まず最初に私のスタンスを示しておくと、
「はだしのゲン」が広島市の平和教育教材から削除されたのは、大いなる後退であり、日本の国際的地位が著しく低下している証左だと思う。
この決定をした広島市の関係者は、己が無知と無教養を猛省すべきである。
その前提のもとに、「はだしのゲン」の問題点を挙げておきたい。
主人公が生きるために盗みを働くことは、教育上なんら問題もない。
人が盗みを働く必要のない公平な社会を目指すべきという教訓になるからだ。
(ベーシックインカムの必要性を教えることができる)
大きな問題点はふたつ。
・戦争責任を天皇陛下に押し付け、天皇批判をしていること(事実無根かつ無教養。作者の思い込みの押し付け)
・朝鮮人をやたら持ち上げ、日本人を貶めていること(もちろんそういう側面もあったが、犯罪を犯す多くの朝鮮人や心優しい大多数の日本人を描くことこそが公平。つまり、作者の偏った思想のみが押し出されている)
つまり、「はだしのゲン」は手放しに褒められるような作品ではない。
だが、これまで教材として使われてきた原爆投下のシーンは上記に当てはまらない。
作者が見た現実が、描写されているに過ぎない。
そしてそれは過酷であり、戦争の悲惨さを伝えるのに十二分な説得力と公平性を持っている。
作者中沢啓治とこの作品全体には確かに問題が多いが、だからと言って「はだしのゲン」が描いた原爆投下のシーンは、やはり秀逸であり教育素材として残していくべきものだと思うのだ。
授業の際に、「はだしのゲン」は全体としては問題の多い作品なので、「全部読むことは避けるように!」と指導教員がしっかりと生徒に伝えれば良いのである。
結局、今回この作品が平和教育から削除されたのは「自民党」からの圧力からであり、つまりはアメリカへの配慮でしかない。
原爆を投下した責任はすべてアメリカ軍(政府)にあるのであり、日本軍(政府)にはない。
ましてや、天皇陛下にその責任はない。
当たり前のことだ!
日本軍にその責任を求めるのは、単なる詭弁でしかない。
日本軍は侵略してくる(Invasion)アメリカ軍から国を守ろうとしていただけである。
それをはっきりと伝え、アメリカの偽善性と悪質さ、広島の惨劇、それをしっかり伝えることこそが肝要。
それが平和教育であり、指導教員の話し方によって「はだしのゲン」の原爆投下シーンは十分にその役割を果たせる好素材だと思っている。