日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

ハロウィーン

2016年10月26日 | 日記
日限山4丁目でも今子供達を養育している母親世代は、子供達のためにハロウィーンを行っています。
ハロウィーンは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられているお祭りです。
収穫を祝う、悪霊などを追い出すなど宗教行事であったが、現代では特にアメリカでただのお祭りとして定着しているそうです。
カボチャの中身をくりぬいてジャック・オー・ランタンを作って飾ったり、子供達が魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりします。

日本では100円ショップに行くと、ハロウィーングッズがいっぱい店に並んでいます。
商魂逞しい人が仕掛けて日本でもハロウィーンブームを作り出したのでしょう。

日限山4丁目では今日数十名の子供達が母親の付き添いで仮装して町の中を回りました。
世話役の母親があらかじめ数軒の家にお菓子を配っておきます。
子供達は、その家を回り「トリック・オア・トリート(Trick or treat! お菓子をくれないといたずらをするぞ)」と言います。
するとその家の人が「おおこわ」とか、「お菓子をあげるからいたずらしないで」と言って一人ずつ全員にお菓子を配ります。
トリック・オア・トリートと言えない子供達もいて、「今日は。 ありがとうございます」と言ってお菓子をもらっています。

お菓子をもらうこともさりながら子供達は妖精や魔女や幽霊やいろいろなかわいらしい動物などの仮装をして、町をぞろぞろ歩くのが楽しいようで年々参加する子供達が増えているような感じがします。

幼稚園単位、小学校単位では子供達のためにいくつかの行事が行われていますが、町単位では夏祭りです。
この夏祭りですが、ジャック・オー・ランタンではありませんが、町の人が家の門、玄関の前、窓の外あるいは中などに思い思いの提灯を飾るようにすると、西洗第三公園だけでなく、町中がお祭りの雰囲気になり、子供達にとってより印象的になるでしょう。

ハロウィーンも母親達が主催しているようですが、町が協賛して、町の人がジャック・オー・ランタンのようなものでやはり家の門、玄関の前、窓の外あるいは中を飾ったりすると町のお祭りらしくなるかもしれません。
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宅地2分割は伝染する

2016年10月25日 | 日記
日限山4丁目は京急の分譲地で、一区画は平均230㎡ぐらいです。
ほとんどが第一種低層住居専用地域で敷地面積の最低限度は125㎡となっています。
ところが、京急はやや狭い区画のブロックとやや広い区画のブロックを設けました。
金持ちと貧乏人の両方に買ってもらいたいと考えたのでしょうか。
広い区画が250㎡をちょっとこえていたので2分割の標的になってきました。

分譲地発売当初は建築協定があって2分割は禁止されていましたが、その後建築協定から脱退する人が出ました。
建築協定は住民間の協定ですから脱退者は2分割できます。
こうして建築協定の効力が低下し、2007,8年頃だったと思いますが、建築協定がなくなりました。
建築協定はなくなりましたが、分譲地発売当初の住環境基準を守りたいと思う人が大半でしたので、隣の港南プラザ自治会と西洗自治会は共同で「日限山3~4丁目まちづくり協議会」を設置して地区計画への移行を試みました。
しかし地区計画が認められる条件は非常に厳しく、少数の強烈な地区計画反対者に阻まれて移行は成功しませんでした。

日限山4丁目でも2分割が進行しています。
近所は反対運動を行う気力を失ってしまいました。

2分割は伝染するようです。
2013年西洗第三公園のすぐ東側の広い宅地のブロックで2分割がおこりました。
すると2015年その北東側の宅地が2分割されました。
そして2016年今度は東側の宅地が2分割されました。

250㎡以上の宅地がすべて2分割されることはないと思いますが、経済が横這い、あるいは縮小の恐れすらある現代、2分割は今後もおこるでしょう。
昔の経済成長期は、敷地125㎡は狭すぎると思ったものですが、経済衰退期に入ったのでしょう、125㎡でもしょうがないといった雰囲気になってしまいました。
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町の作品展である「いぶき会展」開催中

2016年10月16日 | 日記
今日、10月16日(日)の11時からいぶき会展が西洗自治会館で開催されています。
年々、出展数が増え、作品の種類や内容も充実してきており、これが老人割合40数%の町かと驚きます。
いぶき会展と聞くと、日限山いぶき会という老人会の作品展との印象を受けますが、そうではなくて日限山4丁目の住民の作品展です。
このことを明確にするため今年から西洗自治会福祉文化部と日限山いぶき会が一緒にいぶき会展を開催しています。

昨年も西洗子ども会の子供達(小学生)の作品が素晴らしいと思いましたが、今年はさらに作品が充実していました。
子供達の親が子供達の創作を重視するようになり、子供達が創作するようになり、子供達の作品が大人達のすぐれた作品と一緒に展示され、そのような発表の場があることによってさらに子供達や親の創作意欲が高まっていくようです。
大人達の作品は種類が固まっている感じがしますが、子供達の作品は使う材料も作品の種類もいろいろで、発想が面白く、展示場に新鮮な雰囲気を与えています。
充実感においては大人達と変わっていないので素晴らしいと思います。

日限山4丁目にあるということで日限山中学校美術部の生徒達も出展しています。
展示スペースが狭いので、中学校の生徒達全員から作品を募集できず、現在は美術部の生徒達から募集しているそうです。
中学生の作品は、自分の思い(心の中)を作品で表現しようとしているものが多いと思います。
中学生らしいと思います。
やはり新鮮な雰囲気を与えています。

パソコンを使って絵画を制作する時代になっていますが、普通のパソコンに入っているWordやExcelのような文章あるいは表計算ソフトで絵画を描けるということで日限山いぶき会パソコン教室の部員の作品が展示されています。
昨年はパソコンで作った年賀状を出していましたが、今回は絵画に挑戦しています。
年々水準が上がっています。

いぶき会展は日限山4丁目の大きな行事の一つに成長しました。
大勢の人々が集まり、作品を楽しむだけでなく、人々の交流の場にもなっています。

この作品展は残念ながら、明日、10月17日10:00-17:00で終わりです。
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ひぎり郷土誌編纂委員会、地域の団体の歴史や活動に関する原稿を募集

2016年10月11日 | 日記
ひぎり郷土誌編纂はひぎり連合自治会の企画です。

日限山4丁目は1972年に造成地の宅地販売が始まりました。
したがって44年の歳月が流れたことになります。

1972年には1丁目にはすでに50軒以上の家が建っていました。
したがって1丁目は4丁目より早く50周年を迎えることになります。

2丁目の北半分は1丁目と同時期に造成されました。
日限山小学校用地を含む2丁目の南半分は3丁目、4丁目と同時期に造成されました。

ひぎり郷土誌はひぎり地区50周年の記念事業として出版する予定のようです。

最近50年の歴史を一言で言えば、大規模宅地造成地らしく家がどんどん増えた、最近は世代の交代が始まって改築が増えつつある、一方で発売当初の建築協定が無効となり、宅地細分化が起こり、住宅密集地化が進んでいる、しかし道路は変わらず、比較的広くて整然とした道路が町の環境を守るのに役立っているということではないでしょうか。

日限山4丁目について言うと、西側に広大な自然公園である舞岡公園が接していることが素晴らしいと思います。
人々の庭が美しいので4丁目の町中を散歩するのも楽しいですが、すぐこの公園に行けるのは最高です。

この公園は横浜市は最初は日野公園墓地のような広大な公園墓地にする考えでした。
しかし、公園墓地の建設が決まる前に久遠寺が4丁目の南側に上永谷墓地をつくる計画が西洗自治会に伝わりました。
久遠寺は、市の公園墓地に並んで南のはじに自分の墓地をつくることを考えたと思います。
西洗自治会はすぐ久遠寺の墓地建設に反対し、組織的に反対運動を展開しました。

この反対運動の過程で、町の西側に広大な公園墓地を建設する考えが市にあることがわかりました。
これは大変なことになったということで、まずは何が何でも久遠寺の墓地を阻止し、その勢いで市の公園墓地も阻止しなければならないと考えました。
当時の4丁目の住民は3グループに分かれて、毎週、久遠寺、横浜市役所、京急不動産に行き、墓地建設をやめてほしいとお願いに行きました。
市議会にも行き、すべての政党に墓地建設中止をお願いしました。

市はすでに久遠寺に建設を許可していたので許可を取り消すことができませんでした。
久遠寺はすでに建設計画を深く進めていたのでやめず、強引に建設を始めました。
業者は建設現場に工事用の高い囲いをつくり、中でブルドーザーで整地を始めました。
住民はただちに囲いを全部取り外してしまいました。
警察が来ましたが、住民の激しい勢いに圧倒されて傍観するだけでした。

久遠寺はただちに裁判を起こしました。
裁判所は西洗自治会は負けるので示談に応じた方がいいと勧めました。
西洗自治会は示談に応じるしか方法がないと判断し、多少の条件をつけて反対運動をやめました。

市や市議会はこの西洗自治会の激しい墓地反対運動に驚きました。
市議会議員は、住民は墓地がなくて困っているのではないか、どうしてこんな激しい墓地反対運動が起こるのかと、みんな驚いていました。
市は広大な公園墓地をつくる計画を進めていましたが、西洗自治会の激しい反対運動を見て、もっと激しい反対運動を受けると予測しました。
市には、公園墓地ではなく大規模自然公園を建設する考えもありました。
急速に公園墓地にする考えがしぼみ、大規模自然公園にする考えが強くなり、今日の舞岡公園が建設されることが決定されました。

西洗自治会50年史を書くとすれば、この墓地反対運動は特筆すべきことと思います。
最大の業績ではないでしょうか。
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