パーフェクトワールド

現在はゆっくりの更新ですがよろしくお願いします。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

★ 「ダウト」

2011-02-17 23:33:50 | ●初めに−ブログの主旨
 ちょっとおすすめの映画です。

キリスト教設定でJW(元JW)なら2倍楽しめること間違いなし!


キリスト教設定が嫌でも、2人のアカデミー賞俳優がまさに演技の火花を散らす(笑)お墨付きの映画なのでぜひ見てみてください。


まず一人目はメルリ・ストリープ。 パリサイ派の古株開拓者姉妹といったところな感じのシスター役です。

対するはフィリップ・シーモア・ホフマン。「きもい人」の代名詞、嫌な役をやったら右にでる人はいない、役者的に今多分一番ホットな俳優さん。彼がキモい感じの長老か巡回監督な感じの神父役。

その間にバプテスマを受けたばかりの新入り姉妹的な役回しのエイミー・アダムス。


何事にもけちをつけるメルリストリープふんするシスター・アロイシスは人気のあるフリン神父が男子生徒にいたずらをしていると主張しだします。


ここでこのシスターがあまりにも頑固開拓者ぽく周りの人を嫌な気持ちにさせる天才なので彼女の主張さえうさんくさく感じます。

しかしこの主張は執拗に続けられるのでこちらもつい本当かも???と思ってしまう。

それに加えてよくよく知ると嫌みな彼女にも人間性があることが分かってくる。そうするともっと彼女の主張を信じたくなってくるのです。


完全にこちらがその気になったところでフィリップ・シーモア・ホフマンの巻き返し。


シスターの主張が正しいかもとこちらが思い始めたやさき、どうもこの神父がきもく(笑)見えてくるのがやはりフィリップシーモアの十八番演技によることろも多いかもしれませんが、それはこの演劇の指向ということで、こころゆくまでだまされて欲しい(笑)ところです。


完全にこの神父怪しいと信じたところで神父の言い分です。これが巡回監督級の巧みな講演で観客の心をぐっとつかむ!!!現役JWならすぐメモって使うと絶対関心されること間違いない!

この講話を聴いた後はフィリップシーモアが神に仕える聖者に見えてくるから不思議です。


新米シスターが二人の間で揺れ動く役で、観客の気持ちの橋渡しをするので彼女と一緒になって悩んでください。(笑)そしてこのシスターと神父、どちらが正しいか結論してみてください。


元JWとしては絶対正しいと思っていた事が間違っていたあの感覚がデジャブのよ〜によみがえってきますので結構超体験ができます。


わかるわかる、感情なしに正邪を見分けているようでも、結構人間の好き嫌いで判断しているところがあるのよね〜

な〜んて余裕でみていたら、あっさりまただまされてしまいました。

懲りない私です。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

「かけがえのない私追求」カルト&オカルト

2010-12-27 20:42:20 | ●脱JW後の悩みとガイド

池田清彦著の「科学とオカルト−際限なきコントロール願望のゆくえ」
という本を読みました。

なかなか興味深かったのでちょっと紹介したいと思います!

内容は....

人間は経済が支配する現代において人は歯車の一つでしかないという事実を認めたくない→自分はかけがえのない存在である事を確認するために以前は人々の関心は宗教に向かったが今はオカルト(科学的アプローチのオカルトを含む)に向かっている。

こうした時代のニーズのため占い、前世体験、神秘体験、オカルトジャンルの自己現実としてのステップバイステップメソッドがビジネスとして成功する。


というものだったと思います。

「カルトとオカルトは(自己現実、自己肯定の上で)同じニーズをもつ」という考えや

以前のカルト、宗教では後利益が「死後」にあったのに対し、今の世の中ではそういうものは、はやらず現在生きているうちに後利益を得られますというものに変わってきている

という指摘も興味深かったです。

JWは典型的な「死後「将来」後利益だったので無理がきいたんですが、今、現在の生活を犠牲にするようなスタイルの思想ははやらないって事ですね。(笑)


カルト、オカルトにはまりやすい人の典型

学校では人生の意味とは何か、幸せってなんだろうといった事を話題にすればばかにされてしまう。

しかしカルトやオカルトではそのような話ができるのでそれを嬉しいと思う人

本書では「元のニーズが同じなのでオカルトもカルトになる(こともある)」


と指摘されています。


人生の意味とはなんだろうというと思う事は悪くないけれど、答えはオカルトより別なところにあるとやんわり書かれているのですがもっと具体的に書いてあればなお読みやし本だったかな〜と思いました。


オカルトもお酒のように適量を守って、というところでしょうか。
コメント (9)
この記事をはてなブックマークに追加

ブラックフライデーとクリスマス・レイジ

2010-12-08 20:46:52 | ●海外のJW事情

ブラックフライデーとクリスマスの時期ですね。

北アメリカでは感謝祭の後にくる金曜日をブラックフライデーといって全国一斉にセールをするんです。

今年は私は参加できませんが、この時期に旅行する人はブラックフライデーにあててゆくといろんなセールに参加できますよ〜。(笑)来年は試してみてください。


ブラックフライデーにはショッピングモールが朝の3時頃にあいて、お客さんは早起きしたり、夜中から駐車場で待ったりしてセールに参加します。


50%オフとか70%オフとかがあたりまえなビックセールなのでみんな燃えますね。


この後クリスマスセールと続くのですが、ブラックフライデーとかクリスマスセールとかのエホバの証人は行くのか?


行くんですこれが!普通〜に。


私も姉妹たちとこの手のセールに朝から並んだ事もありました。(笑)


世の人はこうしたセールをクリスマスギフトを買うために利用しますが、JWはクリスマスギフトを送らないので、全部自分のため(笑)に買います。


この時期は駐車場が混んで、駐車場の場所の取り合いが起きるんですが、それを「クリスマスレイジ(クリスマス時期の怒り?)」といいます。


で、JWはこの現象をかならず奉仕で使ってました。


「クリスマスショッピングにはいかれましたか?この時期には一般で言われているクリスマススピリットとはかけ離れた喧騒があるのではないでしょうか。」とかなんとかいって→クリスマスはいけない

という結論に持っていこうとするパターンです。


一般雑誌でも「クリスマスレイジのトラブル解消法」とか「クリスマスストレスから
身を守る」な〜んて特集が組まれるので結構話題にしやすい紹介文だったかな〜と思います。


さて、エホバの証人は普段奉仕するのにショッピングモールの駐車場によく車を止めるんですが、年季の入った姉妹たちはこの時期でもちゃんと駐車場スポットを見つけるんですよね。結構割り込みとかするんですよ!(笑)


あとクリスマス関係で驚いたのはおうちにクリスマスツリーを飾っているJWお宅が多かった事。未信者がいるならツリーを飾ってもかまわないという記事がでましたが、

結構そういう姉妹たちはツリーを楽しんで飾ってたな〜と思います。



クリスマスが来ると思いだします。
コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

★ バッグの中身は‐ジーザス!

2010-09-23 23:06:00 | ●キリスト教/聖書

先日ケーブルテレビでバッグの中身を見せ合う番組をやっていて、ちらっと見てみたら

アメリカのティーンがヴィトンのバッグの中身を見せてくれていて、


その子のバッグには、軽い感じのティーンらしくI Phoneやらキティーのデコノートやらコスメやらヘアアイロンが入っているんです。


しかし。その持ち物の中に「イエスキリストのイコン絵」というカードが入っていて、それを見せる時に「私はイエスを世界のだれよりも愛しているわ!」

と言うんですよ。これが。


私のバッグの中身はこのティーンよりも質素で堅実(?)だがイエスキリストのカードは入っていない。。。。さて神はどちらのバッグを選びたもう。(笑)


何をしてこの軽い感じのティーンにこれほどの(?)信仰を持たせるのか?

この子は楽しいティーンライフのどの辺でイエスキリストの事を考えているのか。。


ブランド物の財布をうれしそうに見せるこのティーンが私には遠く、とっても偉く見えました。

コメント (10)
この記事をはてなブックマークに追加

★ キリスト教の壁

2010-09-03 12:41:35 | ●キリスト教/聖書

 エホバの証人と話していて「JWでも大学教授や医者がいる。」と言われるといつもちょっと言葉につまってしまいます。

自分が現役時代もそうだったのですが、医者や大学教授も信じているんだから真理だ、と思っているんでしょうね。

特に自分の会衆に医者、教授系がいる人は信仰が堅い。(笑)


しか〜し、やはり「なぜ医者や教授でもJWでいられるの??」という疑問があります。


最近「バカの壁」の著者 養老孟司さんと河野和男の対談を読んだ時に「インテリジェントデザイン」という思想?運動?がある事をしりました。


対談ではインテリジェントデザインについて

「宇宙や生命の精妙なシステムが出現するためには、そこに超越的な知性をもった設計者(デザイナー)がいたとする論。

米国でも創造論を公立学校で教えることは違憲であるので、聖書に書かれている天地創造から宗教色を薄め、神の名を直接出さずに科学のよそおいをまとってダーウィンの進化論と対等の地位を与えようとするキリスト教保守派の一戦略と解されることが多い。」


と紹介されていました。


ウィキペディアでの紹介はこちら。


ウィキペディアからも最初の部分を引用させていただきます。


「インテリジェント・デザイン(「知的設計」論、intelligent design)説とは、知性ある設計者によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする説。しばしば、ID(アイディー)と略される。

 旧約聖書から大きく影響を受け、宇宙自然界に起こっていることは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めようという理論、運動である。

 聖書信仰を基盤に宗教的な論説の創造科学から宗教的な表現ではなく、一般社会や学校教育などにも広く受け入れられるように意図したもので、近年のアメリカ合衆国で始まった。


 宗教色を抑えるために、宇宙や生命を設計し創造した存在を「神」ではなく「偉大なる知性」と記述することが特徴である。これにより、非キリスト教徒に対するアピールを可能とする。また宗教色を薄めることで、政教分離原則を回避しやすくなる(公教育への浸透など)。


 ギャラップ社の世論調査によれば、アメリカ国民の4割近い人々がこの論説を信じているとの調査結果もでている。」


以上ウィキペディアからの引用おわり。


エホバの証人の雑誌で取り上げられるとしたら、「私たちは神の名を知性という名に置き換えてその御名を薄めたりはしません」「故に私たちはインテリジェントデザイン論には賛同できません。」くらい書きそうですが、


一方で紹介することにより「やっぱJWってただしいのかも。他にもこういう事を認めている人が沢山いるみたいだから?」って読者の心理を誘導するのにもってこいな論ですね。



まあ、元からそういう使い方をしたいためにできたキリスト教の「自作自演」「さくら」「ダミー会社」みたいな論なのでしょう。


お話は元に戻りますが、その対談の中で河野氏がこんな発言をしていたんです。

以下引用させていただきます。

河野氏「アメリカの進化学者は非常に発言に臆病になっているところがあります。アメリカのキリスト教保守派というのは、今はやりのインテリジェント・デザインなんですけれども、われわれから見ればめちゃくちゃな理論です。

ところが多くのアメリカ人には非常に説得力があるんです。

進化論者の中でも異論があるという事を進化がなかったことにすりかえてしまうんです。


(略)

反進化論者は日本にも一部いますし(略)95%の人は進化がなかったなんてことは言いませんから、比較的自由に論議できるところはありますが、アメリカなんかはものすごいことになっています。

これはどうなっているんでしょうかね。」


河野氏「科学者でバリバリやってる人は創造論やインテリジェントデザインなんて信じないかというと全然そんなことないですね。

(略)科学者で活躍している人の中で実は自分は創造論者なんだ、という人はいます。」


養老氏「僕はアメリカの本はよく読むんだけれど、最近やっと分かるようになりましたよ。あ、これは何かに遠慮して言ってるな、と。(略)


河野氏「科学的なことは書く場合に宗教的なものを意識して抑制がかかるということですね。」


以上対談からの引用終わり。



この対談を読んで、

「あ、やっぱりエホバの証人とか元エホバの証人じゃなくてもキリスト教のマインドコントロールにかかっている人は世界に沢山いるんだな〜」

と納得しました。


だから教授や医者や偉い学者さんなんかでも平然とエホバの証人でいられたりするのかもしれませんね?


三つ子の魂百までという事なのでしょうか。


科学と宗教、ビジネス(富の享受や追い求めること)と宗教など、まっさらな頭で考えると両立できないような考えが


キリスト教の教えに縛られた人は理論のほうを捻じ曲げてでもキリスト教の教えを守りたい。


元JWならよ〜く分かります。が、捻じ曲げないで「やっぱり両立は無理?」とあきらめるほうが精神衛生上いいです。


P.S. 私は進化論が正しいとも創造説が正しいとも、今のところ意見はありません。宗教が自分の宗派が正しいと人を誘導するやり方にのみ意見があります。
コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

★ 賢い人ほど鬱になる?

2010-07-08 22:43:12 | ●脱JW後の悩みとガイド
最近お友達に教えてもらったサイトで

「漫画で分かる心療内科」


という面白いホームページがあります。

漫画がただで読めます。(笑)

いえ、私はちゃんと書籍版で読みましたが、ウェブサイトでも同じものが
読めるようです。


その中で第三回の「あなたがうつか分かっちゃうクイズ」!というのがあって

みなさんにぜひぜひ紹介したいのですが、


その中で

「うつの人ほど現状をより冷静かつ正確に認識する」

「ばかな人ほどうつになりにくい」


「実際、冷静な目で見てしまえば世の中は不幸や悲劇で満ち溢れているかもしれません。

 一般的な人はバカだからこそ、それを忘れたり、気がつかないで生きていられるんすね。。」

と書かれていて


なるほど!!!!


と思ってしまいました。

エホバの証人ないでも心の美しい人ほどうつになり、そうでない人はあの世界の中で
幸せに生きていかれる。

エホバの証人を正しく冷静に見ればみるほど苦しくなりますが、そうでない人には
楽しい社交の場。。。

なるほど。


漫画の中の結論として

「まとめるなら頭がよく、クールに判断する人ほどうつになりやすい、ということ」

「たまには適当に生きたほうがいい。」

と書いてありまして、

またまた納得!



最近、「な〜んか考えてみると神もいなさそうだし、前世とか転生とかの存在も残念ながら
望み薄みたいだし人生って救われないな〜。」


と希望を失い傾向にあったので


この漫画にあるように「あたまがいい」という分類の人間では決してないですが、あまりにシュールにつきつめて考えると


うつになっちゃう???


と思い、

適当に前世や転生を信じつつ

人間を超えた存在を認める方向にスムーズにシフトして

楽に生きようなかな。。。。


な〜んて気持ちになりました。

なんか、「幸せになれるコツ」ってこういう事だったんだな。。。と
ちょっと幻滅ぎみにも納得。

真実っていつもロマンがないですよね〜。
コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

★占いについて思う事

2010-05-12 22:13:14 | ●脱JW後の悩みとガイド
占いについては

やはり信じてはいませんが、

何かに悩んでいて客観的な意見が欲しい時とかは究極的な「客観」意見になるんじゃないかな〜

なんて思います。

抽象的な事を自分があてはめればいいんでしょ〜?どうぜ自分で決めなきゃいけないんだし。


あと、ほら、やりたい事がある時とかは「上位からの」(笑)声があるとやる気が出るってのもありますね。天の思し召しだから〜。みたいな。
どうせ人は自分の信じたい事しか信じないから。自分の隠れた欲望を知るためにいいかもしれない。

もちろん私の経験した占いはウェブの無料占い(笑)やおみくじみたいなものだけでものほん占い師に占ってもらったことはありませんから

そういう人のはこんな簡単な気持ちじゃ受け止められないシリアスなものだったりするのかな??と興味はあります。



占いに関してもうひとつ思う事は、占いって究極のホスト業だということ。

占っている人にその意識は全くないかもしれませんが、お金さえ払えばその人(占い師)は決められた時間自分だけを見てくれるんですよね〜。

手相を見るならボディコンタクトもあるでしょうし、


自分だけを見てくれて過去、将来、未来を真剣に考えてくれる。(くれているように見える)、


こういう安心感というのは日常生活の中で特殊な経験ではないでしょうか。


そんなアテンションが一度は経験してみたくて、いつかは占いを受けてみるかもしれない私。あは。

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

★催眠療法?前世療法?

2010-05-12 21:14:26 | ●脱JW後の悩みとガイド
脱JWしてから「前世」というのはあるのだろうか??

と時々考えます。

以前にも何回か書いているように、私のそれについての私の現在の意見は「あればいいけど、ないんじゃないか?」というものです。

ところで、最近コミックエッセーで催眠療法について書かれたものを偶然読んだのですが、考え方がなかなか興味深かったのでちょっと催眠療法について考え直してみました。


恥ずかしながら肝心のコミックエッセーの作者と題名はうろ覚えで検索してもみつからかなかったので後日また。。。

(tooruさんよりコメントで大田垣晴子さんの「わたしってどんなヒトでしょうか?」
という本だと教えていただきました。ありがとうございます。


私は催眠療法と前世治療といのは同じものだと思っていたのですが、

その本の中では「前世というのは胡散臭い」と思う人は潜在意識のドアを開けてみると考えれば良い。と書かれていて


な〜るほど。

と思いました。


エッセーの著者は催眠療法を経験するのですが、

「潜在意識の奥に入ってみましょう」と言われると「そのドアは地下へ続くドアになっていて、なんだか厭な感じがしました。」と書いています。

その中にいる「もう一人の自分」に会ってみましょう。とセラピスト(?催眠術師?)に言われるのですが、

そこには「砂漠のような霧があって誰もいない」です。と答えます。


特に何もなく、彼女は現実の世界に戻ってくるのですが、潜在意識の階段を上がって上の世界に帰ってくると「床がぐにゃぐにゃしている」のを見ます。

で、この上がりの部分をもう一度導入してもらうと「今度は床が正常に見える」と言って

セッションはおしまい。


こういう体験談でした。


今まで催眠療法とか前世治療とかは「自分はインドの女王だった」とかナチスだったみたいなドラマチックな体験をする人の話ばかりが出ていたので、正直

「私が受けてもこ〜いう感じに何もないんじゃないか?」と納得できたのです。


その本に出てくるセラピストさんによると人間は意識のある部分が一割、潜在意識が9割。だそうです。

それが本当だとすると、人間は今まで見聞きした事のほとんどを覚えていないというか、認識していない事になりますね。


そうすると前世が「インドの女王」だった自分を催眠術見た人は自分が認識しない脳の部分でそういう設定を見聞きした事があるのかもしれない。

それがリアルな(創造も含む)絵として催眠状態の時に出てきたのかもしれない。

と考えると自分的にはしっくりきます。


今まで前世が「ふんころがし」だったというエピソード類を聞いた事はありません。だいたいみなが見る「前世」が人間の意識限定なのは「潜在意識」のなせる技の証拠かな?

なんて思ってみたりします。


もっと分かりやすい例では

奇妙な夢を見てしまった後、「あの時ああいう光景をみたからそれが残っている」と後で気づいてな〜んだ。。。と種明かしされる、みたいな。


 このコミックエッセーではセラピストが著者の女性に

「○○さんはガードが固くてなかなか核心に触れさせてくれない。常識でものを考え、ある意味ではそれが成り立っているので大きな問題はない。

ただ最後に床がぐにゃぐにゃしているのを見て、やり直しの時理性でなかった事に直してしまうのは気になりました。」と言われるのです。


多分!私が催眠セラピーを受けたらほんとこれと同じようになるんじゃないかな=と思いました。


何事も常識の上でしか考えず、こうだったらいいな〜という希望も「あるわけないじゃん〜。」と自分で否定してしまう感じで。


あと、この著者のように何かおかしくても周囲の常識を読んで気持ちを変えてしまうとかね。あるある。

きっと催眠治療で不思議なものをみても正常なものに変えてしまうとかやってしまいそう。


まあ、きっとふんころがしの記憶は出てこないと思う。。。。
コメント (13)
この記事をはてなブックマークに追加

★プチ不幸希望の理由。

2010-04-08 20:41:14 | ●脱JW後の悩みとガイド

前回に挙げた本があまり気に入らない方におすすめの本があります。

「ザ.シークレット」の明らかに元ネタと思われる本です。


富を引き寄せる科学的法則
ウォルト.ワトルス著

原題は THE SCIENCE OF GETTING RICH

「リッチになる技」みたいなタイトルでしょうか。

もちろんリッチというのは金持ちになるという事を含めて「豊かな人生を送る」という意味だと思います。


100年以上前に書かれた本で「ザ.シークレット」はこの本をかみ砕いて現代的エピソードに置き換えた物です。

(蛇足ですが、ザ.シークレットの内容の酷似は一方で盗作と言われてもしかたがないと思うのですが、「富を引き寄せる科学的法則にインスパイアされたなどいう表現しかされないのはどうなんでしょうね?! 

特に「ザ.シークレット」の本文でこの本に啓発された等という但し書きさえされていないのが気になりました。記事には関係ない蛇足ですがちょっと言いたくなりました!)


やはり私はこの本でも自己犠牲について書かれた部分が気になりました。

いくつか引用したいと思います。以下引用↓


p47 「神は私たちが自分を犠牲にすることによって神の愛を確保できるなどという間違った考えは捨ててください。」

引用終わり。


私がエホバの証人時代に間違っていた事は神(JW組織)の為に自己犠牲をして苦しい生活をすればするほどエホバに喜ばれると思っていた事です。


今でもこの考え方の後遺症が残っていて楽しい事が続いたり、楽しい事を計画しようとすると何か不幸な事が起こるのではないか?と思ってしまう事です。


かといって本当に大きな不幸は嫌なので「小さな不幸.苦労」をしていると逆に落ち着くのです。


問題がある男性を好きになりがちなのはこのせいでしょうか???


自分は幸せです、と言うのも「エホバに十分犠牲をささげていない」という負い目感の癖で

生活の不幸な部分を積極的に探して人にアピールする部分がありました。


そうしないと人から責められると思いこんでいたからです。


この本ではこう続いています。以下引用↓


神が望んでいるのはあなたが自分自身のため、そして他の人のために自分自身を最大限に活用することです。

富に対してあなたが感じる欲求は神からのものです。これは神がピアノを弾いていた少年んを通して表現しようとしていたのと同じようにあなたを通して自らを表現しようとしているのです。

ですから心おきなく多くを望んでいいのです。あなたのするべきことは神の望みに焦点をあて、表現することなのです。



以上引用おわり


幸せになる事に臆病な方、楽しい事をすると罪悪感を感じてしまう方、自分のためになる事に専念しにくい方にはおすすめの本です。

ぜひ一度読んでみてください。




コメント (11)
この記事をはてなブックマークに追加

★「私の父の家には住むところがたくさんあります。」

2010-03-05 17:52:43 | ●脱JW後の悩みとガイド
 先回の記事の続きです。


その記事の中でロンダ.バーンの「ザ.シークレット」という本を紹介しました。

その中でもう一つ、とても納得した考えがありました。


それは「宇宙にはすべての人が満足するだけの十分のものがある」「だからあなたは欲しいものを全部手に入れていいのです。」という考え方です。


「豊かさが全員に用意されているのです。」というと、世の中を見るとそうではないと結論する人もいるかもしれませんが、私は使徒14:1,2の


14:1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じまたわたしを信じなさい。 」

14:2 「わたしの父の家には住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたにそう言ったでしょう。」


という聖句を思い出しました。


この聖句も現役時代ずっとひっかかっていた聖句です。

今考えるととてもしっくりきます。


 ひっかかっていた点は聖句では「十分にあるから安心しろ」と言っているのに協会の出版物ではいろいろな事を我慢しなければ受け入れてもらえないという出し惜しみ感があった点です。


「ザ.シークレット」によると、不足感は自己犠牲感→何かを得そこなっているという感じを人に与えるとありました。


以下「ザ.シークレット」からの引用です。

「自己犠牲とは絶対的な不足という考えに由来している。この世には全員のものが十分にあるわけではないので自分は我慢します、という考えです。

(中略)そしてその考え方は怒りに変わります。

しかし実は豊かさは全員に用意されているのです。自分が望むものを引き寄せるのは自分の責任です。誰かほかの人のために引き寄せることはできません。

 (中略)

自分が気持ちよくなることを優先するとその素晴らしい波動が光り輝き自分の周りにいるみなの心をうごかすでしょう。」


引用終わり。


全文を読んでいない方や、ものみの塔ちっく又は聖書ちっくなな口調に拒否感がある方は多分否定したくなるような文章だと思いますが(私も最初読んだ時はそうでした。

が、一方で上の使徒の聖句を思い出し、そういえば父の家には十分にものが用意されてるから心配するなみたいな事いってたよな。。と変に納得したのです。


最近こういう本をいくつか読んでみて


聖書に書いてある事と同じだな〜と思うことがとみに多くなりました。


以前「聖書はすべてが嘘ではないと思う」と書きましたが、それはこれだけ長い間読まれてきたこと、ほかの宗教の聖典や哲学本にも共通の事がかいてあるなどが理由です。


「ザ.シークレット」には聖句は引用されていませんが、聖書と似たような考え方がたくさん出てきます。


しかし上に書いたようにものみの塔で教えられていたこととはだいたいいつも正反対の意味でつかわれていますが、

私にはこちらのほうがいいなと思いました。


愚痴の繰り返しに聞こえたらもうしわけありませんが、エホバの証人の「自己犠牲」を強調する態度は


今思うと間違っていたどころか聖書に書いてある事と正反対で、「協会に寄付させたり、協会を必要とさせる精神的に不健康な人を作り出すための工作だったのかな」

くらいな酷い事を勘ぐってしまいます。


脱JWしてから精神的に回復するまで、数年かかりました。ナポレオン.ヒルは「(多くの事を制限させられてきた人は)長年体が麻痺していたような人だ。麻痺がなおったとしてもすぐに動くことはできない。

最初は指一本を動かし、次に腕を動かせるようになり少しずつ長い時間をかけて麻痺から回復して行かなければならない」

と書いています。


私が脱JWしてから回復までに一番時間がかかった事はこのエホバの証人の「自己犠牲」精神でした。

自分の欲しいもの、自分のしたい事を口にするのはおろか、具体的に考える事自体が非常に難しいのです。自分は最後に、自分は犠牲にしなければならないという考えがあまりにも深く根をおろしていたためだと思います。


自分が何かを得たらだれかが何かを奪われるという考え方に取りつかれていたのです。


そしてその裏側では自分はいつも損をしているという漠然とした失望がありました。


この本の章を読んでからは「父の家には住むところがたくさんある。そうでなかったらあなたがたにそう告げただろう。」というイエスの言葉を思いだすようにしています。そして、自分が望むものに罪悪感を抱かなくてもよいのだと今は確信しています。


「私たちのほとんどが本当に欲しいものを願望することを自分に許していません」−ジャック.キャンフィールド
コメント (10)
この記事をはてなブックマークに追加