最近、若白髪の生えてきた私。といっても、一本である。
後頭部のつむじの辺りに妖怪アンテナのようにピンと立つ白い髪の毛。
もちろん、自分では見えない。後ろの席のクラスメイトが発見したのである。
そのとき近くに柔道部の少年がおり、クラスメイトにもてあそばれている私の髪の毛を見て、こちらに寄ってきた。
彼は事情を聞くと、
「俺に任せろ」
と言って、おもむろに私の後頭部のつむじの辺りの毛をつかんだ。
そして一気に、
「おりゃぁー」
という、間の抜けた掛け声とともに、力を込めて引っ張った。
ぶちぶちという嫌な音が、頭蓋骨を伝って耳に聞こえた。
「おい、てめー!」
私は抜けた毛を見て叫んだ。一本のみならず、数十本の毛が抜けていたからである。
しかし、
「おや、抜けなかったな」
柔道部のくそガキが言った。抜けた髪の毛はすべて黒色で、白髪は抜けていなかった。
彼の行動は迅速だった。また私のつむじの辺りに手をやり、おりゃ、という掛け声とともに引っ張った。
私は愕然としていて、微動だにできなかった。
またぶちぶちという嫌な音がして、彼の手には数十本の黒い髪の毛が握られているのだった。
「このままじゃラチがあかないな」
またしても白髪を抜けなかった彼は、そうつぶやき、目の色を変えた。
私はもうどうでもいい気分になり、というかあまりの衝撃に半分気を失って、朦朧とした意識の中で見た。
柔道部の悪魔は、今度はがっしりとつかめるだけの髪の毛をつかみ、
「んのぉぉおるぃゃやぁあぁあ~~ッ!!」
という、とんでもなく気合の入った掛け声で、腕を頭上に持ち上げた。
ぐちぐちぐちという、気色悪い音が脳内にまで響き、私は気を失った。
気がつくとそこは病院だった。
周りの景色はほとんどが白で、清潔そうである。病院の独特な臭いが鼻をついた。
病室には鏡がなく、自分の頭がどうなってしまったのか、知るすべがなかった。
なぜかベッドに縛り付けられていた私は、ただもがくことしかできなかった。
そのうちに、医師が現れた。メガネをかけた、はぐれ研究員のような風体の男である。
「**さん、調子はどうですか」
医師がいたわるように言った。
「体の調子よりも、頭の調子が気になります」
私は上半身を必死にうごめかせながら、答えた。
「たしかに、きみの頭の調子はかんばしくないね」
医師は気遣いのない言い方をした。
「そ、そんな……いったい、どうなっているのですか?」
私は必死に両足の指をうごめかせながら、尋ねた。
「そんなこと……私たちにもわからんよ」
鼻で笑うように医師が言った。
「? どうしてわからないのです? 見ればわかるでしょう?」
わけがわからず、私は勢い込んで、手の指を妖しくうごめかせながら、そう尋ねた。
「ふん。たしかに、見ればわかる。きみの頭の調子など、一目瞭然だな。相変わらずのようだね」
理不尽なほど厳しい視線で、医師は言った。なにか冷ややかな態度である。
「相変わらず……? どういう意味です?」
無論、わかっていた。相変わらず、私の頭ははげたままなのだろう。しかし、尋ねずにはおれなかった。私はどうしても確認したかったのである。
「そのセリフも、もう何百回と聞いたよ。ほんとに、進歩のない男だな……」
私にはそんなことを何度も言った覚えなどなかった。記憶喪失になってしまったのだろうか。そんなに長い間、ここにいたのだろうか。疑問が広がる。
「もっと、具体的におっしゃっていただけませんか?」
私は力いっぱいに口の端を吊り上げて、目を見開いて、そう言った。
「ふん。いいだろう。どうせまた忘れるだろうがな」医師はそう切り出して、説明を始めた。
「まず、きみは自分のことを誰だと思っているのかね」
「は? **に決まっているじゃありませんか。あなたもさっきそう呼んだ」
「ふむ。たしかにそう言った。しかしそれは、きみの本当の名前ではないのだよ」
「……?」
「きみの本当の名前は爆爆爆爆だ」
「いいえ、違います」
「違わないよ。まぁ、話を最後まで聞きたまえ。
きみは二年前に事故にあったんだ」
二年前? もうそんなに経ったのか。それに、事故……? あれは間違いなく暴行だろう。
「そして記憶を失った。幸い、ケガはなかったがな」
記憶を失った……? 馬鹿な。その二年前というのは白髪事件のことだろう? 違うのか?
私の口の端から、よだれが垂れた。
「私の頭は? 頭の毛はどうなったのです??」
医師はしばらく黙り込んでから、口を開いた。
「なるほど、なぜ頭のことを気にしているのかと思ったら、どうやら勘違いをしているようだな。記憶障害か?」
記憶障害??
「ふん、何か言いたそうな顔だな。きみは自分の髪がどうなったと思っているんだね」
「……きっと、つむじの辺りを中心にはげあがっているのでしょう」
私は視線を下に向けて言った。言いづらい事実だったのだ。
わはははっはははっは……げらげらゲラゲラ! 医師が下品な笑い方で爆笑した。目に涙まで浮かべている。
「ふん、これは傑作だな! どういう頭をしているんだ、コイツは。被害妄想も甚だしい!
……もっとも、事実よりは桁違いに幸福な被害妄想だがな」
「ということは、私の頭ははげていない……?」
「当たり前だろう。きみはずっとその状態なんだ。面会謝絶だし、自分で引っこ抜くこともできんさ」
「では、さっきの話はなんなんです? 私の頭がどうかしたのですか?」
私は信じられない思いで問うた。いつのまにか血の味がすると思ったら、私は唇を強く噛んでいた。
「言っただろう。記憶喪失だ。しかし、それだけではない。精神構造が壊れている」
「それはどういう……」
「きみが、自分の頭がはげていると思い込んでいたのは、そういう夢を見たからだろう。気がついたらここにいた。そうじゃないかね?」
「そうです……」
「やはりな。詳しいことを説明しても、きみには理解できんだろうから簡潔に言おう。
きみは、もう人間ではない」
しばらく、心が真っ白になり、時が止まったように感じていた。まるで異世界にでも迷い込んだような、違和感だらけの恐ろしい感覚。
黙ったまま動かなくなった私を見て、医師は言葉を足した。
「おや? 動きが停止したな」
私の頚動脈に触れる。
「……ふん。死におったか……」
医師はそうつぶやいて、部屋を出ていった。
そして、いつのまにか自分が天井から見下ろすような視点にいることに気づく。
私は下方に見えたモノから目をそらした。それは自分の記憶にない、しかしおそらく本物の自分自身だった。
その姿はいたって普通のオジサンだった。
ちょうどこちらに向いている後頭部のつむじの辺りを眺め見る。
……黒い髪の毛が、ふさふさと生えていた。
――良かった……!
しかし、一本の白い毛が、妖怪アンテナのように天を向いていた。
後頭部のつむじの辺りに妖怪アンテナのようにピンと立つ白い髪の毛。
もちろん、自分では見えない。後ろの席のクラスメイトが発見したのである。
そのとき近くに柔道部の少年がおり、クラスメイトにもてあそばれている私の髪の毛を見て、こちらに寄ってきた。
彼は事情を聞くと、
「俺に任せろ」
と言って、おもむろに私の後頭部のつむじの辺りの毛をつかんだ。
そして一気に、
「おりゃぁー」
という、間の抜けた掛け声とともに、力を込めて引っ張った。
ぶちぶちという嫌な音が、頭蓋骨を伝って耳に聞こえた。
「おい、てめー!」
私は抜けた毛を見て叫んだ。一本のみならず、数十本の毛が抜けていたからである。
しかし、
「おや、抜けなかったな」
柔道部のくそガキが言った。抜けた髪の毛はすべて黒色で、白髪は抜けていなかった。
彼の行動は迅速だった。また私のつむじの辺りに手をやり、おりゃ、という掛け声とともに引っ張った。
私は愕然としていて、微動だにできなかった。
またぶちぶちという嫌な音がして、彼の手には数十本の黒い髪の毛が握られているのだった。
「このままじゃラチがあかないな」
またしても白髪を抜けなかった彼は、そうつぶやき、目の色を変えた。
私はもうどうでもいい気分になり、というかあまりの衝撃に半分気を失って、朦朧とした意識の中で見た。
柔道部の悪魔は、今度はがっしりとつかめるだけの髪の毛をつかみ、
「んのぉぉおるぃゃやぁあぁあ~~ッ!!」
という、とんでもなく気合の入った掛け声で、腕を頭上に持ち上げた。
ぐちぐちぐちという、気色悪い音が脳内にまで響き、私は気を失った。
気がつくとそこは病院だった。
周りの景色はほとんどが白で、清潔そうである。病院の独特な臭いが鼻をついた。
病室には鏡がなく、自分の頭がどうなってしまったのか、知るすべがなかった。
なぜかベッドに縛り付けられていた私は、ただもがくことしかできなかった。
そのうちに、医師が現れた。メガネをかけた、はぐれ研究員のような風体の男である。
「**さん、調子はどうですか」
医師がいたわるように言った。
「体の調子よりも、頭の調子が気になります」
私は上半身を必死にうごめかせながら、答えた。
「たしかに、きみの頭の調子はかんばしくないね」
医師は気遣いのない言い方をした。
「そ、そんな……いったい、どうなっているのですか?」
私は必死に両足の指をうごめかせながら、尋ねた。
「そんなこと……私たちにもわからんよ」
鼻で笑うように医師が言った。
「? どうしてわからないのです? 見ればわかるでしょう?」
わけがわからず、私は勢い込んで、手の指を妖しくうごめかせながら、そう尋ねた。
「ふん。たしかに、見ればわかる。きみの頭の調子など、一目瞭然だな。相変わらずのようだね」
理不尽なほど厳しい視線で、医師は言った。なにか冷ややかな態度である。
「相変わらず……? どういう意味です?」
無論、わかっていた。相変わらず、私の頭ははげたままなのだろう。しかし、尋ねずにはおれなかった。私はどうしても確認したかったのである。
「そのセリフも、もう何百回と聞いたよ。ほんとに、進歩のない男だな……」
私にはそんなことを何度も言った覚えなどなかった。記憶喪失になってしまったのだろうか。そんなに長い間、ここにいたのだろうか。疑問が広がる。
「もっと、具体的におっしゃっていただけませんか?」
私は力いっぱいに口の端を吊り上げて、目を見開いて、そう言った。
「ふん。いいだろう。どうせまた忘れるだろうがな」医師はそう切り出して、説明を始めた。
「まず、きみは自分のことを誰だと思っているのかね」
「は? **に決まっているじゃありませんか。あなたもさっきそう呼んだ」
「ふむ。たしかにそう言った。しかしそれは、きみの本当の名前ではないのだよ」
「……?」
「きみの本当の名前は爆爆爆爆だ」
「いいえ、違います」
「違わないよ。まぁ、話を最後まで聞きたまえ。
きみは二年前に事故にあったんだ」
二年前? もうそんなに経ったのか。それに、事故……? あれは間違いなく暴行だろう。
「そして記憶を失った。幸い、ケガはなかったがな」
記憶を失った……? 馬鹿な。その二年前というのは白髪事件のことだろう? 違うのか?
私の口の端から、よだれが垂れた。
「私の頭は? 頭の毛はどうなったのです??」
医師はしばらく黙り込んでから、口を開いた。
「なるほど、なぜ頭のことを気にしているのかと思ったら、どうやら勘違いをしているようだな。記憶障害か?」
記憶障害??
「ふん、何か言いたそうな顔だな。きみは自分の髪がどうなったと思っているんだね」
「……きっと、つむじの辺りを中心にはげあがっているのでしょう」
私は視線を下に向けて言った。言いづらい事実だったのだ。
わはははっはははっは……げらげらゲラゲラ! 医師が下品な笑い方で爆笑した。目に涙まで浮かべている。
「ふん、これは傑作だな! どういう頭をしているんだ、コイツは。被害妄想も甚だしい!
……もっとも、事実よりは桁違いに幸福な被害妄想だがな」
「ということは、私の頭ははげていない……?」
「当たり前だろう。きみはずっとその状態なんだ。面会謝絶だし、自分で引っこ抜くこともできんさ」
「では、さっきの話はなんなんです? 私の頭がどうかしたのですか?」
私は信じられない思いで問うた。いつのまにか血の味がすると思ったら、私は唇を強く噛んでいた。
「言っただろう。記憶喪失だ。しかし、それだけではない。精神構造が壊れている」
「それはどういう……」
「きみが、自分の頭がはげていると思い込んでいたのは、そういう夢を見たからだろう。気がついたらここにいた。そうじゃないかね?」
「そうです……」
「やはりな。詳しいことを説明しても、きみには理解できんだろうから簡潔に言おう。
きみは、もう人間ではない」
しばらく、心が真っ白になり、時が止まったように感じていた。まるで異世界にでも迷い込んだような、違和感だらけの恐ろしい感覚。
黙ったまま動かなくなった私を見て、医師は言葉を足した。
「おや? 動きが停止したな」
私の頚動脈に触れる。
「……ふん。死におったか……」
医師はそうつぶやいて、部屋を出ていった。
そして、いつのまにか自分が天井から見下ろすような視点にいることに気づく。
私は下方に見えたモノから目をそらした。それは自分の記憶にない、しかしおそらく本物の自分自身だった。
その姿はいたって普通のオジサンだった。
ちょうどこちらに向いている後頭部のつむじの辺りを眺め見る。
……黒い髪の毛が、ふさふさと生えていた。
――良かった……!
しかし、一本の白い毛が、妖怪アンテナのように天を向いていた。
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それになあ、こんなつまらない話を小説だなんて言えるわけないだろう。