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35周年

2009-12-09 | 私のギリシャ物語
ΛΕΣΒΟΣ



1974年12月6日 アテネに着いた私は
初めて見るこの汚れきった街にショックを受けていました。

何もかも予想と違っていましたのです。
海沿いにあったエリニコン空港からアテネ市内へむかう
リムジンバスの窓から見える町並みは
1950年代に建てられた 醜いPost-War建築の
群れで、なんだか薄汚れていました。

排気ガスに曇ったそんな惨めな建物と建物の間に見える
狭い空間からなにか白いものがチラっと見えたと思ったら・・
パルテノン神殿でした。

なんて、アンチ・クライマックスな出会いだったでしょう。
四国 松山の図書館で、横浜の港で、荒れるオホーツク海で、
雪に埋もれたシベリアの平原で、凍ったモスクワ川で
夢見ていた瞬間はあまりにもあっさりと訪れたのでした。

今と違ってgoogle earthも「地球の歩き方」もなかった時代。
東京の観光局で貰ったパンフレットで見たアテネと
目の前の街はかけ離れていました。


それもそのはず 同年7月に軍事政権が崩壊し
王制に戻るのか、共和国になるかを選ぶ国民投票を
二日後にひかえ、街は混乱の極みにあったのです。

歩道に舞い散るビラ、街の建物のあらゆる壁に、
バスの車体に殴り書きにされた政治的メッセージ。

ギリシャ語がまだ少しもわからなかった私には
デモの群集がさけぶ声も カフェで議論する人びとの会話も
荒々しく聞え、身振り手振りで大声を出す彼らが
いますぐ お互いに殴り掛かるのではないかと
思えてとても怖かったのです。

シンタグマで偶然知り合った日本人の大学院生が
私をツーリストオフィスに連れて行ってくれて 
レスボス島行きのフェリー・チケットを買うのを
手伝ってくれました。

ドイツに留学中だった山口さん。山下さんだったかもしれません。 
もしも、このブログをご覧になっていたらぜひ連絡ください。
改めてお礼を申し上げたいです。
たしか、神学を専攻しておられて、アトスの修道院巡りへ行く
途中だったと記憶しています。今はどこにおられるのでしょう。

翌日私をレスボスに運んでいってくれたのは
サッポーという名のフェリーでした。
選挙のために故郷へ帰る人びとと兵士で船は満員。

キプロス紛争の最中、トルコから数キロのレスボス島は
戦略上重要な拠点で全国から兵士が集められていました。

そして、そのトルコの山あいから登る朝日に輝く
レスボス島ミティリーニの港についたのは
12月8日早朝 ディーゼルの匂いのするフェリーから
島に降り立って、冬の晴れた空、松林の中の城、
穏やかな港の水面を見たその時
ほんとうに不思議なのですけれど
「あぁ、やっと帰ってきた」という感覚に
とらわれてしまったのです。

そしてまさにその日 国民の大多数に支持されて実現した
共和国ギリシャの誕生という歴史的瞬間に 
私は思いがけず立ち会うこととなったのでした。

さて
youtubeにはレスボス島の映像がたくさんありますが
この映像が気に入ったのはΜικρα Ασια_小アジアの古歌
ζιβαερι μου_ジバエリ・ムウ(私の大切な人)の
東方のメロディーラインと、ゆったりしたリズムが
レスボス島にいちばん似合っていると思うからです。









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