フーシェンのデビュー作を考える場合、子役などは無かったと想定してまずはプロフィールからおさらいしてみます。
1954年生まれ。1971年、邵氏の演員訓練班に加入し、翌年卒業(第1期生)。当時の卒業写真!!
同期にはダニー・リー、黄元申、關聰、米雪(メイ・シュウ)など
1972年10月、邵氏へ入社。
卒業前の71年頃に映画の初出演を果たしています。
それではフーシェンにとってどの作品がその初出演だったのでしょうか。(※ここでは公開順ではなくて出た順として考えます)
日本で劇場公開された「嵐を呼ぶドラゴン」。
やはりこれが一番有名で彼の代表作と言えるでしょう。(海外だとまた違うのでしょうけど)
この「嵐」のパンフレットには”14人のアマゾネスでデビュー”と記載されています。これがすなわち「14アマゾネス・王女の剣」(『十四女英豪』)の事になるのでしょう。
他にも諸説あり、別の書籍では『仇連環』(「復讐ドラゴン必殺拳」)や『四騎士』がその候補として挙がっています。
てっとり早い手段は映画雑誌となるでしょう。当時の資料と睨めっこしつつ、勘を働かせて
ここはとりあえずデビュー作を『十四女英豪』と仮定して進めます。
それにしても、なぜ劇場公開された74年当時の資料(パンフ)では『十四女英豪』であったはずなのに、現在は様々な説が存在しているのか。
これは『十四女英豪』に関して出演したとの情報があまりにも少な過ぎたためであるかも知れません。
彼に関する香港製のドキュメンタリーなんかがあれば分かりやすいところですが、そんな物があったかなと頭を捻ってみましたが、以前に見た記憶はありませんでした。
映像で現在見られるものとして、例えば香港盤DVDには特典にティ・ロンが出てくる映像資料(ドキュメンタリー)がありました。
この中では『警察』がフーシェンのファースト・フィルムであると語られています。
香港の解釈は『警察』と言えるのかも知れませんが、香港といえども約40年前のデータなど関知せず、ぼやけてしまい明確な出演作を挙げているに過ぎません。これは日本と同じ状況です。(そういった考えの下でそれを挙げたのであれば、それも正しいのかも知れません)
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『十四女英豪』の本編映像はどうだったのでしょうか。・・・とその前に。
違う角度から。クワイさんからの情報では『十四女英豪』または『霹靂拳』、そしてフーシェンと同期だった黄元申との絡みで何かヒントがあるのでは?との事でしたので、こちらからも念のため当たってみました。
すると、どうでしょう。凄い情報があるではないですか!
黄元申は訓練班の班長でフーシェンと共にエキストラをこなしたと。(86年の雑誌インタビューより)。
彼については最近、テレビドラマCIDに出演していたのが再確認できました。(余談ですが、同期の二人は79年の『絶代雙驕』では、映画でフーシェンが、テレビドラマで黄元申が同じ題材、役を競演しています。これは凄いですね!)
私もこれは知らなかったのですが黄元申は邵氏での経験がスタートだったのです。それでは黄元申&フーシェンは邵氏作品の何に参加したのか。
そう、それが『霹靂拳』で、黄元申はこれに出たのです。(邵氏ではこの『霹靂拳』のみ。卒業後は邵氏へ入らなかったのでしょうか?)
黄元申と同期であったとしても同じ映画に出れたとは限りませんが、実際には共演できたようです(後述)。
しかし、同期がこのタイミングで出演できたのですから、フーシェンは少なくともこの前後の作品にも出演できたはずです。
ちなみにインターネットのデータベースを見ても未だこれらのデータが無くHKMDBでさえも『霹靂拳』や『十四女英豪』はフーシェンのフィルモグラフィには記載されていません(2015/5/5現在)。
作品自体の並びについては、南國電影71年の2月号に『十四女英豪』の紹介があり最初に出てきますので、『霹靂拳』よりは作られた時期が早いことがわかります。(『霹靂拳』はさらに約3ヶ月後に紹介。)あとは出演していることが確認できればOKです。
最終的な確認として映像を確認しました。出演者が大勢のため見つけることは困難ですが、なんとか発見できました。しかし、上記の記事のように最初であることを証明する物もあったのです。
もう一点。『十四』が一番早く完成したか。これは正直のところ不明です。三つの作品が接近しており、(公開順では『年輕人』『十四女英豪』『霹靂拳』の並びとなります。)72年春の南國電影などを見ると明らかに『十四』がほぼ完成、『年輕人』はまだ開始された時期で撮影中の写真は載っていませんでした。もう一度整理すると私の考えでは『霹靂拳』(当初『穿腸腿』と呼ばれていました)より『十四女英豪』が早く開始され、『年輕人』より先に『十四女英豪』が出来上がったということからの判断になります。
ということで上記の考察により、フーシェンのデビュー作は『十四女英豪』であるという結論に到達できました。(情報提供等、ご協力していただいたクワイさん。ありがとうございました。)
最後に、アレクサンダー・フーシェンの初期作品となる7本を順にご紹介しておきます。
1.『十四女英豪』(72)
最も早い段階で撮影された作品で、フーシェンの記念すべきデビュー作。
(クランクインから完成までに約2年を要した)
2.『霹靂拳』(72)
訓練班で同期生だった黄元申も出演している。
※王清河の横、短いヘアースタイルで出演(中央)
3.『年輕人』(72)
姜大衛の隣でドラムを叩いたり、目立つファッションで
群衆の中の1人として登場する。
4.『仇連環』(72)(「復讐ドラゴン 必殺拳」)
自転車に乗って狭い通路で陳觀泰と交差するシーンや
屋外で子供たちと走ったりする。
5.『四騎士』(72)では軍服のフーシェンが
素晴らしい笑顔を見せている。
6.あのアグネス・チャンが出演していた『叛逆』(73)。
少し髪も長くなり、いつもの感じになっている。
7.最後は初クレジット(宣材に名前が表示)
された王鍾主演の『警察』(73)。
警察署の体育館で劉家榮と試合する。
フーシェンは空手を習っていたため空手着姿を見るとイメージが湧いてしまう(笑)。ポーズもカッコいい!!
海報の下に”介紹邵氏新星 傅聲”と記載
その他、未確認ではありますが、『馬永貞』(72)(「上海ドラゴン英雄拳」)が海外では頻繁にデビュー作として紹介されているため一応挙げておきます。但し、『十四』よりは後になるのでデビュー作ではなさそう。また、他にも71年~73年頃の入社以前の邵氏作品に出演している可能性もあります。(入社後に公開された作品もあるためその判断は困難。入社以降は『警察』が最初であると思われる。)
ということで、第1回はフーシェンについてでした。次は誰となりますか?
まだスタートしたばかりの本シリーズ、次回をお楽しみに。