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10月22日(金)懐かしい食べ物

2010-10-22 11:54:50 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
10月22日(金)懐かしい食べ物

日中は暖かい日があっても朝や夜は冷え込むようになった。明日は二十四節気の一つ「霜降」である。霜が降りるころ、楓や蔦が黄ばむころと言われている。標高が高いところではもう紅葉が見ごろになった。そういえば庭に生えている山芋の蔓も黄ばんできてムカゴをたくさんつけている。蔓が枯れるとムカゴは地上に落ちる。それを拾い集めて塩茹でにして酒のつまみにしたり、ムカゴ飯にして素朴な味を楽しむ。

ムカゴ飯のことは拙著「ダチョウの丸焼き」(金港堂)に収録したが、作り方を簡単に紹介しておく。米7、ムカゴ3の割合で普通の水加減で炊飯器に入れ、酒・塩・醤油を少量とだし昆布を入れて炊く。蔓から落ちたムカゴを使う場合は蒸らしの時間を長めにする。

炊き上がったご飯はムカゴの皮から溶け出した色素でほんのり赤くなる。ムカゴが崩れないように軽く掻き立てて熱々を口に運ぶと、ムカゴのホクホク感とそこはかとない粘り気が感じられて、深まり行く秋に相応しい懐かしい味がする。

歳のせいか近頃見かけなくなった食べ物のことをしきりに思い出す。たとえは沼に生えるヒシやハスの実、カヤの実などである。いずれも秋に出回った。なにしろ遠い昔のことで、味の記憶も薄らいでいでしまったが、手に入ったらもう一度味わってみたいと思っている。

今朝ゴミを出しに行ったかえり「ヒーヨ、ヒーヨ」となき交わしながら群れを作って南へ飛んで行くヒヨドリの一群を見た。わが家周辺には年中いる鳥であるが、寒い地方にいるヒヨドリは暖かい地方へ移動して越冬する。各地に白鳥飛来のニュースも聞かれるようになった。そうして今年も晩秋を迎えようとしている。

辞世の句

2010-10-22 05:00:51 | ■⑪大事な言葉★観たい映画★
辞世の句


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  辞世の句は日本人の歴史の中で、長く培ってきた伝統の一つであります。これが最近はほとんど書かれなくなったのは、いかにも仰々しい感じがするからでしょうか。
  現在、俳句人口は何百万人とか。「辞世の句」を会葬礼状などに記すのもしゃれたアイディアだと思うのですが。そこで今回は「辞世の句」をとりあげ、さまざまな表現を味わっていただきたいと思います。


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芸術家
●山崎宗鑑(1553没)
俳諧の創始者。はじめ足利義尚に仕えるが、その死に出合い、世の無常を感じて剃髪して尼崎に関居する。ついで一休禅士に従う。和歌・連歌を習うが、風狂の人として俳諧の普及につくす。

「切りたくもありきりたくもなし」

という句の附句三句を望まれ、

「盗人をとらえて見れば我が子なり」
「さやかなる月かくせる花の枝」
「心よき的矢の少し長いをば」

と答える。辞世の句は、

「宗鑑はいづこへと人の問うならば ちとようありてあの世へといえ」

89歳



●千 利休(1591没)
茶道の完成者。千家流茶道の開祖。16歳のとき京都で茶会を開き、茶の湯の世界に登場。天正13年(1585)秀吉の関白就任にあたり、禁中小御所で茶会が開かれたとき、天皇に茶を献じて利休居士の号を贈られる。天正18年、秀吉の怒りを受け、翌年2月28日切腹する。辞世の偈は、

「人世七十 力圍希咄(カーッ、トーッ)吾這宝剣 祖仏と共に殺す 堤ぐる我が得具足の1つ太刀 今この時ぞ天に抛」

69歳。



●小堀遠州(1647没)
大名茶人、建築・作庭師。幕府の作事奉行となり造園の指導に当たる。古田織部に茶を習い遠州流を立て、後に徳川家光の師範となる。死亡する半年前まで、約1年間に50数回の茶会を開いている。辞世の歌は

「昨日といい今日とくらしてあすかがは(飛鳥川) 流れてはやき月日なりけり」

69歳。



●井原西鶴(1693没)
戯作者。大坂で俳諧を学び談林派の第一人者になるが、41歳の時、浮世草紙の作者となりもてはやされる。作品に『好色一代男』、『日本永代蔵』などがある。元禄6年8月大坂で死亡。その年の冬、門人の北条団水が西鶴の遺稿『西鶴置土産』を刊行し、その巻頭に西鶴の辞世の句と7句の追善発句を載せている。

「辞世 人間五十年の究まり、それさえ我にはあまりたるに ましてや 浮世の月見過しにけり末二年」

追善発句

月に尽きぬ世がたりや二万三千句 如貞
念仏きく常さえ秋はあわれ也   幸方
秋の日の道の記作れ死出の旅   万海
世の露や筆の命の置所      信徳
残いたか見はつる月を筆の隈   言水

52歳。



●松尾芭蕉(1694没)
俳人。伊賀の生まれ。京都に行き北村季吟に入門して俳諧、和歌を学ぶ。天和5年、江戸深川に居を定め、剃髪して俳諧の研究に努める。諸国を遍遊して、元禄7年10月大坂の旅宿にて没する。有名な「奥の細道」は元禄2年の作である。
  辞世の句は

「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」

50歳。



●小西来山(1716没)
江戸時代中期の俳人。浪花の南今宮村に住む。酒が好きで、ある夜あやしいなりで歩いているところを、目付に咎められ獄に入れられる。しかし名前を名乗らないので留め置かれ、2、3日しても帰らないと門人が訴えて、やっと釈放される。大変だったでしょうと問うと、「自炊のわずらわしさがなくて、のどかである」と答えたという。この人の辞世、

「来山はうまれた咎で死ぬる也  それでうらみも何もかもなし」



●英一蝶(1724没)
画家。狩野安信に学び人物・花鳥にすぐれ、やがて独自の軽妙洒脱な画風を創始。和歌・発句もよくした。元禄11年、幕府の忌諱に触れ三宅島に遠島、赦免後、英一蝶と改名。辞世は、

「まぎらかす浮世の業の色どりも ありとや月の薄墨の空」

72歳。



●羽川珍重(1754没)
浮世絵師。鳥居清信の門人。一生独身で過ごし、言行に謹みがあるので、浮世絵師にはまれなる人物として評判が高い。晩年には仏門に入り、自ら三同宜観居士と称した。また自分で描いた絵馬を、故郷川口の稲荷五社に奉納する。
辞世の句は

「たましいのちり際も今一葉かな」

75歳。