なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

ボジョレー・ヌーヴォーの評価

2009年11月23日 23時37分18秒 | 一般記事
先日、今年のボジョレー・ヌーヴォーが発売されましたが、その評価についておもしろい記事がありましたので紹介します。

ボジョレー・ヌーヴォー 毎年「今年は最高!」の怪

商品を売る以上、今年はダメだったとは言えないんでしょうね。

エホバの証人も、信者を増やす・組織を維持する目的がある以上、「終わりが近い!」と言い続けなきゃならないんでしょうね。
(また一般のニュースとエホ証ネタをこじつけてます…

以前にも書きましたが、何年経っても「まもなく」「まさに」などと言ってるんでしょうなぁ。

注:このブログの画像はボジョレーとは関係ありません。

職場での守秘義務

2009年11月22日 23時06分11秒 | 一般記事
先日載せた中絶に関する記事で、ある方から「看護士はその仕事の中で証人の姉妹が中絶したことを知ったなら、組織に報告をしなければならない」とコメントがあり、その資料の情報を personaさんから教えてもらいました。

ものみの塔誌 1987年9月1日号 12ページ「話すのに時がある」-それはどんな時?
にありました。
WTLを持ってない人のためにスキャンしましたのでご覧ください。
12ページ / 13ページ / 14ページ / 15ページ

要約すると、医師の助手として働くメアリーが、仲間のクリスチャンで独身の姉妹が中絶手術をしたことを職務中に知り、そのことを本人に問い尋ねたところ、罪を認めて長老に報告し、姉妹が霊的健康を取り戻す助けになった、という内容です。

医療に携わる者は特に、職務上知った秘密を守る義務(守秘義務)があるのですが、「エホバの証人のルール」に反する行為を見つけた場合どうするのかというと、13ページにこう書いてあります。
個人的な記録の内容を権限のない者に明かす行為を違法としている国が多いのは事実です。しかし,もしクリスチャンが祈りをこめて考慮した末,自分は今,下位の権威の要求には反することになっても,神の律法がわたしに自分の知っていることを報告するよう要求するという事態に直面していると感じるなら,それはその人がエホバの前で受け入れる責任です。クリスチャンには,『支配者として人間より神に従わねばならない』時があります。―使徒 5:29

つまり、「下位の権威」(ここでは守秘義務)に反してでも組織のルールを通さねばならない、というわけです。

雇用主と雇用者に交わされている契約を破ってまで宗教のルールを持ち込むのであれば、そのことを事前に雇用主に伝えるべきでしょう。

「私はエホバの証人で、これこれこういう理由で、患者であり宗教上の仲間である○○さんに、中絶したことを長老に伝えるよう助言したいと思います。」

「宗教上の理由で、守秘義務を守るよりエホバ神に従わなければならないと考えており、○○さんが中絶したことを長老に伝えたいと思います。」

ま、こんなことをすれば解雇されるのは確実ですね。
特に今は個人情報を保護することに厳しい時代ですから。

メアリーの例ではうまくいった美談として描かれていますが、このようなことによって大きなトラブルに発展した場合、組織は責任を取ってくれるのですかね?

またいつもの「個人が良心的に決定したこと」で済ませるのでしょうかね。

引用元を明らかにしないものみの塔協会

2009年11月21日 00時59分48秒 | 一般記事
僕が学生の時、物理の先生が実験レポートの書き方に非常に厳しく、よく書き直させられました。

よく言われていたのが、実験時に使用した道具の名前やそのシリアルナンバーをきちんと記録すること、レポートを書くときに参考にした本を参考文献として報告することでした。

自分で考えたこと以外は何かしらの文献を参考にしたはずで、それを参考文献として載せないのは盗作だ、とよく言っていました。
(10年近く前のことなので細かい言い回しは忘れてしまいましたが…

こんな指導を受けたせいかどうかは知りませんが、ものみの塔の出版物で「ある○○によると」という表現が非常に多いのが気になります。

「ある研究家によると」「ある百科事典によると」「ある専門家によると」…こんな感じです。

聖書を引用するときは何章何節まで載せ、その前後の文脈も研究するように勧めているにも関わらず、一般の資料に関しては「調べるな」とでも言いたげな扱いです。

すべての人のための書物」や「戦争のない世界がいつの日か実現しますか」のように文献のタイトル、発行年、ページまで書いてある出版物はかなりまれで、前述のように引用元を明らかにしない場合が圧倒的に多いようです。

世界中に配布されている雑誌なんだから、こういう基本的なことは守って欲しいですよね。
(配布されている=読まれている、ではありませんが。)

引用元の本など調べても結局のところ何にもならないんだから、「洞察」「霊感」「ダニエル書」「イザヤ書」「啓示の書」でも読んでなさい、とでも言いたいようです。
王国宣教 2007年9月号 質問箱


「ある評論家によると」なんて書かれたら文献を調べようがないので、自分たちに都合の良いコメントを適当に作っているんじゃないか?なんて言われても仕方ないと思います。

「エホバの証人が唯一神の導きを得ている真の組織であることは、疑問の余地のない明白な事実であると認めざるを得ない」とある学者は述べています。
なんて最もらしい書き方をすれば信じる人は多いかもね。

野外奉仕時間の「入れ方」

2009年11月20日 18時34分23秒 | 一般記事
奉仕報告用紙

エホバの証人の特色と言えば、奉仕時間を非常に気にすることかもしれません。
王国宣教でも「ハイライト」などと時間をよく強調しています。

エホバの証人以外の人のために簡単に説明すると、研究生が「神権宣教学校」に入校し、その後「伝道者」になると、月に1時間以上伝道活動に参加し、月初めに1ヶ月分の「野外奉仕報告」を提出する必要があります。

ちなみに、バプテスマを受けた人もすべて「伝道者」なので、それと区別するために「バプテスマを受けていない伝道者」とかわいそうな呼ばれ方をされます。

報告する時間とは、基本的に最初に入った家(留守でも良い)から最後に入った家までの時間です。
(「家に入る」という言葉を使いますが、集合住宅のインターホン越しでも家に入ったことになります)

奉仕で時間を費やすことをエホ証用語で「時間を入れる」と言います。

奉仕時間というのは自己申告制で、タイムカードがあるわけではありません。

始めた時間と終えた時間を分単位で正確に記録することが求められていますが、実際には「今日は何時間位奉仕した」とアバウトな記録の付け方をする人もいます。

伝道者であれば月に1時間以上、「補助開拓者」であれば50時間以上、「正規開拓者」であれば70時間以上の要求があります。

ただ、奉仕場所に行って指示があるまで待ち、それから家に入るとどうしても時間のロスが生じます。そこで奉仕場所に向かう時間や家に帰る時間を有効に活用(報告)するため、様々な方法が使われています。

「電話証言」してから出かける
留守宅だった家や再訪問先に電話してから出かけると、そこから奉仕時間はスタートです。
留守宅の家にかけるときは、自宅や携帯電話の番号が通知されると都合が悪いので「184」発信します。「番号非通知」と表示される相手がどう思うかは考えないことになっています。非通知拒否の場合でもそこからスタートです。
近所の留守宅を使う
家から近い場所で、以前の野外奉仕で留守だった家のチャイムを鳴らします。「この時間は絶対にいない」と分かっている場合でも、時間を入れるためなら利用させてもらいます。
「未信者」の家族を利用する
エホバの証人ではない家族に「今週の公開講演に来ない?」などと「証言」すれば、そこからスタートです。

このようにいろいろと工夫することで、野外奉仕の開始時間と終了時間の問題は解決するのですが、それ以外にも問題があります。

それは「網羅が非常に早い」区域の場合です。
「網羅」というのは、会衆に割り当てられた区域をすべて訪問することですが、札幌のように人口に対してエホバの証人が非常に多い都市では、1ヶ月もしないうちに網羅してしまいます。

そのため、1回の野外奉仕で割り当てられる区域が少なく、時間をもてあますことになります。

用が終わったら家に帰って聖書の研究でもしていた方がよほど有益なのですが、「要求時間」というノルマがあるため、何が何でも時間をつぶさなければならないのです。

「野外奉仕の時間中に飲み物を飲んだり食事をしたりするために用いた時間は数えるべきではない」と組織の本にあるのですが、そんなことはお構いなく毎週のようにマックなどで時間をつぶしています。

僕は以前アメリカに数ヶ月滞在していたことがあるのですが、「本場」はもっとすごく、エホバの証人が奉仕中によく集まるカフェで1時間以上も談笑していました。
(「奉仕をするために必要な休憩」と考えているので、これも奉仕時間に入れます。)

以前住んでいた田舎では人口に対してエホバの証人が少なく、2時間以上歩き続ける奉仕が普通だったのですが、都会やアメリカの奉仕を見ると、差し迫った滅びから人々を救うために必死にのべ伝えている、というよりも「開拓奉仕」という特権のために時間をつぶしているという印象を受けました。

時間を報告することについて、JW解約への道にある神の経路と奴隷級 (PDF 2.62MB) 24ページ「奉仕は霊的な基準?」にも興味深い質問がありますのでご覧ください。

なお、野外奉仕時間の報告の仕方について正式な指針は「エホバのご意志を行うための組織」84, 85, 86, 87ページ、子供との研究を司会した親が時間をどう報告するかは王国宣教 2008年9月号 3ページをご覧ください。

このような「時間の入れ方」に関する資料を改めて見てみると、ただ単なる組織の「決めごと」でなんでこんなに必死になってるのかなぁと思いました。

妊娠中絶に対するエホバの証人の見方

2009年11月18日 02時26分43秒 | 一般記事
少し前の話ですが、ブラジル北東部ペルナンブコ州で 9歳の女の子がレイプによって妊娠し、中絶(堕胎)したところ大司教によって破門された、というニュースが話題になりました。

その後、反響や非難を重く見たバチカンが破門を取り消すというニュースがさらに報じられました。

エホバの証人は中絶をどう思っているのかというと、「聖書は実際に何を教えていますか」第13章ものみの塔 1990年11月15日号 28ページ等にあるように、前述の大司教と同じ考えでどんな状況でも中絶は許されない罪であると考えています。

つまり、
(1)妊娠が母親の生命を脅かす場合
(2)胎児に奇形の危険性がある時
(3)女性の健康が危険にさらされている時
(4)強姦によって妊娠した場合
のような、どんな理由・状況であろうと中絶をしたら排斥(破門)の対象となります。

これに関してさまざまな意見があると思いますが、僕個人としては、中絶するかどうかは本人が家族や医師に相談し、それぞれのリスクを考えた上、自己責任で決定するべき問題だと思います。

輸血もそうですが、宗教がからんで物事が複雑になることが多いですね。

そのくせ、後で問題が生じると「あなたが個人的に決定したことです」なんて責任逃れされちゃいますけど。

楽園に~なった~ら♪

2009年11月17日 22時08分59秒 | 一般記事
見よ! 1979年版

エホバの証人同士ではよく「楽園になったら何がしたいか」「どうなると思う?」のような、くだらない話で盛り上がることがあります。

僕が以前聞いた「希望」は
「○○(聖書中の人物)と直接会って話がしてみたい」
(奉仕中、畑に生えた雑草を見て)「楽園に行ったら雑草の心配がいらなくなる」
(スタイルの話題になって)「イケメンになる」「足が長くなる(かっこよくなる)」
などなど、いろいろなファンタジーが飛び出します。

2009年の地域大会でも、「楽園に行ったらどんな動物と触れあいたいか」「復活してきた人にどんな証言をしたか」のような「質問リスト」を作るよう励まされました。

ちょっと現実的な見方になりますが、楽園に行って聖書中の人物が復活したとして、そこまでどうやって行くのでしょうかね?
(言葉は共通となるようです。目ざめよ! 2000年8月8日号 13ページ)

エホバの証人の出版物にある楽園の絵には、飛行機や車は存在しません。

むしろ、近代文明はすべてハルマゲドンで滅ぼされることになっています。

永遠の命という途方もない時間があるので、すべて船で移動ですかね?

こういう具体的な質問をすると決まって「楽園に行ってみないと分からない」「想像力が足りない」などと言い返されてしまいます。

楽園と言えば、今年アメリカで行われた国際地域大会に行った姉妹の写真を見せてもらいましたが、その1枚に「See you in Paradise!」(楽園でまた会いましょう)と書かれた横断幕を持っている人たちがいました。

楽園を待たなくとも、会いたきゃまた会いに行けばいいじゃん、と思いました。

エホバの証人の言う「楽園の希望」を本気で信じている人なのかどうかは、このような会話の時の表情で分かりますよね。

研究生を連れて野外奉仕に出てはいけない

2009年11月15日 14時08分56秒 | 一般記事
トントン♪

会衆に交わっている(出席している)、神権宣教学校に入校した女性と以前こんな会話をしました。

 「これから奉仕なんですよ。」
 「いいなぁ、私も奉仕に参加して、どんな様子なのか知りたい。」
 「奉仕に付いて行って見学したらいいんじゃないですか?」
 「付いて行くだけでもダメだって言われたんですよ。」


そんなルールがあったとは知らなかったので、その後にWTLで調べてみました。

その記事は、ものみの塔 1989年12月1日号 31ページにあって、「公の宣教を始める,バプテスマを受けていない人についての新しい情報からすると,研究生を誘ってしばらくの間一緒に宣教に携わり,業がどのように行なわれるかを見学してもらってもよいのでしょうか。」という長ったらしい質問です。

内容が少々分かりにくいですが、要は「バプテスマを受けていない伝道者」として認められていなければ、付いて行くこともできないということだそうです。

二世で幼い頃から野外奉仕に連れ出されていれば分かるのですが、そうではない人は野外はどんな反応なのか分からないと思います。

「奉仕会」での実演や「論じる」の問答集を見ると、家の人と普通に会話ができるかのように思うかもしれませんが、実際は挨拶程度で断られることがほとんどで、質問ができたとしても答えてもらえず、中には罵声を浴びせる人もいます。

僕も「訪問拒否」を作ったことが何度かあります。

見ず知らずの人間が突然やってきて、宗教の話をされても不機嫌になる気持ちは分かりますけどね。

そんな現場の様子を伝道者になる前に見学させ「こんな奉仕をする覚悟はある?」くらいの余裕があってももいんじゃないのかな、と個人的に思います。
伝道者になる人がいなくなっちゃうかもしれませんが。
断る!

ボランティアは、私の最高の生きがいです。

2009年11月13日 00時46分20秒 | 一般記事
このタイトルは足利事件を当時担当した元刑事が、ブログで使っていたタイトルです。
(現在そのブログは閉鎖されているので、魚拓でご覧ください)

菅谷さんの人生を大きく狂わせ、17年半も服役させておきながら「ボランティアが生きがいで天寿を全うすることが人生の目的」だと、のうのうと生活している様子を知り、僕はえん罪が報じられたとき腹立たしく思いました。

この事件のキーワードは、「ボランティア」「事実を隠す」「事実を曲げる」「人生を狂わせる」です。


…というわけで、いつものエホ証ネタに移ります。


エホバの証人って、やたらと「ボランティア」を使いたがるんですよね。

うちの会衆だけだと思ったら大会の実演でも使っていたので、協会推奨のキーワードなのか調べたところ、最近では王国宣教 2000年10月号 8ページにあるだけで、特に何度も出てくるわけではありません。

どんな風に使うのかというと、こんな感じです。
「こんにちは。今日は皆さんの福祉を気づかうボランティア活動に参加していました。」
なんじゃそりゃと思いますが、今うちの会衆で流行っている証言方法です。

家の人が何の用件か分からないため油断していると、「最近の世の中は…」といつものパターンに持っていくわけです。

以前もブログに載せましたが、すぐに用件が分からない証言方法って逆効果だと思うんですよね。

エホバの証人の言う「ボランティア」は一般的に思い浮かべるボランティアとはかけ離れていますし。

ボランティアと言うより勧誘活動ですね。

家族を救おうとは本気で思っていない人たち

2009年11月11日 01時47分27秒 | 一般記事
救いの手

エホバの証人は主婦の姉妹が多く、その多くはご主人がエホバの証人ではない、つまり「未信者」であることが多いようです。

僕は以前から「この人たちは本気で家族を救おうと思っているのだろうか?」と思うことがよくありました。

ものみの塔の出版物や講演ではさかんに「今が終わりの日」であり、まもなくこの体制が滅ぼされ、神の組織に属していない人はハルマゲドンで滅ぼされると警告しています。

であれば、野外奉仕で赤の他人を救うことを考えるより、まず第一に家族を「真理」の道に導き入れるべきだと思います。

「一度でもエホバの証人の話を聞いたことがある人はハルマゲドンを通過できない」という教理が事実なら、なおさら真剣に考えるべき問題でしょう。

でも実際には、家族のことはあきらめていたり、「いつか振り向いてくれたらいい」程度にしか思っていない人が多いように思えます。

でも家族がまもなく滅ぼされると知りながら、よく普通の生活が送れますよね。

僕だったら、目の前の家族がもうすぐ滅ぼされると言われたら、普通に食事なんてできませんよ。「食事ものどを通らない」状態になると思います。

おぼれかけている人がいたらすぐに救いの手を差し伸べるように、命がけで救おうとすると思います。

ご主人は未信者、子供は離れていったという開拓者の姉妹がうちの会衆に数名います。
そんな姉妹たちにはこの動画を見てもらいたいです。


…ただ単に松岡修造の動画を貼り付けたいがためにこのブログを載せました。
こんなことを書きつつ、未信者のご主人や自然消滅した家族はそっとして欲しいと思うのが本心です。

第1の割り当てを果たしました

2009年11月10日 02時33分10秒 | 一般記事
割り当ての様子

先日の「神権宣教学校」で「第1の割り当て」をする機会がありました。

2009年から「第4の割り当て」がなくなったため、4→3、3→2、2→1となり朗読の割り当ては第1になりました。(2009年の予定を参照

4分の聖書朗読は、神権宣教学校に入校した男性信者の第一ステップである割り当てですが、以前と比べてずいぶんとハードルが下がったと思います。

2002年までは 5分の割り当てで、朗読前の導入、朗読後の教訓・適用を作る必要がありました。(2002年の予定を参照

過去のものみの塔などから参考になる記事を見つけ、それを2分程度にまとめ、朗読も含めて5分以内になるように調整するという、そこそこ大変な仕事でした。

それが、今では聴衆の前で聖書を朗読するだけです。何の準備をしなくても割り当てが果たせます。
(女性信者の割り当ては以前と同じです)

一応「朗読の質を向上する」ことが目的のようですが、それだったら前と同じ形式でもできますし、朗読するだけでは聴衆もつまらないですよね。

王国宣教 2009年8月号の 3ページ4ページで男性信者増強の記事が掲載されましたが、男性信者のハードルを下げて、「神権宣教学校」に入りやすくする作戦でしょうか。


以前 とある兄弟が現役時代に割り当てを受けたとき、ものみの塔の資料ではなく一般のキリスト教の解説書を参考にして割り当てを作ったと言っていました。

協会の資料では得られない新鮮な情報に、それとは知らない聴衆は感銘を受けたそうです。集会後の「どの資料を参考にしたのですか?」という質問には答えに詰まったようです。

協会の魂胆を勘ぐれば、そういった「我流」の割り当てを防ぐためでもあるかもしれません。

「第3の割り当て」(旧第4の割り当て)ではまだそういうチャンスはあるので真似しようと思っているのですが、現在まったく割り当てられなくなっちゃいました…
以前は1ヶ月に1回はその「特権」をもらっていたのに。


ところでこの写真、いかにも「エホバの証人」って感じの顔・格好ですよね。
何年経ってもこの風景は同じだと思います。