日本が武器(軍備)をもつことが正当か、どうか・・・
これは、正直、代理には判らない。
いや、これといった結論を持っていないというべきだろう。
小学生の頃、
教師が武器をもったらいけない。
と、言ったことがある。
腹が立って、木の棒でなぐったら、
今度は相手は金属の棒をもってくるだろう。
それが、だんだんエスカレートしていく。
だから、武器を持ってはいけない。
(国が)
と、いう言い方をした。(少々曖昧)
子供心になにか、疑問を感じたのだと思う。
それで、父に伝えた。
すると、父は怒りだした。
とんでもない考えを植え付ける。
と、いう意味合いだったと思う。
父は明治末生まれの人間だった。
その時代背景は子供には判らないことだけど
おそらく、子供の喧嘩をそのまま、
国家の方針に同義のたとえにしたのが許せなかったのだと思う。
そのあとだったろうか・・・。
では、もしも、戦争になって、ここに、敵が乗り込んできて
おまえやおかあさんを殺してしまうことが起きても
お父さんは武器をもって、それを阻止しようとしたらいけないのか?
と、尋ねられたことがある。
話し合えばわかるという次元を想定していただろう戦後生まれの教師と
何度かの戦争をみてきた人間と
捉えるところが違うのは仕方がないことだろうと思う。
多く、日本の敗戦以後、日本人は「負けた」という負い目を追っているようにも見える。
はてには、天皇を戦犯だと小学生(の時)の娘に授業で吹き込んだ教師もいた。
なぜ、このような、誤解を持つのだろうと不思議に思ってもいた。
確かにGHQあたりに・・・日本はかなり思想統制をされたと思う。
天皇をそのまま、おいておけば
いずれ、日本は心身ともにというのもおかしいが
世界の要の国になる。
それを畏れたのが、米国であり、
かつ、天皇を糾弾したり、死刑にしたら、
間違いなく米国が滅びるまで日本人は戦う。と、判った。
だから、軍部が二度と天皇を担ぎ出せないように
天皇の存在はなくさせないように
かつ、臣民の心のよりどころにさせない微妙な位置においた。
そして、どこがが、一生懸命、天皇排斥感情をうえつけ
うえつけられた「教師」が、平気で授業中に戦犯だとしゃべくる。
このとき、代理が教師に話したことは
ーあなたはお父さんに思いをかけられて、ありがたいと思ったことはないのですか?-
と、言うことだった。
当然、教師は
ーいえ。ありがたいと思っていますー
と、答える。
ー上(父)が下(子)を思い、下(子)はその思いをありがたいと受け止める。
それは、人なら当たり前ですよね?-
ーはい。当然です。私も父の思いをありがたいと思っていますー
ーでは、なぜ、あなたは、今、学級崩壊がおきているかわかりますか?-
ーいえ・・私たちも努力して‥云々・・・-
ー簡単ですよ。下(生徒)が上(教師)の思いをありがたいと思わないからですよねー
ーそうかもしれませんー
ーでも、あなたも、上の思いをありがたいとおもってないですよねー
ーいえ、そんなことはありません。父のことは・・ー
ー天皇にたいしては、どうですか?-
ーあの人は戦犯ですからー
ー本当にそうでしょうか?軍部の暴走という部分はご存知でしょう?-
ーあ・・まあー
ー私はあなたが天皇を嫌いだとか好きだとかいう、個人の感情をどうこうしようとは思っていません。
問題は、天皇がどの時代においても、国民を思い生きてきているということです。
父親の思いはありがたくて、天皇の思いはありがたくないというわけですよね。
つづめて言えば、
下が上の思いをありがたい、と、思わないのですからね。
そんな「思い方」のものが、
生徒(下)に教師(上)の思いをありがたいと思わすことができるでしょうか?
元気でいてくれよ。つらかったろう。ご飯をたべてるか。
そんな思いをかけられていることに気が付かないで
ありがたいとも思わないのですから
生徒から、同じような姿をみせられて、文句を言う前に、困る前に、
自分に原因がないか、かんがえるべきでしょう?
勝手な私の見解ですが
天皇を批判している姿は、恩知らずです。
天皇が勝手におもっているだけだというのなら
あなたのお父様も勝手に思っているので、ありがたがる必要はないでしょう?
上が下を思い、下が上を思う。
その図式を崩してしまっていれば
学級崩壊も起こりうるでしょう。
あなたがどういう意見をもとうと、勝手ですが、
私共の家庭では、
「人を思う心」を教えています。
その中でも、自分の自由はいっさいなく、ただただ、国民を無償で思う。
親身に思うという天皇の存在がいかに尊くありがたい存在か、伝えてきています。
ですから、娘は先生の言葉にびっくりして、
こんなことを言っていると報告してきたわけです。
学ぶべきところは、戦犯であったことでしょうか?
なぜ、戦犯として、裁かれなかったか、ご存知ですか?ー
ーいえ・・・-
ー大きなところでは、マッカーサーでしょうね。
マッカーサーは天皇が他の国の首相などと同じように、
命乞いをしてくると思っていたのです。
ところが、天皇は
「私はどうなっても良い。国民を助けてくれ」
と、言ったそうです。
それを聞いたマッカーサーは、
天皇に「神」を見たのだと思います。
そのあたりが一つのきっかけで、
裁かれなかったわけですー
ーたった一言、私はどうなっても良い、国民を助けてくれの言葉がなかったら
天皇は絞首刑になっていたかもしれず、
それは、すなわち、そうなっていたら、
日本人、日本国土が占領・植民地化されていた公算が強いと思えます。
日本人を日本国土を守ったという
その「恩義」もあるのではないですか?
何をもってして、戦犯というかよくわからないのですが
その言葉で、
大きな転換を認められなくなっているのは残念なことです。
ですので、うちの娘に
間違った思想、物の見方を、教師が学校で、授業中に伝えないでほしい。
話したければ、プライベートな時間、場所、社会人を相手にしてください。
ーーーーー
と、かくのごとく、トラップはどこにでもあり
すでに洗脳されたか、天皇の話から隔離された子供が親になり
その子供は
教師の言葉に疑問さえ感じず、うのみにしてしまうということもありえると思うと
娘に話していたことも良かったと思うし
伝えてくれた娘にもありがたく思った。
娘におしえていたことのひとつは
高き屋にのぼりて見れば けぶり 立つ民のかまどはにぎはひにけり
という仁徳天皇の和歌。
山の上から麓を見れば 民の暮らしが成り立っていて、あちこちにかまどの煙が上がっている。
天皇はそれを見て、ーああ、良かったーと思っているんだよ。
飢えた状態じゃないか、心配してもいただろう。
山の上にあがって、きれいな景色だとか、やれ、くたびれたとかじゃなくてね
自分の事より、民のことを思う。自分のことのように民を思う。
これが、日本の天皇なんだよ。
そんなことを、簡単な言葉で伝えてきていた。
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そして、今日はねずさんのひとりごとをよんできて
ああ、これだ。と思ったので
リンクだけ。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3851.html#more
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