今回は少し改まって人生について話そうと思う。
とはいっても、私のくだらない人生についてだ。興味のない方は読み飛ばしていただいて構わない。
私の人生は、逃げの人生と言ってしまってよい。それほどに私は逃げてきた。
あらゆるモノから逃げてきた。嫌なこと辛いこと悲しいこと面倒くさいこと他人のこと自分のこと。
逃げていればラクだと信じていたからだ。逃げていれば波風は立たない。全部避けてしまえばいい。
感情も殺そう。いや、失くそう。だから封印した。
そのようにして私は逃げつづけた。無自覚に。全てを忘れて。無心に。
その結果、私は駄目な人間に育ってしまった。
他人を拒絶していたので常識がない。孤独に生きていたので思いやりがない。ない、ない。
いろいろが欠けていた。欠けてしまっていた。
薄々勘付いてはいた。しかし無視していた。
そんな状態で、私はいったい何年間迷惑をかけつづけたのだろう。
無自覚に、とは言っても、それが罪であることにはなんら変わりないのだ。
罪に気づいたのはいつだったか忘れたが、「逃げている」ということに気づいたのは、この高専に入ってからだった。
このブログによくコメントしてくださる某氏の指摘のおかげだった。
ともかく私はひどい人生を歩んできたと思う。
別に地獄だとか言いたいわけではない。
本来、とても恵まれていたはずの人生を、逃げることで台無しにした。それがひどいのだ。最悪だ。
自らの手で作り上げてきた過去。その全てが間違っているのだと悟った。失敗するとかそれ以前の問題。逃げてばかりいた私は、人生の土俵にさえ立てていなかったのだ。
それに気づいても、人生をやり直すというのは案外、大変だった。
逃げることしか知らない私は、人生と向き合うことから始めなければならなかった。
しかしなかなか向き合えない。前を向くとはどういうことか、私はすっかり忘れていたのだ。
孤独はいけないと誰かが言った。ときには他人に頼ることも必要だ。人間は一人では生きていけない。一人では見える世界が限られている。だから他人の視界も受け入れて考えるべきだ。
私は他人に頼るという方法を試してみた。
しかし結局、一方通行のまま、私のワガママで関係を壊してしまった。相手の心を傷つけてしまった。
それが二人も。
日常生活でも支障があり、他にも沢山の方にご迷惑をおかけしたが、その二人はもっと特別なのだった。
二人ということは二度である。つまり同じ失敗を私はしてしまった。ワガママで相手のことを考えない。それは一方的な破壊活動と言えた。
私はとうとう耐えられなくなった。過去のあやまちや感情、欲望といった全てから目をそらすために、私は自己を抹殺した。
自信喪失。システムシャットダウン、というのか。
活動レベルは極限まで低下して、ただ死んでいないだけの人間に変わり果てた。
それでも結局は同じだった。日常は終わらない。感情は一度リセットしたところで完全には消えない。なぜだかどこかにバックアップがあって、徐々に目覚めていく。
再び死にたくなった。苦しみに耐えられなくなっていた。
それがつい最近の話だ。
私は我慢できなくなったのだろうか。己の苦しみを友人に打ち明けてみた。無視された。
もうそのころ、私が苦しいと言っても誰も反応しなくなっていた。このブログを発端に愚痴ばかりしゃべっていたせいである。
誰も、私の苦しみが限界に達しかけていることなど気づかないのだった。
そんなとき、ある少女がメールをくれた。もちろん知り合いである。
私はその子の優しさについ、甘えてしまった。苦しみを告げてしまった。
…………。
今私がとても幸せなのは、そういう理由からだ。
……の部分は察して欲しい。
もしかしたらこれも一時しのぎなのかもしれない。
それでも私は、これまでに感じたことのない喜びを感じた。
それを、信じたい。
すくなくとも今は、信じていたい。
もう後戻りできないところまできている。
あとはもう、全身全霊で善処するしかないんだ。
本能ではなく、理性をもって。
それが巻き込んでしまった私の、責任なのだから。
とはいっても、私のくだらない人生についてだ。興味のない方は読み飛ばしていただいて構わない。
私の人生は、逃げの人生と言ってしまってよい。それほどに私は逃げてきた。
あらゆるモノから逃げてきた。嫌なこと辛いこと悲しいこと面倒くさいこと他人のこと自分のこと。
逃げていればラクだと信じていたからだ。逃げていれば波風は立たない。全部避けてしまえばいい。
感情も殺そう。いや、失くそう。だから封印した。
そのようにして私は逃げつづけた。無自覚に。全てを忘れて。無心に。
その結果、私は駄目な人間に育ってしまった。
他人を拒絶していたので常識がない。孤独に生きていたので思いやりがない。ない、ない。
いろいろが欠けていた。欠けてしまっていた。
薄々勘付いてはいた。しかし無視していた。
そんな状態で、私はいったい何年間迷惑をかけつづけたのだろう。
無自覚に、とは言っても、それが罪であることにはなんら変わりないのだ。
罪に気づいたのはいつだったか忘れたが、「逃げている」ということに気づいたのは、この高専に入ってからだった。
このブログによくコメントしてくださる某氏の指摘のおかげだった。
ともかく私はひどい人生を歩んできたと思う。
別に地獄だとか言いたいわけではない。
本来、とても恵まれていたはずの人生を、逃げることで台無しにした。それがひどいのだ。最悪だ。
自らの手で作り上げてきた過去。その全てが間違っているのだと悟った。失敗するとかそれ以前の問題。逃げてばかりいた私は、人生の土俵にさえ立てていなかったのだ。
それに気づいても、人生をやり直すというのは案外、大変だった。
逃げることしか知らない私は、人生と向き合うことから始めなければならなかった。
しかしなかなか向き合えない。前を向くとはどういうことか、私はすっかり忘れていたのだ。
孤独はいけないと誰かが言った。ときには他人に頼ることも必要だ。人間は一人では生きていけない。一人では見える世界が限られている。だから他人の視界も受け入れて考えるべきだ。
私は他人に頼るという方法を試してみた。
しかし結局、一方通行のまま、私のワガママで関係を壊してしまった。相手の心を傷つけてしまった。
それが二人も。
日常生活でも支障があり、他にも沢山の方にご迷惑をおかけしたが、その二人はもっと特別なのだった。
二人ということは二度である。つまり同じ失敗を私はしてしまった。ワガママで相手のことを考えない。それは一方的な破壊活動と言えた。
私はとうとう耐えられなくなった。過去のあやまちや感情、欲望といった全てから目をそらすために、私は自己を抹殺した。
自信喪失。システムシャットダウン、というのか。
活動レベルは極限まで低下して、ただ死んでいないだけの人間に変わり果てた。
それでも結局は同じだった。日常は終わらない。感情は一度リセットしたところで完全には消えない。なぜだかどこかにバックアップがあって、徐々に目覚めていく。
再び死にたくなった。苦しみに耐えられなくなっていた。
それがつい最近の話だ。
私は我慢できなくなったのだろうか。己の苦しみを友人に打ち明けてみた。無視された。
もうそのころ、私が苦しいと言っても誰も反応しなくなっていた。このブログを発端に愚痴ばかりしゃべっていたせいである。
誰も、私の苦しみが限界に達しかけていることなど気づかないのだった。
そんなとき、ある少女がメールをくれた。もちろん知り合いである。
私はその子の優しさについ、甘えてしまった。苦しみを告げてしまった。
…………。
今私がとても幸せなのは、そういう理由からだ。
……の部分は察して欲しい。
もしかしたらこれも一時しのぎなのかもしれない。
それでも私は、これまでに感じたことのない喜びを感じた。
それを、信じたい。
すくなくとも今は、信じていたい。
もう後戻りできないところまできている。
あとはもう、全身全霊で善処するしかないんだ。
本能ではなく、理性をもって。
それが巻き込んでしまった私の、責任なのだから。
すがれる誰かであったか。
同じように逃げてきたにもかかわらず、君にはいつも少女の影があり、俺はいつも独りであった。
つまり、俺のほうがより、逃げていたのであろう。か?
まぁ、どうでもよい。
君はまだ未成年である。
少しの舵取りが、後々大きな変化となるのだ。
その時点で逃げている自分に気づければ、俺は十分だと思うがな。
俺はー・・逃げている自分にさらに言い訳をして逃げ続け、25にもなってしまった。
同じ轍は踏むな。と、大きなお世話だよな。
でも、嫌いじゃないです。
そうやってコメントして下さる9さんのことは尊敬しているし慕っていますよ。
いつもありがとうございます。
>君にはいつも少女の影があり
ありましたけど、オレが一方的に求めただけですから。
いい迷惑でしたよ。