* はな わらふ *

すてきな人生のための、おぼえ書きみたいなひとりごと

既成の曲を演奏するということ

2018-05-29 16:23:12 | たいせつなこと

先日「にっぽんの芸能」という番組にて

坂東玉三郎さんが出演・解説を

されていました

 

その中で

こころに残った発言がありましたので

記録がてら ここに上げておきます

 

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(役を演じる時に)

演じている役者は

消えていかなければならない

けれども

演じ手の魂だけは 半透明に見えないと

役の中に魂が入っていかない

(これがあるから)

「誰それの演じる○○(役名)」と

こうなるんでしょうね

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歌舞伎の世界 特に古典の作品では

役の型が決まっています

クラシックの既成曲を弾く時よりも

よほど厳密です

ですが 型が決まっているからこそ

演じ手(演奏者)の色が

ありありと浮き上がってくるという

なんとも一見矛盾したようなことに

なります

 

クラシック音楽を演奏する場合も

まず前提として楽譜がありますから

一定の決まり事は あります

ですが 歌舞伎の世界ほど厳密に

型を問われることはありませんので

(コンクールではちょっと違う?)

同じ楽譜からでも

歌舞伎の世界では考えられないほど

自由気ままなものが 飛び出してきます(笑)

(それでも「クラシックは不自由だ」という方は

大勢いらっしゃいますが・・・ 笑)

 

演奏に決まりはありませんので

どう解釈するか どう演奏するかは

ひとそれぞれです

楽譜至上主義のひともいれば

時代の変化に合わせて

演奏も変わっていくべきというひとも

あります

 

その中で 私は

玉三郎さんがおっしゃるような

「型の向こうに(演者の)魂が透けてみえる」

という演奏をしたいなぁ と

思っています

 

どれが正しい ではない

単なる好みの問題です

 

ちなみに

 

上記のような演技ができるようになるには

「演じている自分が透明になるまで

繰り返しお稽古をすること」が

必要だそうです(笑)

 

道ははるか遠く 険しい・・・


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