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カメリアの花に寄す

2023-12-28 21:00:00 | 近代
山茶花に 犬の子眠る 日和かな
           正岡子規


実家のさざんか。先週咲き始めていました。
冬の季語ですが、子規の句のように、日常の中の花を詠むことが多い気がします。

一日に 一度は見上ぐ 山茶花を
          細見綾子

学名をCamellia sasanqua

1820年東インドのウォーレン ヘイスティングスのリチャード ロウズ船長が始めてヨーロッパに持ち込みました。
ケント州ブロムリー在住の彼の親戚、トーマス・キャリー・パーマーに渡りました。

その後 1869 年、オランダの商人がいくつかの標本をヨーロッパに輸入しました。現在ではオーストラリア、ニュージーランド、米国にも輸入されています。

ヴェルディの「椿姫」の成功もあり、Camelliaブームが起きます。
主人公のヴィオレッタは白い椿が好きでいつも身につけています。

厳密に言うと山茶花と椿は違いますが、ヨーロッパの人たちはジャポニズムの流行もあり、日本から来た花。
カメリア サザンカとよんで愛でました。

それにこの「椿姫」絵を見れば、椿ではなく、サザンカ!

ココ・シャネル(1883-1971年)フランス共和国メーヌ=エ=ロワール県ソミュール生まれ、フランス パリ没


彼女はこのカメリアの花が大好きでした。
有名なCの文字を重ねたロゴに加えて、カメリアの花のロゴを採用しています。


これは作家のマルセル・プルースト(1871-1922年)

がジャケットの胸につけているのを見て、彼女も真似をして自分のジャージースーツにつけたとか。

恋人だったポロ選手アーサー ボーイ カペル(1881-1919年)
シャネルと踊るカペルを描いたカリカチュア
から贈られた花だったからとか言われています。

1920年の春(恐らくは5月)バレエ・リュスの団長セルゲイ・ディアギレフ

はシャネルにロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971年)ロシア帝国オラニエンバウム(現ロモノソフ)生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク没

1921年
に引き合わせます

戦後、ストラヴィンスキーの一家がソヴィエト連邦から逃れ住処を探していました。

それを知ったシャネルはストラヴィンスキー一家を、パリの郊外のギャルシュにある自分の新居ベルレスピロ(Bel Respiro)に招待し、彼らが適当な住居を見つけることができるまでの間住まわせました。

彼らは1920年9月の第2週にベルレスピロに到着し、1921年の5月まで滞在しました。

シャネルはまた、バレエ・リュスの新たなストラヴィンスキーの新作(1920年)『春の祭典(Le Sacre du Printemps)』の金銭的損失をディアギレフへの匿名の贈与で補填しました。
その金額は300,000フラン(現3億円強?)と言われていまず。

クチュール・コレクションの発表に加えて、シャネルはバレエ・リュスのためのダンス衣装のデザインに没頭しました。

1923年から1937年にかけて、彼女はディアギレフとダンサーのヴァーツラフ・ニジンスキーがダリウス・ミヨーの音楽に振付た作品群。

特に『青列車(Le Train bleu)』、ダンス・オペラの『オルフぇ(Orphée)』と『オイディプス王(Œdipe roi)』の衣装や舞台に協力しました。

「青列車」、音楽はパリ6人組のダリウス・ミヨー(1892-1974年)フランス共和国エクス=アン=プロヴァンス生まれ、スイスジュネーブ没
です。これはシャネルの衣裳の再現舞台です。





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