私の書棚に色あせた1冊の本があります。
大学書林発行 早稲田大学の古川晴風先生著「ギリシャ語四週間」。初版は昭和33年。私のは第12版で昭和46年の刊。
裏表紙に「'73.3.18 緑星堂で購入 天気雨で肌寒い日」とあります。高校を卒業したものの大学入試に失敗した私は将来の展望を持ちあぐねていました。
当時の私には大金だった1200円を出してこの本を買い、友人がアルバイトをしていた喫茶店でワイン色の布表紙を開き、生まれて初めてギリシャ語と対面したのでした。
聡明な皆さんはお気づきかと思いますが、この本で学べる言葉が紀元前5世紀ころ最盛期のアテナイで使われていた言葉だなんて、無知な18歳の私は全く知りませんでした。
今でこそ世の中には「エクスプレス・フィンランド語」やら、「すぐ話せるアラビア語」とか「指さしスワヒリ語」といった本がありますが、私が初めてギリシャへ行った1974年には日本語ーギリシャ語の会話集なんて存在しなかったのです。
あれから・・いまだにマスターできないギリシャ語ですが、一番始めに覚えたのはアポ・プゥ・イセ?とティ・オラ・イネ・トーラ?でした。
アポ・プゥ・イセ?Από πού είσε;どこからきたの?
そのころは日本人だけでなくアジア人がとても珍しかったので、ことにレスボスでは道を歩くとほんとうにジロジロ見られました。ただし田舎の良い所はニュースがすぐに広がって、ああ、あのコはマリカのペンションにいるヤポネーザだよ、と認知されるようになったことでした。ミティリーニでは有名な自由文化人であったマリカの庇護のもと私はのびのび暮らすことができたように思います。
ひとつだけ困ったことがありました。キプロス扮装のまっただ中だった74年の冬、レスボス島には多くの兵士が駐留していて、彼らのなけなしの小遣いを吸い上げるキャバレーが沢山できていました。そこにひとりのタイ女性が働いていたのです。時々その人と間違えられることがあって、おじさんのニヤニヤ光線やらおばさま方のあからさまな蔑み視線には閉口しました。
「タイランディ(タイ人の女性)だろ?」といわれると、「いや違う。私はヤポネーザ!」とむきになって訂正していましたが、ある時、偶然本人に出会って本当に驚きました。その「子」は17歳くらいで、まっすぐの長い髪と大きな黒目がとっても奇麗で華奢な感じの子だったのです。
一方の私はというと、長旅でぼろぼろになったジーンズを履いて、髪の毛も男の子のように短くしていたのに、どうしたら彼女と私を見間違えることなどあるのだろうか、と不思議でたまりませんでした。あの子は今どこでどうしているのだろうと、彼女の大きくて淋し気な黒い瞳を時々想い出します。どうか幸せに暮らしていますように。
そしてティ・オラ・イネ・トーラ?τι ώρα είναι τώρα;今何時?
少しずつ私が日本人だと知られるようになると、道で出会う人が必ず私にこう聞くのです。そのころレスボスには腕時計をしている人があまりいませんでした。
街の人に「○○までは歩いてどれくらいかかる?」と聞くと「まあタバコ3本だね」などと言われてよけいに困ったものです。
旅の途中は時計が必要なのでいつも身に付けているけれど、普段はつけない私だったのに、あまりにみんなに聞かれるので、時計をつけずには外に出られなくなりました。まるで歩く時計塔ですよね。
ところが時間を聞いた人に、例えば「11時45分よ」と教えてあげると、ありがとうでもなんでもなく、「やっぱり」とか「思った通りだ」などと、みんながいうのです。普段からだいたいの時間がわかっているのだと思うのですが、それならなぜ聞くのだろうと、これもまた不思議でなりませんでした。
同じことが、後に1年ほど住んだモロッコのフェス旧市街でもありました。子どもたちが私を見つけるとうわ~と駆け寄ってきて、「ジャッキー・チェン!」「フォカーシュ?今何時?」と聞くのです。あの子たちは時間が知りたくて聞いていたのではなく、外国人と話したいだけだったことに後で気づきました。もしかすると、ミティリーニの人たちも単に私と話したかっただけなのかもしれません。
ともかく、おかげで数と時間の言い方はすぐに覚えることができたのでした。
「ギリシャ語4週間」のはずだったのに、長い時間がたってしまいました。
この記事に関連する過去ブログ
私のギリシャ物語から たちずさむ時間、ギリシャ記念日、35周年
大学書林発行 早稲田大学の古川晴風先生著「ギリシャ語四週間」。初版は昭和33年。私のは第12版で昭和46年の刊。
裏表紙に「'73.3.18 緑星堂で購入 天気雨で肌寒い日」とあります。高校を卒業したものの大学入試に失敗した私は将来の展望を持ちあぐねていました。
当時の私には大金だった1200円を出してこの本を買い、友人がアルバイトをしていた喫茶店でワイン色の布表紙を開き、生まれて初めてギリシャ語と対面したのでした。
聡明な皆さんはお気づきかと思いますが、この本で学べる言葉が紀元前5世紀ころ最盛期のアテナイで使われていた言葉だなんて、無知な18歳の私は全く知りませんでした。
今でこそ世の中には「エクスプレス・フィンランド語」やら、「すぐ話せるアラビア語」とか「指さしスワヒリ語」といった本がありますが、私が初めてギリシャへ行った1974年には日本語ーギリシャ語の会話集なんて存在しなかったのです。
あれから・・いまだにマスターできないギリシャ語ですが、一番始めに覚えたのはアポ・プゥ・イセ?とティ・オラ・イネ・トーラ?でした。
アポ・プゥ・イセ?Από πού είσε;どこからきたの?
そのころは日本人だけでなくアジア人がとても珍しかったので、ことにレスボスでは道を歩くとほんとうにジロジロ見られました。ただし田舎の良い所はニュースがすぐに広がって、ああ、あのコはマリカのペンションにいるヤポネーザだよ、と認知されるようになったことでした。ミティリーニでは有名な自由文化人であったマリカの庇護のもと私はのびのび暮らすことができたように思います。
ひとつだけ困ったことがありました。キプロス扮装のまっただ中だった74年の冬、レスボス島には多くの兵士が駐留していて、彼らのなけなしの小遣いを吸い上げるキャバレーが沢山できていました。そこにひとりのタイ女性が働いていたのです。時々その人と間違えられることがあって、おじさんのニヤニヤ光線やらおばさま方のあからさまな蔑み視線には閉口しました。
「タイランディ(タイ人の女性)だろ?」といわれると、「いや違う。私はヤポネーザ!」とむきになって訂正していましたが、ある時、偶然本人に出会って本当に驚きました。その「子」は17歳くらいで、まっすぐの長い髪と大きな黒目がとっても奇麗で華奢な感じの子だったのです。
一方の私はというと、長旅でぼろぼろになったジーンズを履いて、髪の毛も男の子のように短くしていたのに、どうしたら彼女と私を見間違えることなどあるのだろうか、と不思議でたまりませんでした。あの子は今どこでどうしているのだろうと、彼女の大きくて淋し気な黒い瞳を時々想い出します。どうか幸せに暮らしていますように。
そしてティ・オラ・イネ・トーラ?τι ώρα είναι τώρα;今何時?
少しずつ私が日本人だと知られるようになると、道で出会う人が必ず私にこう聞くのです。そのころレスボスには腕時計をしている人があまりいませんでした。
街の人に「○○までは歩いてどれくらいかかる?」と聞くと「まあタバコ3本だね」などと言われてよけいに困ったものです。
旅の途中は時計が必要なのでいつも身に付けているけれど、普段はつけない私だったのに、あまりにみんなに聞かれるので、時計をつけずには外に出られなくなりました。まるで歩く時計塔ですよね。
ところが時間を聞いた人に、例えば「11時45分よ」と教えてあげると、ありがとうでもなんでもなく、「やっぱり」とか「思った通りだ」などと、みんながいうのです。普段からだいたいの時間がわかっているのだと思うのですが、それならなぜ聞くのだろうと、これもまた不思議でなりませんでした。
同じことが、後に1年ほど住んだモロッコのフェス旧市街でもありました。子どもたちが私を見つけるとうわ~と駆け寄ってきて、「ジャッキー・チェン!」「フォカーシュ?今何時?」と聞くのです。あの子たちは時間が知りたくて聞いていたのではなく、外国人と話したいだけだったことに後で気づきました。もしかすると、ミティリーニの人たちも単に私と話したかっただけなのかもしれません。
ともかく、おかげで数と時間の言い方はすぐに覚えることができたのでした。
「ギリシャ語4週間」のはずだったのに、長い時間がたってしまいました。
この記事に関連する過去ブログ
私のギリシャ物語から たちずさむ時間、ギリシャ記念日、35周年
世界のダンスをちょっとだけかじって
ギリシャダンスが素敵だな~
ギリシャに行ってみたいな~
と思った年。
でも情勢不安定で
今は止めよう。 いつか行ける
と。。。
それから色~んな事が起こって
20年以上ギリシャに行く事はなく
『行きたい』と思った事さえ忘れてしまい。
やっとギリシャに行ってからも
早10年。
このお話を読むと
人生の決断・・イエそんな大袈裟ではないけれど
色々な分岐点を感じます。
まさに同じ時期、同じ日本の
どこかに遠く離れて
同じ年頃の私たちは、同じように
ギリシャに憧れていたのですね。
月日が流れ、こうして今知り合えた。
それもギリシャのおかげなんだなぁ・・
って思うと、不思議な縁を感じます。
lesvosoliveさんがなんでギリシャに来られたのか、気になるな~。
21世紀になった今でも、ギリシャ人、アテネの人でさえ、あまり日本のこと知らないですね。
今日はある客に、
「日本人の女性は、男性に尽くすんだろ?」
と言われました。同僚が猛烈な勢いで訂正してくれましたが・・・。
ごく最近まで 日本人の知っているギリシャといったら「古代文明の栄光、エーゲ海、白い家」の3題話(旅の雑誌は何十年もこの繰り返し)
現代のギリシャがどんな国なのか、正確な位置さえ知らない人が多かったのです。
最近は「経済危機、ストライキ、暴動」
で有名になり・・・これでは知らない方が良かったのかも・・トホホです。
fishさんは良い仕事環境と同僚に恵まれましたね。ブログいつも楽しみにしています。
私のはじめてのギリシャって、
もしかしたら、『海のトリトン』だったかも?
ギリシャは関係ないでしょうか? やっぱり、、
私も夢中になって観てましたよ。
トリトン族とポセイドン族。
登場人物にもそれぞれギリシャ語の
名前がついていましたね。
手塚さんもギリシャ神話ファンだった
のかしら??