全国970箇所「道の駅」北海道~沖縄まで!!

自由、気ままにできるかどうか道の駅のゴム印スタンプを収集しています。現在120余スタンプですょ。Live to die

47都道府県の「道の駅」スタンプ

2011-12-29 07:33:19 | ■ラ-メン特集
( 1)北海道■北海道宗谷郡猿払村浜鬼志別214-7


( 2)青森県■青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩龍浜99


( 3)岩手県■岩手県陸前高田市高田町字古川28-5


( 4)宮城県■宮城県気仙沼市本吉町三島94-12


( 5)秋田県■秋田県由利本荘市岩城内道川字新鶴潟192-43


( 6)山形県■山形県飽海郡遊佐町菅里菅野308-1


( 7)福島県■福島県石川郡平田村大字上蓬田字横森後160


( 8)茨城県■茨城県猿島郡境町1341番地1


( 9)栃木県■栃木県那須郡那須町高久乙593-8


(10)群馬県■群馬県藤岡市譲原1089-2


(11)埼玉県■埼玉県川口市安行領家844番地2


(12)千葉県■千葉県南房総市白子1501


(13)東京都■ 東京都八王子市滝山町1丁目592


(14)神奈川県■神奈川県足柄下郡箱根町箱根381番地22



(15)新潟県■新潟県村上市九日市809


(16)富山県■富山県氷見市中央町7-1


(17)石川県■石川県河北郡津幡町竹橋西270


(18)福井県■福井県三方上中郡若狭町熊川11号犂頭1-1


(19)山梨県■山梨県富士吉田市新屋1936-6番地


(20)長野県■長野県北安曇郡小谷村北小谷1861-


(21)岐阜県■岐阜県可児市柿田416番地1


(22)静岡県■静岡県駿東郡小山町須走338-41



(23)愛知県■愛知県田原市東赤石5丁目74


(24)三重県■三重郡菰野町菰野2256


(25)滋賀県■滋賀県草津市下物町1436番地


(26)京都府■京都府舞鶴市字下福井905番地


(27)大阪府■大阪府和泉市仏並町398-1


(28)兵庫県■兵庫県養父市八鹿町高柳241-1


(29)奈良県■和歌山県岩出市押川37-1


(30)和歌山県■和歌山県岩出市押川37-1


(31)鳥取県■鳥取県東伯郡北栄町由良宿1458-15


(32)島根県■島根県飯石郡飯南町下赤名880-3


(33)岡山県■岡山県真庭市蒜山上徳山1380-6


(34)広島県■広島県山県郡北広島町有田1122


(35)山口県■山口県大島郡周防大島町大字西方1958-77


(36)徳島県■徳島県鳴門市大麻町桧字東山田53


(37)香川県■香川県高松市香南町横井997-2


(38)愛媛県■愛媛県喜多郡内子町寺村251-1


(39)高知県■高知県高岡郡四万十町大正17-1


(40)福岡県■福岡県三潴郡大木町大字横溝1331番地1


(41)佐賀県■佐賀県伊万里市南波多町井手野2754-9


(42)長崎県■長崎県平戸市田平町深月免521


(43)熊本県■熊本県宇城市松橋町久具757番地3


(44)大分県■大分県大分市大字大平989-6


(45)宮崎県■宮崎県日南市大字酒谷甲1840番地4


(46)鹿児島県■鹿児島県霧島市霧島田口2583-22


(47)沖縄県■沖縄県糸満市西崎町4-19-1





12月27日(火)甘い津波対策

2011-12-27 12:18:53 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
12月27日(火)甘い津波対策

福島第一原発事故について、政府の事故調査・検証委員会が昨日中間報告書を発表した。報告書は政府や東電が津波による過酷事故を想定せず対策が甘かったと指摘するとともに、原子炉を冷やす作業でも国や東電の不手際が重なり、事故の影響を広げた可能性も指摘した。

新聞の報道を読んだだけだし、来年夏に出る最終報告書を見ないで、まだとやかくいうべき段階ではないかもしれないが、今回の事故は国と東電の怠慢と対応の不手際が生んだ「人災」の疑いが濃くなったといわざるを得ない

事故調査委員会の畑村洋太郎委員長(東大名誉教授)は記者会見で、津波のリスクが十分認識されていなかったことに関連して次のような趣旨のことを指摘していた。それは原子力発電所の設計基準を超えるようなシビアな状況は「想定外」として考える対象にしていなかったのだという。「想定外」にしてしまえばそれ以上の思考を停止してしまう。初めから巨大地震と巨大津波を考えず、対策も講じていなかったのだから、お話にならない。

事故が起きてからの対応もお粗末の一語に尽きる。先ず第一に緊急時の原子炉冷却に使うための非常用復水機が止まっていることに誰も気づかなかった。それに気づいていれば初期段階なら手動で作動させることもできた。

消防車を使って注水することももたついた。消防系配管からの注水は1号機では事故発生後14時間以上も経っていた。なぜそうなったかと言うと消防系配管から消防車を使って原子炉に注水することは事故対策として定められていなかった。誰がその作業を担当するのかも決まっておらず、ホースをつなぐ送水口の位置すら把握していなかった。

調査委は他に官邸内の意思疎通が不十分だったこと、情報を統制し国民への情報公開が遅れた点も指摘している。第一義的には事故現場の対応のまずさが事故を大きくしたことは間違いないけれども、放射能飛散による避難区域の設定などは政府の責任であり、その糾明は政治家に対する聞き取り調査など今後の課題として残されている。

12月26日(月)トロ今昔

2011-12-26 11:40:05 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
12月26日(月)トロ今昔

デパートやスーパーの鮮魚売り場に、いろんな種類のマグロの切り身が並んでいる。本マグロはもとより押しなべて値段が高いから、普段は横目でちらと見て通り過ぎるだけである。でも、たまに身がピンクのキハダの切り落としなどが「サービス品」として置いてあると、思わず足を止めて値段と相談のうえ買い求めることがある。長イモをすりおろして増量し「やまかけ」にして食べる。到底旬のホンマグロのようなおいしさは望むべくもないが、それでも結構うまいのだ。

ところで、冷凍ものは別にしてホンマグロがいちばんおいしい季節をご存知だろうか。今ごろから春先にかけての産卵期が最もうまいとされている。産卵期をすぎるとがくんと味が落ちてしまう。季節による味の変化とは別に、ホンマグロに対する日本人の嗜好は時代によって大きく変化した。

江戸時代前期の料理本「古今料理集」にはマグロは下魚で賞玩に値しないと書いてあるそうだ。そうした評価は長く続いたようであるが、17世紀末になると貴賓の宴席にも供されるようになったが、これも長続きせずマグロの評価は低迷を続けた。

転機が訪れたのは天保3年(1832年)である。この年江戸は近海マグロが未曾有の豊漁で、たいへんな安値になった。それに目をつけたのが寿司職人で、赤身の部分を醤油漬けにした「づけ」と称するタネを握りずしに使い始めた。今最高級品の握りといえばホンマグロのオオトロを思い出すだろうが、使い始めたのは赤身だけで脂身は見向きもされなかった。

トロの部分はアラ扱いで、ネギと交互に串に刺して焼く「ねぎま」に用いられるのがせいぜいだった。このトロ敬遠の嗜好は昭和時代まで続いた。戦前は「おから」のダシはただ同然のトロだったのである。

もともと淡白な味を好んだ日本人がトロのうまさに気づいたのは、戦後アメリカの食生活が入ってきて、日本人の味覚が脂肪分に慣らされて行ったためではないかと考えている。アメリカは占領で不自由を強いたばかりでなく、庶民からトロも取り上げる結果を招いた。全く余計なことをしてくれたものである。