なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

集会で代表して祈るとき

2009年11月01日 02時02分26秒 | 一般記事

天を創造され、この地をも創造され、そして私たち人間をも創造して下さった、偉大な創造者エホバ。あなたのその、偉大なみ名に、賛美と栄光が返されますように。

そしてこの地においても、あなたのご意志が、どうぞご予定の時に、なされますように。

人間の永い歴史の中で、現在は、最も重要な時期にあります。それは、この邪悪な人間の体制が、もうまぢかに滅びて、新秩序へと向かう時期だからです。世の多くの人々は、サタンから惑わされて、滅びの道を歩んでいます。どうか私達が、そうした世の人々を、正しい道に導くことができますように。

今日も、新しい人達や、子供達もたくさん、このように集い合うことができました。一人ひとりの上にあなたからの導きがあり、十分に霊的な糧がいただけるよう、聖霊のご援助をお願いします。

このような有益な講演会が、世界中で行われています。そのすべての上に、あなたの祝福がありますように。

また、この集会に参加するために、まだ途中の道にいる人がおられるなら、その人達の足を早めてあげて下さい。

それでは、全ての感謝を、み子イエス・キリストのお名前を通して、み前にお祈りいたします。

この公開講演前の祈りは、「説得」の74-75ページから引用しました。

1985年に起こった「大ちゃん事件」の真相を探るために、筆者がエホバの証人の「研究生」となって見聞きした内容をまとめ、1988年に刊行しています。

今から20年近く前の内容ですが、エホバの証人の行動は今とまったく変わらないんだなぁ、とつくづく思ってしまいます。

エホバの証人は、エホバの証人以外がエホバの証人のことを取り上げた本はすべて「背教者が書いた本」として拒絶しますが、この本はぜひとも読んで欲しいと思います。

当時、事件はどんな状況だったのか、両親はどのような状況で輸血を拒否したのか、両親はどんな人なのか、事件後の会衆の様子など、まるでその場にいるかのように描かれています。


で、今回は輸血拒否の話をしたかったのではなくて、集会での祈りについて取り上げたいと思います。

冒頭の祈りは当時、筆者が集会で聞いたものだと思いますが、現在でもほとんど同じような内容で祈りが行われています。

冒頭の祈りにもありますが「現在こちらに向かっている仲間の足をも強めてください」のような内容って必要ですかね?

そう祈ることによって、王国会館に早く着くようになるのですかね?
それによって早く歩けるようになったり、渋滞に引っかからなくなったりするんですかね?

祈りを聞いている聴衆に「毎回こんな祈りをしてるんだ。だからあなたたちも遅刻するなよ」というプレッシャーを与えることには成功しているかもしれませんが。


聞いていて嫌なのは、その日のプログラムの要約を祈る人ですね。

うちの長老もそれが嫌なようで、会衆の関係者に「祈りの仕方」という通達を配っていました。

それによると「講演者をねぎらう必要はない」とのことで、
「講演者が多大な時間をかけて講演を準備してくださいました」
「講演者の唇の上にあなたの導きがありますように」
のような祈りは不要ということだそうです。

僕も必要だとは思いませんけどね。

そんなわけで、僕も「祈りの特権」が与えられていたのですが、現在はなぜかまったく割り当てられなくなりました。

ところで、祈りの後に代表者が「アーメン」と言いますよね。
代表者と同時に「アーメン」と言うのか、「アーメン」のあとに「アーメン」と言うのか、日本ではバラバラなんですね。

「質問箱」に載せて、統一したらしたらいいと思います。