5月31日(火)地這いトマト
昨日の風雨で菜園に移植したばかりのトマト苗が倒れ泥まみれになった。支柱は立てていたがテープでとめておかなかったのがいけなかった。泥を洗い流して支柱に固定したから、梅雨入りしても倒れることはないだろう。ただし成長につれて固定する箇所を増やさなければならない。
トマトはそもそも支柱に縛り付けて作る作物ではなかったような気がする。原産地ではトマトは自然に任せて地上を這わせる作り方をしていたのではないかと想像する。一度原種に近いといわれるトマトを植えたことがある。何の手入れもせず支柱もやらずに栽培したが、勝手に枝分かれして小さい実をたくさん実らせた。そして地上を這う茎の随所から根を出して水分と養分を摂取していた。
トマトの茎を直立させ、雨よけのハウスの中で栽培する方法は、高温多湿な日本で確立された栽培法だろう。雨は病気の原因になるし、熟した実に雨が当たると実割れを起こし売り物にならない。と言うわけでトマトは日本では手間のかかる作物になったのだと思う。
トマトと同じナス科植物で家庭菜園でも人気があるナスはインド東部の生まれである。有史以前から栽培されていたようで古代にペルシャ(今のイラン)に伝わり、そこを基点に5世紀にはアラビア半島、アフリカへと広まった。ヨーロッパへは13世紀には入ったらしい。
一方東に向かっても古くから伝わったらしく、6世紀初頭の中国書に記録されているそうだ。そして8世紀半ばまでには日本に上陸している。このようにトマトに比べるとナスの伝播は早かった。
ナスの実の形状は実に様々で、ご当地ナスとして特化したものも多い。東北地方のセンダイナガナス、山形のミンデンナスなどお国自慢のナスは枚挙に暇がないほどである。日本ではあまりもかけないがヘタが緑色のもの、実が白いもの、緑のものもある。
トマトもナスも世界的な重要野菜としての地位は揺るぎない。ただし両方とも国産でないのはちょっと寂しい。
昨日の風雨で菜園に移植したばかりのトマト苗が倒れ泥まみれになった。支柱は立てていたがテープでとめておかなかったのがいけなかった。泥を洗い流して支柱に固定したから、梅雨入りしても倒れることはないだろう。ただし成長につれて固定する箇所を増やさなければならない。
トマトはそもそも支柱に縛り付けて作る作物ではなかったような気がする。原産地ではトマトは自然に任せて地上を這わせる作り方をしていたのではないかと想像する。一度原種に近いといわれるトマトを植えたことがある。何の手入れもせず支柱もやらずに栽培したが、勝手に枝分かれして小さい実をたくさん実らせた。そして地上を這う茎の随所から根を出して水分と養分を摂取していた。
トマトの茎を直立させ、雨よけのハウスの中で栽培する方法は、高温多湿な日本で確立された栽培法だろう。雨は病気の原因になるし、熟した実に雨が当たると実割れを起こし売り物にならない。と言うわけでトマトは日本では手間のかかる作物になったのだと思う。
トマトと同じナス科植物で家庭菜園でも人気があるナスはインド東部の生まれである。有史以前から栽培されていたようで古代にペルシャ(今のイラン)に伝わり、そこを基点に5世紀にはアラビア半島、アフリカへと広まった。ヨーロッパへは13世紀には入ったらしい。
一方東に向かっても古くから伝わったらしく、6世紀初頭の中国書に記録されているそうだ。そして8世紀半ばまでには日本に上陸している。このようにトマトに比べるとナスの伝播は早かった。
ナスの実の形状は実に様々で、ご当地ナスとして特化したものも多い。東北地方のセンダイナガナス、山形のミンデンナスなどお国自慢のナスは枚挙に暇がないほどである。日本ではあまりもかけないがヘタが緑色のもの、実が白いもの、緑のものもある。
トマトもナスも世界的な重要野菜としての地位は揺るぎない。ただし両方とも国産でないのはちょっと寂しい。
5月30日(月)スズメ
今朝は書斎にスズメの鳴き声が煩く聞こえてくる。雨をよけて屋根がある2階のベランダに集まっているせいだ。網戸とガラス戸で薄暗い室内は外にいるスズメからは見えないらしい。人間の気配を察すれば直ちに逃げる筈の彼らがのんびりしている。
煩く鳴いているのは巣立ったばかりの幼鳥のようである。大きさは親鳥と変わらないが、羽を半開きにした姿勢で親を追い回している。まだ親から青虫をもらって食べている時期なのだろう。雨で親が十分虫を運んで来れないので、おなかを空かしているのかもしれない。
スズメは日本で最も普通に見かける小鳥であるばかりか、世界的にも広範囲に分布している。ただしヨーロッパで人家の近くにいるのはスズメの近縁種のイエスズメで人を恐れない。屋外で食事しているとパンくずを拾いにテーブルまでずうずうしく寄ってくる。本物のスズメは郊外の樹林地帯で暮らしているのが日本とは違う。
ヨーロッパではスズメは古来、愛、とくに夫婦仲のよさを象徴する鳥と考えられてきた。卵が媚薬に用いられたこともあった。スズメはこのように愛すべき小鳥と思われる一方で、個体数が多く穀物や果物を食い荒らす害鳥でもある。
日本でも防鳥ネットが普及する前は、稲が実るころ農民は案山子や鳴子でスズメ追いをしなければならなかった。田んぼのあぜ道に番小屋を作り、老人や子どもがその中に陣取って、鳴子のついた紐を引っ張る風景が懐かしく思い出される
今朝は書斎にスズメの鳴き声が煩く聞こえてくる。雨をよけて屋根がある2階のベランダに集まっているせいだ。網戸とガラス戸で薄暗い室内は外にいるスズメからは見えないらしい。人間の気配を察すれば直ちに逃げる筈の彼らがのんびりしている。
煩く鳴いているのは巣立ったばかりの幼鳥のようである。大きさは親鳥と変わらないが、羽を半開きにした姿勢で親を追い回している。まだ親から青虫をもらって食べている時期なのだろう。雨で親が十分虫を運んで来れないので、おなかを空かしているのかもしれない。
スズメは日本で最も普通に見かける小鳥であるばかりか、世界的にも広範囲に分布している。ただしヨーロッパで人家の近くにいるのはスズメの近縁種のイエスズメで人を恐れない。屋外で食事しているとパンくずを拾いにテーブルまでずうずうしく寄ってくる。本物のスズメは郊外の樹林地帯で暮らしているのが日本とは違う。
ヨーロッパではスズメは古来、愛、とくに夫婦仲のよさを象徴する鳥と考えられてきた。卵が媚薬に用いられたこともあった。スズメはこのように愛すべき小鳥と思われる一方で、個体数が多く穀物や果物を食い荒らす害鳥でもある。
日本でも防鳥ネットが普及する前は、稲が実るころ農民は案山子や鳴子でスズメ追いをしなければならなかった。田んぼのあぜ道に番小屋を作り、老人や子どもがその中に陣取って、鳴子のついた紐を引っ張る風景が懐かしく思い出される
5月29日(日)魔女の箒
昨日、箒のことを書いていて、ヨーロッパで魔女が跨って空を飛ぶと信じられていた箒は何で作られていたのだろうと思った。魔女が飛ぶさまを描いた絵をみると日本の竹箒に似ているが材質が違うようだ。そんなことを調べたって何の役にも立たないことは分かっているが、気になって仕方がない。
そんなくだらないことが書いてありそうな本を暇に任せてめくってみた結果、エニシダの枝を束ねたものであることが分かった。どこにでも生えていて材料が入手し易かったので、日本における竹箒のように庭箒はエニシダで作るのが普通だったのだろう。世の中には変なことを調べる人がいるものである。そういうお前も変だといわれればその通りであるが、とにかく分かってほっとした。
ちょうど今ころに季節、イギリスを旅行したことがある。どこへ行っても黄色いエニシダの花盛りだった。そのときは日本と同じ花が咲いていると思ったが、エニシダはヨーロッパが本家で日本へ渡って来たのは17世紀後半である。エニシダとともに魔女も渡ってきたらどんなことになっていただろうか。魔女は知識人だったから文明開化が早まったことは確かであるが、いろいろな混乱も起きただろう。
魔女と言うと、鉤鼻でしわくちゃの老婆を想像する人が多いかもしれないが、ベラ・ドンナ(美しい貴婦人)と呼ばれる一群の人々も魔女だったのである。これらの人々は産婆や呪医といった職業に就き薬草にも詳しかったので、その知識を生かして病気治療に当たっていたのである。
悪魔と交わり世の中に害悪をもたらすものとして疎外されるようになったのは、ヨーロッパにキリスト教の形而上観念が受け入れられるようになった中世からであって、特異能力を持つと言うことだけで裁判にかけられ命を奪われた多くの「魔女」がいたことは痛ましいことだった。。
昨日、箒のことを書いていて、ヨーロッパで魔女が跨って空を飛ぶと信じられていた箒は何で作られていたのだろうと思った。魔女が飛ぶさまを描いた絵をみると日本の竹箒に似ているが材質が違うようだ。そんなことを調べたって何の役にも立たないことは分かっているが、気になって仕方がない。
そんなくだらないことが書いてありそうな本を暇に任せてめくってみた結果、エニシダの枝を束ねたものであることが分かった。どこにでも生えていて材料が入手し易かったので、日本における竹箒のように庭箒はエニシダで作るのが普通だったのだろう。世の中には変なことを調べる人がいるものである。そういうお前も変だといわれればその通りであるが、とにかく分かってほっとした。
ちょうど今ころに季節、イギリスを旅行したことがある。どこへ行っても黄色いエニシダの花盛りだった。そのときは日本と同じ花が咲いていると思ったが、エニシダはヨーロッパが本家で日本へ渡って来たのは17世紀後半である。エニシダとともに魔女も渡ってきたらどんなことになっていただろうか。魔女は知識人だったから文明開化が早まったことは確かであるが、いろいろな混乱も起きただろう。
魔女と言うと、鉤鼻でしわくちゃの老婆を想像する人が多いかもしれないが、ベラ・ドンナ(美しい貴婦人)と呼ばれる一群の人々も魔女だったのである。これらの人々は産婆や呪医といった職業に就き薬草にも詳しかったので、その知識を生かして病気治療に当たっていたのである。
悪魔と交わり世の中に害悪をもたらすものとして疎外されるようになったのは、ヨーロッパにキリスト教の形而上観念が受け入れられるようになった中世からであって、特異能力を持つと言うことだけで裁判にかけられ命を奪われた多くの「魔女」がいたことは痛ましいことだった。。