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ロンドン野郎

カナダのオンタリオ州ロンドン市で4年半暮らしたロンドン野郎。 この度本家大英帝国ロンドン市(近郊)へ参上。

地上を走る地下鉄 - 帝都高速度交通営団

2011-10-26 06:13:18 | 日本

これ、本物のブラタモリでも取り上げられていた話題でもあるのですが、数ある東京の地下鉄の中には、地下鉄のくせに地上を走る部分が結構あるんです。 特に先の大戦前から工事が進んでいた銀座線と丸ノ内線。 

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上の写真は丸ノ内線。 昭和29年(1954年開通)です。 本郷台地の麓にあたる後楽園駅のあたりで、急に地上に顔を出します。 そのまま池袋方面を茗荷谷を過ぎる辺りまでは地上走行。 初期の地下鉄は、今みたいに大深度をドンドン掘り進むトンネル工法ではなく、先ず地上を露天掘りして、その上に蓋を被せる工法だったので、すごく浅いところを通っているんです。 だから地上の地形によって、外に顔を出したり、引っ込んだり。

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東京で一番古い地下鉄の銀座線。昭和2年(1927年開通)。 この路線も同じような工法だったので、終点の渋谷駅。 青山の台地から渋谷の谷に出たところで地上に。 銀座線の渋谷駅はなんと山手線や東横線よりも高い地上3階にあるんです。 これこそまさに本家ブラタモリのネタなんですけどね。

丸ノ内線も銀座線も以前は営団地下鉄って言われていました。 今は民営化で東京メトロという名前に変わっていますが、つい最近の平成16年(2004年)までは帝都高速度交通営団が運営していたから営団なんです。 読んでの通り、帝都高速度交通営団は先の大戦前からの名称ですが、奇跡的に戦後も長らくそのまま残り、東京の歴史を感じさせてくれていました。

2011年夏の東京独りブラタモリ、しつこくもうほんのちょっとだけ続きます。


日本最初の喫茶店発祥の地 - 可否茶館

2011-10-25 06:58:07 | 日本

2011年東京夏の独りブラタモリ。 下町バスが停まっていた上野広小路のすぐ近くに、またまたこんな碑文がありました。 日本最初の喫茶店発祥の地、だそうです。

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何でも明治21年(1888年)4月13日、この地に『可否茶館(かひさかん)』なる名前のお店ができたそうで、この少々意味不明の店名の読み方も、「かひさかん」の他に、「かひちゃかん」、「かひーさかん」、「かひーちゃかん」、「こーひーさかん」、「こーひーちゃかん」なんってのがあったということも書いてありました。 そのくらいCoffeeは日本人に馴染みのない飲み物だったのでしょうね。

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しかもこの喫茶店、一階には『トランプ、玉つき、クリケット、碁、将棋』を揃え、二階の喫茶室は丸テーブル、角テーブルに籐椅子を備え、更には更衣室、化粧室、シャワー室、それにギャラリーのような部屋まで設けてあったようです。 庶民の為のお店にしてはかなりハイソな雰囲気。 サロンという言葉もありますが、パブリック社交クラブみたいなもんだったんでしょうか。

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この碑自体、可否茶館が開かれてから120年後の平成20年(2008年)建立ってことなので、この界隈では埋もれた歴史の一つだったようです。 ロンドン野郎自身が知らなかったくらいですから。 でも、この当時の日本のコーヒーって、きっと豆の選別も保存も焙煎もまだ何も確立されてなくて、そんなに美味しいものじゃなかったと思うんです。 それでもお客さんは分かったような顔をしながら『これぞ舶来の珍味なり』とかなんとか言って黒い液体をすすったんでしょう。

ちなみにこの可否茶館、鳴り物入りで開店したものの今一つ流行らず、数年後には閉店してしまったそうで、今はビルの脇この碑がポツンと残るだけです。


東京⇒”夢”下町バス

2011-10-24 08:18:20 | 日本

上野に近い江戸から続く繁華街上野広小路界隈。 2011年夏のロンドン野郎の東京独りブラタモリはこんなところにも出張っています。

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もっとも、ここは生まれ故郷の近所。 幼少のみぎりにはばあやに連れられて松坂屋によく来たもので・・・(笑)

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なんか見なれないバスを見つけました。 何これ? 路線バスみたいなんだけど、格好が妙にレトロ。 昭和30年代の”最新鋭”の雰囲気です。

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後から調べて分かったのですが、東京⇒夢の下町と銘打った観光路線バスなんですね。 なんと料金は普通の路線バスと変わらず、東京の下町方面をクルクルと巡るコース。 結構頻繁に出ているみたいです。 次回東京に戻る折には絶対乗ってみたいな。

興味ある方はココクリックね

東京⇒夢の下町(東京都交通局のWebね)


今日も決め手の銭が飛ぶ - 神田明神

2011-10-22 16:59:34 | 日本

京橋からちょっと離れて、2011年夏のロンドン野郎の東京独りブラタモリは江戸総鎮守の神田明神にお邪魔しています。 ここもロンドン野郎の実家からブラブラ歩ける距離です。

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で、また変なタイトルを付けてしまいましたが、何しろ有名神社なので、おさい銭の銭が飛び交うのはあたりまえとして、ちょっと違うお話なんです。

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神田明神。 そしてこの明神下に住んでいる有名人は?

そう! 銭形平次親分です。

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神田明神の社殿の脇に回るとこんな碑が。 単純明快銭形平次の碑ですね。 石碑の土台が『寛永通宝』のデザイン。 平次親分は最後の決め手にこの寛永通宝を悪い奴に投げ、相手がひるんだ隙に十手と捕縄でバシッととっ捕まえるんですね。

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今日も決め手の銭が飛ぶ』というのは橋幸雄の主題歌の一節。 ま、本当はこんなもの投げたくらいで、相手がひるむとも思えないのですが、これは時代劇のお約束っていうことで。

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昭和45年建立ということなので、もう40年も前からあるんですね。 Wikiによると銭形平次のテレビドラマが大川橋蔵主演で始まったのが昭和41年。 やっぱり昭和は遠くになりにけりですよ。 大川橋蔵ももう故人ですからね。

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ちなみに神田明神は本郷台地の高台のキワにあるので、明神下というと文字通り下町ってことになります。 実は神田明神の地下には室がいくつも設けられていて、ここで作られる納豆や甘酒、それにお味噌は昔から東京名物。 今でも門前でそれを商うお店がありますよ。


京橋界隈の2011年夏 其の弐

2011-10-18 07:55:32 | 日本

東京独りブラタモリ、京橋界隈をフラフラしていると、新しいビルの建設現場の囲いに、かつての京橋界隈の歴史写真がたくさん展示してありました。 是非前回の今の京橋の姿と合わせて見てください。

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明治35年『京橋凱旋門』

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明治40年『京橋-銀座から見る』

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明治40年『京橋』

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明治40年『京橋』

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明治『京橋の奉祝門』

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大正6年頃『建設中の第一相互館』

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大正8年『京橋の奉祝門』

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大正12年頃『関東大震災後の京橋』

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大正13年頃『小学生旗行列』

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昭和3年『銀座通り』

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昭和初期『京橋片倉ビル及び第一相互館付近』

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昭和5年頃『帝都復興祭』

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昭和32年『鍛冶橋通り-京橋二丁目電車交差点から鍛冶橋方向をみる』

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昭和34年『鍛冶橋上空から京橋方面を見る』

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昭和37年『京橋通りにて』

昭和30年代の写真をみると、上を走る高速道路もなければ、先の大戦中の空襲にも堪えた大正期の建物もそのまま残っているものがあります。 通りには都電が走り観音開きのトヨタ・クラウンが走り、ロンドン野郎が幼かったころの東京の光景はこんなだったのかと思うととても感慨深いです。