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歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪古代ギリシア・ローマ~高校世界史より≫

2023-05-31 19:24:04 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古代ギリシア・ローマ~高校世界史より≫
(2023年5月31日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、高校世界史において、古代ギリシア・ローマを、どのように記述されているかについて、考えてみたい。
 参考とした世界史の教科書は、次のものである。

〇福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]
〇木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]

 また、前者の高校世界史教科書に準じた英文についても、見ておきたい。
〇本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]

 補足として、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの生涯について、解説しておく。
〇荻野弘之『哲学の饗宴』日本放送出版協会、2003年




【本村凌二ほか『英語で読む高校世界史』(講談社)はこちらから】
本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社






〇本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]
【目次】

本村凌二『英語で読む高校世界史』
Contents
Introduction to World History
1 Natural Environments: the Stage for World History
2 Position of Japan in East Asia
3 Disease and Epidemic
Part 1 Various Regional Worlds
Prologue
The Humans before Civilization
1 Appearance of the Human Race
2 Formation of Regional Culture
Chapter 1
The Ancient Near East (Orient) and the Eastern Mediterranean World
1 Formation of the Oriental World
2 Deployment of the Oriental World
3 Greek World
4 Hellenistic World
Chapter 2
The Mediterranean World and the West Asia
1 From the City State to the Global Empire
2 Prosperity of the Roman Empire
3 Society of the Late Antiquity and Breaking up
of the Mediterranean World
4 The Mediterranean World and West Asia
World in the 2nd century
Chapter 3
The South Asian World
1 Expansion of the North Indian World
2 Establishment of the Hindu World
Chapter 4
The East Asian World
1 Civilization Growth in East Asia
2 Birth of Chinese Empire
3 World Empire in the East
Chapter 5
Inland Eurasian World
1 Rises and Falls of Horse-riding Nomadic Nations
2 Assimilation of the Steppes into Turkey and Islam
Chapter 6
1 Formation of the Sea Road and Southeast Asia
2 Reorganizaion of Southeast Asian Countries
Chapter 7
The Ancient American World

Part 2 Interconnecting Regional Worlds
Chapter 8
Formation of the Islamic World
1 Establishment of the Islamic World
2 Development of the Islamic World
3 Islamic Civilization
World in the 8th century
Chapter 9
Establishment of European Society
1 The Eastern European World
2 The Middle Ages of the Western Europe
3 Feudal Society and Cities
4 The Catholic Church and the Crusades
5 Culture of Medieval Europe
6 The Middle Ages in Crisis
7 The Renaissance
Chapter 10
Transformation of East Asia and the Mongol Empire
1 East Asia after the Collapse of the Tang Dynasty
2 New Developments during the Song Era ―Advent of Urban Age
3 The Mongolian Empire Ruling over the Eurasian Continent
4 Establishment of the Yuan Dynasty

Part 3 Unification of the World
Chapter 11
Development of the Maritime World
1 Formation of the Three Maritime Worlds
2 Expansion of the Maritime World
3 Connection of Sea and Land; Development of Southeast Asia World
Chapter 12
Prosperity of Empires in the Eurasian Continent
1 Prosperity of Iran and Central Asia
2 The Ottoman Empire; A Strong Power Surrounding
the East Mediterranean
3 The Mughal Empire; Big Power in India
4 The Ming Dynasty and the East Asian World
5 Qing and the World of East Asia
Chapter 13
The Age of Commerce
1 Emergence of Maritime Empire
2 World in the Age of Commerce
World in the 17th century
Chapter 14
Modern Europe
1 Formation of Sovereign States and Religious Reformation
2 Prosperity of the Dutch Republic
and the Up-and-Coming England and France
3 Europe in the 18th Century and the Enlightened Absolute Monarchy
4 Society and Culture in the Early Modern Europe
Chapter 15
Industrialization in the West and the Formation of Nation States
1 Intensified Struggle for Economic Supremacy
2 Industrialization and Social Problems
3 Independence of the United States and Latin American Countries
4 French Revolution and the Vienna System
5 Dream of Social Change; Waves of New Revolutions

Part 4 Unifying and Transforming the World
Chapter 16
Development of Industrial Capitalism and Imperialism
1 Reorganization of the Order in the Western World
2 Economic Development of Europe
and the United States and Changes in Society and Culture
3 Imperialism and World Order
World in the latter half of 19th century
Chapter 17
Reformation in Various Regions in Asia
1 Reform Movements in West Asia
2 Colonization of South Asia and Southeast Asia,
and the Dawn of National Movements
3 Instability of the Qing Dynasty and Alteration of East Asia
Chapter 18
The Age of the World Wars
1 World War I
2 The Versailles System and Reorganization of International Order
3 Europe and the United States after the War
4 Movement of Nation Building in Asia and Africa
5 The Great Depression and Intensifying International Conflicts
6 World War II

Part 5 Establishment of the Global World
Chapter 19
Nation-State System and the Cold War
1 Hegemony of the United States and the Development of the Cold War
2 Independence of the Asian-African Countries and the "Third World"
3 Disturbance of the Postwar Regime
4 Multi-polarization of the World and the Collapse of the U.S.S.R.
Final Chapter
Globalization of Economy and New Regional Order
1 Globalization of Economy and Regional Integration
2 Questions about Globalization and New World Order
3 Life in the 21st Century; Time of Global Issues
The Rises and Falls of Main Nations
Index(English)
Index(Japanese)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・古代ギリシア・ローマの記述~『世界史B』(東京書籍)より
・古代ギリシア・ローマの記述~『詳説世界史』(山川出版社)より
・英文の記述~本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』(講談社)より
・【補足】アリストテレスの生涯~荻野弘之『哲学の饗宴』より









古代ギリシア・ローマの記述~『世界史B』(東京書籍)より


〇福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』(東京書籍、2016年[2020年版])では、古代ギリシア・ローマの記述は次のようにある。

第1編 さまざまな地域世界
第1章 オリエント世界と東地中海世界
3 ギリシア世界
【ギリシアの古典文明】
ギリシア人はオリエントの先進文明を受けいれつつ、人間中心の考え方にもとづいて合理的な精神をつちかいながら、独自の文明を生みだした。
 ギリシア人の心にはオリンポス12神を中心とする神話の世界が生きていた。人間の姿をした神々はそれぞれが豊かな個性をもち、喜怒哀楽をあらわに人間に働きかけると考えられた。特定の経典はなかったが、現世を肯定する神話の物語は芸術のさまざまな分野に大きな影響を与えた。
 前8世紀のホメロス(Homeros、前8世紀ごろ)をまとめた叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』には、トロヤ戦争の英雄たちとともに神々が登場する。前700年ごろには、ヘシオドス(Hesiodos、前700ごろ)が神々の系譜をまとめた『神統記』と農耕生活の教訓詩『労働と日々』を著した。前7世紀ごろから個人の心情をうたう叙情詩もつくられ、女流詩人サッフォー(Sappho、前612ごろ~?)やオリンピア讃歌のピンダロス(Pindaros、前518~前438)などがあらわれた。前5世紀のアテネでは、人間の運命などをテーマにした三大悲劇詩人のアイスキュロス(Aischylos、前525~前456)、ソフォクレス(Sophokles、前496ごろ~前406)、エウリピデス(Euripides、前485ごろ~前406ごろ)、現実の社会を風刺した喜劇作家のアリストファネス(Aristophanes、前450ごろ~前385ごろ)らの作品が祝祭日に上演された。
 神々はまた人体美を理想化した彫像としても刻まれ、フェイディアス(Pheidias、前490ごろ~前430ごろ)やプラクシテレス(Praxiteles、前4世紀)らが活躍した。建築でも、神殿が重視され、パルテノン神殿に代表される重厚なドーリア式、優美なイオニア式、繊細なコリント式などの様式で建てられた。
 オリエントの先進文明に接するイオニアのギリシア人の間では、いち早く前6世紀に、世界を合理的な思考によって理解しようとする自然哲学が生まれた。万物の根源を水であるとしたタレス(Thales、前624ごろ~前546ごろ)、万物流転を唱えたヘラクレイトス(Herakleitos、前544ごろ~?)をへて、デモクリトス(Demokritos、前460ごろ~前370ごろ)は万物の根源を原子(アトム)と考えるにいたった。このような自然哲学の潮流から自然科学の思考がめばえている。万物の根源を数とみなしたピタゴラス(Pythagoras、前582ごろ~前497ごろ)は数学の基礎をきずき、病因を究明したヒッポクラテス(Hippokrates、前460ごろ~前375ごろ)は「医学の父」といわれた。弁論術の教導を職業とするソフィスト(Sophist)のなかからプロタゴラス(Protagoras、前485ごろ~前415ごろ)があらわれ、「人間は万物の尺度である」とする相対主義を唱えた。これに反対したソクラテス(Sokrates、前469~前399)は、真理の絶対性と知徳の合一を主張した。弟子のプラトン(Platon、前427~前347)は、イデア論にもとづく理想主義哲学を説き、哲人の指導する理想国家論を唱えた。その弟子アリストテレス(Aristoteles、前384~前322)は、哲学、論理学、政治学、自然哲学などの諸学を集大成し、のちのイスラーム世界の学問や中世ヨーロッパのスコラ学に大きな影響を及ぼしている。
 ギリシア人は、年代記風ではない自由な歴史叙述を行った最初の民族であった。ヘロドトス(Herodotos、前484ごろ~前425ごろ)は、ペルシア戦争の歴史を興味深い物語風に描き、トゥキディデス(Thukydides、前460ごろ~前400ごろ)は、ペロポネソス戦争の歴史を、その因果関係を批判的に考察して教訓的に記述した。

(福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]、42頁~43頁)


第1編 さまざまな地域世界
第1章 オリエント世界と東地中海世界
4ヘレニズム世界
【ヘレニズム文明】
 ヘレニズム時代には、ギリシア文明とオリエント文明が融合してヘレニズム文明が生まれた。ギリシア語は共通語(コイネー、Koine)となり、オリエントとギリシアの諸科学がギリシア語で集大成されて発達した。とくに自然科学では、地球の自転と公転を指摘したアリスタルコス(Aristarchos、前310ごろ~前230ごろ)、「ユークリッド幾何学」を大成したエウクレイデス(Eukleides、前300ごろ)、浮体の原理で知られるアルキメデス(Archimedes、前287ごろ~前212)、地球の周囲の長さを計測したエラトステネス(Eratosthenes、前275ごろ~前194)など、すぐれた科学者が輩出した。エジプトのアレクサンドリアには大図書館をそなえたムセイオン(Museion、研究所)がつくられ、学問の中心となった。
 この時代には、ポリスや民族といった旧来の枠をこえて人々が活動したので、世界市民主義(cosmopolitanism、コスモポリタニズム)や個人主義の風潮がめばえた。ゼノン(Zenon、前335ごろ~前263)を祖とするストア派(Stoa)は禁欲を説き、エピクロス(Epikuros、前342ごろ~前271)を祖とするエピクロス派は精神的快楽を唱えたが、いずれも個人の平穏な生き方と心の平静さを求める新しい哲学であった。「ミロのヴィーナス」や「ラオコーン」に代表されるヘレニズム美術は感情や運動の表現にすぐれた躍動的なものであり、ローマやガンダーラの美術に大きな影響を及ぼした。歴史叙述においては、政体循環史観の立場からローマの興隆史を書いたポリビオス(Polybios、前201ごろ~前120ごろ)があげられる。

【ミロのヴィーナス】
・1820年にメロス(ミロ)島で出土した美の女神アフロディテ(ヴィーナス)像。高さ204cm。
【ラオコーン】
・トロヤ戦争の物語に題材をとったヘレニズム彫刻の代表作。躍動的な表現がすぐれている。ローマ出土。高さ184cm。
(福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]、45頁)

ローマ文明について
第2章 地中海世界と西アジア 2 ローマ帝国の繁栄
【ローマの文明】
 ギリシア人は原理や理論を重んじ、思想や芸術にすぐれていたが、ローマ人は実践や実用にすぐれ、法律や土木建築において独創性を発揮した。ローマ人は自由人と奴隷とを区別したが、自由人の間では、ローマ市民権をもつ者ともたざる者の区別があった。ローマ法は、当初はローマ市民権者を対象とする市民法であったが、ローマ市民権にあずからない属州民が増加するにつれて、ヘレニズム思想や各地の慣習法をとりいれて万民法としての性格を強めた。これらの法令や学説は、やがて6世紀のユスティニアヌス帝の命令で『ローマ法大全』にまとめられ、ヨーロッパを近代法にまで影響を与えた。
 ヘレニズム思想はローマ人にもひろく影響を及ぼし、文人政治家キケロ(Cicero, 前106~前43)は『国家論』など膨大な著作を残した。やがてストア派などの実践哲学が衆目を集め、セネカ(Seneca, 前4ごろ~後65)、エピクテトス(Epictetus, 55ごろ~135ごろ)、マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝(Marcus Aurelius Antoninus, 在位161~180)などが出た。
 文芸においては、紀元前後のころがラテン文学の黄金時代といわれ、建国叙事詩『アエネイス』を著したウェルギリウス(Vergilius, 前70~前19)、叙情詩人ホラティウス(Horatius,
前65~前8)、恋愛や神話を題材とした詩人オウィディウス(Ovidius, 前43~後17ごろ)などがあらわれた。歴史家では、リウィウス(Livius, 前59~後17)が『ローマ史』を記し、タキトゥス(Tacitus, 55ごろ~120ごろ)は『ゲルマニア』や『年代記』を著した。また、古代の百科全書ともいうべき『博物誌』がプリニウス(Plinius, 23~79)によって書かれている。
 ラテン語は、ローマ字とともに帝国の西半に普及し、後世にいたるまで西ヨーロッパの学問や教会で使われる言語として重視された。帝国の東半ではギリシア語が優勢であり、『対比列伝』を書いたプルタルコス(Plutarchos, 46ごろ~120ごろ)、『地理誌』のストラボン(Strabon,
前64~後21)、『天文学大全』で天動説の体系を説いたプトレマイオス(Ptolemaios, 2世紀)らが出た。
 アーチ構造を用いたローマ人の石積み建築法は、きわめてすぐれたもので、高度な土木建築技術によって、快適な施設をそなえた都市が帝国の各地につくられた。都市の中心には広場があり、市街地には、公衆浴場、円形闘技場(コロッセウム)、万神殿(パンテオン)、劇場などの公共施設や、上水道施設が配置された。
(福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]、52頁~53頁)


古代ギリシア・ローマの記述~『詳説世界史』(山川出版社)より


〇木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』(山川出版社、2016年[2020年版])では、古代ギリシア・ローマの記述は次のようにある。


「第1章 オリエントと地中海世界」
【ギリシアの生活と文化】
 ギリシア人は明るく合理的で人間中心的な文化をうみだし、その独創的な文化遺産はのちのヨーロッパ近代文明の模範となった。ギリシア文化の母体は、市民が対等に議論することができるポリスの精神風土にあった。市民たちは、余暇をアゴラや民会での議論や体育場での訓練などにもちい、公私ともにあらゆる方面にバランスよく能力を発揮することを理想とした。
 ギリシア人の宗教は多神教で、オリンポス(Olympos)12神らの神々は、人間と同じ姿や感情をもつとされた。ギリシアの文学は、そうした神々と人間との関わりをうたったホメロス(Homeros, 前8世紀)やヘシオドス(Hesiodos, 前700頃)の叙事詩から始まった。しかしその一方で論理と議論を重視するギリシア人の気風は、自然現象を神話でなく合理的根拠で説明する科学的態度にあらわれ、前6世紀にはイオニア地方のミレトスを中心にイオニア自然哲学が発達した。万物の根源を水と考えたタレス(Thales, 前624頃~前546頃)や、「ピタゴラスの定理」を発見したピタゴラス(Pythagoras, 前6世紀)が有名である。その後、前5世紀以降文化の中心地となったのは、言論の自由を保障した民主政アテネである。民主政の重要な行事である祭典では悲劇や喜劇のコンテストがもよおされ、これを鑑賞することはアテネ市民の義務でもあった。「三大悲劇詩人」と呼ばれたアイスキュロス(Aischylos, 前525~前456)・ソフォクレス(Sophokles, 前496頃~前406)・エウリピデス(Euripides, 前485頃~前406頃)や、政治や社会問題を題材に取りあげた喜劇作家アリストファネス(Aristophanes, 前450頃~前385頃)が代表的な劇作家である。
 民会や民衆裁判所での弁論が市民生活にとって重要になってくると、ものごとが真理かどうかにかかわらず相手をいかに説得するかを教えるソフィスト(sophist)と呼ばれる職業教師があらわれた。「万物の尺度は人間」と主張したプロタゴラス(Protagoras, 前480頃~前410頃)がその典型である。これに対しソクラテス(Sokrates, 前469頃~前399)は真理の絶対性を説き、よきポリス市民としての生き方を追究したが、民主政には批判的で、市民の誤解と反感をうけて処刑された。彼が始めた哲学を受け継いだプラトン(Platon, 前429頃~前347)は、事象の背後にあるイデア(Idea)こそ永遠不変の実在であるとし、また選ばれた少数の有徳者のみが政治を担当すべきだという理想国家論を説いた。彼の弟子アリストテレス(Aristoteles, 前384~前322)は、経験と観察を重んじ、自然・人文・社会のあらゆる方面に思索をおよぼした。「万学の祖」と呼ばれる彼の学問体系は、のちイスラームの学問やヨーロッパ中世のスコラ哲学に大きな影響を与えた。またヘロドトス(Herodotos, 前484頃~前425頃)やトゥキディデス(Thukydides, 前460頃~前400頃)は、ともに歴史記述の祖と呼ばれ、過去のできごとを神話によってではなく、史料の批判的な探究によって説明した。
 調和と均整の美しさが追求されたのは、建築・美術の領域であった。建築はおもに柱の様式により、ドーリア式・イオニア式・コリント式などに分類される。ペリクレスの企画のもと15年をかけて完成したアテネのパルテノン神殿は、ギリシア建築の均整美と輝きを今に伝えるドーリア式の神殿である。彫刻家フェイディアス(Pheidias, 前5世紀)に代表される彫刻美術は、理想的な人間の肉体美を表現したものであった。

<ギリシアの劇場>
ペロポネソス半島のエピダウロスにある前4世紀建造の大劇場跡。
客席最上階にも舞台からの声がとどくよう音響効果が計算した設計になっている。収容人員1万4000人。

<パルテノン神殿>
アテネのアクロポリスの丘の上に輝く代表的なギリシア建築。
前5世紀後半の建造で、アテネ民主政の最盛期を象徴する。かつては青・赤・黄色などで鮮やかに彩色がほどこされていた。

<ギリシア建築の柱の3様式>
荘厳で力強いドーリア式、優美なイオニア式、華麗なコリント式の柱頭。


ヘレニズム時代にはいるとギリシア文化は東方にも波及し、各地域の文化からも影響をうけて独自の文化がうまれた。これをヘレニズム文化という。この時代にはポリス中心の考え方にかわって、ポリスの枠にとらわれない生き方を理想とする世界市民主義(コスモポリタニズム, cosmopolitanism)の思想が知識人のあいだにうまれた。そこから哲学もポリス政治からの逃避と個人の内面的幸福の追求を説くようになり、精神的快楽を求めるエピクロス(Epikuros, 前342頃~前271頃)のエピクロス派や、禁欲を重視するゼノン(Zenon, 前335~前263)のストア派が盛んになった。
ヘレニズム時代にはとくに自然科学が発達した。エウクレイデス(Eukleides, 前300頃)は今日「ユークリッド幾何学」と呼ばれる平面幾何学を集大成し、また「アルキメデスの原理」で知られるアルキメデス(Archimedes, 前287頃~前212)は、数学・物理学の諸原理を発見した。またコイネー(koine)と呼ばれるギリシア語が共通語となり、エジプトのアレクサンドリアには王立研究所(ムセイオン, Museion)がつくられて自然科学や人文科学が研究された。ギリシア美術の様式は西アジア一帯に広がり、インド・中国・日本にまで影響を与えた。

<「ミロのヴィーナス」>
エーゲ海のミロス(ミロ)島から出土した、美と愛の女神アフロディテ(英語でヴィーナス)像。女性の理想美を表現したヘレニズム彫刻の代表的作品。高さ214cm。

(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、36頁~40頁)


ギリシア文化一覧表(※はヘレニズム文化)  
【文学】  
ホメロス 『イリアス』『オデュッセイア』
ヘシオドス 『神統記』『労働と日々』
アナクレオン 叙情詩人
ピンダロス 叙情詩人
サッフォー 女性叙情詩人
アイスキュロス 悲劇『アガメムノン』
ソフォクレス 悲劇『オイディプス王』
エウリピデス 悲劇『メデイア』
アリストファネス 喜劇『女の平和』『女の議会』
   
【哲学・自然科学】  
タレス イオニア学派の祖
ピタゴラス 「ピタゴラスの定理」を発見
ヘラクレイトス 「万物は流転する」と説く
デモクリトス 原子論
ヒッポクラテス 西洋医学の祖
プロタゴラス ソフィスト。普遍的真理を否定
ソクラテス 西洋哲学の祖。知徳合一を説く
プラトン イデア論を説く。『国家』
アリストテレス 万学の祖。『政治学』
※エピクロス 精神的快楽主義。エピクロス派の祖。
※ゼノン 精神的禁欲主義。ストア派の祖。
※エラトステネス 地球の円周を計測
※アリスタルコス 太陽中心説
※エウクレイデス 「ユークリッド幾何学」の創始者
※アルキメデス 「アルキメデスの原理」を発見
   
【彫刻美術】  
フェイディアス パルテノン神殿のアテナ女神像
プラクシテレス ヘルメス神像
※「ミロのヴィーナス」 ヘレニズム彫刻。作者不詳
※「ラオコーン」 ヘレニズム彫刻
   
【歴史】  
ヘロドトス 『歴史』。ペルシア戦争史
トゥキディデス 『歴史』。ペロポネソス戦争史
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、39頁)


【ローマの生活と文化】
 ローマ人は高度な精神文化ではギリシアの模倣に終わったが、ギリシアから学んだ知識を帝国支配に応用する実用的文化においては、すぐれた能力をみせた。ローマ帝国の文化的意義は、その支配をとおして地中海世界のすみずみにギリシア・ローマの古典文化を広めたことにある。たとえばローマ字は今日ヨーロッパの大多数の言語でももちいられているし、ローマ人の話したラテン語は、近代にいたるまで教会や学術の国際的な公用語であった。
 ローマの実用的文化が典型的にあらわれるのは、土木・建築技術である。都市には浴場・凱旋門・闘技場が建設され、道路や水道橋もつくられた。コロッセウム(Colosseum, 円形闘技場)・パンテオン(Pantheon, 万神殿)・アッピア街道など今日に残る遺物も多い。都市ローマには100万人もの人々が住み、そこに享楽的な都市文化が花開いた。「パンと見世物」を楽しみに生きていた都市下層民は、有力政治家が恩恵として配給する穀物をあてに生活し、闘技場での見世物に歓声をあげた。
 国家支配の実用的手段として後世にもっとも大きな影響を与えたローマの文化遺産は、ローマ法である。ローマがさまざまな習慣をもつ多くの民族を支配するようになると、万人が従う普遍的な法律の必要が生じた。十二表法を起源とするローマ法は、はじめローマ市民だけに適用されていたが、やがてヘレニズム思想の影響をうけて、帝国に住むすべての人民に適用される万民法に成長した。6世紀に東ローマ帝国のユスティニアヌス大帝がトリボニアヌス(Tribonianus, ?~542頃)ら法学者を集めて編纂させた『ローマ法大全』がその集大成である。ローマ法は中世・近世・近代へと受け継がれ、今日のわれわれの生活にも深い影響をおよぼしている。また現在もちいられているグレゴリウス暦は、カエサルが制定したユリウス暦からつくられたものである。
 精神文化では、ローマ人はギリシア人の独創性をこえられなかった。アウグストゥス時代はラテン文学の黄金期といわれるが、ウェルギリウス(Vergilius, 前70~前19)らの作品にはギリシア文学の影響が強い。散文ではカエサルの『ガリア戦記』が名文とされた。ギリシアに始まった弁論術はローマでも発達し、すぐれた弁論家キケロ(Cicero, 前106~前43)をうみだした。歴史記述の分野ではリウィウス(Livius, 前59頃~後17頃)やタキトゥス(Tacitus, 55頃~120頃)が有名であるが、政体循環史観で知られるポリビオス(Polybios, 前200頃~前120頃)、ギリシア・ローマの英雄的人物の生涯を描いたプルタルコス(Plutarchos, 46頃~120頃)、当時知られていた全世界の地誌を記述したストラボン(Strabon, 前64頃~後21頃)のようなギリシア人による歴史書・地理誌も重要である。
 哲学の分野ではとくにストア派哲学の影響が強く、その代表者であるセネカ(Seneca,
前4頃~後65)やエピクテトス(Epiktetos, 55頃~135頃)の説く道徳哲学は上流階層に広まった。皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌスはストア派哲学者としても有名である。自然科学では、プリニウス(Plinius, 23頃~79)が百科全書的な知識の集大成である『博物誌』を書いた。またプトレマイオス(Ptolemaios, 生没年不詳)のとなえた天動説は、のちイスラーム世界を経て中世ヨーロッパに伝わり、長く西欧人の宇宙観を支配した。
 ローマ人の宗教はギリシア人同様多神教であった。帝政期の民衆のあいだにはミトラ教やマニ教など東方から伝わった神秘的宗教が流行したが、そのなかで最終的に国家宗教の地位を獲得したのがキリスト教である。ローマ帝政末期には、エウセビオス(Eusebios, 260頃~339)やアウグスティヌス(Augustinus, 354~430)らの教父と呼ばれるキリスト教思想家たちが、正統教義の確立につとめ、のちの神学の発展に貢献した。

<ローマ時代の水道橋>
前1世紀末頃建設されたガール水道橋(南フランス)。全長270m、高さ50mの石造。
ローマの土木技術の高い水準を示す好例である。

<コロッセウム>
古代ローマ最大の円形闘技場で、80年に完成した。剣闘士をたたかわせるなどの見世物がおこなわれた。高さ48.5m、周囲527m。

※ギリシア・ローマの古典文化
 ギリシア・ローマの古典文化は、近世・近代のヨーロッパ人により古典中の古典として尊重された。そこでギリシア・ローマ時代は「古典古代」とも呼ばれる。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、49頁~51頁)


ローマ文化一覧表  
【文学】  
ウェルギリウス 『アエネイス』(ローマ建国叙事詩)
ホラティウス 『叙情詩集』
オウィディウス 『転身譜』『恋の技法』
   
【歴史・地理】  
ポリビオス 『歴史』
リウィウス 『ローマ建国史』
カエサル 『ガリア戦記』(ラテン散文の名文)
タキトゥス 『年代記』『ゲルマニア』
プルタルコス 『対比列伝』(『英雄伝』)
ストラボン 『地理誌』
   
【哲学・思想】  
キケロ 弁論家。『国家論』
セネカ ストア派哲学者。『幸福論』
エピクテトス ストア派哲学者
マルクス=アウレリウス=アントニヌス ストア派哲学者。『自省録』
ルクレティウス エピクロス派の影響をうけた詩人・
哲学者。『物体の本性』
   
【自然科学】  
プリニウス 『博物誌』(自然科学の集大成)
プトレマイオス 天動説を説く。『天文学大全』
   
【キリスト教思想】  
『新約聖書』(『福音書』『使徒行伝』など)  
エウセビオス 教父。『教会史』『年代記』
アウグスティヌス 教父。『告白録』『神の国』
   
【法学】  
トリボニアヌス 『ローマ法大全』(編纂)
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、51頁)

英文の記述~本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』(講談社)より


〇本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』(講談社、2017年[2018年版])では、古代ギリシア・ローマの記述は次のようにある。

①【ギリシア文明】 Classical Civilization of Greece
The Greeks created an original civilization, accepting the advanced civilization of the
Orient and cultivating the rational spirit based on a human-centered view. In the minds of the Greeks, the belief in the world of the mythology centered on the 12 Olympian Gods
was alive. They thought that each god had a human personality in their image, influencing
emotionally the people. Although they had no scripture, the tales of mythology that
affirmed this world had great influence on various fields of art.
The gods and goddesses appeared along with the heroes of the Trojan War in the epics
Iliad and Odyssey, which were arranged by Homer in the 8th century BC. In about 700 BC,
Hesiod wrote the Theogony about the genealogy of the gods, and the didactic poetry of
peasant life, Works and Days.
Lyrical poetries with individual feelings represented began to appear around the 7th
century BC. Since then, a poetess Sappho, Pindar, a hymnist of Olympia, etc. wrote their
works. In Athens in the 5th century BC, there appeared the three major poets of tragedy
(Aeschylus, Sophocles and Euripides) about the fate of men and women, and the comedy
satirist Aristophanes. Their works were staged on public holidays.
Gods and goddesses were carved as statues which represent the idealized human beauty
as well; Pheidias and Praxiteles were active in this field. People put much value on temples, which were constructed in the heavy Doric style (typified by the Parthenon), in the graceful
Ionic style, or in the delicate Corinthian style.
Among the Greeks in Ionia, who were in contact with the advanced civilizations of the
Orient, the natural philosophy for understanding the world by rational thinking came out
in the 6th century BC. Thales described the water as the source of everything, Heraclitus taught that everything flows and nothing stands still, and then Democritus considered that the origin of the universe could be atoms.
The idea of natural science came from the movement of this natural philosophy.
Pythagoras described the source of everything as numbers, built the base of mathematics,
and Hippocrates, who studied the causes of diseases, was called the “father of medicine”.
In the Athens of the democratic period, people began to turn their eyes to the human beings and society rather than the nature.
Protagoras appeared out of the Sophists, who were teaching the rhetoric, and he
advocated the relativism, saying “Man is a measure of everything”. Socrates opposed
the relativism, insisting on the absoluteness of truth and the unification of knowledge
and virtue. His disciple, Plato, expounded the philosophy based on idealism, advocating
a theory of the idealistic state led by a philosopher. One of his disciples, Aristotle,
systematized various studies such as philosophy, logic, politics, and natural science, etc.,
and he had great influence on Islamic scholarship and Scholasticism of medieval Europe
later.
The Greeks were the first people who tried to describe history, not in chronological style
but in free style. Herodotus wrote a history of the Persian Wars as an interesting tale, and
Thucydides didactically described a history of the Peloponnesian War, considering the
relationship of its causes and effects.
(本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]、33頁~34頁)

【語句】
the 12 Olympian Gods オリンポス12神
Homer ホメロス
Hesiod ヘシオドス
Sappho サッフォー
Pindar ピンダロス
Aeschylus アイスキュロス
Sophocles ソフォクレス
Euripides エウリピデス
Pheidias  フェイディアス
Praxiteles プラクシテレス
the Parthenon パルテノン神殿
the natural philosophy 自然哲学
Thales ターレス
Heraclitus ヘラクレイトス
Democritus デモクリトス
Pythagoras ピタゴラス
Hippocrates ヒッポクラテス
Protagoras プロタゴラス
the Sophists ソフィスト
Socrates ソクラテス
Plato プラトン
Aristotle アリストテレス
Herodotus ヘロドトス
Thucydides トゥキディデス

②【ヘレニズム文明】Hellenistic Civilization

■Hellenistic Civilization
During the Hellenistic period, Greek and Oriental civilization were blended together,
and the Hellenistic civilization was born. Greek became a common language (the Koine),
and various sciences of the Orient and Greece were compiled in Greek, and further
developed. Particularly in the field of natural sciences, many great scientists emerged
one by one, such as Aristarchus who pointed out that the earth is rotating on its axis and
revolving around the sun, Euclid who accomplished “Euclidean geometry”, Archimedes
who is known for the principle of floating bodies, and Eratosthenes who measured the
length around the earth, etc.
The Museum (a research institute) with the great library was founded in Alexandria of
Egypt, and became the center of learning.
During this period, since people worked actively beyond the traditional citizens of
polis or the ethnic groups, the tide of cosmopolitanism (the principle of the world citizen) or
individualism grew.
The Stoics, followers of a philosophy founded by Zenon, advocated an ascetic life, and
the Epicureans founded by Epicurus advised people to live with mental pleasure. Both
of them were new philosophies to seek a peaceful way of life or a peace of mind for the
individuals.
The Hellenistic arts, represented by Venus of Milo and Laocoon, were filled with
dynamism of excellent expressions of emotion and movement. These arts went on to
give great influence on the Roman arts or the Gandharan arts. In the field of the historical
description, Polybius, who wrote a history of the rise of Rome from the historical view of
circular regimes, was remarkable.
(本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]、36頁)
【語句】
the Koine コイネー
Aristarchus アリスタルコス
Euclid エウクレイデス
Archimedes アルキメデス
cosmopolitanism 世界市民主義
individualism 個人主義
The Stoics ストア派
the Epicureans エピクロス派
Polybius ポリビオス

③【ローマの文明】Roman Civilization
■Roman Civilization
Although the Greeks, respecting the principle and theory, were excellent thinkers and
artists, the Roman were good at practical activity and demonstrated originally in law,
technology and construction. The Romans distinguished between the freeman and the
slave, and there were people with or without Roman citizenship among freemen. Originally
the Roman law was “jus civile” (civil law) for people with Roman citizenship. Gradually
population increased there, people began adopting the local customs and the Hellenistic
thoughts, and the Roman law came to be “jus gentium” for all people in the Empire. These
regulations and theories were soon organized as the Corpus Juris Civilis under the emperor Justinian in the 6th century, and have affected even the modern law of Europe and others.
Hellenistic thoughts also widely affected the Romans, and the literary politician Cicero
wrote vast works such as On the Republic. Then practical philosophy, or ethics, of the
Stoics, etc. attracted public attention. Seneca, Epictetus, and the emperor Marcus Aurelius,
etc. were prominent Stoics.
In literature, the times of the emperor Augustus is called the golden age of Latin
literature, there appeared Vergil who wrote the epic poem of Roman foundation Aeneis,
lyrical poet Horace, and romantic poet Ovid dealing with mythology and love affairs. As
historians, Livy described the History of Rome, and Tacitus wrote Germania and Annals.
Then Pliny wrote the Natural History, which should be called an ancient encyclopedia.
Latin spread with the Roman alphabet through the western half of the Empire, and it
was thought as important as the language was used also for learning and church in western Europe in later ages. Greek was dominant language in the eastern half of the Empire, and there appeared Plutarch who wrote the Parallel Lives, Strabo of Geography and Ptolemy of the geocentric theory and others.
The Roman building techniques using arch structures was extremely outstanding; cities
with comfortable facilities were built throughout the Empire with advanced technology.
There were forums at the city center, and in urban area lay the public facilities such as
public bath houses, amphitheaters, circuses, pantheons, and theaters, as well as a water
supply and drainage.
(本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]、43頁)

【語句】
“jus civile” 市民法
“jus gentium” 万民法
the Corpus Juris Civilis ローマ法大全
Cicero キケロ
the Stoics ストア派
Vergil ウェルギリウス
Horace ホラティウス
Ovid オウィディウス
Livy リウィウス
Tacitus タキトゥス 
Plutarch プルタルコス
Strabo ストラボン
Ptolemy プトレマイオス




【補足】アリストテレスの生涯~荻野弘之『哲学の饗宴』より


アリストテレスの生涯を簡単にみておこう。
〇荻野弘之『哲学の饗宴 ソクラテス・プラトン・アリストテレス』日本放送出版協会、2003年
 この本の「第8章 万学の祖とその時代~アリストテレス哲学の体系」で、次のように紹介されている。

 前6世紀以来の古代ギリシア哲学の歩みは、アリストテレスによって古典的完成の域にもたらされることになった。
・アリストテレスは、ギリシアの北方マケドニア地方のカルキディケ半島にあるスタゲイロスという町に生まれた(前384年)。
 ソクラテスの死後すでに15年ほど経っている。
 早世した父ニコマコスは、マケドニアの宮廷に仕える医者である。こうした家庭環境が後になって、生物学、特に動物学への強い関心を養う下地になったのであろう。

・17歳でアテナイに上京し、プラトンの開いた学園アカデメイアに入学(前367年)。
 当時プラトンは60歳。長編『国家』を書き上げた後、弟子たちとともに、イデア論をめぐる論理的問題に取り組んでいた時期にあたる。
 アカデメイアでは約20年間を過ごす。

・生涯独身だったプラトンが80歳で亡くなると(前347年、アリストテレスは37歳)、学園ではプラトンの甥が後継者となり、第二代学頭に就任した。
 このとき、アリストテレスは、友人クセノクラテス(前396~314)とともに、学園を去って小アジアのアッソスに移住する。
 この地で結婚し、父と同名のニコマコスという男子が生まれる。
 やがて、友人のテオフラストスの故郷レスボス島に移住し、その地で集中的に生物学の研究に取り組んだ。

・やがて故郷のマケドニアのフィリッポス王に招かれて、当時13歳の皇太子(後のアレクサンドロス大王)の家庭教師に就任(前342年、42歳)。
 約3年間にわたり、教授する。
 カイロネイアの戦いに勝利したマケドニアは、全ギリシアの覇権を確立したが(前338年)、フィリッポス王が暗殺されると、アレクサンドロスが弱冠20歳で即位する(前336年)。

※このアレクサンドロス大王こそは、やがて全ギリシアを支配し、インダス河にいたるオリエント世界全体を含む世界帝国を建設し、ギリシアの文物が世界を席巻する新しいヘレニズム時代の幕を開けることになるのである。

・ほどなくアテナイに戻り、マケドニア宮廷の支援のもとで、町の東郊リュケイオンの地に学園を創設した(前335年、49歳)。
 リュケイオンでは、午前中は教室から出て学園の中庭を散歩しながら弟子たちと専門的な問題について検討し、午後は比較的一般向きの講義を行った。
 アリストテレス自身は舌がもつれて、あまり話がうまくなかった。そのためもあってか、彼は綿密な講義草稿を準備し、これが今日アリストテレスの「著作」として伝えられる内容の相当部分を占めることになるそうだ。

・さて、東方遠征中のアレクサンドロス大王急死の知らせが届くと、アテナイの町では一斉に激しい反マケドニア暴動が蜂起した(前323年、61歳)。
 アリストテレスは、マケドニア政府との親しい関係のゆえに、自分の身にも危険が及びそうだと察知すると、(ソクラテス裁判に続いて)「アテナイに再び哲学を冒瀆させないために」という言葉を残して、学園を弟子のテオフラストスに委ね、自らはエイボイア島カルキスに亡命する。
 そして、翌年、亡命先で62歳の生涯を終えた。

※アリストテレスの生涯は、三分される。
①マケドニアで過ごした幼少期を除けば、17歳から37歳まで、約20年に及ぶアカデメイアにおける修業時代
②その後、12年間にわたってギリシアの各地を遍歴した時代
③そして50歳以降、約12年に及ぶアテナイのリュケイオンで学頭として、教育・研究生活をしていた時期

※アリストテレスは、13世紀以降には、文字どおり「哲学者の代名詞」となった。
・ダンテの『神曲』地獄編(第4歌132行)では、キリスト教以前の哲学者たちの中で、最高位を占める者として描かれる。
・また、ラファエロの大作『アテネの学堂』(バチカン「署名の間」)では、画面中央にプラトンの右側に立ち、鬚をたくわえ青い上着を纏って右手を突き出し、大地を示唆している姿で描かれている。

(荻野弘之『哲学の饗宴』日本放送出版協会、2003年、186頁~189頁、193頁)




≪【参考書の紹介】本村凌二『英語で読む高校世界史』≫

2023-05-12 18:35:18 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪【参考書の紹介】本村凌二『英語で読む高校世界史』≫
(2023年5月12日投稿)
 

【はじめに】


 知り合いの高校生は、英語が苦手で、世界史嫌いだそうだ。
 親御さんから成績を上げるには、どうすればよいのでしょうと相談された。返答に窮した。
 私は、高校教師でも予備校講師でもない。私と世界史との関わりといえば、大学時代に文学部の史学科に籍をおいたぐらいである。
 先ほどの質問に対する回答としては、まず、興味をもって高校の世界史教科書をきちんと読み通すことが挙げられる。
 ただ、これだけでは、工夫と“芸”が足りないので、その世界史教科書を英語で読んでみたらどうかということを、ここに提案しておきたい。

 今回のブログでは、そのための参考書を紹介したい。
〇本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]、384ページ、アマゾンで1980円
 
 高校の世界史教科書として、代表的なものとしては、次の2種類あるようだ。
〇山川出版社
〇東京書籍
何十年ぶりかに高校の世界史の教科書を注文し取りよせてみた。
〇山川出版社
・木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]
〇東京書籍
・福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]

今回紹介するのは、東京書籍の方の英語版である。
(なお、山川出版社の教科書の英文版には、次のものがある。
〇橋場弦ほか『英文詳説世界史 WORLD HISTORY for High School』山川出版社、2019年、
 459ページ、アマゾンで2970円)

英語版の方は最初から読み進めていくと、途中で挫折するのが目に見えるので、自分の興味のあるところから読んでみるのがよかろう。
目次は書籍の見取図である。著者あるいは編者の意図や構想が如実に反映されているのが目次である。
 だから、日本語・英語の目次を省略せず、面倒でも逐一掲載することにした。

今回は、環境問題、気候変動について焦点をあててみる。
この問題については、次の著作においても言及されている。
〇浜林正夫『世界史再入門 歴史のながれと日本の位置を見直す』講談社学術文庫、2008年[2012年版]
〇斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、2020年[2021年版]
(上記の書籍については、後日、本格的に紹介してみたい)

なお、次回以降、私の関心にしたがって、次のようなテーマを取り上げてみることにする。
どうして、これらのテーマに私が興味をもったのか、そのきっかけも付言しておく。
〇古代ギリシアの文化~ルーヴル美術館で「ミロのヴィーナス」を見たこと
〇ルネサンス~ルーヴル美術館で「モナ・リザ」を見たこと
〇中国の諸子百家の時代~大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢栄一に興味をもち、『論語と算盤』を読んだこと
〇中国文化史(前近代)~石川九楊『中国書史』を読んだこと
〇フランス通史~パリ旅行を通して、フランス史(とくにフランス革命とナポレオン)に興味をもったこと



【本村凌二ほか『英語で読む高校世界史』講談社はこちらから】
本村凌二ほか『英語で読む高校世界史』講談社





〇本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]
【目次】

本村凌二『英語で読む高校世界史』
Contents
Introduction to World History
1 Natural Environments: the Stage for World History
2 Position of Japan in East Asia
3 Disease and Epidemic
Part 1 Various Regional Worlds
Prologue
The Humans before Civilization
1 Appearance of the Human Race
2 Formation of Regional Culture
Chapter 1
The Ancient Near East (Orient) and the Eastern Mediterranean World
1 Formation of the Oriental World
2 Deployment of the Oriental World
3 Greek World
4 Hellenistic World
Chapter 2
The Mediterranean World and the West Asia
1 From the City State to the Global Empire
2 Prosperity of the Roman Empire
3 Society of the Late Antiquity and Breaking up
of the Mediterranean World
4 The Mediterranean World and West Asia
World in the 2nd century
Chapter 3
The South Asian World
1 Expansion of the North Indian World
2 Establishment of the Hindu World
Chapter 4
The East Asian World
1 Civilization Growth in East Asia
2 Birth of Chinese Empire
3 World Empire in the East
Chapter 5
Inland Eurasian World
1 Rises and Falls of Horse-riding Nomadic Nations
2 Assimilation of the Steppes into Turkey and Islam
Chapter 6
1 Formation of the Sea Road and Southeast Asia
2 Reorganizaion of Southeast Asian Countries
Chapter 7
The Ancient American World

Part 2 Interconnecting Regional Worlds
Chapter 8
Formation of the Islamic World
1 Establishment of the Islamic World
2 Development of the Islamic World
3 Islamic Civilization
World in the 8th century
Chapter 9
Establishment of European Society
1 The Eastern European World
2 The Middle Ages of the Western Europe
3 Feudal Society and Cities
4 The Catholic Church and the Crusades
5 Culture of Medieval Europe
6 The Middle Ages in Crisis
7 The Renaissance
Chapter 10
Transformation of East Asia and the Mongol Empire
1 East Asia after the Collapse of the Tang Dynasty
2 New Developments during the Song Era ―Advent of Urban Age
3 The Mongolian Empire Ruling over the Eurasian Continent
4 Establishment of the Yuan Dynasty

Part 3 Unification of the World
Chapter 11
Development of the Maritime World
1 Formation of the Three Maritime Worlds
2 Expansion of the Maritime World
3 Connection of Sea and Land; Development of Southeast Asia World
Chapter 12
Prosperity of Empires in the Eurasian Continent
1 Prosperity of Iran and Central Asia
2 The Ottoman Empire; A Strong Power Surrounding
the East Mediterranean
3 The Mughal Empire; Big Power in India
4 The Ming Dynasty and the East Asian World
5 Qing and the World of East Asia
Chapter 13
The Age of Commerce
1 Emergence of Maritime Empire
2 World in the Age of Commerce
World in the 17th century
Chapter 14
Modern Europe
1 Formation of Sovereign States and Religious Reformation
2 Prosperity of the Dutch Republic
and the Up-and-Coming England and France
3 Europe in the 18th Century and the Enlightened Absolute Monarchy
4 Society and Culture in the Early Modern Europe
Chapter 15
Industrialization in the West and the Formation of Nation States
1 Intensified Struggle for Economic Supremacy
2 Industrialization and Social Problems
3 Independence of the United States and Latin American Countries
4 French Revolution and the Vienna System
5 Dream of Social Change; Waves of New Revolutions

Part 4 Unifying and Transforming the World
Chapter 16
Development of Industrial Capitalism and Imperialism
1 Reorganization of the Order in the Western World
2 Economic Development of Europe
and the United States and Changes in Society and Culture
3 Imperialism and World Order
World in the latter half of 19th century
Chapter 17
Reformation in Various Regions in Asia
1 Reform Movements in West Asia
2 Colonization of South Asia and Southeast Asia,
and the Dawn of National Movements
3 Instability of the Qing Dynasty and Alteration of East Asia
Chapter 18
The Age of the World Wars
1 World War I
2 The Versailles System and Reorganization of International Order
3 Europe and the United States after the War
4 Movement of Nation Building in Asia and Africa
5 The Great Depression and Intensifying International Conflicts
6 World War II

Part 5 Establishment of the Global World
Chapter 19
Nation-State System and the Cold War
1 Hegemony of the United States and the Development of the Cold War
2 Independence of the Asian-African Countries and the "Third World"
3 Disturbance of the Postwar Regime
4 Multi-polarization of the World and the Collapse of the U.S.S.R.
Final Chapter
Globalization of Economy and New Regional Order
1 Globalization of Economy and Regional Integration
2 Questions about Globalization and New World Order
3 Life in the 21st Century; Time of Global Issues
The Rises and Falls of Main Nations
Index(English)
Index(Japanese)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・はじめに
・本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』(講談社)の目次
・英語版「高校世界史教科書」の刊行にあたって
・福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』(東京書籍)の目次と環境問題の記述
・木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』(山川出版社)の目次と環境問題の記述
・環境問題(Environmental Issues)~地球温暖化
・浜林正夫『世界史再入門』における環境問題への言及
・斎藤幸平『人新世の「資本論」』における環境問題への提言







英語版「高校世界史教科書」の刊行にあたって



On the Publication of an English Translation
of a High School Text for World History
The World-Class “World History as the Culture”

Nowadays, more and more Japanese people have opportunity to go abroad, while the num-
ber of foreigners who visit in Japan is gradually increasing. We meet foreign people on busi-
ness or for social purpose frequently. At that time, we often want to bring up sophisticated
topics. In the global era, World History, the accumulation of experiences of human beings,
seems to be a basis of the culture. Therefore, if we learn World History in English, the international language, we can deal with topics of all ages and countries…

Precisely, learning highschool-level World History, we can acquire indispensable educa-
tion for international society. Hence, not only high school or university students, but also
business persons or diplomats must be active in every aspect of the global community with
the English translation of high school text for World History.
In addition to this, it is important that Japanese textbooks for World History are edited
from the impartial viewpoint. Contents of them are not slanted and improved constantly by
outcomes of historical science. In other words, Japanese textbooks for World History are
reading of high quality. It is regrettable, however, that foreigners do not know the level of
them. Thus, translating a textbook into English to spread it all over the world seems to be extremely meaningful…


≪対訳≫
われわれ日本人が外国を訪れるだけでなく、海外から来日する人々も増えてきました。
仕事上でも社交上でも、外国人と接する機会がしばしばあります。そのようなとき、
いささかでも教養のある話ができればと思うことがあります。地球規模で人々が交わ
るグローバルな時代の教養となると、その根幹にあるのは人類の経験としての世界史
ではないでしょうか。しかも、その基本的な知識を国際言語としての英語で理解して
おけば、古今東西の様々な話題に対応できるわけです。
(中略)
そもそも「高校世界史」程度の知識を身につけておけば、国際社会にあって活動する
には必要にして十分な教養になるはずです。高校生・大学生ばかりではなく、企業人
や外交関係者などもまた、世界史の英訳テキストが座右にあれば、国際舞台の表でも
裏でも絆を深めることができるのではないでしょうか。
それとともに、日本の世界史教科書は実に公平な立場で記述されていることも忘れ
てはなりません。自国の歴史や特定の時代に大きく偏ることなく、歴史学の新しい成
果をも盛り込んだ日本の教科書は、非常にハイレベルで読みやすい、世界でも類のな
い良質なテキストなのです。しかし、これらの基本的な事実が海外に知られていない
ことは残念でなりません。「世界史」教科書を英訳し広く世界に読んでもらうという
のは、とても意義深いことと思います。
(下略)
(本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]、2頁~3頁)

※なお、下略の部分では、本書(『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社)は、『世界史B』(東京書籍 2012年版)を底本としたことを断っている。
 2012年版であって、最新版ではないことに注意が必要である。

福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』(東京書籍)の目次と環境問題の記述




〇福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]
【目次】
福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』
目次
世界史のとびら
1 自然環境、世界史の舞台
2 東アジアでの日本の位置
3 病気と伝染病
第1編 さまざまな地域世界
序章 文明以前の人類
1 人類の登場
2 地域文化の形成
第1章 オリエント世界と東地中海世界
1 オリエント世界の成立
2 オリエント世界の展開
3 ギリシア世界
4 ヘレニズム世界
第2章 地中海世界と西アジア
1 都市国家から世界帝国へ
2 ローマ帝国の繁栄
3 古代末期の社会と地中海世界の解体
4 地中海世界と西アジア
2世紀の世界
第3章 南アジア世界
1 南アジアにおける文明の成立と国家形成
2 インド世界の形成
第4章 東アジア世界
1 東アジアにめばえた文明
2 中華帝国の誕生
3 東方の世界帝国
第5章 中央ユーラシア世界
1 騎馬遊牧民国家の興亡
2 草原地帯のトルコ化とイスラーム化
第6章 東南アジア世界
1 海の道の形成と東南アジア
2 東南アジア諸国家の再編成
第7章 アフリカ、オセアニア、古アメリカの地域世界
1 アフリカ
2 オセアニア
3 古アメリカ
■時間軸からみる諸地域世界 ビザンティウム▶コンスタンティノープル▶イスタンブル

第2編 広域世界の形成と交流
第8章 イスラーム世界の形成
1 イスラーム世界の成立
2 イスラーム世界の発展
3 イスラーム文明
8世紀の世界
第9章 ヨーロッパ世界の形成
1 東ヨーロッパ世界
2 西ヨーロッパ中世世界の成立
3 西ヨーロッパ世界の成熟
4 中世ヨーロッパ文化
5 中世的世界の動揺
6 ルネサンス
第10章 東アジア世界の変容とモンゴル帝国
1 唐の崩壊後の東アジア
2 宋代の新展開―都市の時代のおとずれ
3 ユーラシア大陸をおおうモンゴル帝国
4 元朝の成立

第11章 海域世界の発展と東南アジア
1 三つの海域世界の成立
2 海と陸の結合―東南アジア世界の発展
■空間軸からみる諸地域世界 マルコ=ポーロと『世界の記述』の時代

第3編 一体化する世界
第12章 大交易時代
1 アジア交易世界の再編と活況
2 海洋帝国の出現
3 大交易時代の世界
第13章 ユーラシア諸帝国の繁栄
1 イランと中央アジアの繁栄
2 東地中海の強国―オスマン帝国
3 インドの大国―ムガル帝国
4 明と東アジア世界
5 清と東アジア世界
17世紀の世界
第14章 近世のヨーロッパ
1 主権国家群の形成と宗教改革
2 オランダの繁栄と英仏の追いあげ
3 18世紀のヨーロッパと啓蒙専制国家
4 近世ヨーロッパの社会と文化
第15章 欧米における工業化と国民国家の形成
1 激化する経済覇権抗争
2 工業化による経済成長と社会問題の発生
3 合衆国とラテンアメリカ諸国の独立
4 フランス革命とウィーン体制
5 自由主義の台頭と新しい革命の波
■資料から読み解く歴史の世界 歴史研究への挑戦

第4編 地球世界の形成と課題
第16章 産業資本主義の発展と帝国主義
1 イギリスの覇権とヨーロッパ諸国
2 南北アメリカの発展
3 第2次産業革命と社会生活の変化
4 植民地獲得競争と動揺する世界秩序
第17章 アジア諸地域の変革運動
1 西アジアの改革運動
2 南アジア・東南アジアの植民地化と民族運動の黎明
3 清の動揺と変貌する東アジア
19世紀後半の世界
第18章 世界戦争の時代
1 第一次世界大戦
2 ヴェルサイユ体制と国際秩序の再編
3 大戦後の合衆国とヨーロッパ
4 アジア・アフリカでの国家形成の動き
5 世界恐慌と国際対立の激化
6 第二次世界大戦

第19章 戦後世界秩序の形成
1 冷戦の形成と展開
2 植民地の独立と世界政治
3 東アジアの「熱い戦争」と経済発展
4 合衆国の覇権の動揺と再編
第20章 情報革命と世界経済の一体化
1 情報革命とグローバル化
2 冷戦の終結と新たな世界秩序
3 21世紀の地球的課題と地域世界
■資料を活用して探究する地球世界の課題 難民を生みださない世界のために
さくいん

(福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]、4頁~6頁)





「はじめに」の「世界史を学び、世界の歴史から学ぶ」において、次のように述べている。
〇この教科書は、人類の登場から現在へと歴史が展開してきた大きな筋道を描いている。
 その筋道には、出来事や人物、あるいは事物や作品などが多く出てくるが、これらについて知ることは、みなさんの将来にとって基礎的な教養として役立つ。
・現在、私たちは異なる文化をもち、異なる思考や行動の作法をもった人たちとも共生していく必要にせまられている。そのときに、人と社会の多様性を理解し、それを将来に向けてプラスに生かしていく道を探るには、世界の歴史をふまえることが、考える手がかりとして重要である。
・歴史を知る必要があるからといって、歴史を形づくった諸々について、やみくもに覚えることが大事なのではない。歴史を知ることを通じて考えることが大切なのである。
 現在でも、視野を広げれば、世界における貧富の格差はきびしいものがあり、世界の歴史を学べば、人類は物不足の長い時代を経験してきたことがわかる。
 歴史を知ることを通じて、筋道立てて論理的に考える作法を身につけたい。

・この筋道を成り立たせてきた出来事や、生産と流通の展開、時代や地域による生活のちがい、あるいは登場する人物の生き方など、多くの事柄に接することを通じて、広い視野のもとに、みなさんのいまについてみつめ直し、考えることを、著者たちは期待している。
・調べ考える手がかりは、この教科書では「深める」という項目でも、例示してある。
 「時間軸からみる諸地域世界」、「空間軸からみる諸地域世界」、また「資料から読み解く歴史の世界」や「資料を活用して探究する地球世界の課題」という項目でも例示されている。
 

〇全体の筋道は、時代順に四つの編にくくられている。各編では、次のようなことが説明されている。
・第1編は、異なる自然環境のなかで、いくつかの地域世界が独自の文明を形成していたこと。
・第2編は、ユーラシア大陸とその周辺を中心に、陸路と海路の双方を通じた地域間の交流関係をネットワーク化し、広域世界が形成され、それらの広域世界同士の関係が展開したこと。
・第3編は、アジアにおける広大な海域を舞台とした活発な交易と、ユーラシア諸帝国の繁栄に対して、ヨーロッパ諸国がこれを追う形で、アジアの交易世界に参入すると同時に南北アメリカへの植民地開拓をすすめ、世界の一体化への動きがすすんだこと。
・第4編は、工業化と技術革新、そして帝国主義の展開のもとに、世界各地が密接に連関した地球世界が形成されるものの、他方では、地球上の貧富の格差の拡大や戦争の頻発、環境破壊の深刻化が生じたこと。

※未来の地球世界が豊かな可能性をもてるか否かは、そうした課題が解決できるか否かにかかっている。
(福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]、2頁~3頁)

木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』(山川出版社)の目次と環境問題の記述




〇木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]

【目次】
世界史への扉① 気候変動と私たち人類の生活
世界史への扉② 漂流民のみた世界
世界史への扉③ 砂糖からみた世界の歴史

序章 先史の世界
第Ⅰ部 第Ⅰ部概観
第1章 オリエントと地中海世界
1 古代オリエント世界
2 ギリシア世界
3 ローマ世界
第2章 アジア・アメリカの古代文明
1 インドの古典文明
2 東南アジアの諸文明
3 中国の古典文明
4 南北アメリカ文明
第3章 内陸アジア世界・東アジア世界の形成
1 草原の遊牧民とオアシスの定住民
2 北方民族の活動と中国の分裂
3 東アジア文化圏の形成
第Ⅰ部 まとめ
主題学習Ⅰ 時間軸からみる諸地域世界

第Ⅱ部 第Ⅱ部概観
第4章 イスラーム世界の形成と発展
1 イスラーム世界の形成
2 イスラーム世界の発展
3 インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化
4 イスラーム文明の発展
第5章 ヨーロッパ世界の形成と発展
1 西ヨーロッパ世界の成立
2 東ヨーロッパ世界の成立
3 西ヨーロッパ中世世界の変容
4 西ヨーロッパの中世文化
第6章 内陸アジア世界・東アジア世界の展開
1 トルコ化とイスラーム化の進展
2 東アジア諸地域の自立化
3 モンゴルの大帝国
第Ⅱ部 まとめ
主題学習Ⅱ 空間軸からみる諸地域世界

第Ⅲ部 第Ⅲ部概観
第7章 アジア諸地域の繁栄
1 東アジア世界の動向
2 清代の中国と隣接諸地域
3 トルコ・イラン世界の展開
4 ムガル帝国の興隆と東南アジア交易の発展
第8章 近世ヨーロッパ世界の形成
1 ヨーロッパ世界の拡大
2 ルネサンス
3 宗教改革
4 ヨーロッパ諸国の抗争と主権国家体制の形成
第9章 近世ヨーロッパ世界の展開
1 重商主義と啓蒙専制主義
2 ヨーロッパ諸国の海外進出
3 17~18世紀ヨーロッパの文化と社会
第10章 近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立
1 産業革命
2 アメリカ独立革命
3 フランス革命とナポレオン
第11章 欧米における近代国民国家の発展
1 ウィーン体制の成立
2 ヨーロッパの再編と新統一国家の誕生
3 南北アメリカの発展
4 19世紀欧米の文化
第12章 アジア諸地域の動揺
1 オスマン帝国支配の動揺と西アジア地域の変容
2 南アジア・東南アジアの植民地化
3 東アジアの激動
第Ⅲ部 まとめ
主題学習Ⅲ 資料から読みとく歴史の世界

第Ⅳ部 第Ⅳ部概観
第13章 帝国主義とアジアの民族運動
1 帝国主義と列強の展開
2 世界分割と列強対立
3 アジア諸国の改革と民族運動
第14章 二つの世界大戦
1 第一次世界大戦とロシア革命
2 ヴェルサイユ体制下の欧米諸国
3 アジア・アフリカ地域の民族運動
4 世界恐慌とファシズム諸国の侵略
5 第二次世界大戦
第15章 冷戦と第三世界の独立
1 戦後世界秩序の形成とアジア諸地域の独立
2 米ソ冷戦の激化と西欧・日本の経済復興
3 第三世界の台頭と米・ソの歩み寄り
4 石油危機と世界経済の再編
第16章 現在の世界
1 社会主義世界の変容とグローバリゼーションの進展
2 途上国の民主化と独裁政権の動揺
3 地域紛争の激化と深刻化する貧困
4 現代文明の諸相
第Ⅳ部 第Ⅳ部まとめ
主題学習Ⅳ 資料を活用して探究する地球世界の課題

世界史年表
索引
世界の自然・世界の気候区(表見返し)
現代の世界(裏見返し)




「世界史を学ぶみなさんへ」と題して、編者は次のようなことを述べている。
〇日本史と世界史では世界の見方がちがってくること
・日本史では、日本と直接交流があったり、影響を与えてきた、東アジアの諸地域と欧米諸国の動向が取りあげられてきた。(つまり、日本という窓からみえる世界を扱ってきた)
・一方、世界史では、世界の諸地域の主要な歴史の流れをそれ自体として広くみる。
 なかには、日本とあまり関係がないような地域や時代も登場する。
(しかし、そうした地域や時代の歴史も、日本の歴史とどのような違いや共通点があるのか、また、違いや共通点はなぜ生じたのかを知るためには、欠かせないとする)

※世界史の学習をつうじて、当然だと思っていた事柄や考えが、地域や時代によってはけっしてそうではないこともわかる。そして日本の歴史の特色も深く理解できるようになる。

〇目次の内容について
・第Ⅰ部・第Ⅱ部では、世界の諸地域間の交流がまだ限られていた古代から中世までの時期が取り扱われる。
 この時代に、言語や宗教を共通の基盤として、社会・経済制度や生活様式などの独自の文化的枠組みをもつ地域世界が形成された。 
 こうした文化的枠組みは、地域世界が外部の新しい思想・技術・芸術、政治・経済制度などと接触した場合でも、そこからなにを取り入れるかを選択するフィルターとして機能したり、触媒のような役割をはたしてきた。
 こうした文化的枠組みも変化するが、その変化の速度は政治的変動や技術の進展よりゆっくりしたものなので、特徴をもった社会が形づくられる。

・第III部・第IV部では、近世以降を対象とする。
 各地域間の人・もの・情報の移動をとおした交流が密度を増し、諸地域世界が多用で複雑なネットワークで結ばれ、各地域の内部構造も変容をせまられる状況(世界の一体化)、それに続くグローバル化の過程を扱う。
 ただし、世界の一体化といっても、各地域が対等に結ばれるということではない。
 とくに19世紀以降では、近代工業や科学技術の力を背景に、世界の一体化を推進した欧米先進国が、世界諸地域間の結びつきを支配・従属関係につくりかえて、地域間格差を強めるようになる。
(その結果、各地域社会の人々の生活もゆるがされ、ときには文化的枠組み自体が破壊されることもあった)

※世界史では、世界の諸地域の文化的枠組みがどのように形成され、変化してきたのか、また世界の諸地域の関係が現在のようになったのはなぜか、という大きな問いを掲げながら、諸地域や時代の具体的な展開を学んでいく。
 執筆者の願いとしては、世界の歴史を振り返り、そこに生きた人々の幸せ、喜び、悲しみ、怒りを思い浮かべながら、これから生きていく地球世界での課題を見出し、その解決の手がかりをつかみ、自信をもって未来に踏み出してほしいという。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、1頁)



「世界史への扉」では、世界史を学ぶことの大切さ、面白さを知ってもらうための例が紹介されている。地球温暖化、気候変動の問題として、次のような例を挙げている。

【世界史への扉① 気候変動と私たち人類の生活】
≪自然環境の変化と人類≫
 20世紀後半から世界の気温は一貫して上昇している。近年、世界各地で増加している集中豪雨や洪水、干ばつなどの異常気象の多発も、その影響によるものではないかといわれ、テレビや新聞でも地球温暖化をめぐる議論やその対策がたびたび報じられている。 
 気温は年によって、また地域によってかなり変動があるのは当然だが、現在とくに問題になっているのは、地球全体の気温上昇のはやさである。なぜなら、気温の変化も、それが長期間にゆるやかにおこるものもあれば、私たち人類も含めて、多くの動植物はこれまでそれに適応してきたからである。
 人類の歴史のなかで、気候の変動や、それがもたらす環境の変化に人々がどのように対応し、乗り越えてきたかを調べてみれば、現在の気候変動がもたらす問題の深刻さもより正確に理解できるであろう。

≪夏がこない年と小氷期≫
 今からおよそ200年前の1816年は、ヨーロッパやアメリカでは夏になっても気温があがらず、アメリカ合衆国東部では6月に雪が降った。そのため、この年は「夏がこない年」と呼ばれ、深刻な不作が広がり、イギリス・フランスなど各地でパンが値あがりして、貧しい人々は飢えに苦しんだ。
 この冷夏の原因は、1815年におこった、大西洋地域からはるか遠く離れたインドネシアのタンボラ火山の大爆発であった。爆発によって大量の火山灰や火山ガスが大気圏に拡散し、日射量を減少させ、農産物に被害を与えた。また、1883年の同じインドネシアにあるクラカタウ火山の爆発も、数年にわたって北半球の各地域に不作をもたらしたと考えられている。
 このような火山噴火にともなう短期的な気温変化だけでなく、温暖期と寒冷期の交替という大規模で長期にわたる気候変動もあり、それはさらに人類に大きな影響を与えた。気候変動の例をヨーロッパでみてみると、中世は温暖期で、近世から19世紀半ばまでは寒冷期であったことが知られている。近世の寒冷期(小氷期[しょうひょうき]とも呼ばれる)には、たとえばイギリスのテムズ川は17世紀には10回、18世紀には部分氷結を含め8回も凍り、人びとが氷上で遊んだり、露店がならんだこともあったほどである。
<「テムズ川の氷上市」(1683~84年)>~この冬は、テムズ川が3カ月も凍結し、氷の厚さは30cm近くにもなり、多くの見物人を集めた。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、1頁、4頁~5頁)



「第16章 現在の世界」の「4 現代文明の諸相」には次のようにある。
【環境保護と生活スタイルの変容】
 科学技術の発展は、世界の各地で急速な経済成長による生活水準の向上をうみだすとともに、医療の発達にもたすけられて、人口の急増もうみだした。20世紀初めには約16億人であった世界の人口は2014年には70億4000万人と、約4.4倍に拡大した。このような人口拡大はおもに途上国で顕著であったため、飢餓などの食料問題や資源問題を発生させた。
 また、先進国における急速な重工業化は、都市の過密や大気・河川の汚染、有害廃棄物などの深刻な環境破壊をうみだした。その結果、1960年以降に環境保護や公害反対の運動が活発になり、それぞれの先進国ごとに大気や河川の汚染を規制する法律が制定されたり、環境保護を担当する省庁が設置された。70年代にはいると、環境保護に関して政府や運動の国際的連携がはかられるようになり、72年にはスウェーデンのストックホルムで国連人間環境会議が開催され、国連環境計画が発足した。73年の石油危機後の経済停滞で、環境への関心は一時後退したが、85年にオゾン=ホールが発見されるなど、地球温暖化の危険が指摘されるようになった。これをうけて92年にはブラジルのリオデジャネイロで「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)が開催され、各国が二酸化炭素の排出量を減少させる必要性で合意し、97年の地球温暖化に関する京都議定書でその目標値が設定された。
 このような環境保護運動の進展は、人間と自然の共生を重視するエコロジーの思想や文化を定着させ、他方、高度経済成長による人口の都市集中は、消費者運動をはじめとする新しい市民運動の登場もうみだした。さらに、男女平等をめざすフェミニズムの定着によって日本では「ワーク=ライフ=バランス」など、仕事と家庭の両立可能な社会の構築を求める声も高まっている。
 また、先進国が一様に少子高齢化の傾向を示すなかで、発展途上国から労働者を受け入れる動きも広がり、人権や民族の違いをこえて「多文化共生」をめざす新しい生活スタイルの創造も求められている。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、411頁~413頁)



【現代思想・文化の特徴】
 (前略)
 また、1960年代から70年代にかけて先進国を中心に台頭した人種平等や男女平等、環境保護などを求める運動は、近代社会が「人種平等」を掲げながら、実際には人種や性の差別を許容していた現実を明らかにし、近代を根本的に批判するポスト=モダニズムの思想が台頭した。さらに、ソ連邦の解体は、マルクス主義の影響力の低下をまねくとともに、巨額の財政赤字をうみだす「大きな政府」論に対する疑問も加わり、20世紀末には市場における自由競争を重視する新自由主義への関心が高まった。しかし、世界規模での自由競争が推奨された結果、国内外で膨大な所得格差が発生したり、投機的な活動が深刻な経済危機をうみだした。これに対して、人間社会におけるなんらかの共同性の回復や福祉国家の役割を見直す動きも出てきている。また、地球規模の環境の危機に直面して、近代以来の社会の「進歩」に対する疑いの感情も発生した。これをうけて、さまざまな集団間の共存を求める「多文化主義」や、環境との共生を求める新しい思想や生活スタイルが模索されるようになっている。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、414頁)



・また「第IV部のまとめ」として、次のように述べている。
 第IV部では、近代後期の帝国主義時代に始まる地球世界の形成期から、第一次世界大戦を画期として、地球世界が成立する現代の時代を学んできた。
 そして、「地球世界の課題」として、やはり環境問題、地球温暖化について触れている。
【地球世界の課題】
 20世紀後半には、生産力や軍事力によっては解決できない地球全体、人類全体に関わる深刻な問題が出現してきた。地球温暖化、産業化、開発がもたらす環境汚染や森林の減少などの環境問題、エネルギー資源・鉱物資源の枯渇と新エネルギーの開発、人口の増減の地域的不均衡や生活水準・人権などの地域的格差の拡大などは、現代社会が直接的、あるいは間接的につくり出した問題であり、人類が協同し、連帯しなければ対応することができない性格をもっている。

そして、「考えてみよう」では、英語の重要性についても取り上げている。
・グローバル化の結果、英語は英語圏の公用語だけではなく、国際共通語となってきている。私たちの日常生活で使われる日用品や電気機器なども、英語表記のものが多い。身のまわりの道具や器具の名称に日本語ではなく英語表記が広まり出したのはいつ頃からか、またなぜそうなってきたかを考えてみようという。
(木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』山川出版社、2016年[2020年版]、415頁~416頁)


環境問題(Environmental Issues)~地球温暖化


環境問題 Environmental Issues
In the 20th century, when scientific civilization evolved greatly, the environmental
destruction it caused has become a serious issue. Factory smoke and exhaust from
automobiles have produced air pollution, caused acid rain and have even killed forests.
The destruction of the ozone layer by chlorofluorocarbons has had a big impact on the
ecological system. A large evolution of greenhouse gas like CO2 is believed to have given
rise to global warming and led to climate change and rise in sea levels. Desertification
and the decrease of forests are becoming serious issues as well. These problems create
environmental refugees in some areas.
In order to cope with environmental problems, the United Nations Conference on
Environment and Development (the “Earth Summit”) was held in Rio de Janeiro of Brazil in 1992, where Agenda 21 and the Rio Declaration on Environment and Development were
adopted. These were the action plans not only for each government in the world, but also
private organizations and individuals. In the third Session of the Conference of the Parties
to United Nations Framework Convention on Climate Change (COP3) in 1997, the Kyoto
Protocol (Kyoto Protocol to the United Nations Framework Convention on Climate Change) was adopted. The target figure for each country was set for the reduction of greenhouse gas
in agreement. U.S. President Bush parted from the Kyoto Protocol in 2001, but Russia
joined and it became effective in 2005. At the 15th Conference of the Parties (COP15) held
in Denmark in 2009, the Kyoto Protocol was extended and target figure was lowered. An
attempt to formulate a framework that included the United States and China ended in vain.
This process shows that there is a possibility to solve environmental issues through
negotiations and adjustment bargaining among countries, each of which has its own
sovereignty and national interest, but at the same time, also shows the difficulty. So how the efforts by corporations, NGOs and individuals can be linked to these adjustment among
nations is called into question.
(本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]、346頁)

【語句】次の語句は本文中に併記されている。
・the environmental destruction 環境破壊
・acid rain 酸性雨
・The destruction of the ozone layer オゾン層の破壊
・chlorofluorocarbons フロン
・greenhouse gas 温室効果ガス
・global warming 地球温暖化
・Desertification 砂漠化
・国連環境開発会議(地球サミット) the United Nations Conference on Environment and Development (the “Earth Summit”)
・Agenda 21 アジェンダ21計画
・the Rio Declaration リオ宣言
・the Conference of the Parties to United Nations Framework Convention on Climate Change (COP3)  気候変動枠組条約締約国会議(COP3)
・the Kyoto Protocol 京都議定書

〇福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]において、対応する箇所は次の部分である。
英文の方は、2012年版を底本としているので、若干異なる。
 すなわち、「At the 15th Conference of the Parties (COP15) held…」以降の部分が異なる。
 ただ、「This process shows that…」からは、「この協定をめぐる交渉過程は~」に対応しているようだ。


【環境問題】
 20世紀には科学技術が発展したが、それが生みだした環境破壊が大きな問題となった。工場や自動車の排気ガスによる大気汚染は、酸性雨をもたらして森林を破壊し、また、フロンにおるオゾン層の破壊が生態系に大きな影響を与えている。二酸化炭素などの温室効果ガスの大量発生は、地球温暖化をまねき、気候変動や海水面の上昇をもたらすとされ、砂漠化や森林の減少も大きな問題となっており、環境難民も生まれている。
 環境問題に対処すべく、1992年にブラジルのリオデジャネイロで国連環境開発会議(地球サミット)が開催され、国、民間機関、個人がとるべき行動をまとめたアジェンダ21計画とリオ宣言が採択された。また、97年の第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)は、京都議定書を採択して温室効果ガスの排出を削減するための数値目標を定めた。アメリカ合衆国のブッシュ(子)(G.W.Bush、在職2001~09)大統領が2001年に京都議定書からの離脱を表明したが、この議定書はロシアが加わって05年に発効した。その後、合衆国と中国を加えた枠組みの形成が模索された。15年にパリで開催された第21回会議(COP21)では、196の国と地域がパリ協定に合意した(16年発効)が、合衆国は2017年に誕生したトランプ政権が同協定からの離脱を表明した。この協定をめぐる交渉過程は、国家間の交渉と調整による環境問題解決の可能性と困難さを示している。今後、企業、NGO、個人の取り組みが問われている。
(福井憲彦、本村凌二ほか『世界史B』東京書籍、2016年[2020年版]、428頁~429頁)

なお、本村凌二ほか『英語で読む高校世界史』の結末部分の次の箇所は、日本語の方は削除されている。一応、紹介しておく。

〇Prospect for the 21st Century
In the globalized modern world where mainly economic integration is advancing,
many problems are interconnected on a global or regional scale. Thus corporations and
individuals, as well as nations, must cope with the problems based on global or regional
cooperation.
The global or regional integration strategy works to prevail the values of democracy and
freedom, and permanent standard. But there are movements that oppose it and support to
respect each region’s originality.
The 21st century might become a turning point in world history. Based on past history,
how can you be involved in the sustainable growth of the world or region as citizens of the
earth(地球市民)? This is the biggest question.
(本村凌二ほか『英語で読む高校世界史 Japanese high school textbook of the WORLD HISTORY』講談社、2017年[2018年版]、349頁)


浜林正夫『世界史再入門』における環境問題への言及


浜林正夫『世界史再入門 歴史のながれと日本の位置を見直す』(講談社学術文庫、2008年[2012年版])においても、「第8章 21世紀はどういう世紀か」の「第9節 21世紀の課題」において、環境問題、地球温暖化、気候変動について言及している。

【第9節 21世紀の課題】
〇今後の大きな課題は、地球環境問題であると著者もいう。
 国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPPC)」は、2050年には2000年にくらべCO2排出量を50~80パーセント削減しなければならないと指摘している。
 しかし、取り組みがもっとも遅れているのはアメリカ、もっともすすんでいるのはEU諸国で、日本は排出量規制の目標を経団連の自主性に委ねており、政府のリーダーシップが問われている。
 なお、京都議定書は軍事的な必要による排出量には触れていないという大きな問題点を残していることも見逃してはならないという。
(浜林正夫『世界史再入門』講談社学術文庫、2008年[2012年版]、304頁)

斎藤幸平『人新世の「資本論」』における環境問題への提言


斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、2020年[2021年版]においても、環境問題、地球温暖化、気候変動について、正面から取り上げている。

<「人新世」という用語について>
・人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世(ひとしんせい)」(Anthropocene)と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である、と斎藤氏は説明している。
(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、2020年[2021年版]、4頁)

・本書は、そのマルクスの『資本論』を折々に参照しながら、「人新世」における資本と社会と自然の絡み合いを分析していくとする。
(もちろん、これまでのマルクス主義の焼き直しをするつもりは毛頭ないという。)
 150年ほど眠っていたマルクスの思想のまったく新しい面を「発掘」し、展開する。
 この「人新世の『資本論』」は、気候危機の時代に、より良い社会を作り出すための想像力を解放してくれるそうだ。
(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、2020年[2021年版]、6頁~7頁)

<▶外部を使いつくした「人新世」>
・人類の経済活動が全地球を覆ってしまった「人新世」とは、収奪と転嫁を行うための外部が消尽した時代である。
 資本は、石油、土壌養分、レアメタルなど、むしり取れるものはむしり取ってきた。
 この「採取主義」(extractivism)は地球に甚大な負荷をかけている。
 ところが、資本が利潤を得るための「安価な労働力」のフロンティアが消滅したように、採取と転嫁を行うための「安価な自然」という外部もついになくなりつつある。

 資本主義がどれだけうまく回っているように見えても、究極的には、地球は有限である。
外部化の余地がなくなった結果、採取主義の拡張がもたらす否定的帰結は、ついに先進国へと回帰するようになる。
 ここには、資本の力では克服できない限界が存在する。
 資本は無限の価値増殖を目指すが、地球は有限である。外部を使いつくすと、今までのやり方はうまくいかなくなる。危機が始まる。これが「人新世」の危機の本質である、という。
 その最たる例こそ、今まさに進行している気候変動だとする。
 (日本のスーパー台風やオーストラリアの山火事など、その被害が先進国でも可視化されるようになっている。)
 気候変動対策の時間切れが迫るなか、果たして私たちはなにをなすべきなのか、と問いかけている。
(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書、2020年[2021年版]、36頁~37頁)

・このように、斎藤幸平先生は、「人新世(ひとしんせい)」(Anthropocene)を、人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味で用い、その「人新世」の危機の本質を気候変動と捉えている。その最たる例として、日本のスーパー台風やオーストラリアの山火事を挙げている。

☆【補足】IPCCに対する斎藤幸平先生の批判
 IPCCについて、「第二章 気候ケインズ主義の限界」の「▶ IPCCの「知的お遊び」」(93頁~94頁)において、IPCCのモデルは経済成長を前提としており、「経済成長の罠」にはまってしまっている、と斎藤幸平先生は批判している。


≪大学受験の国語の小説問題~石原千秋氏の著作より その2≫

2022-12-19 19:23:47 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪大学受験の国語の小説問題~石原千秋氏の著作より その2≫
(2022年12月19日投稿)

【はじめに】


 前回のブログでは、石原千秋『大学受験のための小説講義』(ちくま新書、2002年[2005年版])の序章を中心に、総論的な部分を紹介した。
 今回のブログでは、次のような大学受験国語の小説問題を実際に解いてみたい。
・過去問④太宰治『故郷』
・過去問⑦志賀直哉『赤西蠣太』
・過去問⑨野上弥生子『茶料理』
・過去問⑭横光利一『春は馬車に乗って』

【石原千秋氏のプロフィール】
・1955年生まれ。成城大学大学院文学研究科国文学専攻博士課程中退。
・現在、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。
・専攻は日本近代文学
・現代思想を武器に文学テクストを分析、時代状況ともリンクさせた斬新な試みを提出する。
・また、「入試国語」を中心に問題提起を行っている。





【石原千秋『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)はこちらから】
石原千秋『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)





〇石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]

【目次】
・はじめに
・序章 小説は何を読むのか、あるいは小説は読めない
・第一部 小説とはどういうものか――センター試験を解く
・第一章 学校空間と小説、あるいは受験小説のルールを暴く
     過去問① 学校空間の掟――山田詠美『眠れる分度器』
・第二章 崩れゆく母、あるいは記号の迷路
     過去問② メタファーを生きる子供――堀辰雄『鼠』
・第三章 物語文、あるいは消去法との闘争
     過去問③ 女は水のように自立する――津島佑子『水辺』
     過去問④ 男は涙をこらえて自立する――太宰治『故郷』

・第二部 物語と小説はどう違うのか――国公立大学二次試験を解く
・第四章 物語を読むこと、あるいは先を急ぐ旅
     過去問⑤ 血統という喜び――津村節子『麦藁帽子』
     過去問⑥ 貧しさは命を奪う――吉村昭『ハタハタ』
     過去問⑦ 気づかない恋――志賀直哉『赤西蠣太』
・第五章 小説的物語を読むこと、あるいは恋は時間を忘れさせる
     過去問⑧ ラブ・ストーリーは突然に――三島由紀夫『白鳥』
     過去問⑨ 恋は遠い日の花火ではない――野上弥生子『茶料理』
・第六章 物語的小説を読むこと、あるいは重なり合う時間
     過去問⑩ 母と同じになる「私」――梅宮創造『児戯録』
     過去問⑪ 父と同じになる「私」――横光利一『夜の靴』
・第七章 小説を読むこと、あるいは時間を止める病
     過去問⑫ 自然の中で生きる「私」――島木健作『ジガ蜂』
     過去問⑬ 人の心を試す病――堀辰雄『菜穂子』
     過去問⑭ いっしょに死んで下さい――横光利一『春は馬車に乗って』

・あとがき




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・過去問④太宰治『故郷』
・過去問⑦志賀直哉『赤西蠣太』
・過去問⑨野上弥生子『茶料理』
・過去問⑭横光利一『春は馬車に乗って』







過去問④ 男は涙をこらえて自立する――太宰治『故郷』


 それでは、センター試験を実際に解いてみよう。
・「第三章 物語文、あるいは消去法との闘争」の「過去問④ 男は涙をこらえて自立する――太宰治『故郷』」からである。

・2002年度には、太宰治の『故郷』が来た。
 リアリズム小説から少しだけ離れたここ数年の傾向とは異なって、ごく普通の(だけど、少しだけおしゃべりな)リアリズム小説からの出題である。
そこで、設問も「気持ち」に関するものが例年より多くなった。
受験ではリアリズム小説は「気持ち」が問われるという法則は、間違っていなかったでしょう?、と著者はコメントしている。


過去問④ 男は涙をこらえて自立する

 次の文章は、太宰治の小説「故郷」の一節である。主人公の「私」は、かつてさまざまな問題を起こして父親代わりの長兄の怒りを買い、生家との縁を切られていたが、母親が危篤である旨の知らせを受け、生家の人たちとは初対面の妻子を伴って帰郷した。本文はそこで親族たちと挨拶を交わした後の場面である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。

 私は立って、母のベッドの傍へ行った。他のひとたちも心配そうな顔をして、そっと母の枕頭に集まって来た。
「時々くるしくなるようです。」看護婦は小声でそう説明して、掛蒲団の下に手をいれて母のからだを懸命にさすった。私は枕もとにしゃがんで、どこが苦しいの? と尋ねた。母は、幽かにかぶりを振った。
「がんばって。園子の大きくなるところを見てくれなくちゃ駄目ですよ。」私はてれくさいのを怺(こら)えてそう言った。
 突然、親戚のおばあさんが私の手をとって母の手と握り合わさせた。私は片手ばかりでなく、両方の手で母の冷たい手を包んであたためてやった。親戚のおばあさんは、母の掛蒲団に顔を押しつけて泣いた。叔母も、タカさん(次兄の嫂の名)も泣き出した。私は口を曲げて、こらえた。しばらく、そうしていたが、どうにも我慢出来ず、そっと母の傍から離れて廊下に出た。廊下を歩いて洋室へ行った。洋室は寒く、がらんとしていた。白い壁に、罌粟(けし)の花の油絵と、裸婦の油絵が掛けられている。マントルピイスには、下手な木彫りが一つぽつんと置かれている。ソファには、豹の毛皮が敷かれてある。椅子もテエブルも絨毯も、みんな昔のままであった。A私は洋室をぐるぐると歩きまわり、いま涙を流したらウソだ、いま泣いたらウソだぞ、と自分に言い聞かせて泣くまい泣くまいと努力した。こっそり洋室にのがれて来て、ひとりで泣いて、あっぱれ母親思いの心やさしい息子さん。キザだ。思わせぶりたっぷりじゃないか。そんな安っぽい映画があったぞ。三十四歳にもなって、なんだい、心やさしい修治さんか。甘ったれた芝居はやめろ。いまさら孝行息子でもあるまい。わがまま勝手の検束をやらかしてさ。よせやいだ。泣いたらウソだ。涙はウソだ、と心の中で言いながら懐手して部屋をぐるぐる歩きまわっているのだが、いまにも、嗚咽が出そうになるのだ。私は実に(ア)閉口した。煙草を吸ったり、鼻をかんだり、さまざまな工夫して頑張って、とうとう私は一滴の涙も眼の外にこぼれ落とさなかった。
 日が暮れた。私は母の病室には帰らず、洋室のソファに黙って寝ていた。この離れの洋室は、いまは使用していない様子で、スウィッチをひねっても電気がつかない。B私は寒い暗闇の中にひとりでいた。北さんも中畑さんも、離れのほうへ来なかった。何をしていているのだろう。妻と園子は、母の病室にいるようだ。今夜これから私たちは、どうなるのだろう。はじめの予定では、北さんの意見のとおり、お見舞いしてすぐに金木(かなぎ)を引き上げ、その夜は五所川原(ごしょがわら)の叔母の家へ一泊という事になっていたのだが、こんなに母の容態が悪くては、予定どおりすぐ引き上げるのも、かえって気まずい事になるのではあるまいか。とにかく北さんに逢いたい。北さんは一体どこにいるのだろう。兄さんとの話が、いよいよややこしく、もつれているのではあるまいか。私は居るべき場所も無いような気持ちだった。
 妻が暗い洋室にはいって来た。
「あなた! かぜを引きますよ。」
「園子は?」
「眠りました。」病室の控えの間に寝かせて置いたという。
「大丈夫かね? 寒くないようにして置いたかね?」
「ええ。叔母さんが毛布を持って来て、貸して下さいました。」
「どうだい、みんないいひとだろう。」
「ええ。」けれども、やはり不安の様子であった。「これから私たち、どうなるの?」
「わからん。」
「今夜は、どこへ泊るの?」
「そんな事、僕に聞いたって仕様が無いよ。いっさい、北さんの指図にしたがわなくちゃいけないんだ。十年来、そんな習慣になっているんだ。北さんを無視して直接、兄さんに話し掛けたりすると、騒動になってしまうんだ。そういう事になっているんだよ。わからんかね。僕には今、なんの権利も無いんだ。トランク一つ、持って来る事さえできないんだからね。」
「なんだか、ちょっと北さんを恨んでるみたいね。」
「ばか。北さんの好意は、身にしみて、わかっているさ。けれども、北さんが間にはいっているので、僕と兄さんとの仲も、妙にややこしくなっているようなところもあるんだ。どこまでも北さんのお顔を立てなければならないし、わるい人はひとりもいないんだし――」
「本当にねえ。」妻にも少しわかって来たようであった。「北さんが、せっかく連れて来て下さるというのに、おことわりするのも悪いと思って、私や園子までお供して来て、それで北さんにご迷惑がかかったのでは、私だって困るわ。」
「それもそうだ。うっかりひとの世話なんか、するもんじゃないね。僕という(イ)難物の存在がいけないんだ。全くこんどは北さんもお気の毒だったよ。わざわざこんな遠方へやって来て、僕たちからも、また、兄さんたちからも、そんなに有り難がられないと来ちゃ、さんざんだ。僕たちだけでも、ここはなんとかして、北さんのお顔を立つように一工夫しなければならぬところなんだろうけれど、あいにく、そんな力はねえや。下手に出しゃばったら、滅茶滅茶だ。まあ、しばらくこうして、まごまごしているんだね。お前は病室へ行って、母の足でもさすっていなさい。おふくろの病気、ただ、それだけを考えていればいいんだ。」
 C妻は、でも、すぐには立ち去ろうとしなかった。暗闇の中に、うなだれて立っている。こんな暗いところに二人いるのを、ひとに見られたら、はなはだ(ウ)具合がわるいと思ったので私はソファから身を起こして、廊下へ出た。寒気がきびしい。ここは本州の北端だ。廊下のガラス戸越しに、空を眺めても、星一つ無かった。ただ、ものものしく暗い。私は無性に仕事をしたくなった。なんのわけだかわからない。よし、やろう。一途に、そんな気持ちだった。
 嫂が私たちをさがしに来た。
「まあこんなところに!」明るい驚きの声を挙げて、「ごはんですよ。美知子さんも、一緒にどうぞ。」嫂はもう、私たちに対して何の警戒心も抱いていない様子だった。私にはそれが、ひどくたのもしく思われた。なんでもこの人に相談したら、間違いが無いのではあるまいかと思った。
 母屋の仏間に案内された。床の間を背にして、五所川原の先生(叔母の養子)それから北さん、中畑さん、それに向かい合って、長兄、次兄、私、美知子と七人だけの座席が設けられていた。
「速達が行きちがいになりまして。」私は次兄の顔を見るなり、思わずそれを言ってしまった。次兄は、ちょっと首肯いた。
 北さんは元気が無かった。浮かぬ顔をしていた。酒席にあっては、いつも賑やかな人であるだけに、その夜の浮かぬ顔つきは目立った。やっぱり何かあったのだな、と私は確信した。
 それでも、五所川原の先生が、少し酔ってはしゃいでくれたので、座敷は割に陽気だった。私は腕をのばして、長兄にも次兄にもお酌をした。私が兄たちに許されているのか、いないのか、もうそんな事は考えまいと思った。私は一生ゆるされる筈はないのだし、また許してもらおうなんて、虫のいい甘ったれた考えかたは捨てる事だ。D結局は私が、兄たちを愛しているか愛していないか、問題はそこだ。愛する者は、さいわいなる哉。私が兄たちを愛して居ればいいのだ。みれんがましい欲の深い考えかたは捨てる事だ、などと私は独酌で大いに飲みながら、たわいない自問自答をつづけていた。

(注)
1 マントルピイス ――暖炉の上に設けた飾り棚
2 検束をやらかして――一時警察に留置されたこと。
3 北さんも中畑さんも――ともに「私」の亡き父に信頼された人物で、以前から「私」と生家との間を取り持っていた。この帰郷も、長兄の許可を得ないまま、北さんが主導して実現させた。
4 速達――「私」が郷里に向かった後で次兄が投じた、「私」を呼び寄せる急ぎの手紙のこと。

問1 傍線部(ア)~(ウ)の語句の本文中の意味として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。
(ア)閉口した ①悩み抜いた ②がっかりした ③押し黙った ④考えあぐねた ⑤困りはてた

(イ)難物 ①理解しがたい人 ②頭のかたい人 ③心のせまい人 ④扱いにくい人 ⑤気のおけない人

(ウ)具合がわるい ①不都合だ ②不自然だ ③不出来だ ④不適切だ ⑤不本意だ


問2 傍線部A「私は洋室をぐるぐると歩きまわり、いま涙を流したらウソだ、いま泣いたらウソだぞ、と自分に言い聞かせて泣くまい泣くまいと努力した」とあるが、「私」がそうしたのはなぜか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
①あたたかく自分を迎えようとしている人々の懐に飛び込んでいきたいという思いと弱みを見せたくないという思いとが、胸のうちに同時にわきあがり、互いに争っているから。
②母親に対して素直な気持ちになれなくなっているにもかかわらず、まわりの雰囲気に流されて、ここで悲しむ様子を見せては人々を欺くことになると考えているから。
③立場上ほかの親族と同じようにふるまうのがはばかられるとともに、人目を忍んで泣くというありきたりな感情の表現の仕方をすることに恥じらいを覚えているから。
④母親に対しては子どものころと変わらない親密な感情を取り戻しながらも、和解を演出しようとする周囲の人々の思惑には反発を感じているから。
⑤過去の自分とは異なる人間的に成長した姿を見せようと意気込んでいたのに、あっさりと周囲の人々の情にほだされてしまったことに自己嫌悪を感じているから。

問3 傍線部B「私は寒い暗闇の中にひとりでいた」とあるが、この時の「私」の心情の説明として適当でないものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

①北さんと中畑さんがなかなか離れに来ないことが気になり、もしかしたら長兄と悶着を起こしているのかもしれないと考え、やはり帰郷などすべきでなかったのではないかという思いにかられている。
②母親の病気にかこつけて突然やって来た自分たち夫婦を、長兄らがどのような思いで迎え入れてくれるのかがまだ十分には予測しがたく、どこでどうふるまったらよいのか判断に窮して戸惑いを覚えている。
③とりあえず母親との対面をはたすことができて一段落は着いたものの、案じていた母親の容態が予想以上に悪く、北さんとたてた当初の計画にも支障が出そうで不安を感じている。
④母親の病状は気がかりなのだが、長年生家をないがしろにして自由気ままにふるまってきた自分にそのような心配をする資格があるのかと自問し、昔の過ちに振りまわされる人生の不可解さを実感している。
⑤親族たちが集まっている部屋から離れて誰もいない空間に閉じこもることによって、動揺する心を静めるとともに、さまざまな人に迷惑をかけ続けてきたみずからの過去や現在に思いをめぐらせている。

問4 傍線部C「妻は、でも、すぐには立ち去ろうとしなかった」とあるが、この時の「妻」の心情の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
①旧家の嫁でありながら今回初めて帰郷するという不義理を重ねてきたので、夫の生家は必ずしも居心地のよいものではなく、皆の前で健気にふるまってよいものかどうかためらっている。
②夫の単なる強がりを言っているのに過ぎないことに初めから気づいていたため、なかなか素直にその言葉どおりにふるまう気にはなれず、早くこの地を去りたいと考えている。
③北さんと長兄との間に立たされて苦悩している夫のことが心配でならず、何とかしなければならないことはよく理解しているのだが、嫁という立場から積極的な行動は慎もうとしている。
④夫の言うこともわかるのだが、郷里における自分たち二人の微妙な立場を考えるとまだ十分には心細さをぬぐい去ることができず、進んで夫の生家の人たちと交わる勇気を持てないでいる。
⑤子供が眠ってしまって夫と二人きりになってしまうと不安はいっそう募るばかりなのだが、夫はただ姑の心配をするばかりで少しも自分をかまってくれず、どこか納得できないでいる。

問5 傍線部D「結局は私が、兄たちを愛しているか愛していないか、問題はそこだ」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
①兄たちが許してくれるかどうかに気を使うよりも、自分が兄たちに対して深い愛情を持つ姿勢を貫くことが何より大切であるということ。
②兄たちとのいざこざを根本的に解決するためには、いかに自分が兄たちを愛しているかということを正確に伝える必要があるということ。
③もし自分が兄たちを愛することができると確信を持てたら、頭を悩ませている数々の問題も一気に解決するはずだということ。
④生家の人々が最終的に問いかけてくるのは、自分が口先でどう言うかということよりも、兄たちに愛情を抱いているかいないかだということ。
⑤兄たちを愛しているかどうか自分でもわからず、どうふるまえばよいか戸惑っていることが、さらに事態を複雑にしている要因だということ。

問6 本文の内容と表現の特徴の説明として適当なものを、次の①~⑥のうちから二つ選べ。ただし、解答の順序は問わない。
①思わぬ出来事によって必ずしも居心地のよくない場所に置かれてしまった主人公夫婦の心の結びつきの強さが、二人の会話に主眼を置いたやや饒舌な文体で、共感を込めて描き出されている。
②複雑な人間関係の中でうまくふるまえない主人公の弱く繊細な心の動きが、一人称を基本としながら自分を冷静に見つめる視点を交えた語り口で、たくみに描き出されている。
③重病に陥った母親の枕もとで繰り広げられる主人公と彼の兄たちとの秘められた微妙な確執が、登場人物相互の内面にも自在に入り込んでいく多元的な視点から、私情を交えず描き出されている。
④立場の異なる人々の間に生じる避けがたい摩擦と、それを大きく包み込むような愛情のあり方が、主人公を中心とした人間群像の中から浮き彫りになるように描き出されている。
⑤母親の病気で帰郷することになった主人公夫婦の、これを契機として何とか兄たちとの関係を改善したいという切実な思いが、微妙に揺れ動く心理を含めて丹念に描き出されている。
⑥久方ぶりの帰郷で顔を合わせた親族に気兼ねしつつも、それでも甘えを捨てきれない主人公の内面が、人間の細やかな心の移ろいに焦点を定めた明晰な文章で描き出されている。
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、141頁~151頁)



<解答と解説>
問1 例の意味を聞く設問である。
(ア)閉口した ⑤困りはてた
  どうってことなく⑤が選べただろう。
(イ)難物  文脈上の意味と「字義通りの意味」とを合わせて聞く設問で、「本文中の意味として」という注意が生かされている。
文脈上は、①「理解しがたい人」でもいいような感じがするが、ここは「難物」の「字義通りの意味」を掛け合わせて、④扱いにくい人を選ぶ。
(ウ)具合がわるい 
 著者の理解では、こういう微妙な状況で、「私」とその妻とがこそこそ会話を交わしているような「不自然」なことをするのは「不適切」だから、そういう風に見られることは自分としては「不本意」であり、久しぶりに帰郷した不肖の息子としてもまったく「不出来」なことになってしまうから、総合的に考えるに、見られるのは「不都合」である、ということになる。
 正解は①不都合だ

問2 消去法では、次のようになる。
①は、「あたたかく自分を迎えようとしている人々」が間違い。
 「私」にはまだそういう確信はない。
②は、「母親に対して素直な気持ちになれなくなっている」が間違い。
素直になりすぎて涙が出そうなのだ。
④は、「反発を感じているから」が間違い。
 「困惑」はしているが、「反発」はしていない。
⑤は、全体にあまりにもへんてこりんだが、とくに前半が本文とは無関係。
こんなことはどこにも書いていない。
 消去法で、③が残る。

※また、「男泣きの文学史」を踏まえた枠組から読めば、③が正解であることが、ごく自然に見えてくるという。
 古典に出てくる男はよく泣くのに、泣くと男らしくないということになったのは近代になってからではないか、と丸谷才一(高名な文芸評論家)は書いた。
 丸谷の言うように、『平家物語』などは男泣きの文学とでも言いたくなるし、そのほかの古典の物語にも男泣きは多い。
 ところが、明治以降の文学では男泣きは「なんかヘン」という感じで書かれることが多いそうだ。
 問2の傍線部も、こういうコンテクスト(時代状況)の中で読まれるべきだ、と著者はいう。

 この時代には、男が人前で泣くことは男らしくない。だから男が泣くときは人目を忍んで泣くものだ、という一般的な型が出来上がってしまっていた。
 それは「安っぽい映画」(17行目)にもあるくらいだと、「私」も認識している。
 そこで、「私」は自分の純粋な母親への情愛を、そんな「安っぽい映画」の一場面みたいな形を真似ることで汚したくないと思っている。
 また、自分のこれまでしてきたことは、いまさらそういう「安っぽい」孝行息子を演じて許されるほど生やさしいものではないとも思っている。
 その上で「私」が涙をこらえることは、「私」が「孝行息子」ではなく、一人の自立した「男」として生きるきっかけにもなることが、「男泣きの文学史」を知っている人にはわかる、という。 
(近代以降は涙をこらえることが「男らしい」ことなのだから)
⇒こうした「男泣きの文学史」を踏まえた枠組みから読めば、正解が③であるとする。

問3 この設問は、「私」の「気持ち」の説明として、「適当でないもの」を選べという。
 このことは、一つの事態に複数の「気持ち」が起き得ると出題者が理解していることを示している。
 だからこそ、作者はそういうことをいちいち書かずに、「私は寒い暗闇の中にひとりでいた」とだけ書くのである。
 あとは、「気持ち」を読者が作ることになる。
 ただし、選択肢は、「気持ち」の説明というよりも、ほとんどこの時「私」の置かれていた状況の説明に費やされている。
「気持ち」を問う設問の多くが、実はその時の状況に関する情報処理問題になっている(受験小説の法則④)

 選択肢の作りは、意外と単純であるそうだ。
 ④と⑤の後半がよく似ていて、「適当でないもの」はこのどちらかだと予測がつくという。
 (受験小説の法則⑤)⇒どちらかが、情報処理として欠陥があることになる。
 そういう目で見ると、④の「人生の不可解さを実感している」という部分が、かなり実存的なことにまで踏み込んでしまっていて、フライング気味であることがわかる、とする。
 だから「適当でないもの」は④である。
 ④と⑤との後半を比較すると、⑤の方が曖昧な記述になっている。 
(ここでも、文脈に見合ったものは曖昧な記述の方だという法則③が生きているという)

問4 
 「私」の妻の気持ちなどわかるはずもない、と著者は断っている。
 「私」とはちがって、妻についてはほとんどなにも情報がないのだからという。
 そこで、問4では妻の「気持ち」を作ることになる。
 基準は物語文しかない、とする。
 『故郷』の物語文は「「私」が家族へ愛情を確かめる物語」である。
 こういう家族愛の物語には、健気(けなげ)な妻だけがふさわしい。
 ①のように、「夫の生家は必ずしも居心地のよいものではなく」といった我慢の出来ない性格では「旧家」の妻は務まらない。
②のように、「夫の単なる強がりを言っているのに過ぎないことに初めから気づいていた」ような賢(さか)しらな妻ではまずい。「早くこの地を去りたいと考えている」といった身勝手でも困る。
また、⑤のように、「夫はただ姑の心配をするばかりで少しも自分をかまってくれず」といった甘えん坊の妻では品位がない、と著者はいう。
⇒これらの否定的な事柄が書き込まれている選択肢は、家族愛の物語にふさわしくない健気な妻ではないというだけの理由で、一気に排除することが出来るとする(法則②)。
〇物語文の枠組から読むことだけが、選択肢の絞り込みを可能にする。
(妻の心理なんてわかりっこないのだから)
〇その上に、これらは学校空間にふさわしくない妻像なのである。
 「道徳的な枠組から読むこと」という学校空間に隠されたルールが、ここには働いているという(法則①)
※記号問題では「気持ち」は出題者が作る以上、出題者の思想がはっきり表れる。
 だから、「気持ち」を問う選択肢には隠されたルールが働きやすい。
 すなわち、学校空間の「気持ち」は「道徳」によって作られる。
 これらの選択肢を「正解」ではなく(いま時の「妻」たちなら、まったく普通の感じ方だろうに)、ダミーとして作ってしまったところに、出題者の思想の度合いが透けて見えるという。
(「なんと古くさい家族道徳観から作られた選択肢たちよ!」と著者は評している)

・残るは③と④である。ふたつとも、後半がよく似ている。
 過去問問題集の多くは、③の「北さんと長兄との間に立たされて苦悩している夫のことが心配でならず」の部分を間違いとする。理由は、この時の妻の「心配事」は自分たちがこの後どうなるかであって、それとは食い違うからという。
 著者は、例の法則を使って、解説している。
 つまり、「正解」は曖昧な記述の方だ、という法則③である。
 ③の「嫁という立場から積極的な行動は慎もうとしている」という記述と、④の「進んで夫の生家の人たちと交わる勇気を持てないでいる」という記述では、どちらが曖昧か。
 ⇒③は妻がもうこれっきり動かない感じがするが、④の方は曖昧な分、含みを残している。
 「正解」は④を選ぶしかないとする。

問5 まず、消去法で、消せるものは消す。
 ④の「生家の人々が最終的に問いかけてくるのは」は本文にそういう記述はない。
 ⑤の「兄たちを愛しているかどうか自分でもわからず」が本文とはまったく逆である。
 この二つを消去法で消すことができる。
 次に、「愛は「無償の愛」でなければならない」という学校空間に隠されたルール(つまり道徳的)から外れるものを排除する(法則①)
 ②の「根本的に解決するためには」と、③の「頭を悩ませている数々の問題も一気に解決するはず」という部分が、「解決のための愛」という功利主義の臭いがする、という。
 そこで、この二つは排除できる。
 最後の残ったのは、①だけである。
 その内容を確認すると、特に本文と矛盾するところはないことがわかる。
 ただ、①は何を言いたいのか、わからないほどぼんやりした記述の選択肢である。 
 ここでも、例のルールを思い出そう。
 「正解は曖昧な記述の中に隠れている」(法則③)

問6 残念ながら特効薬はないという。消去法でやっていくしかない。
 ①は、「主人公夫婦の心の結びつきの強さが、二人の会話に主眼を置いたやや饒舌な文体で」がおかしい。
 『故郷』は「「私」が家族への愛情を確かめる物語」(この場合の家族は実家のこと)だから、「夫婦の心の結びつき」が中心的なテーマではない。「やや饒舌」ではあるけれど、「会話に主眼を置いた」「文体」でもない。
 ②は特に問題となるところはない。
 「自分を冷静に見つめる視点」とは、たとえば「安っぽい映画」と同じになってしまわないように、涙をこらえる場面のことを言っている。
 ③は、「秘められた微妙な確執」がヘン。
 兄弟の「確執」は秘められてはいない。みんなが知っていることである。
 ④は、後半がヘン。
 「大きく包み込むような愛情のあり方」は「主人公を中心とした人間群像の中から浮き彫りに」なったりはしていない。
 ⑤はとくに問題を感じない。
 ⑥は、本文に「虫のいい甘ったれた考えかたは捨てる事だ」(77~78行目)とある以上、「それでも甘えを捨てきれない主人公」がおかしい。
 だから、「正解」は②と⑤である。
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、151頁~164頁)

【補足】
〇You Tubeの「個別クロス」の「【小説13】2002年 センター現代文小説」(2019年9月10日付)でも、この問題を解説している。
 本文を読む前に設問分析をすること、本文を区切りながら読むことなど、実践的なアドバイスをしている。
 くわえて、解き方としては、「アクション⇒心情⇒リアクション」といった図式で解説していて、わかりやすい。


過去問⑦ 気づかない恋――志賀直哉『赤西蠣太』


・「第四章 物語を読むこと、あるいは先を急ぐ旅」の「過去問⑦ 気づかない恋――志賀直哉『赤西蠣太』」より、信州大学(2001年度)の問題を解いてみよう。

〇作中の出来事は深刻だけれども、書き方が深刻でなくユーモアを十分味わえる物語。
 出題は信州大学(2001年度)、出典は志賀直哉『赤西蠣太』から。
 いわゆる伊達騒動に取材した時代小説と言うべき作品。
 国公立大学二次試験としては、素直な設問でやさしい方だという。
 

過去問⑦ 気づかない恋――志賀直哉『赤西蠣太』
 次の文章は志賀直哉「赤西蠣太(かきた)」の一節である。この文章を読んで、あとの問いに答えなさい。
 なお、登場人物の蠣太は内情を探るために、不忠を計る敵側に偽って奉公している侍であり、鱒次郎も同様の使命を持っている仲間である。この場面では、蠣太は内情の偵察を切り上げて本来の主人の所に戻りたいのであるが、どうやったら疑われずに屋敷を離れることができるかと、二人で話し合っている。

 蠣太は黙って弁当を食っている。鱒次郎は肴(さかな)をつまんだり酒を飲んだり、A時々広々とした景色を眺めたりしながら、やはり考えていた。
「どうだい。」鱒次郎は不意にひざをたたいて乗り気な調子で言いだした。「だれかに付け文をするのだ。いいかね。なんでもなるべく美しい、そして気位の高い女がいい、それにきみが艶書(えんしょ)を送るのだ。すると気の毒だがきみはひじ鉄砲を食わされる。みんなの物笑いの種になる。面目玉を踏みつぶすからきみも屋敷にはいたたまらない。夜逃げをする。――それでいいじゃないか。きみの顔でやればそれにまちがいなく成功する。この考えはどうだい。だれか相手があるだろう、腰元あたりに。年のいったやつはだめだよ。年のいったやつには恥知らずの物好きなのがあるものだから、そういうやつにあったら失敗する。なんでも若いきれいごとの好きなやつでなければいけない。」
 蠣太は乱暴なことを言うやつだと思った。しかし腹もたたなかった。そして気のない調子で、
「泥棒するよりはましかもしれない。」と答えた。
「ましかもどころか、こんなうまい考えはほかにはないよ。そうしてだれか心当たりの女はないかね。日ごろそういうことには疎い男だが……。」
 蠣太は返事をしなかった。
「若い連中のよくうわさに出る女があるだろう。」
「小江(さざえ)という大変美しい腰元がある。」
「小江か、小江に目をつけたところはきみも案外疎いほうではないな。そうか。B小江ならますます成功疑いなくなった。」
 蠣太はこれまで小江に対し恋するような気持ちをもったことはなかった。しかしその美しさはよく知っていた。そしてその美しさは清い美しさだということもよく知っていた。今その人に自分が艶書を送るということは、Cある他のまじめな動機をもってする一つの手段にしろ、あまりに不調和な、恐ろしいことのような気がした。
「小江ではなくだれかほかの腰元にしよう。」
「いかんいかん。そんな色気を出しちゃ、いかん。」こう言った鱒次郎にも今は冗談の調子はなくなっていた。D色気という意味はどういうことかよくわからなかったが、蠣太はどうしても小江にそういう手紙を出すことはいかにも不調和なことでかつ完(まった)き物にしみをつけるような気がして気が進まなかった。しかしもし鱒次郎のいう成功に、若い美しい人がどうしても必要だとすると小江以外に蠣太の頭にはそういう女が浮かんでこなかった。そこで彼は観念して小江を相手にすることを承知した。
「それなら艶書の下書きをしてくれ。」と蠣太が言った。
「それは自分で書かなくてはだめだ。おれが書けばおれの艶書ができてしまう。なにしろ相手が小江だから、おれが書くと気が入りすぎて、ころりとむこうをまいらすようなことになるかもしれないよ。」
 蠣太は苦笑した。そしてE鱒次郎が書くより、まだ自分の書くほうが小江を汚さずに済ませるだろうと思った。
 F風が出てきたので二人は舟を返した。仙台屋敷はちょうど帰り道だったから蠣太は鱒次郎のところへ寄った。G二人は久しぶりで将棋の勝負を争った。

問一 傍線部A「時々広々とした景色を眺めたりしながら」とか、傍線部F「風が出てきたので二人は舟を返した。」とあるようにこの場面は釣りに出た水上での場面である。なぜ、二人は釣りに出たのかその理由を説明しなさい。

問二 傍線部B「小江ならますます成功疑いなくなった。」とあるが、なぜ鱒次郎が「成功疑いなくなった。」と考えたのか説明しなさい。

問三 傍線部C「ある他のまじめな動機」とはなにを指しているのか説明しなさい。
問四 傍線部D「色気という意味はどういうことかよくわからなかった」とあるが、鱒次郎はどういう意味で「色気」といっているのか、説明しなさい。
問五 傍線部E「鱒次郎が書くより、まだ自分の書くほうが小江を汚さずに済ませるだろ
うと思った。」とあるが、なぜ蠣太がこう思ったのか説明しなさい。
問六 傍線部G「二人は久しぶりで将棋の勝負を争った」とあるが、この一文によって二人のどういう心理が表現されることになるのか説明しなさい。
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、213頁~217頁)



<解答と解説>
・『赤西蠣太』は恋が始まったその時を実に上手く捉えている。
 しかも、主な登場人物の名前を魚介類の名で統一するなど、適度ないたずらも仕掛けてあって、あの忘れられそうな小さな日常の出来事を丹念に書き込んだ私(わたくし)小説作家とは思えない、例の「小説の神様」(志賀の作品『小僧の神様』をもじったもの)と呼ばれた志賀直哉の面目躍如たる一作である。
 設問はこの場面のポイントを過不足なく掬い取っている。
(信州大学はいつもいい感じの小説問題を出す、と著者は評している。出題者の中に小説読みの名手がいるのだろう、と賞賛している。)

問一 簡単な問いである。
 「屋敷の者に聞かれる心配もなく、密談が出来るから。」
 ちなみに、夏目漱石の『坊っちゃん』でも、新米教師の<坊っちゃん>を味方に引き入れるために赤シャツ一派のやったことは、<坊っちゃん>を釣りに誘うことだった。


問二 ここで言う「成功」とは、蠣太が屋敷に仕える女性に「艶書」(ラブレターである)を送って、みごと振られることを言っている。
 「小江という大変美しい腰元」(16行目)と、「きみの顔でやれば」(6行目)と鱒次郎に言われてしまう蠣太とでは釣り合いがとれないこと甚だしいから、「成功疑いなくなった」のである。
 「大変美しい小江なら、ぶ男の蠣太を振ることは間違いないと思われたから。」

問三 ここは前説を最大限に利用する。
 「不忠を計る敵側の内情を偵察し終えたので、報告に戻るために、疑われずに敵の屋敷から夜逃げをする口実を作ること。」
 自分の口から出た名前とは言え、美しく清い小江を謀(はかりごと)の口実に利用することの後ろめたさが「恋」に変わっていくことに、蠣太自身はまだ気づいていない。
 「蠣太はこれまで小江に対し恋するような気持ちをもったことはなかった」(19行目)とあるので、かえって読者にはこれが恋のはじまりだということも、蠣太がそれに気づいていないことも、はっきりとわかる。
 
問四 何かをやろうとしている人に、「そんなに色気を出しちゃあ、うまくいかないよ」とでも言えば、「期待以上にみごとにやろうとすると、失敗するよ」という意味になる。ここも同様。
 鱒次郎は蠣太がほんとうに腰元をモノにしようとしていると思ったのだ。
 「振られることが目的なのに、蠣太が振られそうもない女性を選んでしまうこと。」

問五 ここは「恋をしたから」と答えてしまってはまずい。
 「小江に艶書を送るのは謀のためにすぎないが、あの美しく清い小江に他人の書いた艶書を送るのは、同じ小江の心を踏みにじるにしても、あまりにも誠実さに欠けると思ったから。」
 いかにも道徳的に結構な答案であるという(法則①)

問六 「どういう心理が表現されることになるのか」という冷めた聞き方が、いい、と著者は評している。
 ふつうなら「どういう心理が表現されているか」と聞いてしまうところ。
(小説の表現に対するこうした意識の高さが、質の高い問題を生むのだろうという)
 ポイントは、傍線部の「久しぶりで」という一語である。
 敵方の屋敷に住み込んで心の安まらない日々を過ごしていただろう二人が、「久ぶりで」ゆとりのある時間を過ごしたのである。
 でも「心にゆとりが生まれたから」だけではほとんど点が出ないだろうという。
 「無事に夜逃げが出来そうな方法を思いついたので、後は実行あるのみという心のゆとり。」
<ポイント>
※こういう「気持ち」を問う設問には、傍線部の前後(本文全体を押さえる必要がある場合もあるが)の状況をまとめた情報処理で字数を稼ぐという、法則④を思い出すこと。
 (これは、是非覚えておいてほしいという)
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、217頁~220頁)

過去問⑨ 恋は遠い日の花火ではない――野上弥生子『茶料理』


・第五章 小説的物語を読むこと、あるいは恋は時間を忘れさせる
     過去問⑨ 恋は遠い日の花火ではない――野上弥生子『茶料理』
〇広島大学(2001年度)の問題
 出典は野上弥生子『茶料理』による。
 こういう抑制の利いた会話は、年の若い君たちにはちょっとまどろっこしく感じられるかもしれない。
 でも、国公立大学二次試験ではこういう古風な文章からの出題が主流なのだから、こういう「恋」を知っておくのもいいことだ、と著者はいう。

 次の文章は、野上弥生子の「茶料理」の一部である。中心人物である建築家の依田と、学生時代に下宿した家の娘であった久子とは、互いに淡い恋心を抱いていた。十年以上の後、二人は上野東照宮下の茶料理屋で再会した。久子は、自分の友人つね子と妻のある画家Hとの実らざる恋のことを話題にする。これを読んで、後の問いに答えよ。

 Hがフランスへ行ったのはその後間もなくであった。一、二年の間は、時々思わせぶりな葉書などを寄越した。つね子は一度も返事を書かなかった。彼の不幸な妻のことを考えた。思いきらなければならないのだと思った。その決心は、自分の心がどんなに強く彼に結びつけられているかをいよいよはっきり思い知らせただけだった。ある場合、つね子は①犯さぬ罪を惜しんだ。それがためには一生を日陰の身で終わったとしても満足であろう。Hが想像以上の女たらしであったのを知ったあとでさえ、思慕は減じなかった。つね子はすべての縁談を、嫌悪からでない場合も②潔癖から断った。その秘密な火が消えない以上、どんな仕合わせな結婚にも近づく権利はないのだと信じた。実際、一切の幸運と、取り返しのつかない若さが、そのあいだに彼女を見捨てた。今はただ音信さえ絶えたHの帰りを待つこと、もう一度――死の瞬間でもいいから彼に逢おうと思うことの外には、地上の望みはなかった。巴里(パリ)からのHの訃音(ふいん)は、彼女の生きる目標を突然奪ったものであった。
 その死が新聞で公にされた明けの日、つね子は久子をたずねて来て、はじめて打ち明け話をした。考えてみると、Hと知り合いになった当座の一と月は、楽しいよりは苦しさと恐ろしさが先に立った。ほんとうの夢見ごこちで、なにもかも忘れ尽くした恍惚状態になれたのは、二人で郊外の停車場におちあい、まわりの田舎道を散歩した間の一時間半であった。その一時間半のために彼女の心は十三年間彼にしばりつけられ、悩みとおして来たのだといって泣いた。――
「もし望みどおりHさんに逢えたら、おつうさんにはたった一と言ぜひいいたいことがあったのですって。」
「どういうことです。」
「あなたにはほんの気まぐれに過ぎなかったことが、わたしの一生を支配しました。」
 以上の言葉をわざと無技巧に、女生徒の暗誦みたいにつづけた久子を、③依田は愕然とした、しかしすぐ落ちつきを取りかえした、厳粛な表情で見詰め、自制の調子で、口を開いた。
「久子さん、ついでにあなたの一言を聞かせて頂きましょうか。」
④「――」
「あなたはつね子さんじゃありません。決して、そんな不仕合わせな人といっしょにして考うべきではない。あなたは立派なご主人があり、世の中の誰よりも幸福に暮らしていらっしゃるのだと信じたい。実際、僕はそう信じています。しかし、昔の――あの当時の僕の意気地なさは、あなたにどんなに責められても、侮辱されてもいいはずです。だから――」
「侮辱されるならわたしの方ですわ。」
 久子はあわただしく遮りながら、「あれから二年とたたないうちに、わたしは平気で、いいえ、
従弟との面倒がなくなるので、大悦びで今の夫と結婚したのですもの。」
「そんなことをいえば誰でも同罪ですよ。今朝の電話の声を聞くまで、あなたのことなぞ僕は思い出しもしないで暮らして来られた。」
「じゃ、わたしの方が、それでもいくらか情があったわけね。」
 短い、回顧的な沈黙をうけて久子はしずかに言葉をついだ。「どうかするとあなたのことを思い出しましたもの。いつだかわからない、この世でか、また先の世でか、それもわからないが、今日のようにお目にかかって、昔話をする日がきっとありそうに思えましたわ。その時いおうと思ったのは、もちろんつね子さんのいいたかったこととは別ですし、もっと短い、それこそ一と言で尽きることなの。――あの時は有り難うございました。」
⑤「――」
「それだけ、――だって。内輪のごたごたや、従弟とのいやな結婚問題で真っ暗になっていたあの頃のわたしの気持ちでは、相手次第でどんな無茶もやり兼ねなかったのですもの。――逃げろといえば一しょに逃げたかも知れませんわ。死ぬといえば死んだかもしれませんわ。でも、あなただからこそ、その怖ろしい瀬戸も無事に通り抜けさして下すったのだと、しみじみ思ってますわ。」
「しかし、僕はあなたがそんなに苦しんでいたなんてことは夢にも知らなかったから、ただ幸福な、忌憚なくいえば、――」
 久子の眼にはじめて二滴の涙をみとめた依田は、わざと誇張した快活さでつけ加えた。
「どうも、恐ろしくわがままなお嬢さんだと思ってただけです。」
 効果はあった。久子の涙はその言葉ですぐかすかな微笑に変わった。
「ことにあなたにはね。どうせついでだから謝りましょうか。」
「それには少し遅すぎたようだ。」
「お気の毒さま。」
 二人ははじめて口に上ったじょうだんを、あまり年寄りすぎもしなければ、またあまり若すぎもしない、ちょうど彼らの年配に似合ったおちつきと平静さとでいいあい、そういう間柄の男女だけで笑える笑い方で笑った。親しみにまじる淡い寂しさと渋みにおいて、それはなんとなしに、かれらが今そこで味わっている料理の味に似ていた。
 一時間の後、依田は久子を見送るために広小路のガレジの前に立っていた。久子はもう車に乗っていた。エンジンの工合が悪いらしく急に出なかった。運転手は一旦握ったハンドルを離して飛びおり、しゃがんだ。⑥道順からすれば依田は途中までいっしょに乗って行けたのであるが、避けた。久子も誘わなかった。調子が直って車が動きだすと、久子は爆音の中から高く呼んだ。
「では、さようなら。」
「さようなら。」
 依田も応じた。お互いのさようならが、⑦ほんとうは何にむかって叫びかけられているかは、お互いが知っていた。彼は広小路の光の散乱の中を、淡く下りた靄を衝いて駆けて行く車を見送りながら、もくもくと、ひとり電車路の方へ歩いた。


問一 傍線部①に「犯さぬ罪を惜しんだ。」とある。これは、どういうことを言っているのか。わかりやすく答えよ。

問二 傍線部②に「潔癖から断った。」とある。この場合、つね子が「潔癖」であるとはどういうことか。簡潔に説明せよ。
問三 傍線部③に「依田は愕然とした、しかしすぐ落ちつきを取りかえした、厳粛な表情で見詰め、自制の調子で、口を開いた。」とある。このときの依田の気持ちを、この前後の登場人物の言動を踏まえて説明せよ。
問四 傍線部④の話者はどうして沈黙したのか。その理由を簡潔に述べよ。
問五 傍線部⑤に「『――』」とある。この話者はどうして沈黙したのか。その理由をわかりやすく述べよ。
問六 波線部のやりとりにうかがえる二人の心境をわかりやすく説明せよ。
問七 傍線部⑥に「道順からすれば依田は途中までいっしょに乗って行けたのであるが、避けた。久子も誘わなかった。」とある。二人が帰りの車をともにしなかった理由を簡潔に説明せよ。
問八 傍線部⑦に「ほんとうは何にむかって叫びかけられているかは、お互いが知っていた。」とある。二人の別れのあいさつは本当は何に向かって叫びかけられていたのか。簡潔に述べよ。
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、237頁~241頁)




<解答と解説>
問一 「犯さぬ罪を惜しんだ」とは、ずいぶん思い切って持って回った言い方だが、言いたいことはわかるであろう。
 要するに「妻のある画家Hと肉体関係を持たなかったことを、悔やんだということ。」

問二 「Hに操(みさお)を立てたということ。」ではぶっきらぼうすぎる。
  傍線部②の直後の「その秘密な火が消えない以上、どんな仕合わせな結婚にも近づく権利はないのだと信じた」(6~7行目)という文章を上手く言い換えればいい。
 「自分にHを思う気持ちがある以上、他の人との結婚は出来ないと強く思ったということ。」

問三 設問に「このときの依田の気持ちを、この前後の登場人物の言動を踏まえて説明せよ」とある。
 「気持ち」を聞く設問は前後の文脈の情報処理である(法則④)
 正直なことに、そのことを設問でちゃんと指示しているわけである。こういう当たり前のことをわざわざ書くということは、前後の文脈と関係なく答案を書く人が多いのだろう。
 「依田は、つね子の言葉に託して久子の思いを聞いてショックを受けたが、久子がいまでも同じ思いでいるのかどうかを確かめる覚悟を決めたのである。」

問四 「沈黙」の意味を答えよとは、酷なことである。
 けれど、ものすごくいいポイントを突いてきている。
 ここも、「この前後の登場人物の言動を踏まえて」考えるべきところである。
「つね子の言葉に託して自分の思いを伝えてはみたが、改めて問われると、いまの自分の思いを答えなくてはならなくなることに気づいて、困惑しているから。」
※この後の依田の言葉をよく読んでほしい。
 <いまのあなたは不幸ではないが、しかし、たしかに昔の僕は意気地がなかった>と、一見自分の責任を認めていながら、その実「いま」と「昔」とを巧妙に分断して、すでに自分は責任を取る必要がなくなったと語っていることがわかるだろう。
 なぜか。二人にとって、「いま」の気持ちだけは決して口にしてはならないからである。
 答案は、そこを読み込んだものであるという。

問五 傍線部⑤の前後の久子の言葉をよく読んでほしい。
 <ずっとあの世でも会いたいと思っていたし、あの時は死ぬと言えばいっしょに死んだ>というレトリックになっていて、依田の「いま」と「昔」とを巧妙に分断する語りとは違って、「今も昔も」あたなを思っていると言っていることになる。
 ところが、その思いを「あの時は有り難うございました」と、過去のこととしてさらりと感謝の言葉を口にすることで、「いま」の思いなどまるで言わなかったことにしている。
 言ったのに言わなかった――たぶん久子の方により切ない思いがある。だから、久子は依田よりもはるかに巧妙にこの場面を切り抜ける必要があった。
 ただし、当然のことながら、この設問には傍線部⑤より前にある久子の言葉だけを頼りに解答しなければならない。
 「久子の依田に対する思いを語った直前の言葉からして、もっと重大な告白か、逆にかつての意気地のなさをなじるような言葉を聞かされると思っていたのに、あっさりとした感謝の言葉を聞かされて、その意図が理解できなかったから。」

問六
 受験用の解答としては、
「若い頃の思いを冗談交じりに語れるようになったいまの自分たちの年齢を感じながら、心の奥では寂しさと渋みとを感じている。」
 著者の独自の解答としては、
「過去の思いがいまの思いに変化しそうな危険を感じ取った依田が、冗談めいた口調で久子の思い詰めた言葉を引き取ったので、久子も安心してその冗談に乗ることが出来たが、その裏では彼らなりの寂しさと渋みを味わわされてもいた。」
(解答の前半は、「久子の眼にはじめて二滴の涙をみとめた依田は、わざと誇張した快活さでつけ加えた」(46行目)という一文を重く見た読みであるという)

問七 模範解答としては、
 「いまの二人はもう淡い恋心を抱いていたかつての二人ではなく、互いに異なった人生を歩んでいるという自覚があったから。」
 著者の解答としては、
「せっかく冗談に紛らわした過去の思いが、いまの思いに変化しては困るから。」

問八 模範解答としては、
 「かつてのお互いの思いに。」
 著者の解答としては
 「いま言葉にならない言葉で確認し合ったお互いの思いに。」
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、244頁~248頁)


過去問⑭ いっしょに死んで下さい――横光利一『春は馬車に乗って』


・第七章 小説を読むこと、あるいは時間を止める病
     過去問⑭ いっしょに死んで下さい――横光利一『春は馬車に乗って』

横光利一『春は馬車に乗って』 広島大学(1999年度)の問題。
 読者に対しても、受験生に対しても、ひどく残酷な問題、と著者は評している。
 よくこの文章から出題する気持ちになってきたものだと思う、とする。
 とにかく、本文が無茶苦茶に難しい。広島大学も、この頃までは受験生を信じていたのだろうか、と記している。

過去問⑭ いっしょに死んで下さい――横光利一『春は馬車に乗って』
 次の文章は、横光利一の小説『春は馬車に乗って』の一節で、肺結核の妻とそれを看病する夫との会話が中心となっている。当時、肺結核は不治の病であり、海辺や高原など空気の良いところに転地し、鳥の卵や内臓など滋養のあるものを食べて療養するほかなかった。これを読んで後の問いに答えよ。

 ダリアの茎が干枯びた縄のように地の上でむすぼれ出した。潮風が水平線の上から終日吹き付けて来て冬になった。
 彼は砂風の巻き上がる中を、一日に二度ずつ妻の食べたがる新鮮な鳥の臓物を捜しに出かけて行った。彼は海岸町の鳥屋という鳥屋を片端から訪ねていって、そこの黄色い俎(まないた)の上から一応庭の中を眺め廻してから訊(き)くのである。
「臓物はないか、臓物は」
 彼は運良く瑪瑙(めのう)のような臓物を氷の中から出されると、勇敢な足どりで家に帰って妻の枕元に並べるのだ。
「この曲玉(まがたま)のようなのは鳩の腎臓だ。この光沢ある肝臓はこれは家鴨(あひる)の生肝だ。これはまるで、嚙み切った一片の唇のようで、この小さい青い卵は、これは崑崘山(こんろんさん)の翡翠のようで」
 すると、彼の饒舌に扇動された彼の妻は、最初の接吻を迫るように、華やかに床の中で食慾のために身悶えした。彼は惨酷に臓物を奪い上げると、直ぐ鍋の中へ投げ込んで了うのが常であった。
 妻は檻のような寝台の格子の中から、微笑しながら絶えず湧き立つ鍋の中を眺めていた。
「お前をここから見ていると、実に不思議な獣だね」と彼は云った。
「まア、獣だって、あたし、これでも奥さんよ」
「うむ、臓物を食べたがっている檻の中の奥さんだ。お前は、いつの場合に於ても、どこか、ほのかに惨忍性を湛(たた)えている」
「それはあなたよ。あたなは理智的で、惨忍性をもっていて、いつでも私の傍らから離れたがろうとばかり考えていらしって」
「それは、檻の中の理論である」
 彼は、a彼の額に煙り出す片影のような皺さえも、敏感に見逃さない妻の感覚を誤魔化すために、この頃いつもこの結論を用意していなければならなかった。それでも時には、妻の理論は急激に傾きながら、かれの急所を突き通して旋廻することが度々あった。
「実際、俺はお前の傍らに坐っているのは、そりゃいやだ。肺病と云うものは、決して幸福なものではないからだ」
 彼はそう直接妻に向かって逆襲することがあった。
「そうではないか。俺はお前から離れたとしても、この庭をぐるぐる廻っているだけだ。b俺はいつでも、お前の寝ている寝台から綱をつけられていて、その綱の画(えが)く円周の中で廻っているより仕方がない。これは憐れな状態である以外の、何物でもないではないか」
「あなたは、あなたは、遊びたいからよ」と妻は口惜しそうに云った。
「お前は遊びたかないのかね」
「あなたは、他の女の方と遊びたいのよ」
「しかし、そう云うことを云い出して、もし、そうだったらどうするんだ」
 そこで、妻が泣き出して了うのが例であった。彼は、はツとして、また逆に理論を極めて物柔らかに解きほぐして行かねばならなかった。
「なるほど、俺は、朝から晩まで、お前の枕元にいなければならないと云うのはいやなのだ。それで俺は、一刻も早く、お前をよくしてやるために、こうしてぐるぐる同じ庭の中を廻っているのではないか。これには俺とて一通りのことじゃないさ」
「それはあなたのためだからよ。私のことを、一寸(ちょっと)もよく思ってして下さるんじゃないんだわ」
 彼はここまで妻から肉迫されて来ると、当然彼女の檻の中の理論にとりひしがれた。だが、果たして、自分は自分のためにのみ、この苦痛を嚙み殺しているのだろうか。
「それはそうだ、俺はお前の云うように、俺のために何事も忍耐しているのにちがいない。し
かしだ、俺が俺のために忍耐していると云うことは、一体誰故にこんなことをしていなければ、ならないんだ。俺はお前さえいなければ、こんな馬鹿な動物園の真似はしていたくないんだ。そこをしているというのは、誰のためだ。お前以外の俺のためだとでも云うのか。馬鹿馬鹿しい」
 こう云う夜になると、妻の熱は定(きま)って九度近くまで昇り出した。彼は一本の理論を鮮明にしたために、氷嚢の口を、開けたり閉めたり、夜通ししなければならなかった。
 しかし、なお彼は自分の休息する理由の説明を明瞭にするために、cこの懲りるべき理由の整理を、殆ど日日し続けなければならなかった。彼は食うためと、病人を養うためとに別室で仕事をした。すると、彼女は、また檻の中の理論を持ち出して彼を攻めたてて来るのである。
「あなたは、私の傍らをどうしてそう離れたいんでしょう。今日はたった三度よりこの部屋へ来て下さらないんですもの。分かっていてよ。あなたは、そう云う人なんですもの」
「お前という奴は、俺がどうすればいいと云うんだ。俺は、お前の病気をよくするために、薬と食物とを買わなければならないんだ。誰がじっとしていて金をくれる奴があるものか。お前は俺に手品でも使えと云うんだね」
「だって、仕事なら、ここでも出来るでしょう」と妻は云った。
「いや、ここでは出来ない。俺はほんの少しでも、お前のことを忘れているときでなければ出来ないんだ」
「そりゃそうですわ。あなたは、二十四時間仕事のことより何も考えない人なんですもの、あたしなんか、どうだっていいんですわ」
「お前の敵は俺の仕事だ。しかし、お前の敵は、実は絶えずお前を助けているんだよ」
「あたし、淋しいの」
「いずれ、誰だって淋しいにちがいない」
「あなたはいいわ。仕事があるんですもの。あたしは何もないんだわ」
「捜せばいいじゃないか」
「あたしは、あなた以外には捜せないんです。あたしは、じっと天井を見て寝てばかりいるんです」
「もう、そこらでやめてくれ。どちらも淋しいとしておこう。俺には締切りがある。今日書き上げないと、向こうがどんなに困るかしれないんだ」
「どうせ、あなたはそうよ。あたしより、締切りの方が大切なんですから」
「いや、締切りと云うことは、相手のいかなる事情をもしりぞけると云う張り札なんだ。俺はこの張り札を見て引き受けて了った以上、自分の事情なんか考えてはいられない」
「そうよ、あなたはそれほど理智的なのよ。いつでもそうなの、あたし、そう云う理智的な人は、大嫌い」
「お前は俺の家の者である以上、他から来た張り札に対しては、俺と同じ責任を持たなければならないんだ」
「そんなもの、引き受けなければいいじゃありませんか」
「しかし、俺とお前の生活はどうなるんだ」
「あたし、あなたがそんなに冷淡になる位なら、死んだ方がいいの」
 すると、d彼は黙って庭へ飛び降りて深呼吸をした。それから、彼はまた風呂敷を持って、その日の臓物を買いにこっそりと町の中へ出かけていった。
 しかし、eこの彼女の「檻の中の理論」は、その檻に繋がれて廻っている彼の理論を、絶えず全身的な興奮をもって、殆ど間髪の隙間をさえも洩らさずに追っ駆けて来るのである。このため彼女は、彼女の檻の中で製造する病的な理論の鋭利さのために、自分自身の肺の組織を日日加速度的に破壊していった。
 彼女のかつての円く張った滑らかな足と手は、竹のように痩せて来た。胸は叩けば、軽い張り子のような音を立てた。そうして、彼女は彼女の好きな鳥の臓物さえも、もう振り向きもしなくなった。



問一 傍線部aに、「彼の額に煙り出す片影のような皺」とある。これは、何をたとえているか。わかりやすく説明せよ。

問二 傍線部bに、「俺はいつでも、お前の寝ている寝台から綱をつけられていて、その綱の画く円周の中で廻っているより仕方がない」とある。これと、ほぼ同じ内容を表現している箇所を、文章中から十字以内で抜き出して書け。

問三 傍線部cに、「この懲りるべき理由」とある。なぜ、「懲りるべき」と言っているのか。四十字以内で説明せよ。

問四 傍線部dに、「彼は黙って庭へ飛び降りて深呼吸をした」とある。これは、彼のどのような気持ちを示しているか。わかりやすく説明せよ。

問五 傍線部eに、「この彼女の『檻の中の理論』は、その檻に繋がれて廻っている彼の理論を、絶えず全身的な興奮をもって、殆ど間髪の隙間をさえも洩らさずに追っ駆けて来るのである」とある。
1 「彼女の『檻の中の理論』」とは、どのようなものか。六十字以内で説明せよ。
2 「彼の理論」とは、どのようなものか。四十字以内で説明せよ。
3 「絶えず全身的な興奮をもって、殆ど間髪の隙間をさえも洩らさずに追っ駆けて来る」とは、どのような状況の比喩か。五十字以内で説明せよ。

(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、297頁~303頁)

<解答と解説>
問一 直前の妻の言葉に「いつでも私の傍らから離れたがろうとばかり考えていらしって」(18~19行目)とあるのを踏まえて答える。
 「妻の傍らから離れたいという思い。」
(ただし、離れたい理由については確定できないのだから、「遊びたくて」とか「仕事がしたくて」とかは書かない方がいいだろう。)

問二 「馬鹿な動物園の真似」(9字、44行目)
  実際、動物園の動物は傍線部bみたいに、飽きもせずに同じところをぐるぐる回っている。

問三 夫が<自分はお前のために仕事をしなくてはならないので、お前のそばにはいられないのだ>という至極もっともな「理論」を述べると、それがわかっているだけに、妻の具合は悪くなる。そのことを答える。
 「妻を納得させるための理論が容態を悪化させ、一晩中看病しなければならなくなるから。」
(40字)

問四 「気持ち」を聞く設問には、傍線部dの直後の彼の行動を踏まえて、情報処理を忘れずに(法則④)。
 合格のための解答は、次のようになるという。
 「死を口にした妻をそれ以上追い込むことは出来ないので、冷静になるためにいったん妻のそばを離れ、気を取り直して看病を続けようとする気持ち。」

問五 妻と夫の言い分を一つ一つ解きほぐすように聞く設問。 
   全体を踏まえて、それぞれの言い分をまとめる。
1 「夫はお前のために仕事をしていると言うが、本当は自分には冷淡で、実は仕事も自分から離れるための口実にすぎないという理論。」(59字)
2 「自分は妻の療養費と二人の生活費のためだけに仕事をしているのだという理論。」(36字)
3 「妻が、夫が自分以外のものへほんの少しでも関心を移すと、冷淡だ言って激しく夫を責め立てる状況。」(47字)

<著者のコメント>
・著者なら、「あたし、あなたがそんなに冷淡になる位なら、死んだ方がいいの」(78行目)に傍線を引き、「このあと、妻が言いたかった言葉は何か」とだけ聞くという。
 そんな入試問題を一度は作ってみたいとする。
・これらの設問は、とりあえず、奇妙な表現を、わかりやすくて安全な散文に「翻訳」することを求めているだけであるという。 
(そこには、危険な愛情もメタファーの面白さもない。だから、それは小説を読むことからは、ずいぶん遠く離れた仕事だ、とコメントしている。)
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、308頁~310頁)



≪大学受験の国語の小説問題~石原千秋氏の著作より その1≫

2022-12-19 19:19:02 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪大学受験の国語の小説問題~石原千秋氏の著作より その1≫
(2022年12月19日投稿)

【はじめに】


 以前のブログでは、石原千秋氏の著作『秘伝 大学受験の国語力』新潮選書、2007年[2008年版]、〇石原千秋『教養としての大学受験国語』ちくま新書、2000年[2008年版]をもとに、大学受験国語の国語力、評論問題を考えてみた。
 今回のブログでは、石原千秋氏の次の著作をもとに、大学受験国語の小説問題を解いてみたい。
〇石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]
 著者によれば、同じ文章でも、小説と評論とでは、読み方が違うという。評論は書いてあることが理解できれば読めたことになるのに対して、小説は書いてないことを読まなくては読めたことにならない。評論の読解では、「頭の良さ」だけが問題となるが、小説の読解では、「想像力」が問題となる。「行間を読むこと」が、小説には求められる。「行間を読む」ことが求められるのが、大学受験の小説であるそうだ。
 この本では、まずセンター試験の小説を、五つの法則を使いながら4題解いて、受験国語の小説の解き方を研究している。その方法は大学受験小説一般に通用する。だから、国公立大学の二次試験にも応用が利く。その方法とは、メタファーで解くということであるようだ。



【石原千秋氏のプロフィール】
・1955年生まれ。成城大学大学院文学研究科国文学専攻博士課程中退。
・現在、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。
・専攻は日本近代文学
・現代思想を武器に文学テクストを分析、時代状況ともリンクさせた斬新な試みを提出する。
・また、「入試国語」を中心に問題提起を行っている。





【石原千秋『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)はこちらから】
石原千秋『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)





〇石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]

【目次】
・はじめに
・序章 小説は何を読むのか、あるいは小説は読めない
・第一部 小説とはどういうものか――センター試験を解く
・第一章 学校空間と小説、あるいは受験小説のルールを暴く
     過去問① 学校空間の掟――山田詠美『眠れる分度器』
・第二章 崩れゆく母、あるいは記号の迷路
     過去問② メタファーを生きる子供――堀辰雄『鼠』
・第三章 物語文、あるいは消去法との闘争
     過去問③ 女は水のように自立する――津島佑子『水辺』
     過去問④ 男は涙をこらえて自立する――太宰治『故郷』

・第二部 物語と小説はどう違うのか――国公立大学二次試験を解く
・第四章 物語を読むこと、あるいは先を急ぐ旅
     過去問⑤ 血統という喜び――津村節子『麦藁帽子』
     過去問⑥ 貧しさは命を奪う――吉村昭『ハタハタ』
     過去問⑦ 気づかない恋――志賀直哉『赤西蠣太』
・第五章 小説的物語を読むこと、あるいは恋は時間を忘れさせる
     過去問⑧ ラブ・ストーリーは突然に――三島由紀夫『白鳥』
     過去問⑨ 恋は遠い日の花火ではない――野上弥生子『茶料理』
・第六章 物語的小説を読むこと、あるいは重なり合う時間
     過去問⑩ 母と同じになる「私」――梅宮創造『児戯録』
     過去問⑪ 父と同じになる「私」――横光利一『夜の靴』
・第七章 小説を読むこと、あるいは時間を止める病
     過去問⑫ 自然の中で生きる「私」――島木健作『ジガ蜂』
     過去問⑬ 人の心を試す病――堀辰雄『菜穂子』
     過去問⑭ いっしょに死んで下さい――横光利一『春は馬車に乗って』

・あとがき




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・小説と評論
・本書の構成
・小説の何が読めないのか
・小説と物語
・「隙間の名手」川端康成の『千羽鶴』
・受験小説を解くための五つの法則

その2
・過去問④太宰治『故郷』
・過去問⑦志賀直哉『赤西蠣太』
・過去問⑨野上弥生子『茶料理』
・過去問⑭横光利一『春は馬車に乗って』






小説と評論


「はじめに」において、著者は次のようなことを述べている。
・受験国語で、評論なら解けるのに、小説だとからきし解けない人がいる。
 小説が読める読めないという言い方には、たとえば評論が読める読めないという言い方とはまた違った響きがある。
 評論が読めない人は単に読解力がないか、もっと悪い場合でも、単に頭が悪いというほどの意味しか持たない。それに対して、「小説が読めない」となると、人生の機微のわからないつまんない人、人の気持ちがわからない朴念仁(ぼくねんじん)という微妙なニュアンスが伴うものらしい。
(人格まで否定されるほどの感じはなくとも、人間として感情の方面に大きな欠陥があるように感じさせられるところがある)

・同じ文章でも、小説と評論とでは、読み方が違うようだ。

 評論は書いてあることが理解できれば読めたことになるのに対して、小説は書いてないことを読まなくては読めたことにならない。
 受験国語であれば、評論は書いてあることを別の言葉で説明し直せば答えたことになるのに対して、小説は書いてないことに言葉を与えなければ答えたことにならない。

・人生の機微をくどくど説明した小説は二流だし、人の気持ちは書き込むものではなく読み取るものである。そういうことは読者の仕事なのである。
だから、評論の読解では、「頭の良さ」だけが問題となるが、小説の読解では、「想像力」が問題となる。
 俗に言う「行間を読むこと」が、小説には求められる。
 それの出来る人が「小説が読める人」である。
※「行間を読むこと」に才能が関わることは、著者は否定しない。
 たしかに、「読める」人ははじめから「読める」ようだ。
 しかし、「想像力」の働かせ方をきちんと学べば、多くの人は「読める」ようになるという。
⇒ことに受験国語の小説であれば、問われることは限られているから、勉強の仕方さえ間違えなければ、多くの人は「読める」ようになるそうだ。
 小説の読解が「もともと出来る人は勉強しなくても出来る」のは事実だが、コツさえ摑めばそうでない人も「出来る」ようになる。

※大学受験の小説こそが「書いてないこと」を聞いている。
 なによりも「行間を読む」ことが求められるのが、大学受験の小説である。
 だから、「書いてないこと」にどうやって言葉を与えればいいのか、その基本を学ぶことが出来る。
 しかも、国公立大学の二次試験では、設問のほとんどがあらかじめ読み方を指定してしまっている記号式ではなく、読むポイントだけが指定してある記述式で問われているために、ゼロに近い地点から言葉を紡ぎ出さなければならない。それは、「想像力」の仕事である、と著者は強調している。
 
・センター試験の小説は、多くの場合かなり強い思いこみによって設問が作られているから、いったん出題者と読みの枠組がズレてしまうと、全問不正解の憂き目に会うことさえあるようだ。
 そんなことにならないように、この本では、まずセンター試験の小説を、五つの法則を使いながら4題解いて、受験国語の小説の解き方を研究している。
 その方法は大学受験小説一般に通用する。だから、国公立大学の二次試験にも応用が利く。
 その方法とは、メタファーで解くということ、と著者はいう。
 書いてあることをなにかにたとえて読むことである。
(「もともと小説が読める人」とは、ほとんど意識せずにそれが上手に出来てしまう人のことであるという。「小説が読めない人」はそれが自覚的に出来るようになればいい。この本では、そのためのアドバイスをしたいそうだ。)
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、7頁~11頁)

本書の構成


 また、「はじめに」において、本書の構成についても触れている。
・序章「小説は何を読むのか、あるいは小説は読めない」は全体の序章も兼ねていて、少し理屈っぽいが、最後に読んでもかまないから、必ず読んでほしいという。

・第一部では、センター試験の小説を解くレッスンをする。
 4題の問題にじっくり取り組んで、小説の読み方の基本を学ぶ。
 それは、「小説」からいかに「物語」を取り出すかということにつきる。
 (これは決して難しい作業ではない)
 また、ここでは、五つの法則の使い方をしっかり身につけることにもしたいという。

・第二部では、国公立大学二次試験の小説を解く。
 ここでは、「物語」と「小説」の違いについても講義している。
 ここで言う「物語」と「小説」は第一部で言うそれとは微妙に重なっていて、また微妙にズレてもいるようだ。
 では、「物語」と「小説」はどう違うのか。
 それは書き方の違いであり、また読者のかかわり方の違いでもある。
全体としては、第二部では、アンソロジー風に小説を楽しみながら、読んでほしいという。
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、11頁~12頁)

小説の出典と出題大学


過去問① 学校空間の掟――山田詠美『眠れる分度器』~センター試験(1999年度)
過去問② メタファーを生きる子供――堀辰雄『鼠』~センター試験(2000年度)
過去問③ 女は水のように自立する――津島佑子『水辺』~センター試験(2001年度)
過去問④ 男は涙をこらえて自立する――太宰治『故郷』~センター試験(2002年度)
過去問⑤ 血統という喜び――津村節子『麦藁帽子』~岡山大学(2002年度)
過去問⑥ 貧しさは命を奪う――吉村昭『ハタハタ』~福島大学(2000年度)
過去問⑦ 気づかない恋――志賀直哉『赤西蠣太』~信州大学(2001年度)
過去問⑧ ラブ・ストーリーは突然に――三島由紀夫『白鳥』~大阪大学(2000年度)
過去問⑨ 恋は遠い日の花火ではない――野上弥生子『茶料理』~広島大学(2001年度)
過去問⑩ 母と同じになる「私」――梅宮創造『児戯録』~大阪市立大学(2001年度)
過去問⑪ 父と同じになる「私」――横光利一『夜の靴』~東北大学(2002年度)
過去問⑫ 自然の中で生きる「私」――島木健作『ジガ蜂』~信州大学(2000年度)
過去問⑬ 人の心を試す病――堀辰雄『菜穂子』~香川大学(2000年度)
過去問⑭ いっしょに死んで下さい――横光利一『春は馬車に乗って』~広島大学(1999年度)


小説の何が読めないのか


・「試験場で読む小説はどうも苦手だ」と思ったとしたら、それにはわけがあるそうだ。
 受験小説では、普通に趣味で読むのとは違って、「小説を読むこと」は「書いてないこと」を読むことだからである。
 (すなわち、「行間を読むこと」が「小説を読むこと」なのである。書いてあることならわざわざ設問で聞く必要がないのだから。)
 では、何が「書いてないこと」なのかと言えば、登場人物の「気持ち」である。
 だから、受験小説では、「気持ち」が問われることが圧倒的に多い。
 つまり、受験小説では、「気持ち」こそが「行間」に隠されていると考えられていることになる。 
 これには、リアリズム小説の本質に関わる二つの理由があるという。
①受験小説のほとんどが出題されているリアリズム小説の技法に関わることである。
 リアリズム小説とは、出来事がいかにも現実に起きたように書いてある小説で、目に見えるものだけを「客観的」な「事実」として書く技法によって成り立っている。
 しかしその実、リアリズム小説は目に見えないもの、すなわち登場人物の「気持ち」を読み取ることを重視した小説でもある。なぜ、そうなるのか、説明すればこうなる。
 リアリズム小説の書く「事実」はたしかに「事実」である。
 しかし、「事実」が人生にとってどういう意味を持つのかは人の「気持ち」が決めることである。「事実」が人生にとって持つ意味こそが、「真実」と呼ばれるものである。人間を外側から見たように書くその技法とは裏腹に、目に見えない「気持ち」こそ「真実」が宿っていると考えるのが、リアリズム小説なのである。ここに、受験小説で「気持ち」ばかりが問われる理由がある、と著者はみている。
②小説の言葉の本質に関わる事柄である。
 それは、小説の言葉はもともと断片的で隙間だらけのものだということである。
 小説の言葉が世の中のことを余すところなく書くことができるのなら、たとえ受験の小説でも、もう問うことは残されてはいないはずである。しかし、もともと小説の言葉には、そういうことは出来はしないのである。
 (石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、13頁~15頁)


小説と物語


・小説は形のない、得体の知れないものである。
 読者はそれを「物語」に変形させて、「小説を読んだ」気になっているらしい。
 たとえて言えば、小説は粘土のようなものであるという。 
 作者から読者に手渡されるのは、まだ形のない粘土なのである。
 この時、粘土は無限の可能性を秘めていて、どんな形にでも変えることができる。
 この可能性を秘めた粘土が小説である。
 ところが、粘土はひとたび子供(読者)の手に渡ると、魚になったりライオンになったりする。子供は粘土を「変形」させて、好みの作品を作る。この作品が、「物語」に相当する。 
 「小説にはいくつもの可能性がびっしり詰まっていて、読者がそこから好みの物語を引き出すのが、読書というものだ」というイメージでもある。
 つまり、読書とはさまざまな可能性を孕んだ小説からたった一つの物語を選ぶような、主体的な創造行為なのである。

・ここで言う「物語」とは、小説のテーマのようなものである。
 一つの小説から読者の数だけテーマを引き出すことが出来るというイメージである。
 授業や入試で読む小説では、途中の設問の答えよりも、このテーマの方がずっとわかりやすいという。僕たちはほとんど意識しないほど、素早くテーマを手にするのがふつうなのである。
(ところが、国語ではふつう最後になって、「この小説のテーマを考えよう」などという設問があるものだから、「テーマは最後にしかわからない難しいもの」という誤解を与えてしまう)
・僕たちの小説の理解の仕方は、細部を積み上げてテーマにたどり着くのではない。
 直感的に全体のテーマを理解してしまうものらしい。
 それが、小説を物語として読むことである、と著者はいう。
(小説から物語を取り出せたら、教室や試験場では「勝ち」である)

【物語を一つの文に要約する】
〇自分なりの小説の読み方を自覚的に把握するために、小説から取り出した物語を、一つの主語とそれに対応する熟語一つからなる一つの文に要約する練習をしておくといい。

※フランスの批評家ロラン・バルトの<物語は一つの文である>という立場にならって(『物語の構造分析』みすず書房、1979年)、著者も大学の授業でも実践している方法であるそうだ。
 物語文の基本型は、二つある。
①一つは、「~が~をする物語」という型
 これは主人公の行動を要約したものである。
 たとえば、太宰治『走れメロス』を例にとるなら、「メロスが約束を守る物語」とでもなる。
 さらに、「人と人が信頼を回復する物語」でもいい。
②もう一つは、「~が~になる物語」という型
 これは主人公の変化を要約したものである。
 「メロスが花婿になる物語」とか、「メロスが一家の主人として自立する物語」といったもの。

※これらを「物語文」と著者は呼んでいる。
 物語とは、「はじめ」と「終わり」とによって区切られた出来事のことであって、「はじめ」から「終わり」に進むにつれて、主人公がある状態から別の状態に移動したり(これは「~が~をする物語」と要約できる)、ある状態から別の状態に変化したりする(これは「~が~になる物語」と要約できる)のである。
 その移動や変化を一文に要約したものが、「物語文」である。

・一つの小説に対して、いくつもの物語文を作れるようになると、その物語に意外な主人公が隠れていることが見えてくることがある。
 これも、小説を読む楽しみの一つである。小説を豊かに読む力を付けるためには、一つの小説に対していくつもの異なった物語文を作れるように練習するといい、とする。
(できれば、意識的に主人公を取り替えた物語文を作ってみること。小説がたくさんの物語の束から出来上がっていることがよく見えてくるそうだ)
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、33頁~36頁)

〇過去問② メタファーを生きる子供――堀辰雄『鼠』について
 小説『鼠』の物語文は、「男の子が母親と結ばれる物語」となるという(120頁)
 センター試験では、日本の「母」に関する小説を出題し続けた時期があったそうだ。
 堀辰雄『鼠』や太宰治『故郷』は、憧れの存在としての美しき「母」や、死に行く存在としての優しき「母」を書いている。
 また、離婚した「母」を書く津島佑子『水辺』では、「娘」を抱えながらも一人の「女」として自立しようとする女性の心のあり方が「水」のイメージで語られている。
 太宰治『故郷』は、「「私」が家族への愛情を確かめる物語」である。
 津島佑子『水辺』は、「女が自立する物語」である。
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、92頁、120頁、133頁、163頁)

・物語と小説とは、どう違うのか?
 この問題は、第四章でも、解説している。
 それは、先を急ぐ旅と道草の楽しみのように違うという。
 物語や小説といった散文芸術の二つの側面を説明するために、文学研究では、ストーリーとプロットという言葉を使う。
 フォスター(イギリスの小説家)は、ストーリーとプロットの関係について、次のように述べている。
「プロットを定義しましょう。われわれはストーリーを、時間的順序に配列された諸事件の叙述であると定義してきました。プロットもまた諸事件の叙述でありますが、重点は因果関係におかれます。<王が亡くなられ、それから王妃が亡くなられた>といえばストーリーです。<王が亡くなられ、それから王妃が悲しみのあまり亡くなられた>といえばプロットです。(中略)
ストーリーならば、<それからどうした?>といいます。プロットならば<なぜか?>とたずねます。」
(『小説とは何か』ダヴィッド社、1969年)

・<王が亡くなられた>と聞いて、出来事の続きを知りたい読者はこう問うだろう。
 <それからどうした?>と。答えはこうだ。<それから王妃が亡くなられた>と。
⇒<王が亡くなられ、それから王妃が亡くなられた>という文は、王が亡くなったことと王妃が亡くなったことという二つの出来事を時間的な順序に沿って書いたものだが、この一文には、<それからどうした?>という問いが隠されていた。
〇これが、先を急ぐ旅のような読み方、すなわち物語的な読み方である、と著者はいう。

・一方、<王が亡くなられ、それから王妃が亡くなられた>と聞いて、王妃が亡くなられた理由を知りたい読者はこう問うだろう。<なぜか?>と。
 答えは<悲しみのあまり亡くなられた>だ。
⇒<王が亡くなられ、それから王妃が悲しみのあまり亡くなられた>という文は、王が亡くなったことと王妃が亡くなったこととの時間的順序のほかに、この二つの出来事の因果関係までもがわかるように書かれている。
 この一文には、<それからどうした?>という問いだけでなく、<なぜか?>という問いも隠されていた。
〇これが、道草を楽しむような読み方、すなわち小説的な読み方である、という。

※「読書行為は迷路のようなものだ」という言葉があるが、この言葉は小説的な読み方のことを言っている。
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、168頁~170頁)


「隙間の名手」川端康成の『千羽鶴』


「隙間の名手」川端康成の『千羽鶴』を例に、「行間を読む」について著者は解説している。

 文子は茶筅を上げる時に、黒い目を上げて、菊治をちらっと見たが、すぐに掌の上で唐津の
茶碗を廻す時は、そこに目を注いだ。
 (1)そして、茶碗といっしょに文子の目も、菊治の膝の前へ来た。
 文子が流れ寄って来るかと、菊治は感じた。
 今度は母の志野を前におくと、茶碗がかちかち縁にあたって、文子は手を休めた。
「むずかしいわ。」
「小さくて立てにくいでしょう。」
 と、菊治は言ったが、文子の腕がふるえるのだった。
 そして、一旦手を休めたとなると、もう小さい筒茶碗のなかでは、茶筅の動かしようがない。
 (2)文子はこわ張った手首を見つめて、じっとうなだれた。
「お母さまが、立てさせませんわ。」
「ええ?」
 菊治はつつと立つと、呪縛で動けない人を助け起すように、文子の肩をつかんだ。
 文子の抵抗はなかった。
                           (新潮文庫より)

【補足解説】
 文子の母は、菊治の父や菊治と複雑な関係を持ったようだ。 
「母の志野」とあるのは、文子の母が愛した形見の茶碗であるという。
 この場面は、菊治と文子がその茶碗でお茶を点てる場面である。大人の小説である。
 これが日本人初のノーベル文学賞作家の代表作の一つである。
※三島由紀夫は、川端の文学を「暗黒の穴だけで綴られた美麗な錦のようなもの」だと評した。
 最後の一文「文子の抵抗はなかった」は、まさにそういう一節らしい。
(川端が省略して書かなかったことを、解釈によって補う一文であるそうだ。)

☆この『千羽鶴』の一節は、省略の仕方も謎かけの仕方もある意味では常套的だし、解釈のぶれも少なくわかりやすい例である。受験小説では、こういうところこそが設問になりやすいと、石原氏はいう。
 つまり、ほどよい省略、ほどよい謎かけ、これがすぐれた小説の条件である。そして、それはまた受験小説の条件でもある、とする。
(あまりにも自由自在に解釈できるところは、恐くて設問を作れないようだ。)

<受験小説で問われる「気持ち」=「行間を読む」>
〇受験小説で圧倒的に問われるのが、「気持ち」である。
 それは、「気持ち」が書いてあるからではない。
 小説にとって、多くの場合「気持ち」を読むことは「行間を読む」ことを意味するからである。そして、「行間を読むこと」は物語文を働かせることだという。
(「気持ち」は個人差が大きいので、モノよりもさらに多くの読者の読みを試すことができる)

・しかし、多くの小説は、「気持ち」を直接書き込んだりはしない。
 リアリズム小説の読者が「気持ち」を読みたがっていることを知っている小説家は、安易に「気持ち」を書き込んで自分の小説の命を縮めるような愚を犯すことはしない。
 現代の小説にとっては「気持ち」こそが宝物だからである。
 いかにもそこに宝物が埋まっていそうな穴だけ掘っておく。
 そこで、ふつう受験小説では、「書いてない」からこそ、「気持ち」が問われるわけである。

 では、なぜ「気持ち」が「読める」のか。
 読者がそこに「書いてない気持ち」を読み取るまでのプロセスがあるという。
 先の『千羽鶴』の一節には、どこにも直接には「気持ち」は「書いてない」。
(ただ、茶を点てる場面が書かれてあるだけである。文子の「気持ち」など、どこにも書かれてはいない。「書かれてない気持ち」を「読む」ことは一つの奇蹟なのであるともいう。その奇蹟を求めるのが、受験小説というものらしい。)
 
 しかし、実際の受験小説なら、次のような設問が出る可能性がある、と著者はいう。

問一 傍線部(1)「そして、茶碗といっしょに文子の目も、菊治の膝の前へ来た」とあるが、この時の文子の気持ちはどのようなものか、二十字以内で説明しなさい。

問二 傍線部(2)「文子はこわ張った手首を見つめて、じっとうなだれた」とあるが、この時の文子の気持ちはどのようなものか、三十字以内で説明しなさい。

<解答>
問一の答え 「自分の恋心を菊治に伝えたい気持ち。」
 これは、傍線部(1)の次にある「文子が流れ寄って来るかと、菊治は感じた」という一文が重要な手がかりとなる。

問二の答え「自分はまだ母の呪縛から逃れられないという諦めの気持ち。」
 これもまた、次の「お母さまが、立てさせませんわ。」という一文が重要な手がかりとなる。

※「気持ち」の向こうには、いつも物語文が働いているという。
 「小説が読める人」とは、物語文の働きに意識的な人だそうだ。
 逆に「小説が読めない人」とは、物語文の働きに意識的になれないか、そもそも小説を物語文に変換することが出来ない人だという。
 そして、ここが重要なポイントであるが、受験小説で「気持ち」が問われがちなのは、第一に「書いてない」からであり、第二に受験小説が小説から物語文を作り出す能力を問うものだからである。
 そして、受験小説が「出来る人」とは、小説から物語文への変換の関数(小説をどんな風に物語文にするのか、その変形の度合いのこと)を出題者と共有できる人のことである。
 (石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、21頁~41頁)

受験小説を解くための五つの法則


・センター試験の小説のような記号式の設問を解くための五つの法則を記している。

①「気持ち」を問う設問には、隠されたルール(学校空間では道徳的に正しいことが「正解」となる)が働きがちである。
②そのように受験小説は「道徳的」で「健全な物語」を踏まえているから、それに対して否定的な表現が書き込まれた選択肢はダミーである可能性が高い。
③その結果、「正解」は曖昧模糊とした記述からなる選択肢であることが多い。
④「気持ち」を問う設問は傍線部前後の状況についての情報処理であることが多い。
⑤「正解」は似ている選択肢のどちらかであることが多い。
(ただし、五つ目の法則は、中学や高校の入試国語ではほぼそのまま使えるが、大学受験国語では裏をかかれることがある。)

〇物語文による読みを基本としながら、これら五つの法則と消去法とを組み合わせて解くのが、センター試験の小説の鉄則である。
(どうやら、石原氏の消去法との闘争は、半ば勝利し、半ば敗北したようだ、と記している)
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、164頁~165頁)

・法則⑤について
 出題者は、「正解」を作ったあとに、それに似せたダミーをもう一つ作ってしまいがちである。
 (120頁)

【補足説明】
〇国語ではよく「読解力」という言葉を使う。
 同じ「読解力」という言葉でも、教室と試験場では異なるし、記述式の設問と記号式の設問とでも異なるそうだ。
 記述式の設問では、「出題者と説明の枠組を共有できる能力」と定義し、記号式の設問では、「本文と選択肢の対応関係を見抜く能力」と著者は定義している。
(センター試験では、後者の「読解力」)

 また、「間違い探し」、つまり消去法とは、本文と選択肢との対応関係を点検する方法だということになる。
(チマチマして創造性のカケラもない、実につまらない方法である、と著者は付言しているが)
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、119頁)
 
〇「書いてない気持ち」(心情)は読めない。だが、設問に答える際に途方に暮れた場合は、三つの方法があるという。
 過去問③ 女は水のように自立する――津島佑子『水辺』の問4について
1完全な受験技術。選択肢の末尾だけを見る
2消去法
3物語文を使うこと

<「正解」は曖昧な記述の中にある~「受験小説の法則③について>
たとえば、1完全な受験技術。選択肢の末尾だけを見る
 ①「うれしく思っている」、②「痛快に思っている」、④「いじらしく思っている」、⑤「うれしく思っている」とあるのに、③だけがはっきり気持ちを書いていない。
 これだけが違う顔をしている。
 「うれしく思っている」でまとめた①と⑤も心引かれるが、目をつぶって③を「正解」にしてしまう手である、という。
 この方法の根拠について、著者は次のように述べている。
 選択肢は本文の暴力的な書き換えである。
 ところが、あまりに明確に言い切ってしまうとやはり本文とはズレが生じてしまう。
 そこで「正解」は、本文とのズレを出来るだけ少なくするために、明確な言葉を書き込まず、曖昧な記述でお茶を濁すことになってしまう。
 積極的な「正解」ではないが(それだとミエミエになってしまう)、間違いでもないという感じの曖昧な記述の中に「正解」が含まれることが多い。
(ほかに比べて曖昧な記述の多い選択肢が「正解」として残るケースは決して少なくないから、覚えておいてほしいという。選択肢は、キッチリ書くほどミエミエになるか、ぼろが出るか、するものらしい。)
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、137頁~139頁)

〇大学受験の小説は、メタファー(隠喩)で解くものである。メタファーで読まなければ大学受験の小説は解けないものであるという(93頁)。
過去問② メタファーを生きる子供――堀辰雄『鼠』
問一では、語句は本文中でどのような意味に使われているか、を問うた問題である。
(ア)よい嗅覚 ①超自然的なものに対するすぐれた感受性 ②動物のような鋭い直感 ③群れを作るものに特有の防衛本能 ④弱者が身を守るためのすばらしい反応 ⑤子どもらしい柔軟な発想

この問いに著者は次のように解説している。
・子供たちは、「鼠」や「土竜」になったのだ。
 ⑤は決して間違いではないが、この小説のメタファー的世界を読めていれば、迷うことなく②を選べる。
 出題者は「「嗅覚」と表現するからには、子供たちは鼠や土竜になったのだ」と読んで、この設問を作っている。つまり、この設問は言葉の意味を聞いているのではない。使われ方を聞いているのだ。すなわち、「嗅覚」という言葉を動物のメタファーとして読めるかどうかだけを聞いているのだ。
 「本文中でどのような意味に使われているか」という指示は、そういう風に理解するしかない。そこで⑤が排除されるのだ。
(<センター試験の設問はある種の思い込みで作られている>という意味は、こういうところを指しているらしい)
(石原千秋『大学受験のための小説講義』ちくま新書、2002年[2005年版]、93頁、114頁)




≪柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫)の序説のまとめ~交換様式論≫

2022-10-17 18:05:35 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫)の序説のまとめ~交換様式論≫
(2022年10月17日投稿)

【はじめに】


 世界史は日本史より、わかりにくく、難しいといわれる。
 私の知り合いの高校生も、そう言っていた。
 各国もしくは各地域の歴史の関係がよくつかめないらしい。何か世界史の叙述に一貫性が感じられないようだ。確かにそうかもしれない。
 世界史を捉える際に、何か一定の原理みたいなものはないのか? 
 世界史に流れる一本の筋道みたいなものを元に叙述された本がある。
〇柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]
 これがそうである。
 柄谷行人氏の『世界史の構造』は、そうした世界史嫌い、嫌いとまではいかなくても、世界史への不満をある程度解消してくれるかもしれない。
 世界史の構造を、交換様式の観点から叙述している。
 その際に、世界史にまつわる様々な問いに対する答えを用意している。たとえば、
☆なぜギリシアやローマで、専制国家の体制ができなかったのか。
☆世界史の中で、日本史はどのように位置づけられるのか。
☆西洋の封建制と日本のそれとはどのような違いがあるのか。

こうした問題意識をもって、柄谷行人氏の『世界史の構造』を読むと、その答えが導き出されるかもしれない。
ただ、この本は読みやすい本ではない。
 たとえば、カント、ヘーゲル、マルクスなど哲学や経済学、ウェーバーなどの社会学、ウォーラーステイン、ウィットフォーゲルなどの歴史学、はたまたフロイトの精神分析学といった学際的な議論が随所に出てくる。
 本格的な紹介は、後日に譲るとして、まずは序説の交換様式論を主に紹介してみたい。
 あわせて、序説以外の各章をメモ風にまとめてみた。




【柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫)はこちらから】
柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫)






【目次】
柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫の目次
序文
序説 交換様式論
第一部 ミニ世界システム
 序論 氏族社会への移行
 第一章 定住革命
 第二章 贈与と呪術

第二部 世界=帝国
 序論 国家の起源
 第一章 国家
 第二章 世界貨幣
 第三章 世界帝国
 第四章 普遍宗教

第三部 近代世界システム
 序論 世界=帝国と世界=経済
 第一章 近代国家
 第二章 産業資本
 第三章 ネーション
 第四章 アソシエーショニズム

第四部 現在と未来
 第一章 世界資本主義の段階と反復
 第二章 世界共和国へ


あとがき
岩波現代文庫版あとがき




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・序説 交換様式論~交換様式のタイプ
・権力のタイプ
・社会構成体の歴史
・近代世界システム

〇以下、序説以外の第1部第1章 定住革命などのメモ風まとめ






序説 交換様式論~交換様式のタイプ


柄谷行人『世界史の構造』(岩波現代文庫)の目次を見てもわかるように、柄谷行人氏の主張の根幹は、「序説 交換様式論」の「2交換様式のタイプ」にある。序文には「本書は、交換様式から社会構成体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を越える展望を開こうとする企てである」、とある。(序文、iii頁)

〇交換様式は、互酬、略取と再分配、商品交換、そしてXというように、四つに大別される。
・これらは図1のようなマトリックスで示される。
 【図1 交換様式】






B 略取と再分配(支配と保護) A 互酬(贈与と返礼)
C 商品交換(貨幣と商品) D X


 これは、横の軸では、不平等/平等、縦の軸では、拘束/自由、という区別によって構成される。
・さらに、図2に、それらの歴史的派生態である、資本、ネーション、国家、そして、Xが位置づけられる。
 【図2 近代の社会構成体】
   B 国家   A ネーション
   C 資本   D X

・つぎに重要なのは、実際の社会構成体は、こうした交換様式の複合として存在するということである。
 歴史的に社会構成体は、このような諸様式をすべてふくんでいる。
・部族社会では、互酬的交換様式Aがドミナントである。
 (それはBやCが存在しないことを意味するのではない。たとえば、戦争や交易はつねに存在する。)
 が、BやCのような要素は互酬原理によって抑制されるため、Bがドミナントであるような社会、つまり国家社会には転化しない。
・Bがドミナントな社会においても、Aは別なかたちをとって存続した、たとえば農民共同体として。また、交換様式Cも発展した、たとえば都市として。
だが、資本制以前の社会構成体では、こうした要素は国家によって上から管理・統合されている。交換様式Bがドミナントであるというのは、そのような意味である。
・交換様式Cがドミナントになるのが、資本制社会である。
 資本制社会では、商品交換が支配的な交換様式である。
 だが、それによって、他の交換様式およびそこから派生するものが消滅してしまうわけではない。他の要素は変形されて存続する。国家は近代国家として、共同体はネーションとして。
つまり、資本制以前の社会構成体は、商品交換様式がドミナントになるにつれて、資本=ネーション=国家という結合体として変形される。
(こう考えることによってのみ、ヘーゲルがとらえた『法の哲学』における三位一体的体系を、唯物論的にとらえなおすことができるという。さらに、それらの揚棄がいかにしてありうるかを考えることができるとする)
※マルクスが解明しようとしたのは、商品交換様式が形成する世界だけであった。それが『資本論』である。
だが、それは他の交換様式が形成する世界、つまり国家やネーションをカッコに入れることによってなされた、と柄谷行人氏は考えている。

<柄谷行人氏の試み>
〇異なる交換様式がそれぞれ形成する世界を考察するとともに、それらの複雑な結合としてある社会構成体の歴史的変遷を見ること。
〇さらに、いかにしてそれらを揚棄することが可能かを見届けること。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、8頁~18頁)

3権力のタイプ


3権力のタイプ
 さまざまな交換様式から生じる権力(power)について考えてみよう。
 権力とは、一定の共同規範を通して、他人を自分の意志に従わせる力である。
 まず共同規範には、三つの種類がある。
①共同体の法
②国家の法
③国際法

①共同体の法
 これは掟と呼んでもよい。
 これが明文化されることはほとんどないし、罰則もない。
 しかし、この掟を破れば、村八分にされるか追放されるので、破られることはめったにない。

②国家の法
 これは共同体の間、あるいは多数の共同体をふくむ社会における法だといってもよい。
 共同体の掟がもはや通用しない空間において、国家の法が共同規範として登場する。
 
③国際法
 国家間における法である。
 すなわち、国法が通用しない空間における共同規範である。
 
もう少し詳しくみてみよう。
①共同体の法
・権力のタイプもこうした共同規範に応じて異なる。
 重要なのは、こうした共同規範が権力をもたらすのではないということである。
 逆に、こうした共同規範は、一定の権力(パワー)なしには機能しない。
 通常、権力は暴力にもとづくと考えられる。だが、それが妥当するのは、国家の共同規範(法)に関してだけであると、柄谷氏は注意している。

・贈与することは、贈与された側を支配する。返済しないならば、従属的な地位に落ちてしまうからである。ここでは暴力が働いていない。
 むしろ、一見すれば無償的で善意にみちたものであるようにみえる。にもかかわらず、それは暴力的強制以上に他人を強く制する。
 大事なのは、互酬交換に一種の権力が付随するということである。

②国家の法
・共同体の外、あるいは、多数の共同体が存在する状態では、共同体の掟は機能しない。したがって、共同体を越えた共同規範(法)が必要となる。しかし、それが機能するには、強制する力が必要である。それは実力(暴力)である。
・ウェーバーは、国家権力は独占された暴力にもとづくといっている。
 しかし、たんなる暴力では共同規範を強制するような力とはなりえない。
 国家は、実際には、ある共同体が暴力をもって他の共同体を支配することにおいて成立する。が、それを一時的な略奪ではなく恒常的なものとするためには、この支配を、共同体を越えた共同規範にもとづくようにしなければならない。国家はそのときに存在する。
 (国家の権力は暴力に裏づけられているとはいえ、つねに法を介してあらわれるのである)

・共同体の掟を強いる力が互酬交換に根ざしているように、国家の法を強いる力も、一種の交換に根ざしている。そのことを最初に見出したのがホッブスであるという。彼は国家の根底に、「恐怖に強要された契約」を見た。
 このことは、国家の権力が、暴力的強制だけでなく、むしろ、それに対する(自発的な)同意によって成り立つことを意味している。
 重要なのは、国家の権力は、一種の交換様式に根ざしているということである。
③国際法
・国家間における法、すなわち国法が通用しない空間における共同規範は、いかにして存在するのか。
 ホッブスは、国家間は「自然状態」であり、それを越える法はない、という。
 しかし、現実には、国家間の交易がなされてきた。そして、この交易の現実から生まれてきた法がある。それがいわば「自然法」である。
 これを支えるものは、共同体や国家の力ではない。商品交換の中から生じてきた力(具体的には貨幣の力)である。

・商品交換は共同体と共同体の間に発生したことは、マルクスが強調した。
 そこで成立したのは、一般的等価物(貨幣)による交換である。これは、「商品世界の共同作業」(マルクス)の結果である。
 柄谷氏は、これを商品の間の社会契約だという。
 国家と法がなければ、商品交換は成り立たないが、国家は貨幣がもつような力をもたらすことはできない。
 貨幣は国家によって鋳造されるが、それが通用するのは、国家の力によってではなく、商品(所有者)たちの世界の中で形成された力による。
(国家あるいは帝国がおこなうのは、貨幣の金属量を保証することにすぎず、貨幣の力は、帝国の範囲を越えて及ぶ)

・商品交換は自由な合意による交換である。その点で、共同体や国家とは違っている。
 貨幣の力は、貨幣(所有者)が商品(所有者)に対して持つ権利にある。貨幣は、いつどこでもどんな商品とも交換できる「質権」をもつ。ゆえに、商品と違って、貨幣は蓄積することができる。
 貨幣を蓄積しようとする欲望とその活動、つまり、資本が発生する理由がある。
 貨幣による力は、贈与や暴力にもとづく力とは違っている。
(それは、他者を物理的・心理的に強制することなく、同意にもとづく交換によって使役することができる)
 この貨幣の力は、暴力にもとづく階級(身分)支配とは違った種類の階級支配をもたらす。


<ポイント>
・どの交換様式からもそれに固有の権力が生じるということ、そして、交換様式の差異に応じて権力のタイプもそれぞれ異なるということである。
 以上の三つのタイプの権力は、社会構成体が三つのタイプの交換様式の結合としてあるのと同様に、どんな社会構成体においても結合されて存在する。
・最後に、以上三つの力のほかに、第四の力を付け加えなければならない。
 それは交換様式Dに対応するものである。
 柄谷氏の考えでは、それが最初に出現したのは、普遍宗教においてであり、いわば「神の力」としてである。
 交換様式A・B・C、そしてそこから派生する力は執拗に存続する。
 人はそれに抵抗できない。ゆえに、それらを越えるべき交換様式Dは、人間の願望や自由意志によるよりもむしろ、それらを越えた至上命令としてあらわれる。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、18頁~23頁)

6社会構成体の歴史



6社会構成体の歴史
 交換様式という観点から、社会構成体の歴史を再考する。
 その出発点となるのは、マルクスが「資本制生産に先行する諸形態」で示した、社会構成体の歴史的諸段階である。
 ➡原始的氏族的生産様式、アジア的生産様式、古典古代的奴隷制、ゲルマン的封建制、資本制生産様式
 
 このような分類は、幾つかの条件を付け加えれば、今も有効だと、柄谷氏はみる。
①地理的な特定をとりのぞくこと。
②これらを歴史的な継起と発展の順序とみなさないこと
 【ヘーゲルとマルクスの捉え方】
 マルクスがいう歴史的段階は、ヘーゲルの「歴史哲学」を唯物論的にいいかえたものである。
ヘーゲルは、世界史を自由が普遍的に実現される過程としてとらえた。 
➡アフリカから、アジア(中国・インド・エジプト・ペルシア)を経て、ギリシア・ローマ、さらにゲルマン社会から近代ヨーロッパにいたるものである。
 (自由がまったくない状態から、一人だけが自由である状態、少数者が自由である状態、万人が自由である状態への発展である)
 一方、マルクスは、これを観念論的な把握であるとして、それを生産様式(生産手段を誰が所有するか)という観点から、世界史を見直そうとした。
➡原的共同体的生産様式、王がすべてを所有するアジア的生産様式、さらに、ギリシア・ローマの奴隷制、ゲルマンの封建制、資本制生産様式という順序が見出されるとした。
 マルクスが生産様式から見た歴史的段階は、表1のように定式化できる。
 【表1】
  政治的上部構造    下部構造(生産様式)
  無国家         氏族社会
  アジア的国家       王―一般的隷属民(農業共同体)
  古典古代国家       市民―奴隷
  封建的国家       領主―農奴
  近代国家         資本―プロレタリアート

【柄谷行人氏によりマルクス批判】
・マルクスは、アジア的農業共同体は氏族的共同体からできた最初の形態であり、それがアジア的国家の経済的下部構造であるという。
 しかし、アジア的農業共同体は、氏族社会の連続的発展として生じたものではない。
 それは、アジア的国家によって形成されたのであるとする。
 たとえば、大灌漑農業を起こしたのは国家であり、その下で農業共同体が編成された。
(それは氏族社会からの連続的発展でるかにみえるが、そうではない。むしろ、ギリシアやゲルマンの社会のほうに、氏族社会からの連続性が残っている)
 
・アジア的国家を初期的な段階と見るのはまちがいである。
 官僚制と常備軍をもったアジア的国家は、シュメールやエジプトにあらわれた。
(それはのちに、あるいは近代においてさえも、各地の国家がそれを実現するために長い年月を要したほどの完成度を示している)
 このような集権的な国家は、多数の都市国家の抗争を経て形成された。
 一方で、ギリシアでは、都市国家が統合されず、そのまま残った。
(それは、ギリシアが文明的に進んでいたからではなく、むしろ逆に、氏族社会以来の互酬性原理が濃厚に残っていたからだとする。それがギリシアに民主政をもたらした原因の一つであると、柄谷氏は考えている)

・これらの問題は、「生産様式」から見るかぎり、説明できないと批判する。
➡その観点からは、たとえば、ギリシアやローマに、特に歴史的に段階を画するほどの意義を見出しえない。
 ギリシアの民主政や文明を、奴隷制生産様式によって説明するのはおかしいという。
ギリシアの奴隷制はむしろ、ポリスの民主政、つまり、市民がたえず議会や兵役に参加する義務があるからこそ、不可欠となった。
 ゆえに先ず、いかにして民主政が成立したのかを問うべきである。そのためには、「交換様式」の視点が必要であると主張している。

・氏族的社会構成体、アジア的社会構成体、古典古代的社会構成体、ゲルマン的社会構成体は、歴史的段階として継起的にあったのではない。同時的に相互に関係しあうかたちで存在した。
➡柄谷氏は、この点、ウォーラーステインやチェース=ダンの「世界システム」という考えに従うという。
 チェース=ダンは、国家が存在しない世界をミニシステム、単一の国家によって管理されている状態を世界=帝国、政治的に統合されず、多数の国家が競合しているような状態を世界=経済と呼んで区別した。

〇この区別を、交換様式から見ると、つぎのようになる。
 ミニシステム(国家以前の世界システム)は、互酬原理にもとづくものである。
 世界=帝国は、交換様式Bが支配的であるような世界システムである。
 世界=経済は、交換様式Cが支配的であるような世界システムである。
※ここで念をおしておきたいのは、これらを規模で区別してはならないということである。
 たとえば、互酬原理にもとづく世界システムは一般に小さいが、イロクォイ族の部族連合を見れば、それが空間的に巨大なものとなりうる。
 ➡このことは、モンゴルの遊牧民が築いた巨大な帝国の秘密を説明するものでもある。
(それはローカルにはアジア的な専制君主でありながら、同時に、支配的共同体としては、部族間の互酬的な連合に依拠していた)

・マルクスがいうアジア的な社会構成体は、一つの共同体が他の共同体を制圧して賦役・貢納させる体制である。すなわち、交換様式Bがドミナントな体制である。
 それは、アジア的社会構成体には他の交換様式が存在しない、ということではない。
 アジア的社会構成体は、交換様式AとCが存在しながらも、交換様式Bが支配的であるような社会構成体であると、柄谷氏はみる。

 (もちろん、交換様式Bがドミナントな体制は、封建制や奴隷制をふくめて、さまざまである。それらの違いは、支配者共同体の間に、互酬的な原理が残っているかどうかにある。
➡それが残っていれば、集権的な体制を作ることが難しい。
 集権的な体制を確立するためには、支配階級の間にある互酬性をなくすことが不可欠である。
 それによって、中央集権と官僚制的な組織が可能になる。)

・つぎに、マルクスが古典古代的とかゲルマン的と呼ぶ社会構成体は、それぞれ奴隷制や農奴制にもとづいている。これも交換様式Bを主要な原理としている。
(サーミール・アミンは、封建制を貢納制国家の一変種として見ている)
 その点では、ギリシア・ローマ的社会構成体やゲルマン的社会構成体はアジア的な社会構成体と同じであるが、別の点では大きく違っている。
 それは支配者共同体の間に互酬原理Aがどの程度残っているかを見れば明らかであると、柄谷氏はいう。
 ギリシア・ローマでは、集権的な官僚体制が否定された。
(そのため、複数の共同体や国家を統一的に支配する集権的な体制が成立しなかった)
 それらが世界=帝国となったのは、アレクサンドロス三世(アレクサンダー大王)がそうであったように、アジア的な世界=帝国の型を継承することによってである。
 しかし、その後西ヨーロッパでは、世界=帝国はローマ教会という形式の下でのみ存在しただけである。実際上、多数の封建諸侯の争う状態が続いた。
 ここでは、交易を管理する強力な政治的中心が存在しないため、市場あるいは都市が自立性をもつようになった。
➡そのため、いわば世界=経済が発達した。

【ウォーラーステインとブローデルの見解】
・ウォーラーステインは、世界=経済は16世紀のヨーロッパから出現したと考えた。
 しかし、世界=帝国と世界=経済は必ずしも継起的な発展段階をなすものではない。
・ブローデルが注意したように、世界=経済はそれ以前にも、たとえば、古典古代の社会にも存在した。そこに、国家によって管理されない交易と市場が存在した。
➡それが、アジアの世界=帝国との決定的な違いである。
 ただ、こうした世界=経済は、単独で存在したのではない。それは、世界=帝国の恩恵を受けつつ、それが軍事的・政治的に囲い込めないような“亜周辺”に存在した。
➡西アジアを例にとる。
 メソポタミア・エジプトの社会が巨大な世界=帝国として発展したとき、その周辺の部族共同体は、それによって破壊されるか、ないしは吸収された。
 その中で、ギリシア諸都市やローマは都市国家として発展した。彼らは、西アジアの文明(文字・武器・宗教など)を受け入れながら、集権的な政治システムだけは受け入れず、氏族社会以来の直接民主主義を保持した。
 中心部に対して、そのような選択的対応が可能であったのは、そこから適度に離れた位置にあったからである。
(ウィットフォーゲルは、そのような地域を“亜周辺”と呼んだ)
 もし周辺のように近すぎるならば、専制国家に支配されるか吸収され、遠すぎるならば、国家や文明とは無縁にとどまるだろう。

【柄谷行人氏の見解】
〇ギリシアやローマが東洋的帝国の亜周辺に成立したとすると、いわゆる封建制(封建的社会構成体)は、ローマ帝国の亜周辺にあったゲルマンの部族社会において成立したものだということができる。
・もっと厳密に言えば、それはローマ帝国の崩壊後に、西アジアの世界=帝国を再建したイスラム帝国の亜周辺に位置した。
➡ヨーロッパがギリシア・ローマ文化を受け継いだのは、イスラム圏を通してである。
 その意味で、ギリシア・ローマからゲルマンへ、というヘーゲル的な継起的発展は、西洋中心主義な虚構にすぎないと、柄谷氏は批判している。

〇封建制を専制貢納国家から区別するのは、何よりも、支配階級の間に共同体の互酬原理が存続したことである。
 封建制は、主君と家臣の双務(互酬)的な契約によって成り立っている。
 主君は家臣に封土を与え、あるいは家臣を養う。そして、家臣は主君に忠誠と軍事的奉仕によって応える。この関係は双務的であるから、主人が義務を果たさないなら、家臣関係は破棄されてもよい。
(これはギリシア・ローマからの発展ではない。
 ここには、ギリシア・ローマでは消滅してしまった、氏族社会以来の互酬原理が残っている。 
 それが王や首長に絶対的な地位を許さない)
 ゲルマン人はローマ帝国やイスラム帝国の文明を受け継いだが、専制国家の官僚的ハイアラーキーを拒否した。
(これは世界=帝国の“亜周辺”にのみ可能な態度である。
これは西ヨーロッパ(ゲルマン)に限定されるものではなく、極東の日本にも封建制があった。日本人は中国の文明を積極的に受容しながら、アジア的な官僚制国家とそのイデオロギーは表面的にしか受け入れなかった)

・集権的な国家の成立を拒む封建制の下では、交易や都市が国家の管理を免れて発展することができた。
 具体的にいうと、西ヨーロッパでは都市が、教皇と皇帝の抗争、領主間の抗争の中でそれを利用して自立するにいたった。また、農業共同体においても、土地の私有化と商品生産が進んだ。
 ➡この意味で、封建制は、政治的な統制をもたない世界=経済のシステムをもたらすものである。ヨーロッパから資本主義的な世界システムが出てきた原因は、そこにあるとする。

以上を図示したのが、表2であるという。
 【表2】
社会構成体 支配的交換様式  世界システム
1 氏族的   互酬制A      ミニシステム
2 アジア的   略取―再分配B1  世界=帝国
3 古典古代的 略取―再分配B2
4 封建的    略取―再分配B3
5 資本主義的 商品交換C    世界=経済

(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、34頁~42頁)

7 近代世界システム


7 近代世界システム

・資本主義的な社会構成体とは、商品交換様式Cが支配的であるような社会である。
 これを一つの社会構成体の中からだけでなく、他の社会構成体との関係、すなわち世界システムからも見なければならない。
・まず、世界システムの観点から見ると、ヨーロッパの16世紀から発達した世界=経済が世界中を覆うようになると、旧来の世界=帝国およびその周辺・亜周辺という構造が存在できなくなる。
(ウォーラーステインがいうように、それにかわって成立するのが、世界=経済における、中心、半周辺、周辺という構造である。そこでは、旧来の世界=帝国も周辺部におかれてしまう)

・一国の経済を世界システムから離れて見ることができないように、国家もまた、世界システムを離れて単独で見ることはできない。
 近代国家は主権国家であるが、それは単独に一国内部であらわれたのではない。
 西ヨーロッパにおいて、主権国家は、相互に主権を承認することで成立するインターステート・システムの下で成立した。それを強いたのは世界=経済である。
・だが、それはまた、ヨーロッパによる支配を通して、それ以外の世界の変容を強いた。旧世界=帝国は、インカやアステカのように部族社会の緩やかな連合体である場合、部族社会に解体されて植民地化された。
 一方、旧世界=帝国は簡単に植民地化されなかった。しかし、最終的に、オスマン帝国のように多くのネーション=ステートに分節された。
(それを免れたのは、ロシアや中国のように、社会主義革命によって、世界=経済から離脱するような新たな世界システムを形成した場合である。)

☆このような変化を、一つの社会構成体の中で見てみよう。
・交換様式Cが支配的になるということは、他の交換様式が消滅することを意味しない。
 たとえば、それまで支配的であった略取―再分配的な交換様式Bは消滅したかのようにみえるが、たんに変形させられるだけである。
・それは近代国家というかたちをとるようになる。
西ヨーロッパでは、それは絶対王政として出現した。
 王はブルジョアジーと結託して、他の封建諸侯を没落させた。絶対王政は常備軍と官僚機構をそなえた国家をもたらした。
(これはある意味で、アジア的な帝国においてつとに存在したものをようやく実現したことになる)
 絶対王政においては、封建的地代は地租(税)に転化される。
⇒絶対君主によって封建的特権を奪われた貴族(封建領主)たちは、国家官僚として、地租を分配されるようになる。
 また、絶対王政は税の再分配によって、一種の「福祉国家」を装うようになる。こうして、略取―再分配という交換様式は、近代国家の核心において生きているという。

・絶対王政は、市民革命(ブルジョア革命)によって打倒された。
 だが、市民革命は、中央集権化という点では、それをいっそう推進した。
 絶対主義体制において対抗していた貴族・教会などの「中間勢力」(モンテスキュー)を滅ぼすことによって、商品交換原理を全面的に肯定する社会が形成された。
(しかし、旧来の交換様式が一掃されたわけではない。略取―再分配という交換様式が残っている。ただ、それは、国家への納税と再分配というかたちに変わった)
・王に代わって主権者の地位に立った「国民」は、現実には、彼らの代表者としての政治家および官僚機構の下に従属することになる。
 
※その意味で、近代国家は基本的にそれ以前の国家と異なるものではないが、次の点で異なる。
 アジア的であれ封建的であれ、旧来の国家では交換様式Bが支配的であったのに対して、近代国家では、それが支配的な交換様式Cの体裁をとるようになった。

☆一方、資本主義的社会構成体では、互酬的交換Aはどうなるか。
 そこでは、農業共同体は商品経済の浸透によって解体されるし、それと対応した宗教的共同体も解体される。
 ゆえに、Aは解消されてしまうが、別のかたちで回復されるといってよい。それがネーションである。
 ネーションは、互酬的な関係をベースにした「想像の共同体」(アンダーソン)である。
 それは、資本制がもたらす階級的な対立や諸矛盾を越えた共同性を想像的にもたらす。こうして、資本主義的な社会構成体は、資本=ネーション=国家という結合体(ボロメオの環)としてあるということができる。

以上が、マルクスが提示した社会構成体を、交換様式からとらえなおしたものであるという。

〇しかし、実は、これだけでは不十分である、と柄谷氏は批判している。
 もう一つの交換様式Dについて述べなければならないとする。
 それが交換様式Aの高次元での回復であり、資本・ネーション・国家を越えるXとしてあらわれる。
・が、それは一つの社会構成体の中で見たものでしかない。
 社会構成体はつねに他の社会構成体との関係においてである。
 (いいかえれば、世界システムの中にある)
 そして、交換様式Dは、複数の社会構成体が関係する世界システムのレベルでも考えられるべきである。
 というより、むしろそれは一つの社会構成体だけでは考えることができない。資本=ネーション=国家の揚棄は、新たな世界システムとしてのみ実現されるという。
・ミニ世界システムは交換様式Aによって、世界=帝国は交換様式Bによって、世界=経済(近代世界システム)は、交換様式Cによって形成されてきた。
 そのことがわかれば、それを越える世界システムXがいかにして可能であるかがわかる。
 それは、交換様式Aの高次元での回復によって形成される。
 具体的にいえば、それは軍事的な力や貨幣の力ではなく、贈与の力によって形成される。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、42頁~46頁)

〇柄谷氏の考えでは、カントが「世界共和国」と呼んだのは、そのような世界システムの理念である。
 以上を図示すると、図3のようになる。

【図3 世界システム】
世界=帝国 ミニ世界システム

世界=経済
(近代世界システム) 世界共和国

第1章以下では、次のような問題を論じている。
〇基礎的な交換様式を考察し、それらの接合としてある社会構成体と世界システムが、いかにして資本=ネーション=国家というかたちをとるにいたったか。
〇また、いかにしてそれを越えることが可能なのか。

その前に、幾つかのことを述べている。
・四つの基礎的な交換様式を、それぞれ別個に扱う。
 実は、それらは相関的であり、一つだけを切り離して扱うことができない。
 が、それらの連関を見るためには、それぞれが存立する位相を明確にしておく必要がある。
 マルクスは『資本論』において、他の交換様式をカッコに入れて、商品交換が形成するシステムを明らかにしようとした。柄谷氏は、それと似たことを、国家やネーションについておこなうという。
・その上で、国家、資本、ネーションなどがどう連関するかを見る。
 つまり、それらの基礎的な交換様式が歴史的にどのように連関するかを見る。
 その場合、これを四つの段階に分けて考察するという。
➡国家以前のミニ世界システム、資本制以前の世界=帝国、資本制以後の世界=経済、さらに、現在と未来の四つである。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、46頁)

序説の最後で、「私がここで書こうとするのは、歴史学者が扱うような世界史ではない」と、柄谷氏は断っている。
 柄谷氏が目指すのは次のようなことであるという。
〇複数の基礎的な交換様式の連関を超越論的に解明すること。
〇それはまた、世界史に起こった三つの「移行」を構造論的に明らかにすることである。
〇さらに、そのことによって、四つめの移行、すなわち世界共和国への移行に関する手がかりを見出すことである。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、47頁)

ここから序説以外


第1部第1章 定住革命


第1部第1章 定住革命
3 成層化
・贈与の互酬によって、共同体は他の共同体との間にある「自然状態」を脱し、平和状態を創出する。
※国家も自然状態の克服であるが、贈与によって得られる平和は、それとは根本的に異なっている。贈与によって上位共同体が形成されるのである。それは、国家の下で組織される農業共同体とは異質である。
・互酬によって形成される高次の共同体は、国家が農業共同体を統合・従属させるのと違って、下位共同体を統合・従属させるものではない。
 部族社会では、たとえ上位の共同体が形成されても、下位の共同体の独立性は消えない。
 その意味で、部族内部にも敵対性が残りつづける。このため、贈与は、他の共同体との間に友好的関係を築くものであると同時に、しばしば競争的なものとなる。

・贈与の互酬は、クラ交易が示すように、多数共同体の連合体、いわば「世界システム」を形成する。
 こうした連邦は固定したものではなく、つねに葛藤をはらんでいるから、時折新たな贈与の互酬によって再確認されなければならない。
 互酬によって形成される共同体の結合は環節的である。
 つまり、上からそれを統治するような組織、すなわち、国家にはならない。
※こうした部族連合体の延長に、首長制国家(chiefdom)を置くことができる。それは国家のすぐ手前にある。
しかし、ここでもあくまで国家に抗する互酬の原理が働く。国家が出現するのは、互酬的でない交換様式が支配的になるときである。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、63頁~65頁)

4 定住革命


・互酬性を、中核において共同寄託的であり、周辺において否定的互酬的であるような空間的配置においてとらえた(サーリンズの見解)。
 これを時間的な発展という軸に置き換えるとどうなるか。
 共同寄託的なバンド集団が始原にあり、そして、それらが互いに互酬的な関係を結び、その社会を成層的に広げてきた、ということができる。

☆問題は、なぜいかにして、そのような変化が生じたのか、である。
・バンド社会は共同寄託、つまり、再分配による平等を原理とする。
 これは狩猟採集の遊動性と不可分離である。
 ⇒彼らはたえず移動するため、収穫物を備蓄することができない。
  ゆえに、それを私有する意味がないから、全員で均等に分配してしまう。あるいは、客人にも振る舞う。
これは純粋贈与であって、互酬的ではない。
 (収穫物を蓄積しないということは、明日のことを考えないということである。また、昨日のことを覚えていないということである)
※遊動的なバンド社会では、遊動性(自由)こそが平等をもたらすのである。

・贈与とお返しという互酬が成立するのは、定住し蓄積することが可能になったときからであるという。
 では、なぜ彼らは定住したのか。
<注意>
・それを考えるとき、一つの偏見を取り除く必要があるとする。
 つまり、人が本来、定住する者であり、条件に恵まれたら定住する者だという偏見である。
 たとえば、食料が十分にあれば定住するかといえば、そうではない。
 それだけでは、霊長類の段階から続けてきた遊動的バンドの生活様式を放棄するはずがない。 
 定住を嫌ったのは、さまざまな困難をもたらすからであるらしい。
<定住にまつわる困難>
①バンドの内と外における対人的な葛藤や対立である。遊動生活の場合、たんに人々は移動すればよい。
 ところが、定住すれば、人口増大とともに増える葛藤や対立を何とか処理しなければならない。
⇒多数の氏族や部族を、より上位の共同体を形成することによって、環節的に統合すること、
 また、成員を固定的に拘束することが必要となる。
②対人的な葛藤はたんに生きている者との間にあるだけではない。定住は、死者の処理を困難にする。
 アニミズムでは、死者は生者を恨む、と考えられる。
 遊動生活の場合、死者を埋葬して立ち去ればよかった。
 しかし、定住すると、死者の傍で共存しなければならない。それが死者への観念、および死の観念そのものを変える。
 定住した共同体はリニージにもとづき、死者を先祖神として仰ぐ組織として再編成される。 
  こうした共同体を形成する原理が互酬交換である、という。
⇒このように、定住は、それまで移動によって免れた諸困難に直面させる。
 
☆とすれば、なぜ狩猟採集民があえて定住することになったのか。
 この点、根本的には気候変動のためだ、と柄谷氏は考えている。
 人類は氷河期の間、熱帯から中緯度地帯に進出し、数万年前の後期旧石器時代には、高緯度の寒帯にまで広がった。これは大型獣の狩猟を中心にしたものである。
 しかし、氷河期の後の温暖化とともに、中緯度の温帯地域に森林化が進んで、大型獣が消え、また採集に関しては、季節的な変動が大きくなった。
 そのとき、人々は向かったのは漁業である。
 ⇒漁業は、狩猟と違って、簡単に持ち運びできない漁具を必要とする。ゆえに、定住するほかなかったようだ。
 おそらく、最初の定住地は河口であったと考えられている。

・また、定住は、意図しなかった結果をもたらしている。
 たとえば、簡単な栽培や飼育は、定住とともに、ほとんど自然発生的に生じた。
 栽培に関しては、人間が一定の空間に居住すること自体が、周辺の原始林を食料となる種子をふくむような植生に変える。定住によって栽培が採集の延長として始まるように、狩猟の延長として、動物の飼育が生じる。
 ⇒この意味で、定住こそが、農耕・牧畜に先立っているとする。
※こうした栽培・飼育は、「新石器革命」に直結しなかった。
 しかし、定住は、ある意味で、新石器革命以上に重要な変化をもたらした、と柄谷氏は考える。それが、互酬原理による氏族社会であるという。

【定住と女性の地位の問題】
・定住は、女性の地位に関しても、問題をもたらしたようだ。 
 狩猟採集民は、定住すると、事実上、漁労や簡単な栽培・飼育によって生きるようになるが、
狩猟採集以来の生活スタイルを保持した。つまり、男が狩猟し女が採集するという「分業」が続いた。
 しかし、実際には、男の狩猟は儀礼的なものにすぎない。定住化とともに、必要な生産はますます女によってなされるようになる。
 だが、このこと女性の地位を高めるよりもむしろ、低下させたとみる。
 (何も生産せずに、ただ象徴的な生産や管理に従事する男性が優位に立った)

(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、65頁~72頁)



第1部第2章 贈与と呪術


第1部第2章 贈与と呪術
3 移行の問題
〇定住によって遊動的バンド社会から氏族社会への移行が生じた、と柄谷氏は考えている。
 疑問は、なぜ定住から国家社会に移行したのかではなく、なぜ氏族社会に移行したのかということにある。
いいかえれば、なぜ戦争・階級社会・集権化ではなく、平和・平等化・環節的社会への道がとられたのかということ。
※このようなコースをとられる必然はなかった。現にそうであったから、必然だと思われているにすぎない。むしろ、定住化から階級社会、そして、国家が始まることのほうが蓋然性が高いともいえる。
 だから、氏族社会の形成を、国家形成の前段階としてではなく、定住化から国家社会への道を回避する最初の企てとして見るべきである、と柄谷氏は考えている。
(そのかぎりで、氏族社会はたんなる“未開”ではなく、或る未来の可能性を開示するものである)

〇この問題に関して、フロイトの『トーテムとタブー』(1912年)が重要である、と柄谷氏は主張している。
・フロイトが考えたのは、トーテムというよりもむしろ、未開社会における「兄弟同盟」がいかにして形成され維持されるのかという問題である。
・フロイトは、部族社会における氏族の平等性・独立性がいかにして生じたかという問題について、その原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見出そうとした。これは、エディプス・コンプレクスという精神分析の概念を人類史に適用するものである。
⇒その際、フロイトは当時の学者の意見(特にダーウィン、アトキンソン、ロバートソン・スミス)を参照し、その理論を借用している。
※ただし、今日の人類学者は、このような理論を斥けている。古代に「原父」のようなものは存在しない。そのような原父は、むしろ専制的な王権国家が成立したのちの王や家父長の姿を、氏族社会以前に投射したものだというべきであるとする。

・だが、フロイトの「原父殺し」および反復的儀式という見方の意義が無くなることはない、と柄谷氏は考えている。フロイトは、氏族社会の「兄弟同盟」システムが、なぜいかにして維持されているのかを問うたのだという。

【柄谷氏の解説と批判】
・遊動的バンド社会において、「原父」のようなものは存在しなかった。むしろ、バンドの結合も家族の結合も脆弱であった。(この意味で、フロイトが依拠した理論はまちがっている。)
・しかし、定住化とともに、不平等や戦争が生じる可能性、つまり、国家=原父が形成される可能性は確かにあったのである。
 が、それを抑制することによって、氏族社会=兄弟同盟が形成された。
⇒こう考えると、フロイトの説明は納得がいくという。
 それは氏族社会がなぜ国家に転化しないかを説明するものである。いわば、氏族社会は、放っておくと必ず生じる「原父」を、たえずあらかじめ殺しているのだ。その意味で、原父殺しは経験的に存在しないにもかかわらず、互酬性によって作られる構造を支えている「原因」なのであるとする。

・フロイトは未開社会のシステムを「抑圧されたものの回帰」として説明した。
 一度抑圧され忘却されたものが回帰してくるとき、それはたんなる想起ではなく、強迫的なものとなるという。
 氏族社会に関するフロイトの理論では、回帰してくるのは殺された原父である。しかし、柄谷氏の考えでは、回帰してくる「抑圧されたもの」とは、定住によって失われた遊動性(自由)であるという。それは、なぜ互酬性原理が強迫的に機能するかを説明する。

〇マルクスは生産様式から社会構成体の歴史を考えた。
 生産様式から見るとは、いいかえれば、誰が生産手段を所有するかという観点から見ることである。
 マルクスのヴィジョンは、原始共産主義では共同の所有であり、それが階級社会では、生産手段を所有する支配階級とそうでない支配階級の間に「階級闘争」があり、最終的に共同体所有が高次元で回復されるということになる。
 ※この観点では、遊動的段階の社会と定住的氏族社会が区別されていない、と柄谷氏は批判している。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、85頁~89頁)

第2部第1章 国家


第2部第1章 国家
5 アジア的国家と農業共同体
・マルクスは、アジア的共同体を「全般的隷従制」と呼んだ。
 それは、奴隷制でも農奴制でもない。
 各人は自治的な共同体の一員である。
 だが、その共同体全体が王の所有である。
 人々は共同体の一員であることによって拘束される。
・ゆえに、共同体の自治を通じて、国家は共同体を支配することができる。
・したがって、国家と農業共同体はまったく別のものであるが、分離して存在するのではない。

〇農業共同体とは専制的国家によって枠組を与えられた「想像の共同体」である。
・それは近代のネーションと同様に、集権的国家の枠組が先行することなしにありえない。
・アジア的専制国家は、いわば、専制国家=農業共同体という接合体として存在する。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、119頁)

<アジア的専制国家に対する誤解>
①奴隷制とまちがえる
 アジア的国家では、大衆は残虐に扱われたわけではなく、手厚く保護された。
(たとえば、ピラミッドの工事は、失業者対策、政府による有効需要創出政策としてなされた。ケインズが注目。『雇用、利子および貨幣の一般理論』)
②アジア的国家は、統治のすみずみまで及ぶ強固な専制的体制だという見方
・王権を確保するために、宗教、姻戚関係、封による主従関係、官僚制などが用いられる。
 その結果、神官・祭司、豪族、家産官僚らが、王権に対抗する勢力となる。さらに、内部の混乱を見て、外から遊牧民が侵入してくる。こうして、王朝は崩壊する。その後に、再び、王朝が形成される。
(⇒「アジア的諸国家の絶え間なき崩壊と再建、および休みなき王朝の交替」(マルクス))

※「休みなき王朝の交替」にもかかわらず不変的なのは、なぜか?
 ⇒アジア的な農業共同体であるよりもむしろ、専制国家の構造そのものにある。
  形式的には集権的な国家として完成された形態、つまり官僚制と常備軍というシステムにある。
(真に永続的なのは、農業共同体よりも、それを上から統治する官僚制・常備軍などの国家機構である)
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、119頁~122頁)



☆なぜギリシアやローマで、専制国家の体制ができなかったのか。
 それはギリシアやローマが社会として「進んだ」段階にあったからではない。
 その逆に「未開」であったからである、と柄谷氏は理解する。
 つまり、晩年のマルクスが注目したように、ギリシア・ローマの都市国家では、支配共同体(市民)の間に、集権的な国家に抗する氏族社会の互酬原理が強く残ったからである。
 そのため集権的な官僚的体制が作られなかった。
 また、国家が管理しない市場経済が発展した。しかし、そのことはまた、彼らが、征服した共同体を農業共同体として再編するような専制国家の統治、あるいは、征服した多数の国家・共同体を組み込む帝国の統治ができなかったこととつながっている。
(もちろん、ローマは最終的に広大な帝国となったが、それはむしろ、アジアの帝国システムを基本的に受け継ぐことによってである。)
 ゆえに、アジアに出現した専制国家を、たんに初期的なものとしてではなく、広域国家(帝国)として(形式的には)完成されたものとして考察すべきであるという。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、122頁~123頁)

<柄谷氏によるマルクス批判>
・マルクスはギリシア・ローマの社会構成体を「奴隷制生産様式」から説明しようとした。
 しかし、ギリシア・ローマにアジア的専制国家とは異なる画期的な特質を見るのであれば、それを奴隷制生産から説明することはできない、と柄谷氏は批判している。
・アジア的専制国家(世界=帝国)がとったのは、他の国家や共同体に賦役貢納を課すが、その内部に介入しないという支配の仕方である。そこにも奴隷はいたが、「奴隷制生産」のようなものはなかった。
 一方、ギリシア・ローマでは、賦役貢納国家の方向に向かわず、国家官僚に管理されない、市場と交易が発達したのである。
 ギリシア・ローマに特有の奴隷制生産は、そのような世界=経済がもたらした結果である。
 したがって、重要なのは、ギリシア・ローマにおいて、なぜいかにして世界=経済が発展したのかを問うことである、と柄谷氏は主張している。

〇ギリシア・ローマに生じた現象は「亜周辺」に特徴的なものである。
 たとえば、ギリシアの場合、先行するミュケナイ文明は「周辺的」であった。つまり、エジプト的な集権的国家の影響下にあった。
・ところが、ギリシア人は「亜周辺的」であった。
彼らは、西アジアから鉄器の技術を受け入れ、また、シュメールの楔形文字からフェニキア人が発展させた文字を受け入れたが、帝国中枢の政治システムだけは受け入れなかった。逆に、その結果として、彼ら自身、世界=帝国を築こうとしても築けなかった。
(そもそもアテネもスパルタも、ギリシアの多数のポリスを統合することさえできなかった)
・つぎに、ローマはギリシアのポリスと同様の都市国家であったが、征服した都市国家や部族の有力者を市民として組み込むことによって、また、普遍的な法による支配を通して、版図を広げた。
(つまり、ポリスの排他的な共同体原理を抑制することによって、世界=帝国を形成しえた)
 だが、ローマはポリスの原理を全面的に放棄することができなかった。
⇒ローマ帝国の根底には、ポリスと帝国の原理的相克が存在し続けた。

※ローマ帝国は、それまでのペルシア帝国の版図をさらに越え、西ヨーロッパをふくむ史上最大の帝国となった。しかし、ローマ帝国に注目するのは、そのためではない。
 ⇒それがポリスと帝国の原理的相克を最も明瞭に示すからである。
☆この問題は、近代においてネーション=ステートと、帝国主義・地域主義の問題として反復される。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、175頁~177頁)

<柄谷氏による注目すべき見解>
・古代ギリシアというと、一般にアテネが中心とみなされる。しかし、ギリシアの文明を真にユニークにしたのは、アテネではなく、イオニアの諸都市であるという。
 海外交易の拠点となったイオニア諸都市では、商工業が発展した。そこには、エジプト、メソポタミア、インドなどアジア全域の科学知識、宗教、思想が集積された。
しかし、彼らがけっして受け入れなかったのが、アジア的専制国家で発達したシステム、すなわち、官僚制、常備軍ないし傭兵である。
 通貨の鋳造を開始したイオニアの人々は、アジアの専制国家のように国家官僚による価格統制を行わず、それを市場に任せた。
 価格の決定を、官僚ではなく市場に任せたということが、アルファベットの改良とならんで、ギリシアの民主政をもたらした要因だとする。それらはすべてイオニアで開始された。
(ホメロスの叙事詩が書かれ且つ普及したのも、イオニアにおいてである)

・一般に民主政はアテネに始まり、他のポリスに広がったと見なされている。しかし、それは本来、イオニアに始まった原理にもとづいている、と柄谷氏はいう。
 それは、民主主義ではなく、イソノミアと呼ばれていた。
 柄谷氏によれば、イソノミアという原理は、イオニアに始まり、他のポリスに広がった。
 その原理は、植民者によって形成されたイオニア諸都市に見出される。
 というのも、そこでは植民者たちがそれまでの氏族・部族的な伝統を一度切断し、それまでの拘束や特権を放棄して、新たに盟約共同体を創設することができたからであるという。
(それに比べると、アテネやスパルタのようなポリスは、従来の部族の(盟約)連合体としてできたため、旧来の氏族の伝統を濃厚に留めたままであった。それがポリスの中の不平等、あるいは階級対立として残った)

※アテネにおける民主主義は、多数者である貧困者が少数の富裕階級を抑え、再分配によって平等を実現することである。しかし、イソノミアとは、自由であることが平等であるような原理である。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、179頁~182頁)

第2部第1章 国家


「第2部第1章 国家 6 官僚制」では次のようなことが述べてある。

6 官僚制


・古代文明は、大河川流域に発生し、大規模な灌漑農業をもっていた。
 したがって、マルクスは東洋的専制国家を灌漑農業と結びつけた。
 ウェーバーもまた、つぎのようにいっている。
「官僚制化の機縁を与えるものとしては、行政事務の範囲の外延的・量的な拡大よりも、その内包的・質的な拡大と内面的な展開との方が、より重要である。この場合、行政事務の内面的発展の向う方向とこの発展を生み出す機縁とは、極めて種々さまざまでありうる。官僚制的国家行政の最古の国たるエジプトにおいては、書記や官僚の機構を作り出す機縁をなしたのは、上から全国的・共同経済的に治水をおこなうことが、技術的・経済的にみて不可避的であったという事情である。(下略)」
(ウェーバー『支配の社会学』Ⅰ、世良晃志郎訳、創文社、88~89頁)

<ウィットフォーゲルの見解>
〇マルクスとウェーバーの観点を受け継いだのが、ウィットフォーゲル
・東洋的専制国家が大規模な灌漑農業を通して形成されたと考えた。
・さらに、地理的な限定をとりのぞいて、それを「水力社会」と命名した。
(このような考えに関して、専制国家と灌漑農業は必然的な結びつきがないという批判がある。また、ロシアのように灌漑農業をもたない地域にも専制国家が成立しているという批判がある。)
・ウィットフォーゲル自身がその後に、ロシアのように「水力的」でない地域に専制国家ができた理由を説明しようとして、それを外からの影響に求めた。ロシアには、モンゴルによる支配を通して、アジア的な専制国家が導入されたという。

※この点に関して、柄谷氏は次のように考えている。
・このこと自体、専制国家が灌漑農業とは別個に考える必要がある。
 「水力社会」が実現した「文明」とは、自然を支配する技術である以上に、むしろ人間を統治する技術、すなわち国家機構、常備軍・官僚制、文字や通信のネットワークである。
 ゆえに、それは灌漑と縁がないような他の地域(たとえばモンゴルの遊牧民)にも伝えられた。人間を統治する技術が、自然を統治する技術に先行した。

☆官僚制はどのようにできたのか。
 巨大な土木事業から官僚制が発達したのは確かであるが、考えるべきなのは、そのような工事に従事する人間はどこから来たのか、また、それらを管理する官僚はどこから来たのか、であるとする。
・氏族社会の人々は従属的な農民となることを嫌う。遊牧民も同様。
 ⇒彼らは支配者となっても、官僚になることを嫌い、戦士=農民にとどまろうとする。
 ※ギリシアのポリスで官僚制がまったく発達しなかったことはその一例。
  ローマでは、官僚制がないために、私人に租税徴収を請け負わせた。
 ゆえに、人がすすんで官僚になることはない、と考えなければならない。

<ウェーバーの見解>
・ウェーバーは、エジプトの官僚は、事実上、ファラオの奴隷であり、ローマの荘園領主は、直接の現金出納を奴隷に託していた、という。
 その理由として、「奴隷に対しては拷問を用いえたからである」という。
 アッシリアでは、官僚の多くが宦官(かんがん)であった。
※この点、柄谷氏は次の点を指摘している。
 それは、互酬的な原理にもとづく共同体の成員の場合、官僚制はありえないということを意味している。(いいかえれば、官僚制は、王と臣下の間に互酬的な独立性が全面的に失われたときに生まれた)
 
・ウェーバーによれば、その後に、官僚制は保証された貨幣俸給制にもとづくようになる。
 その意味で、貨幣経済の完全な発展が、官僚制化の前提条件である、とウェーバーはいう。
 貨幣俸給制によって、官僚は、偶然や恣意のみに左右されない昇進のチャンス、規律と統制、身分的名誉感情をもつようになる。
 さらに、官僚は、頻繁に替わる支配者(王権)に代わって、実質的に国家の支配階級となる。
 だが、官僚は根本的には「奴隷」なのであり、それゆえに主人となる。専制的な君主は、官僚なしには何もできないから。
(ヘーゲルのいう「主人と奴隷」の弁証法は、ここに見出される)

・もう一つ、官僚制の基盤は文字にある。
 文字は、多数の部族や国家を統治する帝国の段階において不可欠のものとなった。文字言語から標準的な音声言語が作られた。
⇒シュメールにおいてもそうであったが、エジプトでは、複数の複雑な文字体系を習得することが、官僚の必要条件であった。
(官僚の「力」は、何よりも文字を知っていることになる)

<柄谷行人氏の補足説明>
・過去および現在の文献を読み書きできないならば、国家的統治はできない。
 中国において、官僚制が連綿として続いたのは、それが何よりも漢字・漢文学の習得を必要としたからである。
・古代中国で専制国家の形態が完成されたのは、漢王朝においてである。
 それ以後、遊牧民による征服が幾度も起こった。しかし、征服王朝はそれまであった国家官僚機構を破壊せず、その上に乗っかっただけであった。
 度重なる征服は、逆に、国家機構を氏族・部族の共同体的紐帯から切れた、中立的なものとする方向に向かわせた。
・8世紀、隋王朝から始まった官僚の選抜試験制度、すなわち、科挙は、官僚制を、どんな支配者(王朝)にも仕えるような独立した機関たらしめた。
 それは、「絶え間なき崩壊と再建、および休みなき王朝の交替」にもかかわらず、モンゴルが支配した一時期をのぞいて、20世紀にいたるまで存続した。
⇒中国で始まった科挙と文官支配は、その周辺国家(朝鮮・ベトナム)でも受け入れられた。
 高麗王朝は、10世紀に科挙制度と文官支配を確立した。
 しかし、日本では、中国の諸制度をことごとく受け入れたにもかかわらず、官僚制度だけはまったく根づかなかった。基本的に戦士的な文化が保持された。(513頁注(18))
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、123頁~127頁、513頁注(18))



第2部第3章 世界帝国


第2部第3章 世界帝国 5 封建制

5 封建制


※マルクスが「アジア的」、「古典古代的」、「封建的」と区別したものが、継起的段階ではなく、世界=帝国という空間における位置関係として見られることがわかる、と柄谷氏は理解している。(198頁~199頁)

a ゲルマン的封建制と自由都市(193頁~198頁)
・ゲルマン的封建制とは、一言でいえば、誰も絶対的な優位に立ちえない多元的な状態である(198頁)
・王、貴族、教会、都市らが、たえず対立し連合した。
 したがって、封建制はつねに戦争状態としてあった。
 王や諸侯たちの戦争による分散化・多中心化が、統一的な国家の形成を妨げた。
 ⇒そこから、王が絶対的な主権を握ったのが、15・16世紀の絶対主義王権国家である。
  王は封建諸侯を制圧し、常備軍と官僚機構を確立した。
※これはある意味で、すでに東洋的な専制国家においてあったものを実現することだった。
※絶対主義王権が東洋的専制国家と異なる点
 ⇒商品交換(交換様式C)を抑えるどころか、その優位を確保し促進することによって成立したということ。
(それが結局ブルジョア革命にいたるのは当然)

〇封建制は、それ以後に資本主義の発展と西ヨーロッパの優位に帰結したため、何か西ヨーロッパに固有の原理のように思われている。
 しかし、ギリシアやローマの特性がエジプトなどオリエントの帝国の亜周辺に位置したことから来ているのと同様に、西ヨーロッパの封建制もローマ帝国、さらにイスラム帝国の亜周辺に生じた現象であると捉える。
 つまり、このような特性は、「オキシデント」一般の特徴ではなく、中核、周辺、亜周辺という位置と関係にもとづくものだというべきである。

〇そのことは、東アジアの日本の封建制を例にとることで明らかになるという。
 マルクスもウェーバーも日本に封建制が成立したことに注目した。
 (この場合の封建制は、人的誠実関係、すなわち、主人と家臣の間の封土-忠誠という相互的な契約関係にもとづく体制を意味する。
  アナール学派のマルク・ブロックやブローデルもこの事実に注意を払った)
 しかし、柄谷氏の見るかぎり、なぜそれがありえたのかを説得的に説明したのは、ウィットフォーゲルだけであるという。(ウィットフォーゲル『オリエンタル・デスポティズム』
 ウィットフォーゲルは、日本の封建制を、中国の帝国に対して亜周辺に位置したことから説明した。

<「周辺」の朝鮮と「亜周辺」の日本との相違>
・中国の「周辺」である朝鮮においては、中国の制度が早くから導入されていたが、島国の日本ではそれが遅れていた。
 日本で、中国の制度を導入して律令制国家が作られたのは7世紀から8世紀にかけてである。
 しかし、それはかたちだけで、国家の集権性は弱かった。
 ⇒導入された官僚機構や公地公民制は十分に機能しなかった。
  そのような国家機構の外部に(とりわけ東国地方で)、開墾による土地の私有化と荘園制が進んだ。
 そこに生まれた戦士=農民共同体から、封土-忠誠という人格関係にもとづく封建制が育ち、旧来の国家体制を侵食しはじめた。
 13世紀以後、武家の政権が19世紀後半まで続いた。

・一方、その間、朝鮮では、中国化がますます進み、10世紀には高麗王朝で科挙(官僚の試験選抜制度)が採用された。
 文官の武官に対する圧倒的優位が確立された。以来、官僚制は20世紀まで続いた。
 
・しかし、日本では、すべてにおいて中国を範と仰いでいたにもかかわらず、科挙は一度も採用されなかった。
 文官を嫌う、戦士=農民共同体の伝統が強く残った。
 とはいえ、古代の天皇制と律令国家の体制はかたちの上で残され、権威として機能しつづけた。
(それは、封建的国家が、旧来の王権を一掃するかわりにそれを崇めることで、正統性を確保したからである。それが可能だったのは、外部からの征服者がいなかったせいでもある)

※だが、このように旧来の権威を利用することは、封建制的な要素を抑制することになる。
 すなわち、そこにあった双務的(互酬的)な関係を弱めてしまう。
 マルク・ブロックは、日本の封建制がヨーロッパのそれと酷似するにもかかわらず、そこに「権力を拘束しうる契約という観念」が希薄である理由を、「日本では[国家と封建制という]二つの制度は相互に浸透することなく併存していた点に見出している。

・16世紀の戦国時代を経て覇権を握った徳川幕府は、朝鮮王朝から朱子学を導入し、集権的な官僚体制を作ろうとした。さらに、幕府の正統性を、古代からの天皇制国家の連続性の下に位置づけた。
 ゆえに、徳川時代において、封建制よりも集権的な国家の側面が強まったことは確かである。
 しかし、事実上、封建的な体制と文化が維持された。
 (たとえば、武士には「敵討ち」の権利と義務が与えられた。国家の法秩序とは別に、主君との人格的な忠誠関係が重視された。官僚であるよりも、戦士(サムライ)であることに価値が置かれた。別の観点からいえば、理論的・体系的であるよりも、美的あるいはプラグマティックであることに価値がおかれた)

※このように、帝国に発する文明を選択的にしか受け入れないということは、日本の特徴というよりもむしろ、亜周辺に共通した特徴である。
 たとえば、同じ西ヨーロッパの中でも、ローマ帝国に対する関係という面から見て、「周辺的」と「亜周辺的」の違いが存在する。
 フランスやドイツがローマ帝国以来の観念と形式を体系的に受け継ごうとする「周辺的」傾向があったのに対して、イギリスは「亜周辺的」であった。そこでは、より柔軟、プラグマティック、非体系的、折衷的な態度がとられてきた。
 ⇒イギリスは、大陸に向かわず、「海洋帝国」を築き、近代世界システム(世界=経済)の中心となったのは、そのためである、と柄谷氏は考えている。
 (柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、198頁~202頁)
 

第4部第1章 世界資本主義の段階と反復


第4部第1章 世界資本主義の段階と反復

<歴史家ウォーラーステイン氏と柄谷行人氏の考え>
・重商主義、自由主義、帝国主義などを、近代世界システム(世界資本主義)におけるヘゲモニーの問題としてとらえた。つまり、国家を能動的な主体として、歴史家ウォーラーステインは導入した。
・自由主義とはヘゲモニー国家がとる政策である。
 ゆえに、それは19世紀半ばの一時期に限定されない。実際、その他の時期にもあった。
 ただ、ウォーラーステインの考察によれば、そのようなヘゲモニー国家は近代の世界経済の中に三つしかなかった。オランダ、イギリス、そしてアメリカ(合衆国)である。
・オランダは、ヘゲモニー国家として自由主義的であった。
 その間(16世紀後半から17世紀半ばまで)は、イギリスは重商主義(保護主義的政策)をとっていた。
 オランダは政治的にも絶対王政ではなく共和政であり、イギリスよりはるかに自由であった。
(たとえば、首都アムステルダムはデカルトやロックが亡命し、スピノザが安住できたような、当時のヨーロッパで例外的な都市であった)

・ウォーラーステインは、ヘゲモニーの交代はつぎのようなパターンで生じる、という。
≪農=工業における生産効率の点で圧倒的で優位に立った結果、世界商業の面で優越することができる。こうなると、世界商業のセンターとしての利益と「見えない商品」、つまり、運輸・通信・保険などをおさえることによってえられる貿易外収益という、互いに関係した二種類の利益がもたらされる。こうした商業上の覇権は、金融部門での支配権をもたらす。ここでいう金融とは、為替、預金、信用などの銀行業務と(直接またはポートフォリオへの間接の)投資活動のことである≫
(ウォーラーステイン『近代世界システム 1600-1750』川北稔訳、名古屋大学出版会、45頁~46頁)

※このように国家は、生産から商業、さらに、金融という次元に進んでヘゲモニーを確立する。
 しかし、ヘゲモニーは実にはかないもので、確立されたとたんに崩壊し始める。と同時に、生産においてヘゲモニーを無くしても、商業や金融においてヘゲモニーは維持される。

・オランダは製造業においてイギリスに追い抜かれた18世紀後半になっても、流通や金融の領域ではヘゲモニーをもっていた。
 イギリスが完全に優越するようになったのは、ほとんど19世紀になってからである。それが、「自由主義」段階と呼ばれる時期である。
 ただ、自由主義はヘゲモニー国家の政策である。世界資本主義においてイギリスが覇権をもった時期を自由主義と呼ぶなら、オランダが覇権をもった時期もそう呼ぶべきである。
 他方、重商主義とは、ヘゲモニー国家が存在しない時期、すなわち、オランダがヘゲモニーを失い、イギリスとフランスがその後釜を狙って戦った時期である。
 1870年以後の帝国主義と呼ばれる段階も、それと同様である。
 それはイギリスが製造業においてヘゲモニーを失い、他方、アメリカとドイツ、日本などがその後釜を狙って争い始めた時期である。
 このため、重商主義的な段階と帝国主義段階は類似してくる。
 (柄谷氏は、それらを「帝国主義的」と呼ぶことにしている)
 そこで、世界資本主義の諸段階は、表1のようになる。
⇒このように見ると、世界資本主義の諸段階は、資本と国家の結合そのものの変化としてあらわれること、
また、それはリニアな発展ではなく、循環的なものであることがわかる。

・たとえば、表1で「重商主義」(1750-1810年)と呼ぶものは、たんにイギリスがとった経済政策あるいは経済的段階ではない。それは、オランダによる自由主義からイギリスの自由主義にいたるまでの過渡的段階、つまり、オランダが没落しつつあった一方、イギリスとフランスがそれにとってかわろうと熾烈な抗争を続けた「帝国主義的」な段階を意味する。
・同様に、1870年以降の帝国主義とは、たんに金融資本や資本の輸出によって特徴づけられる段階ではなく、ヘゲモニー国家イギリスが衰退する中で、ドイツやアメリカ、そして日本が台頭して争った時代である。
(帝国主義戦争は、新興勢力が「重商主義」時代に獲得された英仏蘭の領土を再分割しようとするものであった。)

※かくして、世界資本主義の段階は、一方で、生産力の高度化によってリニアな発展をするともに、他方で、「自由主義的」な段階と「帝国主義的」な段階が交互に続く、というかたちをとる。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、437頁~438頁)

<柄谷行人氏の見解>
〇こうした諸段階は、それぞれ「世界商品」と呼ぶべき基軸商品の変化によっても特徴づけられる。
 重商主義段階は羊毛工業、自由主義段階は綿工業、帝国主義段階は重工業、後期資本主義段階は、耐久消費財(車と電気製品)である。
 後期資本主義段階は、1980年代から進行してきた新段階(ここではいわば「情報」が世界商品だといってよい)にとってかわれる。
(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫、2015年[2021年版]、431頁~432頁)