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3月31日(木)恐怖後遺症

2011-03-31 11:41:18 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)


余震がまだ続いている。小さいのは「ああ、またか」と思うだけであるが激しい揺れだと再び断水や停電が起きはしないかと心配になる。小生の場合はそんな程度であるが、家内の精神状態はもっと深刻なようである。

実際には地震が起きていないのに揺れているように感じるという。何でもないときに天井からぶら下がっている照明器具を見上げて「揺れてないよね」と言ったりする。3月11日は買い物に出ていて、仙台駅構内1階にある店で地震に遭遇したという。

輸入食品を売る店で棚に缶やら瓶やら細々した商品がぎっしり詰まれている。それが棚ごとひっくり返った。それでも店員は沈着で店にいた客を安全と思われる通路に出るよう誘導してくれたそうだ。大揺れは一度ならずニ度、三度と繰り返しあったので、屈みこんで揺れか収まるのを待った。

歩行者回廊を支える太い柱の根元なら安全だろうと駅舎の外に出たが、余震でそれが崩れたらと不安になり、また駅舎の方に戻ったりパニック状態に陥ったらしい。幸い1階で目の前がタクシー乗り場だったのでタクシーに乗り込んで家へ向かった。運転手は最短の順路を取ろうとしたか方々で道が通れなくなり、遠回りしてやっと家に辿り着いた。

タクシーに乗ってからは平静を取り戻したようであるが、地震発生時に味わった恐怖は消えないらしく、少し強い余震だとぎくっと身を硬くする。それと何でもないときに揺れを感じることも治まっていない。そのうちこのような過剰反応はなくなるのだろうが、恐怖がもたらした後遺症であることは間違いないようだ。

3月30日(水)お湯が出た

2011-03-30 15:00:45 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
3月30日(水)お湯が出た

温水器の業者が様子を見に来てくれた。お湯が沸かない原因が分かった。地震の衝撃で温水器に組み込まれている通電・遮断を判断するコンピュータが狂ったのだという。電流計やら何やら道具を車から持ってきて調べていたが、ヒーターには異常がないから、今度こそお湯が沸く筈だという。

半信半疑で3時間ほど経ったころ湯を出してみると、かなり温まっていた。この分なら明日の朝までには熱いお湯になっているだろうと思った。今朝起きて真っ先にお湯の蛇口を開けてみた。最初は温水器から蛇口までの配管に溜まっていた冷たい水が出てきたが間もなく温くなり、そして熱い湯に変わった。「万歳!」久しぶりに風呂場、洗面所、台所の蛇口からお湯が使えるようになった。

これでわが家のライフラインは完全復旧である。昨日はもう一つ嬉しいことがあった。電話は2系統あって一つはすでに使えるようになっていたので、さほど不自由は感じなかったけれども、1階の居間と2階の二部屋で通話可能な親子電話が通じなかった。そのため家内が1階で受けた電話が小生に対するものだと、いちいち2階にいる小生を呼びに来なければならなかった。

それが誰が修理に来たわけでもないのに、昨日の昼近く突然通じるようになったのである。電話と連動している玄関のチャイムも鳴るようになった。ドアは施錠され、チャイムも鳴らないから留守と思って荷物を持ち帰った業者が何人かいた。なぜ親子電話が昨日まで使用できなかったのか、そして突然元通りになったのかはわからない。とにかく使えるようになったのだから喜ぶべきことである。

今日は久しぶりにお風呂に入り、復旧祝いに発泡酒でも開けるか。直ぐそんなことを考えるは不謹慎であることは分かっているが、年甲斐もなくうきうきしている。

3月29日(火)期待はずれ

2011-03-29 17:07:29 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)

3月29日(火)期待はずれ

期待は裏切られた。昨日東北電力下請け会社の作業員が来て、深夜電力温水器への通電タイマーを調整して行った。深夜から通電するので多分今朝から熱いお湯が使えるようになると期待していた。ところがお湯の蛇口を開けても出てくるのはぬるま湯ばかり。到底お湯とはいえない水に近いものである。

温水器設置業者に電話で問いただしたところ、長い間通電していなかったので、もう一晩待って様子を見て欲しいとのこと。水が少しでも温まっているのだから温水器そのものの故障ではないと判断しているようだ。

お湯を沸かして、からだを拭いたりはできるが湯船にどっぷり浸かりたい。それができるのは明日なのか、もっと先になるのか。食べ物もだんだん容易に手に入るようになり、ほとんど平常生活に戻ったのだから贅沢はいえないけれども、昨日も書いたように欲望は際限ない。

危機的な状況にある福島第一原発事故と放射線漏出の影響に比べたら、個人の不便なんて取るに足らないことだとは分かっている。それでも思うようにならないとイライラする。老人は堪え性がなくなるというから、そのせいかもしれない。

3月28日(月)切がない欲望

2011-03-28 10:55:28 | ★①よろず何でも忘備ノ-ト★
3月28日(月)切がない欲望

人間はなるべく楽な生活、欲を言えば快適な生活を追い求める。それが一つの原動力になって、いろいろな物を作り出してきた。古代からあった水道、水洗トイレ、浴場などもそうした人間の欲求が生み出したものだろう。

大地震で電気、水道が止まっただけで大そう不自由したが、電気は3日目、水道は26日に復旧した。ガスはプロパンだから地震の影響は受けなかった。これで日常生活に必要な最低限の条件は整った。でもそうなると次なる欲望が出てくる。

蛇口をひねれば出てくるお湯が欲しい。深夜電力利用の温水器を設置した業者に電話して直ぐ使えるかどうか点検してもらった。結果は異常無しで多分翌朝にはお湯が使えるようになるだろうとのことだった。ただし、切っておいた電源を入れた途端、深夜でもないのに通電のランプが灯ったので、業者は電力供給のタイマー設定がずれているのではないかと言い置いて帰った。

案の定、今朝はお湯が出なかった。昨日の夕方短時間通電しただけで電源が遮断されてしまったらしい。東北電力にタイマー設定を直してもらおうと何度電話しても繋がらない。暫く気長に待つ以外ないようだ。温水器自体に故障がなければ今日の夕方か明日の朝までには湯が沸いているはずである。

お湯が使えるようになったら、次は何が欲しくなるのだろうか。本格的な寿司、国産ウナギの蒲焼を久しく食べていないな、などと被災地でやっと命をつないでいる人が聞いたら張り倒されるようなことを考えたりする。

寿司もウナギもふんだんにあるときは強い欲望は起こらない。それが店頭から消えた途端に欲望となって現れる。何とも不思議なことである。当面は実現可能な給湯復活で良しとしよう。

3月27日(日)水道復旧

2011-03-27 10:46:34 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
3月27日(日)水道復旧

水道局の職員の言うとおり昨日の夕刻、地震発生から16日ぶりに水道が復旧した。もう水汲みの必要はないと思っただけで肩の荷が軽くなった。蛇口をひねると、空気が混じった少し濁った水がほとばしり出た。通水したのは日が暮れて辺りが暗くなるころだった。

朝から作業に来ていた職員は、寒い吹きさらしの中で立ったまま冷たい弁当を黙々と食べていた。できることと言えば熱いお茶を提供するぐらいである。絶えず他の現場と携帯電話でやり取りする必要があるので、作業場所から離れることができないのだ。

ひょっとしたら復旧に携わっている職員も被災者なのかもしれない。公共事業職員なら「私」を犠牲にしてでも災害復旧を優先するだろう。東北人は辛抱強いと言われる。寡黙な彼らはまさに東北人の顔をしていた。

消火栓から作業を始めたのは、通水最初の濁り水を最初に貯める目的だった。消火栓に水を流してみて途中の水道管に異常がないかどうかを確かめるのだそうだ。それが終わった後で、給水ブロックの低いところから順次家庭の水道管へ水を供給して行く。

日が傾きかけても作業は終わらない。「お宅はこの辺で一番高いところだから、水がくるのは最後になるね」と年かさの職員が済まなそうに言った。立地がたまたまそうであるだけで作業する人には何の責任もない。それでも話し相手を気遣うやさしさが嬉しかった。

任務を黙って遂行するこうした人々の活躍によってライフラインが次々復旧してゆく。甚大な被害に遭った地区の復旧はめども立たないだろうが、被災地にも早く希望の光を届けて欲しい。