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内裏石碑めぐり 京都

2009-11-13 03:34:03 | 京都
今回の旅のテーマである「源氏物語めぐり」。

そこでまずは 源氏が生まれ育った舞台、“平安宮内裏”の
跡地の石碑を訪ねてみました。

↑↓ 上と下は内裏図。

内裏とは天皇が住む御所のことで
内裏の北側が后妃達が暮らす後宮、
南側に天皇の政務所である「紫宸殿(ししんでん)」や
天皇の日常生活の場である「清涼殿」があります。



図が小さくてわかりずらいのですが
この内裏図を見ながら「源氏」を読み進めると
物語が一層楽しく読めますね。


源氏の生みの母 桐壷の局“淑景舎(しげいしゃ)”は
清涼殿からは、かなり離れた北東の位置にあり、
そこに帝が足繁く桐壷を訪ねる事で
桐壷の更衣は、後宮のあまたの女人の妬み、恨みを負い
物思いに沈み、ついには病いを得て死んでしまう、、。

光源氏が生涯かけて思い慕い続けた藤壺の局“飛香舎”は
清涼殿の北西の割と近い位置にあったり・・。




今は民家の建ち並ぶ路地に↑上のように 
石碑と案内板が建てられています。

実際歩いてみると10分くらいで一周できる程。

「源氏物語」はフィクションですが
1000年も前に実存の天皇が住んでいた場所を
色々思い描きながら歩くのも なかなか感慨深いものがありました。



↑石碑のひとつ、“昭陽舎(しょうようしゃ)”
後宮のひとつで
庭に梨の木が植えられていたことから“梨壺”と呼ばれていたそうです。

こちらは「源氏物語」では第14帖「澪標(みおつくし)」に
「梨壺に春宮はおはしませば」というくだりで書かれています。

また、歴史上の女御として有名なのは
村上天皇の中宮 藤原安子(あんし)。




10世紀中頃 梨壺の一郭に
「撰和歌所」が置かれ
清少納言の父清原元輔らにより
「後撰和歌集」が編集されたそうで
元輔たち編集者は 「梨壺の5人」と呼ばれたそうです。


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