
順位などつけられないのだけれど、まずはYMO「Solid State Survivor」。
このアルバムが小学校5年生の私に与えた衝撃は、はかりしれない。
これこそ自分が聴きたかった音だ!という衝撃。
多くの人に自分の人生に影響した作品があることだろうが、私の場合は半端ない。
なにせ、新卒でレコード・レーベルに就職し、満56歳で退職するまで、音楽業界第一線で働き続けることになったのだから…
次に、U2「The Unforgettable Fire」。
「静寂」に魅せられた最初のアルバムではないだろうか?
こういう「音楽」を知らされてしまうと、ニューミュージック(いまのJ-POPの昭和名称)などの「歌」には全く反応できなくなってしまう。
私が「音楽」に魅せられてレーベルに勤務し始めたのが1992年。
当時の定年は55歳だった。新入社員の私にとって、50代は「じじい」以外の何者でもなかった。
だから、満55歳で音楽業界を引退しようと決めていた。(つまり定年まで粘るということw)
老人スタッフは、POPミュージックにとって「百害あって一利なし」。
今の言葉で表現すれば、「老害」になる前に自ら身を引いた。
当初の誓いを守った形だ。
そして、Depeche Mode「Violator」。
リアルタイムで聴いた最初のアルバム「Some Great Reward」が名盤過ぎたのだけれど、このアルバムで超えてきた。
で、私のストーリーに戻ると、満55歳を迎えた2024年7月に会社に退職を申し出た。
慰留された。
当時、私には「引退する」ことだけが決まっていて、次のビジョンがなかった。
そして、あと1年いれば、担当しているアーティストの20周年リリースとイベントという大仕事を完遂できる。
「キリが良い来年まで続けるか…」ということで、音楽業界での延命を自身に許した。
おそらく、人生で一番聴いたアルバムはこのThe Cure「Disintegration」。
非の打ちどころのない完全な世界観が音で表現されている奇跡の作品。
2025年夏、1年の熟慮期間を経て、私は「地方移住」を決意していた。
もはや、音楽業界に残る理由は何もなかった。
満56歳を迎えて、予定より1年遅れで引退し、長野県に移住した。
New Order「low-life」。
このアルバムがなければ、私はレコード・レーベルにいなかったかもしれない。
最大の影響を私の人生に与えた作品。
私は、音楽業界を引退したが、社会人は続けている。
幸い、まったく異業種の会社が採用してくれた。
で、音楽から離れてしまったかと言えば、その逆かもしれない。
音楽業界は、ブラックだ。(苦痛だとは思わない)
ライブが多くてほぼ深夜まで働いていたし、土日祝日連休はイベントやライブでほぼほぼ消えていた。
コロナ期間を除いて、自由になる時間は少なかった。
それが、いまは定時勤務だ。
たくさんレコードを聴いて、楽器を演奏して、旅に出て写真や映像を残す時間もある。
考える際の主軸が、「アーティスト」から「自分自身」になった。
そして、その中核にあるものが「音楽」だという点に何ら変化はないと感じている。
これら5作品(アーティスト)を筆頭に、私は「音楽」から影響を多大に受け、「音楽」に身を投じてきた。
その姿勢は、今後も不変だろう。
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