自分のBLOGを見ていたら、あのシリーズ第一作【愛せない存在を消す方法】のメイントリックを閃いたのが十年前と判明した。
2005/06/28に思いついたらしい。
たしか弟が飲み残されたお茶を飲んでいて、
「あぁ、これでやれるなぁ……」と思ったのだった。
完全自殺マニュアルのように、
「あぁ、これでいつでも死ねる」と思うと死ぬのはいつでもできるからいまやらなくていいんだと安堵する。
いつでも殺せると判った途端に殺意は霧散するだろう。
なかなかできないことだからこそ、やってみたくなる。
多くの人間が絶対にやらないからこそ、禁忌だからこそやる価値がある。
死が絶対的価値だから、そうなってしまう。
それがいつでもできるつまらぬことと思ったとき、その幻想は立ち消える。
ボクが自分を殺さない理由の一つがそれだ。
逆に言えば、この殺害方法が頭に浮かばなければ、あるいは殺人に目覚めていた……なんてことはないが。
そもそも、目覚めても実行したらムショ行きなのは明白なので、やらなかっただろう。
前科一犯ならまだ更生できるが、その一犯が殺人だと死刑、終身刑、無期懲役、どれかが確定する。
それこそホテルに宿泊するような気軽さでムショを利用できるのなら、利用してみたいとも思うが、まっとうに働くためには大きな枷になるのは自明の理だった。
美味しいもん食いたいし。
贅沢できないってのは苦痛だぜ。
なんのために生きているのか、なんのために苦しんでるのか。
わからなくなる。
そこまで自分を追い詰める。
追い詰めた結果が、この人生だ。
十年前、自分は後数年のうちに死ぬだろう、と思っていた。
そのときの苦しい毎日に気が狂いそうになっていた。
大人になれる自信が無かった。
そんな渦中でこの【愛せない~】が生まれた。
どいつもこいつもへんなやつばかりの作品だが、違和感がないほどに物語も壊れている。
こんな原石をまったく磨かず十年を消費しきったオレ。
この十年は、無かったようなものだ。
小説家としては、無為に過ごした。
けど。
その代わりにほかの物を手に入れたという気もする。
その手に入れたモノについて簡単には言えないが。
長い十年だった。と思う。
成長なんてほぼ出来ていないのに、時間だけは途方もなかった。
あ。
何の気なしにつけたままのラジオも、十周年と言っている。
有名な番組だが、前番組のリスナーだったのでなつかしい想いだ。
なんだかタイムスリップしちゃったな。
詐欺られたり年金止められたりの事件がなかったら、いまごろ自費出版してたんだよなぁ。
いまは生活費稼ぐだけで必死です。貯金も結構消えた。もう、あとが無い。
作品が完成を見たのは7/5だった。
最速4日で書き上げた短編だった。
あのときの、どこまでも突き上げていく、突き抜けていく執筆意欲。
欲しいです、切実に。
2015年6月30日23時 きずのいたみ
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