声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

I と U

2012-12-16 17:56:54 | 自衛官時代の想い出
私が入隊した30年前当時、女性が幹部自衛官になる方法は、

二つの方法しかありませんでした。

一つは、一般自衛官として入隊
して、
昇進試験を受けて上っていく方法。
これをアルファベットで、
「 I 」と言います。

そしてもう一つは、
一般の大学を卒業し、最初から
幹部候補生試験を受けて
入隊する方法です。
アルファベットで「 U 」と言います。

当時は今と違って
女性の防衛大学校入校は認められて
いなかったと記憶しています。

他に女性の陸曹候補(下士官クラス)から入隊するナース(看護職)と
いう方法もありましたが、これは一般自衛官とは
職種も枠も異なります。


朝霞駐屯地の婦人自衛官教育隊教官で
幹部自衛官である
区隊長にも、一般自衛官から昇ってきた「 I 」と、
大卒で幹部候補生試験を受けて入隊して来た「U 」の
二つのタイプがありました。

私が所属していた教育隊の前期の区隊長は前期が「 U」、
後期が「I 」でした。
一般的にUよりI で幹部になった
人の方が、厳しい人が多いようです。

後期のS区隊長は、努力の積み重ねで昇って来ただけあって、
それはそれは厳しい人でした。

顔の骨格もしっかりとした、
タレントの片桐はいり似で、髪はベリーショート、
身体つきもガッシリしていて筋肉質で、いかにも女性自衛官
というタイプですね。(^^;;

シャワー事件は、7月の
間もなく教育期間が終了する時期に
私と仲間たちが起こした大失態でしたので

S区隊長にとっても、さぞかし情けない
事だったと思います。

自衛官として自覚が足りなかった事を深く反省しました。(~_~;)









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縦の社会

2012-12-16 08:24:12 | 自衛官時代の想い出
新隊員教育期間中は朝6時起床、
消灯は11時、

起床ラッパに起こされて就寝ラッパで眠る生活です。

部屋は30人部屋で
教室のような殺風景な部屋に鉄製の二段ベッドが並んでいます。

新隊員の最初の仕事は、ベッド作り、
モスグリーンの毛布と糊の利いた
真っ白なシーツで、
自分の寝床のベッドメイキングをする
ことでした。

ホテルのベッドメイキングと同じで、ベッドの四隅が直角になるように、
しっかりと形を作らなくてはなりません。

それがいい加減だと、教官がきて
シーツごと毛布を剥がし、やり直しをさせるのです。

そして次は、靴磨き。
半長靴(はんちょうか)と呼ばれる茶色
の編み上げ靴、
いわゆる皮製のショートブーツですが
これは主に戦闘服や作業服の時に履きます。
これを磨き上げるよう指示されます。

茶色の靴クリームとブラシ、そしてストッキングなども使って
顔が映るくらいにピカピカに磨くのです。

グータラで、モノグサな私の性格では靴なんて生まれてから、
その時まで磨いた記憶がなかったものですから、
戸惑いました。

ベッドメイキングも靴磨きも
不器用で雑な性格の私は
何度もやり直しをさせられて、

手にはすっかり、靴クリームの匂いがしみこんでしまったものです。

教官たちは、幹部の位を持つ30歳前後の区隊長を中心に
いくつかの班に分かれており、

班長は陸曹候補生や三等陸曹が受け持ちます。
彼女達の年齢は、当時22歳の私と同じかそれより一つ二つ年下でした。

その班長達が、自分の受け持つ班員の教育をするのです。

彼女たちは、女性であっても
「おまえら」「おまえたち」という
言葉を使います。

私は、そんな呼ばれ方に違和感を持ちつつ、
階級が上とは言え、年下の彼女たちから、そう呼ばれることに抵抗がありました。

これは自衛隊が階級社会である事実をさほど気にせずに入隊した
私の甘さからくるものでした。



コメント (4)
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