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10月31日(日)ツケギ

2010-10-31 15:33:54 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
10月31日(日)ツケギ

地元紙朝刊に「とうほく方言の泉」という囲みもの記事がある。今朝は「ツケギ(返礼の品)」を取り上げていた。ツケギを説明した文章の中でちょっと気になる箇所があった。「ツケギとは方言でマッチを指し」というくだりである。

ツケギは火をつける道具ではあるがマッチではない。マッチが発明される前から使われていた長さ10cm、幅1.5cmほどの厚経木の先端に硫黄を塗ったもので、種火から竈(かまど)などへ火を運ぶ道具としての必需品であった。マッチのようにそれ自体を擦って発火させるものではない。

子どものころ母の手伝いで竈でご飯炊きをした当時(昭和初期)はまだ雑貨屋で売っていた。10cmぐらいの丸い束にしたものが5銭ぐらいで売られていたように思う。当時火種は長火鉢の灰に埋めておいた。朝になるとそれに炭火を足して鉄瓶で湯を沸かし、そこからツケギに移した火を竈に運ぶのだった。

竈の炊き口には予め枯れた杉の葉や細く割った薪を用意しておいて、それにツケギの火で点火するのである。火が勢いを増してきたところで普通の薪を投入して「初めちょろちょろ、中ぱっぱ」とご飯を炊くのだった。

ちょっとした返礼の品としてツケギを使ったの執筆者の言うとおりである。その習慣がツケギがなくなっても尾を引いてマッチに受け継がれて行ったのだろう。しかし、仙台では返礼の品全般をツケギとは言わなかった。

あらゆる物資が欠乏した戦後間もないころ、アメリカ軍が投下した油脂焼夷弾から取り出したゼリーのような可燃物を経木に塗ってツケギ代わりにしたことを思い出した。