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6月16日(土)オウム・高橋容疑者逮捕

2012-06-16 15:30:06 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
6月16日(土)オウム・高橋容疑者逮捕

地下鉄サリン事件に関わったとして特別手配中の高橋克也容疑者が昨日捕まった。これでオウム真理教の一連の事件で特別手配されたすべての容疑者が掴まってことになる。17年におよぶ逃亡生活の末、あっけない幕切れだった。

しかし、これで一件落着ではない。一連の事件の解明はこれからだし、犠牲者の家族の悲しみ、心の傷は簡単に消えるものではない。また信者を救済するはずだった教団がなぜ殺人にまで突っ走る犯罪組織になったのかも改めて解明する必要がある。

1995年3月20日、11人の死者と約5500人の重軽症者を出した地下鉄サリン事件は衝撃的だった。これに先立つ坂本堤弁護士一家殺害事件(1989年)y松本サリン事件(1994年)と次第に凶暴さを強めていった教団が、ついに無差別殺人にまでエスカレートしたのかと慄然としたのを覚えている。

オウム真理教は麻原彰晃(本名、松本智津夫)が始めたヨガ道場だった。1989年に宗教法人の認可を受け各地に道場を開いて行くが、土地取得や異臭問題などめぐり地域住民と対立を深めて行く。

このころから殺人を正当化するなど、社会常識を逸脱する観念が目立つようになり、ついに地下鉄サリン事件へと突き進んでいった。同教団がインテリ青年を含む多数の信者を惹きつけたものは何だったのだろう。若者を取り巻く閉塞感、何かに救いを求めようとする気持ちだけでは説明できないような魅力を教団が持っていたのだろうか。

去年の暮れに自ら警察に出頭した平田信容疑者、そして今回相次いで捕まった菊地直子容疑者、高橋克也容疑者の新たな裁判を通じて、教団内部で何が起こったのかが明らかになることを期待している。

6月14日(木)キュウリのこと

2012-06-14 15:40:30 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
6月14日(木)キュウリのこと

苗を買ってきて植えたキュウリに実がつき始めた。先端に黄色い花をつけたちっぽけなキュウリがかわいい。キュウリは日本で古くから栽培されてきた野菜の一つである。生まれ故郷はインドのヒマラヤ山系で、日本に入ってきたのは10世紀以前と考えられている。平城宮跡からタネが出土しているので奈良時代には食べられていたことが分かっている。

日本には二つのルートを通じて伝播した。一つはインドから東南アジアに広まったものが、中国経由で伝わった華南型、もう一つはインドからシルクロードを経て中国に入った華北型である。前者が先に伝わりいろいろな品種に分化した。華北型が導入されたのは明治時代になってからである。最近では華北型が優勢になっているという。

キュウリは現在、未熟のうちに収穫されて生食や漬物、炒め物など多様な使い方をされているが、古い時代から16、7世紀ころまでは完熟して黄色になったものを食べていたようである。そのことを16世中葉に来日したL・フロイスが驚きをもって紹介している。

実は小生も完熟したキュウリが好きである。太くて40cmほどもある完熟キュウリは一本でも食べ応えがある。ワタを取り除き、皮を厚めに剥いて汁の具にしたり、酢の物にして食べるが、青いキュウリとは違った確かな食感がある。この完熟キュウリを食べたいばかりに毎年キュウリを植えているようなものだ。

ところでキュウリは栄養学的に見ればどうなのだろうか。専門家の分析によれば、大部分は水で若干のビタミンAとCを含む以外は栄養的には重視されるものは無いようである。しかし典型的な夏野菜でからだを冷やす働きがあるから、省エネの夏には持って来いの野菜である。

6月6日(水)キスゲ

2012-06-06 11:32:55 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
6月6日(水)キスゲ

庭に自然に生えてきたキスゲの一種が咲きそうになっている。正式の名前は知らないが、朝に開花し夕方には萎んでしまう昼咲き形だからニッコウキスゲの仲間だろう。本来は高山の湿原に群生するそうだが、東北地方では低地でも繁殖するという。

わが家には橙黄色の花が咲くものと橙赤色の花の2種類がある。前者は勝手に生えてきたものだが、後者は苗を買って植えたものだ。キスゲの仲間はどれも丈夫で手入れしなくても毎年花が楽しめる。また若い芽は柔らかくぬめりがあって、山菜としても利用される。

花を乾燥させたものが売られている。金針菜(きんしんさい)と言って中国料理に用いられる食材だ。ほとんど癖がないので和風の煮物にも利用できる。

キスゲは本来ヒマラヤから東アジアにかけて自生していた。そのうちホンカンゾウやホソバキスゲなど何種類かがルネッサンス前後にヨーロッパにもたらされ、さらに19世紀になってから中国や日本からヒメカンゾウがヨーロッパに渡って改良が進んだ。欧米では公園や花壇の植え込みに利用するほか切花用としても需要が多い。

アジアでは珍しくない花なので人の手を加えて改良することはなかったが、ヨーロッパやアメリカでは珍しい異国の花として園芸家の注目を集めたらしい。

1月6日(金)七草粥

2012-01-06 13:04:53 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
1月6日(金)七草粥

20数年前から、わが家の雑煮は比内地鶏の出汁で煮たキリタンポ風の汁に、焼いた餅を入れたものにしている。以前は焼きハゼ出汁の仙台雑煮だったが、ハゼの値段が高騰してあほらしくなったから止めにした。比内地鶏は普通の鶏肉に比べれば高価であるがハゼよりはずっと安くて、しかもいい味なので満足している。

お雑煮はところ変われば品変わるで、いったいどれくらいの種類があるのか分からないけれども、中にはこれがお雑煮かと思うようなものもある。関西に赴任した翌年の正月に初めてお目にかかったお雑煮は、餅もダイコンもサトイモもニンジンもすべて丸い形で甘みのある白味噌仕立てだったのに仰天した。四国のどこかでは甘いあんこが入った餅をお雑煮に使うと聞いたことがある。お雑煮は醤油味という先入観があったので、甘いお雑煮にはカルチャーショックを受けた。

仙台では正月三が日はお雑煮と漉し餡をまぶしたあんこ餅をいただくのが普通だった。4日からはご飯に戻り、何日だったか忘れてしまったけれども麦飯にとろろの日があった。餅をたらふく食べて正月疲れの胃を休めようとしたのかもしれない。そして明日7日は七草粥である。

スーパーで「七草セット」を売っていた。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロと少しずつ袋詰めにしたものが4百円近くもするのに驚いた。そんなのを買うぐらいなら、菜園のコマツナ、ユキナ、ホウレンソウ、野生のハコベ、お雑煮に使った残りのセリやダイコンなど、あり合わせのもので間に合わせた方が良い。

若菜が雪のため摘めない地方では、保存できるニンジン、ゴボウ、ダイコンなどの根菜と干し柿、栗などを用いるところもあるそうだ。とにかく「七」と言う目出度い数字にあやかって神のご加護を願うことが大事なので、粥に何を入れるかは裁量に任せられていると考えてよさそうである。

12月27日(火)甘い津波対策

2011-12-27 12:18:53 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
12月27日(火)甘い津波対策

福島第一原発事故について、政府の事故調査・検証委員会が昨日中間報告書を発表した。報告書は政府や東電が津波による過酷事故を想定せず対策が甘かったと指摘するとともに、原子炉を冷やす作業でも国や東電の不手際が重なり、事故の影響を広げた可能性も指摘した。

新聞の報道を読んだだけだし、来年夏に出る最終報告書を見ないで、まだとやかくいうべき段階ではないかもしれないが、今回の事故は国と東電の怠慢と対応の不手際が生んだ「人災」の疑いが濃くなったといわざるを得ない

事故調査委員会の畑村洋太郎委員長(東大名誉教授)は記者会見で、津波のリスクが十分認識されていなかったことに関連して次のような趣旨のことを指摘していた。それは原子力発電所の設計基準を超えるようなシビアな状況は「想定外」として考える対象にしていなかったのだという。「想定外」にしてしまえばそれ以上の思考を停止してしまう。初めから巨大地震と巨大津波を考えず、対策も講じていなかったのだから、お話にならない。

事故が起きてからの対応もお粗末の一語に尽きる。先ず第一に緊急時の原子炉冷却に使うための非常用復水機が止まっていることに誰も気づかなかった。それに気づいていれば初期段階なら手動で作動させることもできた。

消防車を使って注水することももたついた。消防系配管からの注水は1号機では事故発生後14時間以上も経っていた。なぜそうなったかと言うと消防系配管から消防車を使って原子炉に注水することは事故対策として定められていなかった。誰がその作業を担当するのかも決まっておらず、ホースをつなぐ送水口の位置すら把握していなかった。

調査委は他に官邸内の意思疎通が不十分だったこと、情報を統制し国民への情報公開が遅れた点も指摘している。第一義的には事故現場の対応のまずさが事故を大きくしたことは間違いないけれども、放射能飛散による避難区域の設定などは政府の責任であり、その糾明は政治家に対する聞き取り調査など今後の課題として残されている。

12月26日(月)トロ今昔

2011-12-26 11:40:05 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
12月26日(月)トロ今昔

デパートやスーパーの鮮魚売り場に、いろんな種類のマグロの切り身が並んでいる。本マグロはもとより押しなべて値段が高いから、普段は横目でちらと見て通り過ぎるだけである。でも、たまに身がピンクのキハダの切り落としなどが「サービス品」として置いてあると、思わず足を止めて値段と相談のうえ買い求めることがある。長イモをすりおろして増量し「やまかけ」にして食べる。到底旬のホンマグロのようなおいしさは望むべくもないが、それでも結構うまいのだ。

ところで、冷凍ものは別にしてホンマグロがいちばんおいしい季節をご存知だろうか。今ごろから春先にかけての産卵期が最もうまいとされている。産卵期をすぎるとがくんと味が落ちてしまう。季節による味の変化とは別に、ホンマグロに対する日本人の嗜好は時代によって大きく変化した。

江戸時代前期の料理本「古今料理集」にはマグロは下魚で賞玩に値しないと書いてあるそうだ。そうした評価は長く続いたようであるが、17世紀末になると貴賓の宴席にも供されるようになったが、これも長続きせずマグロの評価は低迷を続けた。

転機が訪れたのは天保3年(1832年)である。この年江戸は近海マグロが未曾有の豊漁で、たいへんな安値になった。それに目をつけたのが寿司職人で、赤身の部分を醤油漬けにした「づけ」と称するタネを握りずしに使い始めた。今最高級品の握りといえばホンマグロのオオトロを思い出すだろうが、使い始めたのは赤身だけで脂身は見向きもされなかった。

トロの部分はアラ扱いで、ネギと交互に串に刺して焼く「ねぎま」に用いられるのがせいぜいだった。このトロ敬遠の嗜好は昭和時代まで続いた。戦前は「おから」のダシはただ同然のトロだったのである。

もともと淡白な味を好んだ日本人がトロのうまさに気づいたのは、戦後アメリカの食生活が入ってきて、日本人の味覚が脂肪分に慣らされて行ったためではないかと考えている。アメリカは占領で不自由を強いたばかりでなく、庶民からトロも取り上げる結果を招いた。全く余計なことをしてくれたものである。

12月25日(日)融通無碍

2011-12-25 12:00:42 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
12月25日(日)融通無碍

キリスト教信者にとってクリスマスイブは大事な宗教行事である。しかし昨夜は、安物の発泡酒やワインで乾杯し、クリスマスケーキを食べてお祭騒ぎをしただけの似非(えせ)クリスチャンの若者もたくさんいたに違いない。彼らにはクリスマスイブは合コンの一つの口実に過ぎないのだ。

お祭好きのお国柄、それはそれで許されるけれども、同じ若者が正月になると今度は神社へ初詣に行く。この使い分けに何の矛盾も感じないらしいから不思議である。その延長線上にあるのが、キリスト教徒でもないのに、格好良いからという理由だけでハワイの教会で結婚式を挙げ、序に新婚旅行もしてしまうちゃっかり組がいる。

かく言う小生も大きなことは言えない。庭の片隅に屋敷神の祠を祭り、神棚も設けてある。その一方で仏壇に毎日水とお茶を供え蝋燭と線香を灯して手を合わせている。神仏を心から信仰しているわけではないけれども、何となくそうしていると安心なのだ。普段疎遠にしている神様も正月は主役になる。

何しろ古代から八百万(やおよろず)の神がいらっしゃる国で、後から入ってきた仏教とも折り合いをつけて、ご維新後の神仏分離までは仲良く暮らしていた。その後建前としては神道が優位を占めるようになるが、仏教の方が隆盛だった時代に寺院の境内に神社が間借りするようになるなど肩身の狭い存在だったようである。

そんなこともあって、神社は墓参りに行った序に手を合わせる境遇が長い間続いた。だから庶民感覚としては神と仏を厳密に区別する意識は生まれにくく、それが現代まで尾を引いているのではなかろうか。ともあれ日本人の宗教観は曖昧で、イスラム教のように教義によって鋭く対立する宗教を持たなくて幸せだったと思う。

12月24日(土)三方

2011-12-24 11:49:38 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
12月24日(土)三方

年賀はがきを出し終わってほっとしている。後は正月準備を整えるばかりである。準備といっても大したことはないのだが、年々それが億劫になってきた。高いところの掃除は苦手になって照明器具の上に積もった埃掃除などはおざなりになる。それでも部屋の隅の蜘蛛の巣などは見苦しいから取り払い、神棚と仏壇だけは念入りに掃除する。

掃除の達人に言わせると、手抜きするなら目につきやすいところを重点的にするのが効果的だという。例えば玄関など来客の眼に触れるところ、台所のシンクや蛇口、ドアのノブなど金属製品、風呂場のタイルのメジなどをピカピカに磨き上げただけで気分が一新される。これなら一日あれば十分だろうという。

掃除が済んだら玄関や各部屋、外の物置小屋などに正月飾りをする。仙台地方で部屋ごとに飾るのは「輪通し縄」と言ってワラを編んで造った輪に松の葉・昆布・御幣などを挟んだ簡素な飾りである。後は「三方」(さんぼう)に載せた鏡餅を用意すればすべて終わりである。

ところで、神仏への供物台をなぜ三方というのか。最近仕入れた知識であるが、足の部分は上から見ると四角の隅を切った形をしているから、「方形角切(すみきり)筒型台脚」と言うのだそうだ。

その台脚は当然ながら四面ある。その三面に眼象(げんしょう)あるいは格狭間(こうざま)と称する繰形が開けられている。つまり台脚の三方に飾り窓があるので三方と言うのだそうだ。ちなみに四方に透かしがある物は四方といい、この方がむかしは格式が高かった。三方は透かしのない面が正位置でこの面を神前に向けるのが正しい置きかたである。