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夜の京都御苑と朧月(おぼろづき)

2010-11-19 14:43:43 | 京都
大将軍商店街の食堂でほろ酔い気分になった我ら中年二人組は
北野天満宮からの帰り道(電車で)
ふと思い立ち 京都御苑前で途中下車、夜の御苑内を散歩することにした。


築地塀で囲まれた京都御所の周辺は
当時(明治維新までは)宮家や公家の住まいだった部分で
今は京都御苑という公園になって開放されている。


<猿ヶ辻にまつわる魔界伝説>

御所を取り囲む築地塀。
普通 塀とは、角が外側に突き出ているのだが
この塀の北東方向の角だけが無い。

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長岡京時代、当時の天皇である桓武天皇は
藤原種継暗殺事件を皮切りに次々と起こる惨事災難に、
わずか10年足らずで新しい都に移る決意をした。

「次の都こそ平安な地に!」と
新都計画は慎重に、慎重に、
知識人達と吟味を重ね、決定したのが現在の京都市。

“鳴くよ(794)ウグイス平安遷都”であります。

なぜ、京都だったのか。

中国古来の「風水占い」によると
京都盆地は 東(青龍)西(白虎)南(朱雀)北(玄武)
の四神が全て揃った 四神に守られた地であったこと、

陰陽道によっても
北、東、西の三方を山に囲まれ、南のみが開けた
「気」に満ちた吉地であった事が 大きな要因であったそう。

更に桓武天皇は
王城を守るため あらゆる策を巡らした。
その策のひとつが「鬼封じ」

鬼の入り口とされる北東の方角(鬼門)に鬼門封じとして
守護の延暦寺や、赤山禅院 等々を建て
御所を囲む築地塀の北東の角をも切り落とし
鬼が去る(サル)として 猿神像を安置した。

ゆえに御所の北東あたりを「猿ヶ辻」と呼ぶそうです。




この猿ヶ辻のサル、金網に囲まれているのだが
夜な夜な悪さをするためで金網に閉じ込められたそうであります。

猿にとっては
人間の俗世界の出来事など感心薄く、
守護のお役目など退屈だったのかしらん?


::::


御苑内は街灯がほとんど無く 朧月の月明かりだけがぼんやり いい感じ。
千鳥足まではいかないけど、中年二人組 ふらふらと塀づたいに歩いていると
門の陰に人影が!

なんと警備員さんが二人。暗がりで(24時間?)警護していた!

「わぁーっ!!」とか、
もっと驚いたリアクションしたほうが
警備員さん達の退屈しのぎになったのかも、、^m^。
、、なんて 思いながら




酔いも醒めたので 再び電車で宿泊先へ帰ることに。
出口は「蛤御門(はまぐりごもん)」

この蛤御門、
銃弾の跡があるそうだが、
目を凝らして探したけど 
老眼の進んだ夫と近眼の女房には
ついに見つけられず終いだった。(;_;)

:::

朧月。

お月さまは
守護神に跳ね返された鬼や悪霊や、
“猿が辻”のサルの悪さも 
1200年も昔から全部見てたのでしょうね。





















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