園墓地をつくることにしたらものすごい住民反対運動がおこると、市も市会も思ったでしょう。結果、神奈川県100選に入っている美しい自然・農業公園、舞岡公園が誕生しました。

第二世代は、どのような町づくりに挑戦するでしょうか。舞岡公園を活かした調和のとれた町づくりに挑戦するといいと思います。

市は、日限山・南舞岡周辺の緑地を保全する予定です。舞岡公園、小菅ヶ谷北公園以外の市街化調整区域については具体的にどのような緑地帯にするかはこれからです。日限山は、周辺を別の町のことと考えず、自分も関係が深いと考え、市に要望を出し、また市に協力して緑アップ計画に協力するといいと思います。

ひぎり連合高齢者部会が、高齢者、足腰の弱い人、幼児、ベビーカー、車椅子のことを考え、車の通らない平坦な緑道の建設を提案していますが、日限山の住民はもちろんのこと、横浜市民の健康生活に有益と思います。①日限山・南舞岡を囲み、舞岡公園・小菅ヶ谷北公園に連なる環状緑道、➁上永谷駅ー小菅ヶ谷北公園・舞岡公園ー舞岡駅を結ぶ大緑道を提案しています。緑道とは、普通の並木道ではなく、森や林の中を歩いているような雰囲気の散歩道です。横浜では都筑区の緑道が有名です。

周辺の緑アップもだいじですが、自分の町の美化はもっとだいじです。自分の庭・家を美しくする、道路から見ても美しい庭・家にする。この単純な考えを町の人がみんな共有出来たら日限山4丁目は、自然、明るくて広々した美しい活気のある町になると思います。


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