ロンドン野郎

カナダのオンタリオ州ロンドン市で4年半暮らしたロンドン野郎。 この度本家大英帝国ロンドン市(近郊)へ参上。

京橋界隈の2011年夏 其の壱

2011-10-16 17:41:06 | 日本

2011年夏の独りブラタモリは、ちょっとシブい場所にも出張って参りました。

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日本最大の繁華街銀座。 その中心を南北に走る銀座通りの北の入り口『銀座通り口交差点』。 ここにかつては『京橋』と呼ばれる東京を代表する橋の一つが掛っていました。

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江戸城築城の折、神田川から引かれた堀の一部を成す水路が京橋川と名付けられたところからこの名前が起こっています。 そしてこの地域の地名も京橋。 ロンドン野郎の母方の曾祖父のお屋敷?もここいらにあったそうです。

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昭和38年から40年にかけて川は埋め立てられ、その上には首都高速道路が通っています。 でも、あちらこちらに、当時の面影を伝えるものが残っているんです。 これなんかもその一つ。 橋を照らす灯りが灯る橋の親柱。 大正11年1922年に橋が拡張され、アールデコ調の橋に掛け替えられたときのものだそうです。

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この親柱はまさに京橋のアイデンティティだったのでしょうか。  かつての橋のたもとにある交番もこんな形。 親柱と同じじデザイン

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これなんかもかつての橋の欄干でしょうか。

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そしてこちらも京橋の明治の親柱。 明治8年1875年に掛け替えられた当時の、石造りの親柱だそうです。 きやうはしと書かれていますね。

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東京オリンピック当時、東京では大変な建設ラッシュで、その目玉の一つが首都高速道路の建設でした。 とはいいながらも、土地の買収やら造成なんてやっていたら何年掛るか分からない。 で、手っ取り早いアイディアとしえて川を埋め立てたり、或いは川の上に通してしまうっていう方法が採用されました。

今では大深度地下を巨大モグラのような機械でガンガン掘り進める工法が確立しているのでそんなことをする必要もありませんが、特に銀座、日本橋界隈はその影響を大きく受け、かつての歴史ある川や堀の面影が無くなってしまっています。 それを今また川の流れやかつての光景を復活させようという動きもありますが、なんせお金が掛る事なので、なかなか実現は難しそうです。

2011年東京独りブラタモリの京橋編は、次回歴史写真集へ続きます。