さっきのつづきです。
内容は持ち越さないけどw
神也が鳴ってます。
雷。
深夜に鳴る雷の迷惑加減といったらもう! 起きててよかった(笑)。
寝ていたら音で起きてガクブルですもんね。。
さて。
さっきから「w」とか「。。」なんて、小説家らしくないですよね。。
けれどだったら「◎」とか「△」とか、そういう記号を使う小説家は、小説家じゃないのか?
既存のルールは更新していかなければ、時代は進みませんよね。
まぁ、ルールというかしきたりみたいな。
いつの時代も絶対であるルール・原則はあるでしょう。
けれどなんか通過儀礼とでも言うのか、
ほとんど意味を成していないこととか、理由もわからないまま行なわれている恒例行事とか。
続けていく、継続するってのも大事ですけれど、
いつまでも既存の概念に縛られていては成長できない、ということもありますよね。
ところで。
さっきの前半で、小説の話をあまりしてませんでした。
したのはギャンブルとアニメの話のみ。
アニメはまだ物語ですから小説に通ずるとしても、ギャンブルの方は話題にする意味があまりなかったかな、なんて。
まぁけれど、だけれどまぁ、小説って無限の可能性があって、文字という縛りさえあれば話題は何でもいいんですよ。
無益でも同人誌までなら許されるし。
ただし、今回の本は一応プロの仕事ですから。
流通させますんで。
一部地域の方には難しいでしょうけれど、全国的に売りたい。
この一部の地域って「どこだよ!」って思って結局「ここ(も)かよ!」ってなるんですよ。田舎あるある。
随分前に、表現の幅を狭めたくないという話をしましたね。
漢字を開いたり閉じたりのくだりです。
さっきの記号を認めるかどうかの問題と同様に、小説という形式にはいろいろしきたりなりルールなりがあります。
そこを取っ払うかどうか。ここがカギとなるんですね。
そう。
自由すぎると「小説っぽくなくなる!」んです。
小説っぽさ。
純文学なら相当に気をつけるべき点ですし、今回のジャンルはミステリですから結構厳しい気がしています。
小説風ではダメなんです!
そのもの、「小説」でなければなりません。
線引きが難しいですが、少なくとも自由すぎると失われていく、一種の「風格」のようなものですね。
小説ばる。
小説すばるじゃないですよ(苦笑)。
角ばった、という言葉があるように、○○ばった物言いなど、使うじゃないですか。
それの小説版ね。
嬉々とする、清々しい、などのように、ならば「小説小説している」とでも言いましょうか。
こういう語録みたいな、一種独特な言い回しをすると、遊んでいるように感じられますが、実に本気です。
そうなんです。
書いている本人としては「かっこよくしている」つもりでも、言葉遊びは文字どおり遊びだと受け止められるわけです。
なのであまり、地の文では使いません。
乙一先生が、「その村に、風邪が吹いた」と書いているのを読んだときは、やっぱり違和感を覚えました。
けれど、あぁ、自分は嫌いじゃないな、とも思いました。
それはつまり、「好きな作家」なら許せるけれど「好きでない作家」「よく知らない作家」「新人」だとさぶいってことです。
ここポイントです。自分自身が新進気鋭なので。
めっちゃ新人。産まれたての小鹿。
そりゃあ、BLOGは十年やってきましたけれど、それだってブランクが何度もあって、いまようやく連載できている。
こんな創作経験が無いに等しい私に、プロっぽさ、風格なんて、あるわけがない。でしょう?
けれどまぁ、だけれどもう、ね。
もう、私はプロでやっていこう! という気概が、ほぼ皆無なんです。
ただ自己満足のために、私情で、自腹で本を出す。ただそれだけなんです。
だからって手を抜きませんよ!
むしろ神風の特攻隊よろしく、決死のダイブを決めてやるんですからね!
だったら小説らしくないくらい自由でポップな新風を吹かせて魅せろよ、的な?
ここが難しいさじ加減ですよね。
ボクだって思うんですよ。
小説を進化させるべきか、深化させるべきか。
自分の中でね?
だって自費出版って自腹切るんですよ?
こないだ計算したら100万円超えたし(笑えねぇ……)。
パート・アルバイト並み、下手したらそれ以下の給料でやってますからね。
察してください……(泣)
ならば、自由に、新境地を切り拓く! って感じでも、ある意味OKなんです。
けれど、やっぱり「小説」ではなくなる方向に行ってしまいそうになる。
それは小説ではなく台本だろ? なんで縦書きなんだ? せめて横書き(ケータイ小説)で我慢しろよ、あぁん?
みたいなことを言われそうで怖いです。
たしかにケータイ小説であれば「小説でありつつ自由」な感じです。
だがしかし! ボクはあくまでも紙媒体の由緒正しい「小説」にしたい。
そしてあわよくば、「小説を読む」ということへの抵抗を、少しでも減らしていきたい。
いや、今作だけになるかもしれないので、減らす。ですね。
小説界というか、文壇、文学界に物申すわけではないのです。
ただ、小説という範囲の中で、いかに「読み易い」作品に仕上げられるか。
ここです。
昔から思ってました。
小説がもう少しゆるければ、子供でも読めるのに、と。
ただゆるすぎると小説の威厳が、という板挟み。
この板挟みの隙間を縫って書けないだろうか。
というか、最悪そこが崩壊してもいいから「読み易い小説」にしたいな。
希望ですね。
ライトノベルではない、小説小説した小説にする。
まぁ、ラノベと言われないために挿絵を挿れないという先手は打ちますが。
ラノベが嫌いってわけじゃないんです。
もし長く続けていくならラノベにしてもよかった。
ただ「一回きり一度っきり」の勝負では、そこにこだわりたかった。
一発屋覚悟で、やるしかない。資金がないから。
チャンスは今回しかない。
あったとしても貯金に何年かかるかわからない。
だからこそ、この一作に魂を込めることができるんです。
しかしまぁ、その入魂の一作が書き下ろしではなく、過去作品の大幅修正改訂版なんですから皮肉ですよね。
原作:加辻後 石矢
このクレジットは必要でしょう。
話は彼が書いたのですから。
本当に呪いのような作品です。
これを世に出さなくちゃ気が済まないんです。
後悔しているんです。
1週間で書き上げたことを。
この作品は、もっと考えて創り込む価値があった。そう思うんです。
そう思わせるだけの最高傑作なんです。
もちろん早いということもステータスです。構想からたった1週間で書いてしまった。
この遅筆な私が。
本当に……?
疑問でした。
本当に、これを自分が書いたのか、と。
まるで神からの啓示であったかのような早さで、アイデアが降ってきたので書いたみたいな。
すこし、怖いくらいに。
だから余計に自分だけの力で書いたような気がしなくて。
まぁ、自分だけの力で世に出せる作品はないのですが、そこは置いておいて。
考えつくというのは少なからず周囲・他人から影響を受けた結果なんです。
松下なんたらさんの言葉ですね。学ぶ心だっけ。
どんなアイデアも自分一人で思いついたと思うなかれ、みたいな。
偉人の言葉、ニュース、周囲からの影響と、自分を産んでくれ育ててくれた家族・支えてくれた友人・先生。
ありとあらゆる万物の影響を受けた結果、そのアイデアにたどり着いた。
有意識だけでなく、無意識も含めて。
意識は、大きな大きな無意識を抱えた、「氷山の一角」に過ぎないそうですしね。
現在(いま)の自分を作っているのは過去のあらゆる出来事なんです。
その事実からは逃れられない。
だからアイデアが浮かんできたときには感謝しなければならない。
ありがとう。
もしこの本が完成するようなことがあれば、謝辞とまで大袈裟にしないまでも、感謝の気持ちを述べたいですね。
感謝してないけど。
感謝を表現したほうが「いい人そう」じゃないですか。
礼儀ですよ、マナー、マナー。
しかしまぁ、ね。
この本が売れたら、たとえヒットしなくても何冊かでも売れたら、感謝したいですね。
ぶっちゃけ買ってくれた人全員に握手したいかな。
握手会というイベントで大変なことが起きて、けれど再開して。
人と人とのつながりって、絶対に切っても切れないじゃないですか。
勘当しても、縁を切っても、親子や知り合いといった関係性そのものは消えない。
関係性は変わっても、過去の事実は変えられない。
そこに尽きるんじゃあないでしょうか。
作者と読者の関係も、立派な人間関係なんじゃないか、と。
って。
なんでもうすでに無事に出版できた後の話をしているんだボク……!
いやね、希望ね、妄想ね、OK?(苦笑)
ボクもそこまで自分に自信を持っているわけじゃあないですけれど、
だけれど、この作品は、だって最高傑作なんですもの。
過去の遺産。昔取った杵柄。
でも作り直しますから、いただいてくださいね!
実は、出たら買うよって言ってもらったんだ~。
人妻に(笑)。
ぶっちゃけその人に会いたいがために握手会と言い出したのかもしれぬ。
でもま、いいじゃないですか。
貴重な読者様ですもの。
しかも予約第一号!
本当に、その方には「ありがとう」って伝えたいです。
なによりも「やる気」をもらいました!
がんばるぞー! って。
自分にファイトって言うけど、他人に背中を押されるほうが何倍もがんばれる。
そんな気がします。
本日は以上! お疲れさまでした!!
2014年10月26日 はじめの2号
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます