暇人に見て欲しいBLOG

別称(蔑称)、「暇人地獄」。たぶん駄文。フリマ始めました。遊戯王投資額はフルタイム給料の4年分(苦笑)。

乙一、36歳になるの巻。

2014年10月21日 21時50分52秒 | 最高傑作執筆10周年企画

(10周年記念小説についての構想)

 

 

一人称では難しい?

一人称で語り部がばか決定の今作に、300枚分の原稿用紙を埋めることはできない、と思う。

少なくとも戯言シリーズよろしく多弁なキャラでなければ務まらない。

そこで、三人称にする。

すると、一気にミステリ感が出ることになり、主人公の考えていることを含めてあらゆるものを語り尽くせるという寸法だ。

だが。

この一人称、三人称という縛りを、乙一という作家はデビュー作にて打ち破った。

そこが乙一という人の神髄である。

であるならば、私がただ三人称でストーリーテリングしていいのか・・・?

いいわけがないのである。

漫画はどうだろうか。

キャラクターがたくさんいて、三人称はほとんどない。
読者は神の視点におり、場面場面をもっともいいショットで抜くことになる。

小説で同じことをやろうとすれば、心理描写を()でくくって表現することになる。

少なくとも乙一という作家は()を頻繁には使わなかった。

(天使だ!)とか、本当に必要に迫られたり印象付けるために、つまり演出の小道具として使っていたわけである。

このことから三人称でキャラクター視点を描く際には()がないといけないような先入観があった。

だがどんな作品を読んでいても、()がうざいくらいに出てくるのはラノベしか考えられない。

この作品は、ラノベか……?

違うとは思わないが、そうだとはあまり言いたくない。

純文学。

そう呼ばれてもおかしくない筆致で描きたい。

つまり、心理描写で勝負する、ということだ。

だが先ほどから幾度となく述べているように、心理描写=()で表現、が定番である。

いかに()を排除し、地の文で勝負するか。

それが今回の正念場だった。

では、純文学には()がないのか・・・?

正直、あまりよく知らない。

純文学は一人称なので()は使わないほうが普通、ということだと思う。

そしてたいていは群像モノである。

たいていは恋愛モノである。

今回、私の作品に色恋沙汰はいまのところ皆無だ。

登場人物も少ないというより、主人公しかいない。

だが一人、必ず登場させるべき人物がいる。

それは駆くんの生活費を出している、彼のおじい様――今作の主人公から見てお父様――である。

出資していると言ってもいいくらいの人だ。

この人物が海馬社長だったりしたらウケるのだが、まさかそんなオチをつけるわけにもゆくまい。

遊戯や海馬がおじいちゃんになっているなんて、もう夢も廃れてしまったわ。。。

ともかく。

それなりの上流階級ということになる。

その人物が昔小説家を志したとかの設定にすれば、息子のことを調べて小説化するのだろうか?

この三谷駆シリーズにおいてそこまで重要なキーパーソンにするつもりはなかったのだが、、、

このシリーズのテーマってなんだろう?

人間 とか

生きる とか

絆 とか

いろいろ言ってしまえば言ってしまえる作品ではあるのだが、

無いと言いたい。

テーマがなければ読者はついてこない。

たしかに短編であればマジシャンのようにささっと手品をするだけでよい。

だが、長編小説というのはマジシャンにとってのステージ・ショーのようなものだ。

ただ乱雑に手品をやっているだけではなにか大事な、芯のようなものがなく、観衆はただ驚いただけで時間が過ぎていく徒労・疲労感を味わう。

つまり、人間とは長いなら長いなりのなにかを見出さなければ満足できないのである。

それがいわゆるテーマなのだろう。

方向性やベクトルというほどにははっきりしなくとも、大きくひとくくりにしてしまうわけだからまとまりが必要なのだ。

ただ短編やショートショートを連続するだけではただの短編集である。

長編小説が長編小説たる理由が必要というわけだ。

もちろんロリコンの終わる事件+解説、というある種の固定的な枠はある。

だが、それは構図であってテーマとは言えない。

ものっそぼわーーーっとした骨組みがあるだけで、ほぼ軟体動物な状態である。しかも生きていない。

これを活かす、つまり命を吹き込むためには、なにをすればいいのか?

ひとつはロリコン論を語る、という大きなテーマがありそうだ。

そして物語としては死を与えられる。

これは、べつにロリコンが悪いということではなく、人間は逸脱しては生きていけないというメッセージ、なのだろう。

ならば、ロリコン論、逸脱、という部分をリアリティのある範囲で深く抉りだす作業になるわけだ。

あとひとつ。

これは、できれば、の話だが。

漢字を開いたり閉じたりしたい。

さっきは漢字だったのにこっちは平仮名だぞ! という発見。

さっきの漢字は、そういえばこういう読み方だったな。

それである。

ただし、開いたり閉じたりを感覚的にはやっても意図的にはしたくない。完全にアトランダム方式でやりたい。

そうでなければただの漢字クイズ小説である。

そこが作為的であればあるほど、小説というよりクイズという側面が浮き出てくる。

もちろんこの作品に解答を添えるつもりはないが、自然な範囲の中で開いたり閉じたりをやりたいと思っている。

そのサジ加減はまさに私の感覚にのみ左右される。

もちろん、難しい漢字を多めに入れたいとは考えている。

そのほうが威厳も出るし、頭良さそうな雰囲気にはもってこいである。

あるいは地の文で漢字を多用し、心理描写などでは逆に漢字を避ける、という手がある。

それは先述の「作為的」とはまた少し意図が違う。

作為的と言って言えなくもないもないのだが、「さっき漢字だったから次は開こう」みたいなあからさまなルール・縛りがあってはならない。

もちろん「地の文との区別」に使用するわけだが、
地の文だから開いてはいけないだとか、
セリフや心理描写だから開かなくてはならない、
というような一貫したルールを設けるわけではない。

それは両者に「表現の幅」を持たせる配慮である。

ただし、固有名詞に関してだけは開く開かないを決めるべきだろう。

例えば地名。

(地の文)平野坂
(心理描写)ひらのざか
(セリフ)ヒラノザカ

というようなざっくりとした別け方かどうかはさておくが、もしこう決めたのならばそのまま突き進めるように一貫させる。

それによって補足的に区別がつくわけだ。

もちろん。

このような決まり事を作り過ぎて失敗することもあるので、
固有名詞全般を
「地の文では漢字表記」、
「心の中では平仮名」、
「セリフは(「」があり、区別の必要がないので)そのキャラの賢さで判断」、
という法則でひとくくりにしたほうがよいだろう。

そうなると、なにか頻繁に出てくる固有名詞をあらかじめ用意しておけば、区別ははっきりする。

もちろんその固有名詞は和名がよいだろう。漢字にできなければ意味が無いからだ。

当て字という方法もあるが、まぁ、あまり当て字を多用すると「夜露死苦」みたいになるので(苦笑)。


あと考えるべきはほかにはキャラの名前とか。

さっきの「ロリコン論」「逸脱さ」が当然大事なのだが、
キャラ名を変更しなければならないのもまた当然である。

これにはいわゆる「幽霊名字」にて対処しようと考えている。

幽霊名字とは、聞いたことがあるのに実在しない名字のことだ。

噂話ですり替わっていたり、間違えて発音したり、記憶が曖昧だったり、ともかく間違えて広まってしまった名字だ。

小説や漫画などで使用されてあたかも実在するかのように錯覚するのが一番の原因と思われる。

ただ、これを使うとたしかに人間らしい名字にはなるのだが、
実在しないかどうかはっきりしない名字を使うな、という批判が飛んできそうでもある。

たしかに実在しないと言い切れる名字はないのだし、これ以上、情報を攪乱するのも忍びない気がする……

ここは難しい問題だ。

私程度が使ってもさして問題はないし、逆に、幽霊名字にニヤリとしてくださる読者もいらっしゃるであろう。

日本の現状がよくつかめない今、そこまでするなら「幽霊名字」の「ありえない当て字」をすればどうか?

たとえば「つゆり(五月七日)」を「うるしか」と読ませたり。

五月七日 内科(うるしか・ないか)ちゃん。

(「外科病棟へ、内科のところに行くよ」矛盾乙w)

ぅぉおお。

一気にラノベ臭が・・・・w

シングル買いより安くつくので買ってしまったたくさんのレアカードをもてあましている少女。

いてもいいキャラだが、今作に登場させるとしたら、娘の同級生かな・・・?

大人買いかよ(子供のくせに)。

ないかちゃんが
「カードがありすぎて売りさばくの大変だよぅ。。。」と困っていれば、

「――それ、うちのじいやにやらせるよ」

って言うんだろうな、彼女なら・・・

じいやが分給いくらか、知りもしないで。

怖い世界だ。

そういえば、娘はお嬢様でお父さん(主人公)は何の職業なんだっけ?

今回、出来る限り原作を読み返さないで、新作のごとく書こうと思っていたのだけれど。

まさか職業ぐらいで整合性に問題が出るとは思わないが。

そこいらの設定がまったく覚えていないんだなこれが。

駆くんの生活費は誰が出しているのか。母親のお父さんかな?

娘のあのお金持ちぶりはどこに出どころがあるのか。

今回、父方の話になるので、どっちの家系もお金持ちの部類になるわけだ。

そういえばそうだった……かも。

恵まれているのか恵まれていないのか、はたまた恵まれ過ぎたがゆえのひずみなのか。

この家族、謎だわ。。。w

 


以下、振り返りとまとめ。

 

>だが一人、必ず登場させるべき人物がいる。
>それは駆くんの生活費を出している、彼のおじい様――今作の主人公から見てお父様――である。

駆くんの母方のおじいさんなのか、父方のおじいさんなのか。

そこの認識が薄い。

たしか駆くんはお金持ちじゃなかったはずだ。
であれば、母方のおじいさんと推測される。

母方の話は今作とはあまり関係がないので割愛できるが、
今作は父方の話なので、主人公の実父は登場するべきだろう。

・三人称で描く
 主人公の馬鹿丸出しな一人称より字数が稼げる、威厳(雰囲気)が出る。
 頻発する固有名詞など、地の文/心理描写→漢字/平仮名・カタカナなどと使い分け、区別。→頻発する固有名詞とは・・・?
 ()は極力使わない!

・テーマはロリコン(逸脱)
 主人公はロリコンである。
 人間は逸脱しては生きていけないというメッセージ。
 リアリティのある範囲で深く抉りだす!

・漢字を多用
 年若いであろう読者へ、漢字に関心を持って欲しい。
 固有名詞のルール以外、漢字を開くかどうかは自由!(表現の幅)

・娘のクラスメイト
 五月七日 内科(うるしか・ないか)ちゃん
 など「娘が話してくれる楽しげな学校生活」があり、実際には友達いないオチとか。
 奇抜な娘が多い。
 クスリマニアのリストカッターも欲しいね(苦笑)。
 病院・クスリ・リスカ……病んでれら~。
 楠里 栗鼠花(くすり・りすか)。・・・まんまや!w(クスリと笑った)


以上!

てーか!!!!!

乙一先生。
36歳、おめでとうございました!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2014年10月21日(乙一、36歳になるの巻。)
 by はじめの2号

しかし、今更だが、0月21日生まれで「021(=お・つー・いち)」ってもう、奇跡的すぎるっ!



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