
PHOTO BY WIKIPEDIA
第一回のアテネ大会について調べてみました。
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19世紀のヨーロッパでは既に「古代オリンピック」という名称を
つかったスポーツ大会が何度か開かれていました。
その頃クーベルタン男爵は国際スポーツ競技大会を「オリンピック」として
ひろめたいと考えていました。
1894年に11の国が参加してパリで候補地を選ぶ会議が開かれました。
クーベルタンとしては、最初から1900年のパリ万博と同時開催を考えていたようです。6年あれば準備期間も充分であると、彼はパリを第一回開催地に推薦したのです。
しかし評議会は2年後の開催を決定、多くの代表がロンドンを推薦する結果となりました。
ギリシャ代表 Demetrius Vikelas がオリンピックの発祥地ギリシャでの開催を強く主張、最後にはクーベルタンが後押しをしてアテネ大会が決定しました。
知らせを聞いたギリシャ国民は歓喜にわきかえります。
ところが、当時ギリシャは貧しい国で、政治も不安定でした。
1894年も終わる頃、初め考えていた3倍もの費用がかかることが明白になり、ギリシャでの開催は無理だという結論をだしました。
しかし、そんなことで簡単にはあきらめないのがギリシャ人。
記念切手を発行したりして寄付を集めたり
国王自らギリシャの大富豪アベロフを説得し、
パナシナイコ競技場の修復費を出させることに成功。
まさに国中が一丸となって開催にかこつけるのです。
パナシナイコ競技場は開会式前日の4月5日に完成、披露されたといいいます。
「本当に間に合うのか」と世界中をヒヤヒヤさせた、4年前の記憶がよみがえります。
寄しくも4月6日はギリシャの独立のために国民が蜂起した記念日であり、
その年のギリシャ正教の復活祭の日曜日でもあったといいいます。
「ここに国際オリンピックの開会を宣言します。
ギリシャ国家万歳!ギリシャ人民万歳!」と開会を宣言したのは
コンスタンティン皇太子でした。
写真はその開会式の模様です。
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ヨーロッパ人はヨーロッパ文明のルーツは古代ギリシャだといいながら、
近代ギリシャとギリシャ人からその後継者としての権利を横取りしていたように思います。
ギリシャ人が自己の権利の主張がとても強く、決してあきらめないのはこんなところから生まれ、鍛えられてきたのかも・・
参考:WIKIPEDIA
第一回のアテネ大会について調べてみました。
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19世紀のヨーロッパでは既に「古代オリンピック」という名称を
つかったスポーツ大会が何度か開かれていました。
その頃クーベルタン男爵は国際スポーツ競技大会を「オリンピック」として
ひろめたいと考えていました。
1894年に11の国が参加してパリで候補地を選ぶ会議が開かれました。
クーベルタンとしては、最初から1900年のパリ万博と同時開催を考えていたようです。6年あれば準備期間も充分であると、彼はパリを第一回開催地に推薦したのです。
しかし評議会は2年後の開催を決定、多くの代表がロンドンを推薦する結果となりました。
ギリシャ代表 Demetrius Vikelas がオリンピックの発祥地ギリシャでの開催を強く主張、最後にはクーベルタンが後押しをしてアテネ大会が決定しました。
知らせを聞いたギリシャ国民は歓喜にわきかえります。
ところが、当時ギリシャは貧しい国で、政治も不安定でした。
1894年も終わる頃、初め考えていた3倍もの費用がかかることが明白になり、ギリシャでの開催は無理だという結論をだしました。
しかし、そんなことで簡単にはあきらめないのがギリシャ人。
記念切手を発行したりして寄付を集めたり
国王自らギリシャの大富豪アベロフを説得し、
パナシナイコ競技場の修復費を出させることに成功。
まさに国中が一丸となって開催にかこつけるのです。
パナシナイコ競技場は開会式前日の4月5日に完成、披露されたといいいます。
「本当に間に合うのか」と世界中をヒヤヒヤさせた、4年前の記憶がよみがえります。
寄しくも4月6日はギリシャの独立のために国民が蜂起した記念日であり、
その年のギリシャ正教の復活祭の日曜日でもあったといいいます。
「ここに国際オリンピックの開会を宣言します。
ギリシャ国家万歳!ギリシャ人民万歳!」と開会を宣言したのは
コンスタンティン皇太子でした。
写真はその開会式の模様です。
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ヨーロッパ人はヨーロッパ文明のルーツは古代ギリシャだといいながら、
近代ギリシャとギリシャ人からその後継者としての権利を横取りしていたように思います。
ギリシャ人が自己の権利の主張がとても強く、決してあきらめないのはこんなところから生まれ、鍛えられてきたのかも・・
参考:WIKIPEDIA
貧しく,政情不安なかつてのギリシャがオリンピック開催の為に全国民が一丸となった・・いいですね~。そして開催式前日に完成したところなど、いかにもギリシャ!そう、やるときはやるんですよね。アテネオリンピックの時に滞在していた私はそれを肌で感じました。
開会式の日が独立蜂起を記念する日でもあり、復活祭でもあった・・感動です。
私もヨーロッパ人が文明のルーツであるギリシャ人の権利を横取りした・・という考えに近いものを持っています。大英博物館からパルテノンのフリーズを返還するよう運動したメリナ・メルクーリを思い出しました。
最近、土日に限ってよからぬ書き込みをする輩がいて
(会社員のアルバイトかしら?)
週末だけ承認制にしているんです。
オリンピックのおもしろエピソードの続きは新しいブログをみてくださいね。
ギリシャ村は私の夢でした。とっても楽しかったよ。
帽子、ミコノス島でくださいましたね。
あらためて ありがとう