失踪していた。
停止に努めようとした。
ダメだった。
ここではないどこかでブログをやってるからか?
停止しきれてない。
おかげで酷いことをやらかした。
止まるのは難しい。
進路を変えるにはまず止まって道の先を見据えるべきだと思ったのに。
ぜんぜん止まれなかった。
禁欲してみたけど、どこかで禁欲しきれなかった。
コイツはもう、止まれないようだ。
かといってガムシャラに進むと被害が増すだけで。
止まれないなら、止まれないまでも、ゆっくり進んでいくことにしようと思う。
ウスノロでいい。
まったり……というのは無理だとしても、ともかく速度だけはスローで。
世界観を変えなければならない。あるいは価値観。
自分の欲望は捨てる。極力、考えないようにする。
他人のために、生きてみよう。
自己満足のために、自分が傷つかないために、という嫌らしい前提があってのことだけれども。
積極的に行動すると、どうも普通の価値観とぼく自身の価値観があまりにも違って……というかぼくには常識がなくて、たいていは迷惑になるから、それはやめておく。
自分基準の判断をすると、かならず怒られる。
相手の身になって考えていても、ぼく自身が常識から外れているので、意味がない。
ぼく自身が間違いなのだから、ぼくは自分の判断で動いてはいけないのだ。
だから、自分から動くことはしない。極力。
頼られたり頼まれたり命令されたりしたら、動く。言われたとおりに、やってみる。
まぁそれだって、結局、自分の思ったようにしか動けないのだから、たいてい迷惑をかけるのだけれど、それでも積極性がないぶん、いくらかはマシになるはずだ。
自分の考えは信じない。間違いだから、信じてはいけない。
他人の考えだけを信じよう。まずは何でも言われたとおりに行動しよう。
それで間違ったらしょうがない。ぼくのやったことだけど言われたとおりにしたのだから、言ったやつの責任でもあるわけだ。
いままでは全部自分の考えだけで動いていたから、全部が全部、ぼくのせいだったけれど、他人にも少しだけ、責任を押し付けることができる。
そりゃあ、ぼくの判断力のなさが悪いのだろうけれど、まぁ、自分勝手に間違えるよりは、たぶん、マシだと思うから。
これで間違いは少し減るはずだ。
もっと減らすためには、間違いか間違いじゃないかの判断を、いつか自分でできるようにしなければならない。
だから言われたとおりにするといったって、ロボットのように何も考えずに行動していてはいけないだろう。
ちょっとずつでも、学ばなければならない。
言われたことと、その通りにやって結果どうなったか。そしてそのときの状況。そういったいろいろを記憶して、分析して、判断して、つまり経験則みたいなものを見出さなければならない。
そうだ。成長しなければならないのだ。
ぼくは一度、白紙に戻る。
なにをやってもダメになるぼくは、何も知らなくてなにもできないほうが、まだマシだ。
赤ちゃんになろう。
そこからまたやり直そう。
今のまま、ワガママに、自分勝手に生きているよりは、そのほうが、たぶん、マシだから。
他人に教えてもらおう。
社会に出たら、たぶん、そんな誰もが知っている常識なんてもの、誰も教えてくれないし、学ぶ機会もないだろう。
だから、まだ学生のうちに、常識というか暗黙のルールというか、この世の中に存在する、当たり前という仕組みを、ぼくは学ぶのだ。
口で教えるのは、教えてもらうのは、簡単で早いかもしれないが、経験を伴わないと、すぐ忘れてしまう。百聞は一見にしかず、というやつだ。
経験がものを言う、らしい。
何事も経験、とも言うし。
ぼくはきっと、なにも経験してこなかったか、なにも学ばなかったかの、どちらかなんだ。いや、たぶん後者なのだろう。聞く耳を持たなかった。聞いても記憶しなかった。経験しても活かさなかった。ぼくはなにも成長しなかった。
成長しない、欠陥人間だったのだ。
ぼくはなにも知らずに、無知のまま、自分の世界に逃げ込んだ、赤ん坊。
そろそろ、学ぶべきだ。
もう遅いかもしれないけれど、今からやるのとやらないのとでは、きっと違う。
逃げること、虚勢を張ること、分かった風を装うこと。
今までいろいろやって誤魔化してきたけれど、もうその誤魔化しは通用しないところまできている。
逃亡者でいることは、もうやめよう。
自分から何かをするのは怖いけれど、せめて誰かから頼まれたことぐらいは、やってみよう。
そこから発見し、学び、取り入れ、成長しよう。
いつまでも赤ちゃんのままじゃ、ダメなんだ。
人生とは勉強である。なんてね。
はなっから勉強を放り出して逃げていた。
めんどくさいからやらなかった。
体だけ大きくなって、頭の中は小さい、かすかすのままだった。
体は大人、頭脳は子供……というか赤ちゃん。
そうだな。
がんばって中学生ぐらいには、なりたいな。
それでは、常識の勉強を、開始しよう。
……なんていう文章を昨日、書いた。
再出発の宣言にしては、暗い。暗すぎる。
やめろよ自分。暗いのはやめろよ。
赤ちゃんだぁ? 赤ちゃんがそんなに沈んでるわけないだろぉ!
赤ちゃんなら赤ちゃんらしく、けたたましい悲鳴をあげろや。
オギャーーッ! って、叫べや。
旅立ちの鐘を鳴らせ。
そんな暗いままで生きていけると思ったら大間違いだぜ赤ちゃんボーイ。
もっと元気良くいこうじゃないか。
後悔したって過去は変わらない。
お前は生きるんだろぉ?
だったら、もっと先のこと考えろや。
希望に向かって突き進むんだ。
そんな勢いじゃ、すぐへこたれるぜ。
もちろん、焦ったってうまくいかねぇ。焦りは禁物だ。
だけどよぉ。
勢いは必要だぜ。
苦しい苦しい苦しい苦しい。
そればっかじゃ滅入るだろぉが!
ちったぁ、タメになること書きやがれ。
ちったぁ、おもしろいもん書いてみろや!
お前、小説家になるんだろぉ?
死んだように生きてるだけじゃ、そんなの無理だぜ。
前を見ろ、前を。
後ろばっか向いて、沈んでんじゃねぇよ!
新たな門出に、そんな不吉なオーラ漂わせてんじゃねぇぜ、まったく。
二十歳になったんだろ。
一応だろうがなんだろうが、大人になったんだよなぁ?
ちったぁ、成長しやがれ。
できることからやっていけばいい。
てめぇの速度で行けばいい。
がんばれ少年……じゃなくて大人!
元気のないお前より元気なお前のほうがいいって、言われただろが。
頑張って、て言われたろうが。
他人に言われたとおりにするんだろ?
とりあえずそこから始めるんだろ?
だったら言われたとおりに頑張れや。
元気出せや。
なぁ、大人!
……というわけで(いったい誰に励まされていたのやら)、とりあえずブログも再開します。
相変わらずですが、嘘日記を再開します。
ちょっとなまってるんですよねぇ、お話作りの腕が。
まぁ、そんなこんなで、「暇人ブログ」、再開です!
旅立ちの鐘が鳴る――
停止に努めようとした。
ダメだった。
ここではないどこかでブログをやってるからか?
停止しきれてない。
おかげで酷いことをやらかした。
止まるのは難しい。
進路を変えるにはまず止まって道の先を見据えるべきだと思ったのに。
ぜんぜん止まれなかった。
禁欲してみたけど、どこかで禁欲しきれなかった。
コイツはもう、止まれないようだ。
かといってガムシャラに進むと被害が増すだけで。
止まれないなら、止まれないまでも、ゆっくり進んでいくことにしようと思う。
ウスノロでいい。
まったり……というのは無理だとしても、ともかく速度だけはスローで。
世界観を変えなければならない。あるいは価値観。
自分の欲望は捨てる。極力、考えないようにする。
他人のために、生きてみよう。
自己満足のために、自分が傷つかないために、という嫌らしい前提があってのことだけれども。
積極的に行動すると、どうも普通の価値観とぼく自身の価値観があまりにも違って……というかぼくには常識がなくて、たいていは迷惑になるから、それはやめておく。
自分基準の判断をすると、かならず怒られる。
相手の身になって考えていても、ぼく自身が常識から外れているので、意味がない。
ぼく自身が間違いなのだから、ぼくは自分の判断で動いてはいけないのだ。
だから、自分から動くことはしない。極力。
頼られたり頼まれたり命令されたりしたら、動く。言われたとおりに、やってみる。
まぁそれだって、結局、自分の思ったようにしか動けないのだから、たいてい迷惑をかけるのだけれど、それでも積極性がないぶん、いくらかはマシになるはずだ。
自分の考えは信じない。間違いだから、信じてはいけない。
他人の考えだけを信じよう。まずは何でも言われたとおりに行動しよう。
それで間違ったらしょうがない。ぼくのやったことだけど言われたとおりにしたのだから、言ったやつの責任でもあるわけだ。
いままでは全部自分の考えだけで動いていたから、全部が全部、ぼくのせいだったけれど、他人にも少しだけ、責任を押し付けることができる。
そりゃあ、ぼくの判断力のなさが悪いのだろうけれど、まぁ、自分勝手に間違えるよりは、たぶん、マシだと思うから。
これで間違いは少し減るはずだ。
もっと減らすためには、間違いか間違いじゃないかの判断を、いつか自分でできるようにしなければならない。
だから言われたとおりにするといったって、ロボットのように何も考えずに行動していてはいけないだろう。
ちょっとずつでも、学ばなければならない。
言われたことと、その通りにやって結果どうなったか。そしてそのときの状況。そういったいろいろを記憶して、分析して、判断して、つまり経験則みたいなものを見出さなければならない。
そうだ。成長しなければならないのだ。
ぼくは一度、白紙に戻る。
なにをやってもダメになるぼくは、何も知らなくてなにもできないほうが、まだマシだ。
赤ちゃんになろう。
そこからまたやり直そう。
今のまま、ワガママに、自分勝手に生きているよりは、そのほうが、たぶん、マシだから。
他人に教えてもらおう。
社会に出たら、たぶん、そんな誰もが知っている常識なんてもの、誰も教えてくれないし、学ぶ機会もないだろう。
だから、まだ学生のうちに、常識というか暗黙のルールというか、この世の中に存在する、当たり前という仕組みを、ぼくは学ぶのだ。
口で教えるのは、教えてもらうのは、簡単で早いかもしれないが、経験を伴わないと、すぐ忘れてしまう。百聞は一見にしかず、というやつだ。
経験がものを言う、らしい。
何事も経験、とも言うし。
ぼくはきっと、なにも経験してこなかったか、なにも学ばなかったかの、どちらかなんだ。いや、たぶん後者なのだろう。聞く耳を持たなかった。聞いても記憶しなかった。経験しても活かさなかった。ぼくはなにも成長しなかった。
成長しない、欠陥人間だったのだ。
ぼくはなにも知らずに、無知のまま、自分の世界に逃げ込んだ、赤ん坊。
そろそろ、学ぶべきだ。
もう遅いかもしれないけれど、今からやるのとやらないのとでは、きっと違う。
逃げること、虚勢を張ること、分かった風を装うこと。
今までいろいろやって誤魔化してきたけれど、もうその誤魔化しは通用しないところまできている。
逃亡者でいることは、もうやめよう。
自分から何かをするのは怖いけれど、せめて誰かから頼まれたことぐらいは、やってみよう。
そこから発見し、学び、取り入れ、成長しよう。
いつまでも赤ちゃんのままじゃ、ダメなんだ。
人生とは勉強である。なんてね。
はなっから勉強を放り出して逃げていた。
めんどくさいからやらなかった。
体だけ大きくなって、頭の中は小さい、かすかすのままだった。
体は大人、頭脳は子供……というか赤ちゃん。
そうだな。
がんばって中学生ぐらいには、なりたいな。
それでは、常識の勉強を、開始しよう。
……なんていう文章を昨日、書いた。
再出発の宣言にしては、暗い。暗すぎる。
やめろよ自分。暗いのはやめろよ。
赤ちゃんだぁ? 赤ちゃんがそんなに沈んでるわけないだろぉ!
赤ちゃんなら赤ちゃんらしく、けたたましい悲鳴をあげろや。
オギャーーッ! って、叫べや。
旅立ちの鐘を鳴らせ。
そんな暗いままで生きていけると思ったら大間違いだぜ赤ちゃんボーイ。
もっと元気良くいこうじゃないか。
後悔したって過去は変わらない。
お前は生きるんだろぉ?
だったら、もっと先のこと考えろや。
希望に向かって突き進むんだ。
そんな勢いじゃ、すぐへこたれるぜ。
もちろん、焦ったってうまくいかねぇ。焦りは禁物だ。
だけどよぉ。
勢いは必要だぜ。
苦しい苦しい苦しい苦しい。
そればっかじゃ滅入るだろぉが!
ちったぁ、タメになること書きやがれ。
ちったぁ、おもしろいもん書いてみろや!
お前、小説家になるんだろぉ?
死んだように生きてるだけじゃ、そんなの無理だぜ。
前を見ろ、前を。
後ろばっか向いて、沈んでんじゃねぇよ!
新たな門出に、そんな不吉なオーラ漂わせてんじゃねぇぜ、まったく。
二十歳になったんだろ。
一応だろうがなんだろうが、大人になったんだよなぁ?
ちったぁ、成長しやがれ。
できることからやっていけばいい。
てめぇの速度で行けばいい。
がんばれ少年……じゃなくて大人!
元気のないお前より元気なお前のほうがいいって、言われただろが。
頑張って、て言われたろうが。
他人に言われたとおりにするんだろ?
とりあえずそこから始めるんだろ?
だったら言われたとおりに頑張れや。
元気出せや。
なぁ、大人!
……というわけで(いったい誰に励まされていたのやら)、とりあえずブログも再開します。
相変わらずですが、嘘日記を再開します。
ちょっとなまってるんですよねぇ、お話作りの腕が。
まぁ、そんなこんなで、「暇人ブログ」、再開です!
旅立ちの鐘が鳴る――
もちろん言われたとおりやると言っても他人というのは一人じゃないので矛盾してしまうこともあるでしょう。
そんなときはもう、ぼくの中の優先順位を適用するしかありません。
もちろん、冗談の場合は無視します。ま、冗談か本気かの判断も、ぼくがすることになってしまうのですが。
>成長に必要なのは、破壊
へぇ。いいですね、それ。
ぼくも壊れるべきなのかもしれません。
えー、少し誤解されているのでしょうか。
他人任せは最初だけです。
ある程度常識が身についたら、自分から行動するし、ある例外の人にはたくさん出力します。
ゆっくり、あきら氏の言う理想みたいなものに近づいていけばいいんじゃないでしょうか。
いきなりやるなんて無理ですよ。
自分ってもんを捨てて、他人の言うとおりに生きよう
って奴にこう言うと、どーなるのだろう?
と、読んでて思った。きっと、面白いことになる。
私が思うに、成長に必要なのは、破壊だ。
創造は破壊の上に成り立つものだと思う。
塔を建て、それを壊すと、瓦礫で地は高くなる。
そしてまた塔を建てる。だから高くなる。
人一人が建てられる塔の高さには限度があって、
だから瓦礫を重ねて地面を上げていくしか、
高い塔を建てる術は無いのだ、きっと。
自分を隠して、と言う行為は、成長を生まない。
それは、今の自分をただ保留する行為だからだ。
壊さなければ、次は生まれない。
別の場所に塔を建てても、低い塔が建つだけ。
今の塔を壊すことが、一番の近道である。
と、私は考えてみたりした。
これはつまり、自己の崩壊を意味する。
と言うと、かなり大げさだが。。
他人の言葉にだけ従えば、確かに責任転嫁ができる。
それは自分が傷付かない、とてもいい方法かもしれない。
けれど、傷付きもせずに前へ進めると思ってはいけない。
何も失わずに何かが手に入ると思ってはいけない。
自分を表に出す、自分を出力する、主張する。
それで傷付くこともある。それが当たり前。
しかし、それを恐れてはいけない。
傷付くから先が見えてくる。
何かを失うから何かが手に入る可能性が出てくる。
筋肉は、一度細胞が壊れて、それを治したときに
繊維が太くなって成長するのです。
稲を育てるときには、途中で田の水を抜いて、
一度は過酷な状況に置く。それで強く育つのです。
コレ、どちらもホントの話。知ったかではない。
失敗を恐れて成功は無い。ま、そういうこと。
偶然で人は進化しない。
とにかくぶつかって、ひたすらに考える。
そうやって何かをつかんで人は進むのです。
ただがむしゃらにぶつかるだけではダメ。
ただ考えているだけでもダメ。
何度も同じ失敗をしないために、考えなくてはならない。
君の決断は、失敗が恐いからぶつかるのをやめただけ。
おまけに他人任せで?考えることも放棄する気か?
とまぁいろいろ書いたが、結論を簡潔に言うと、
私は今回の君の決断が良いものだとは思わない。
理想があるなら前を見る。後ろは見ない。下も見ない。
転ぶことを恐れて、足元ばかり見ていても、目的地にはたどり着けない。
何度転んでも、標的さえ見失わなければ、そこに向かって進んでいける。
自分に、そこへたどり着こうという意志がある限りは、ね。
実際、何かをつかんでるわけでも無く、
どっかへ進んでるわけでもない私が、
この場で偉そうなことをほざくことに抵抗もあるが、
ま、私は理想を語る担当。それを解釈し進もうとする輩を、
私はいつまでも生暖かく見守ろう。
ぁそれと、見苦しい長文スマソ。。