10月27日(木)北杜夫さん死去
今朝の仙台の最低気温は7℃台だった。まだ霜が降りるほどではないが、紅葉したサクラやイチョウの葉が散り急いでいる。こんな寒い日は窓越しの日差しを浴びながら読書して暮らすのも悪くない。今日から読書週間である。
折りしも好きな作家の一人「どくとるマンボウ」こと、北杜夫さんが亡くなった。84歳だった。まだまだ活躍できた年齢なのに惜しまれる。死因が腸閉塞とは医者の不養生か。躁鬱病を患い奇抜な行動も目立ったが、精神科医であったから自分の病状とうまく折り合いをつけて、作家としての活動も続けてこられたのだろう。
歌人としてあまりにも有名な斎藤茂吉の次男として生まれたことが生涯重荷になっていたのかもしれない。「楡家の人びと」のように生真面目な長編小説とユーモア文学というジャンルの違う対照的な作風を一人でこなした稀有な作家でもあった。
3月11日の震災でまだ一部崩れたままになっている書庫に、北杜夫さんの著書も埋もれているはずである。この機会に片付けてもう一度読み返してみよう。
今朝の仙台の最低気温は7℃台だった。まだ霜が降りるほどではないが、紅葉したサクラやイチョウの葉が散り急いでいる。こんな寒い日は窓越しの日差しを浴びながら読書して暮らすのも悪くない。今日から読書週間である。
折りしも好きな作家の一人「どくとるマンボウ」こと、北杜夫さんが亡くなった。84歳だった。まだまだ活躍できた年齢なのに惜しまれる。死因が腸閉塞とは医者の不養生か。躁鬱病を患い奇抜な行動も目立ったが、精神科医であったから自分の病状とうまく折り合いをつけて、作家としての活動も続けてこられたのだろう。
歌人としてあまりにも有名な斎藤茂吉の次男として生まれたことが生涯重荷になっていたのかもしれない。「楡家の人びと」のように生真面目な長編小説とユーモア文学というジャンルの違う対照的な作風を一人でこなした稀有な作家でもあった。
3月11日の震災でまだ一部崩れたままになっている書庫に、北杜夫さんの著書も埋もれているはずである。この機会に片付けてもう一度読み返してみよう。