なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

油注がれた残りの者ってなんだ?

2009年01月24日 01時15分15秒 | 一般記事
油注がれた者

エホバの証人の教理では、クリスチャンには二種類のクラスがいて、死後に天で霊者として活動する「油注がれた者」が文字通りの 14万4,000人で、それ以外は地上の楽園で永遠の命を受ける希望のある「大群衆」ということになっています。

「油注がれた者」を集める活動は西暦33年に始まりました。
つまり、それよりも前に死んだ人、例えばアブラハム、イサク、ヤコブに楽園で会えるのです。今から楽しみですね
マタイ 8:11で「天の王国」なんて書いてありますが、エホバの証人にとって意味不明な聖句なので、無視することにします。


現在地上に生きている「油注がれた者」は、「油注がれた残りの者」と呼ぶのですが、その人たちは「主の記念式」でパンとぶどう酒を食べることになっています。
会衆で食べた人がいた場合 支部に報告し、その報告をまとめた人数が前回のブログに載せた「全世界の記念式で表象物にあずかった人の数」なわけです。

僕が子供の頃は、この 14万4,000人という数はすでに集め終わっていて、これから「油注がれた者」として任命される人は「油注がれた者」として任命された後に不忠実になった人の補充なので、これからだんだんと減っていくと教えられました。

それを裏付けるかのように、1988年まで徐々に減っていきました。
…が、それ以降 2005年まで増えたり減ったりを繰り返し、2006年以降増え始め、2008年はここ数年での最高数に達してしまいました。
リストとグラフで確認してください。

このデータを見るだけでも、以前教えられてきたこの自称「油注がれた者」がどれだけインチキか分かると思います。

レイモンド・フランズ著の「良心の危機」日本版317ページで、エドワード・ダンラップ兄弟が「すべての人に望みがある」として表象物にあずかりましたが、そのような人がいるとしたらごく少数でしょう。

エホバの証人の教理が正しいとして、そもそも自分が「油注がれた者」であると公言できる根拠はなんでしょう。

油注がれた者曰く、本人にしか分からない方法で神から伝達されるようです。

おそらく、あまりにもそのような願望が強いため「変性意識状態」になり、それを勘違いして、「油注がれた者として任命された」なんて思うのでしょう。


この「油注がれた者」は「言ったもん勝ち」で、だれも他の人は否定できないことになっています。
女性でも、「霊的に弱い」人でもOKなんです。
なので、今度僕もパンが回ってきたら食べてみようかと思います。(うそですよ)
ものみの塔 2007年5月1日号 30ページ31ページなどを参考にしてください。

このように、表象物にあずかる人が増えると、統治体は危機感を抱くでしょうね。
「本当に油注がれた者だと確信する人以外は表象物にあずかるな」なんて記事がまた載せられると思います。

2008年 エホバの証人の総計

2009年01月21日 23時24分49秒 | 一般記事
2008年 総計

2009年版「エホバの証人の年鑑」31ページから、2008年エホバの証人の総計が掲載されています。

毎年のことなのですが、この表の下に小さな文字でいくら使ったか書いてありますので引用します。

エホバの証人は2008奉仕年度に,特別開拓者・宣教者・旅行する監督がその野外奉仕の割り当てを果たせるよう世話するため,1億4,100万ドル(約148億円)余りを費やしました。

この金額に出版物にかかった費用やベテルの維持費等が計上されているのかは分かりませんが、大きな金が動いているのは事実です。

もし自分がこのような組織の幹部だったとしたら、なんとしてでも信者の減少だけは避けたいと思います。

そのためには、神が聖書を通して本当は何を伝えたいのか、クリスチャンにとって本当に益となるような事を教えるよりも、組織にとって不利な情報は隠蔽し、組織の教理を盲信させ、組織に依存させ、外部から孤立させることでしょう。
そういった点では、この組織はうまくできたシステムなのかもしれません。

我が国、日本でエホバの証人は増えているのかというと、残念ながら(当然ながら?)、減ってしまいました。

2007年の平均伝道者数が 217,929人、2008年の平均伝道者数が 217,339人、
2008年にバプテスマを受けた人が 3,806人です。

つまり、死亡した人を含めないとして、誰も辞めたり排斥されていなければ 2008年は 221,735人になるはずが、それより 4,396人も少ないわけです。

エホバの証人に言わせれば、今が「終わりの日」でサタンがエホバの証人に対して躍起になってる証拠なんでしょうね。

そんなことより、「全世界の記念式で表象物にあずかった人の数」が大幅アップしてしまいました。

この「脂ぎった残り物」…じゃなくて「油注がれた残りの者」については次回のブログで取り上げます。

落ちそうな記念式のグラス

2009年01月16日 03時27分58秒 | 一般記事
もっとも重要な日
クリック

ものみの塔 2009年3月1日号を受け取り、裏表紙を見て思いました。
「これって、数年前と一緒だな」
確認したところ、目ざめよ! 2006年3月号の裏表紙とほぼ一緒でした。
前回の写真についてはwhat-towerさんのブログで紹介されていますのでご覧ください。

「歴史上最も重要な日」の招待なんだから、使い回しなんてしないで欲しいですね。

神から命じられたこと

2009年01月16日 02時32分30秒 | 一般記事
「皆さん!霊的ですか!」(霊的でーす!)
というわけで、久々のブログです。皆さん、最高ですか!


今日の「聖書通読からの目立った点」で気になった点。
司会者(60代兄弟)が、創世記 6:22 を読んだ後にこんな注解をしたんですね。

「ノアは神から命じられたとおりに行動したため、救われました。
私たちは、最近では集会のプログラムの変更、巡回訪問の取り決めの変更など様々な調整が加えられてきました。
それらの調整に従うことによって神の是認を得られるのです」

細かい言い回しは忘れましたが、こんな内容でした。
ノアが神から命じられたように行動したのは分かりますけど、なんで協会からの指示を「神からの指示」と結びつけるのですかね?

聖書の内容を、エホバの証人の教義に巧妙に擦り替えちゃってるんですよね。

その後、聴衆(60代姉妹)からは「神の組織から与えられる提案に従い、救いに至る道から決して逸れないようにしたいと思いました」のような注解がありました。

教理が刷り込まれると、こんな注解をしてしまうようです。
恐ろしい宗教だなぁ。

幼いときの注解

2009年01月09日 00時44分35秒 | 一般記事
古い書籍を整理していたら、中にこんな紙が入っていました。

子供に注解させるために親が書いたメモですが、小学生か保育園の頃に書籍研究で使っていた本に貼ってありました。

子供は子供らしく「エホバです!」とか「サタンです!」のような注解だけさせておけばいいものを、大人でも理解しにくいような注解をさせて何の意味があったのでしょうか。

親だけが必死になっていても、何かが空回りしていたのでしょう。
親の思い通りに成長していたら、今頃立派な奉仕者になっていたかもね。

ものみの塔公式サイトの効果はいかほど?

2009年01月08日 23時24分16秒 | 一般記事
毎年年末になると、エホバの証人は「年鑑」という本を受け取ります。
今年の年鑑に、公式サイトについて触れられていますので紹介します。

6ページ / 7ページ / 8ページ / 9ページ

それによると、公式サイトを訪れる人が毎日平均 6万人以上、新世界訳聖書のページを見る人が 6,300人以上、「訪問を受けたいと思われますか」のページから申し込む人が 94人なんだそうです。

これらの数が多いのか少ないのか分かりませんが、エホバの証人についてインターネットで検索すると公式サイト以外にいろいろな情報がありますよね。

そんな中で公式サイトを見て「真理を見いだしたと確信」するなんて、よほど純真というか、不思議な人ですね。
こんな人は振り込め詐欺などにもすぐ引っかかりそうです。


9ページで jw.org について「この備えに対する関心は非常に高く」と書いてありますが、関心が高いのではなくダウンロードせざるを得ない人が増えたからじゃないんでしょうか。

「CDやカセットは金がかかる。ダウンロードに切り替えろ」なんて何度もアナウンスされてますからね。

復帰の発表のとき、拍手をしてはいけない

2009年01月08日 02時33分25秒 | 一般記事
質問箱

エホバの証人が「排斥」されたり「断絶」すると、奉仕会でこんなふうに発表されます。
「[その人の名前]さんは,エホバの証人ではなくなりました」
「エホバの証人」ではなくなったので、「○○兄弟」ではなく「○○さん」と呼ばれちゃいます。

そして、「復帰」が認められるとこんなふうに発表されます。
「[その人の名前]兄弟(または姉妹)は,エホバの証人として復帰しました」


で、本題ですが復帰の発表のときに拍手してはいけない、というルールがあるのを皆さん知っていましたか?

数年前に僕の会衆で復帰の発表があったとき、発表した主催長老は拍手をさせなかったんですね。
拍手をし始めた聴衆もいましたが、それを遮るかのようにすぐに次の発表に移ってしまいました。

これを見たときに真っ先に思い浮かんだのは、イエスのたとえ話に出てくる「放とう息子と父親」のことでした。(ルカ 15:20-24

そのたとえ話では、さんざん悪いことをした息子が戻ってきたとき、父親は歓迎し、宴会を開くことまでしたんですね。

それを考えると、エホバの証人として復帰したことを会衆の全員があたたかく拍手で迎えるのも当然だと思ったわけです。

その後に分かったことですが、2000年2月号の王国宣教「質問箱」に、「復帰の発表の際,拍手するのはふさわしいことですか。」という記事があったためそれに長老は従っただけなようです。

「個人的に悪影響もしくは害を被った人たちがいるかもしれない」というのが理由の一つだそうですが、どんな状況でも「互いに惜しみなく許し合う」(コロサイ 3:13)のが真のクリスチャンですよね?

どんな理由があっても仲間を許し、あたたかく迎え入れるという気持ちが「拍手」に表れて当然だと思うのですが、それを「ふさわしくない」などと規則にしてしまうこの組織は、やはりなんだか変だと思うのです。

エホバの証人は世間知らず?

2009年01月08日 01時17分36秒 | 一般記事
王国宣教2008年12月号 王国宣教2008年12月号

二週間ほど前の奉仕会で、集合住宅(主にオートロックマンション)での証言方法について取り扱われました。

その中でいくつか気になった点があったので紹介します。

まず、非常識だと思った点を 4節から。
「集合住宅などの造りや状況にもよりますが,中に入れてくれた人と話した後に,建物内で他の戸口を幾つか訪ねることができるかもしれません。」

オートロックマンションは、用のある人の家に行った後はそのまま出るのが常識だと僕は思いますが違うのでしょうかね?

宅配業者は同じマンション内に宅配がある場合でも、一旦出てから入り口のインターホンで連絡を取りますよね。


アホかと思う点を 5節から。
「入居者の中には,どんな用事で来たのかをインターホンで述べてほしいと言う人もいるでしょう。」

自分が誰で、どんな用事で来たのかをこちらから先に言うのが常識でしょ。


そして、当たり前すぎて情けなくなるような点がいくつか。
8節では「大きなグループになって集まらないのが賢明です」
9節では「くつの汚れをよくぬぐい,自分の入ったドアをしっかり閉じてください」
10節では「必要以上に大きな声にならないように」

など、まるで子供にしつけをするような内容がまじめに指示されてるいるんですよ。


ずっと前のブログで、ホテルのマナーについて取り上げましたが、エホバの証人はこうしたごく当たり前のことをいちいち指示されないと気が付かないんでしょうかね?

気がつかない人がいるからこうして書かれているわけですが、身近な人にも常識外れや世間知らず、礼儀作法を知らない人を目にします。

霊的パラダイスに浸るのは構いませんけど、少しは一般社会のことも考えて欲しいですね。

他の宗教の話を聞いてみたよ

2009年01月04日 22時05分41秒 | 一般記事
以前少しの期間だけ働いていた職場に、わりと親切な主婦(たぶん30代)がいたんですね。
その人から、年末にこんな電話がかかってきました。

「○○君さぁ~、私とあんまりゆっくり話したことなかったじゃん。
それなのに突然辞めちゃったじゃない?今度送別会も兼ねてさ、ファミレスかなにかでお話ししようよ。」

なんで送別会なのに僕を含めて二人だけなのか、なんでファミレスなのか、話したいことがあれば電話で言えばいいのに なぜわざわざ会う必要があるのか…
なんだか誘い方があやしいんですよね。

その人が何かの宗教をやっているというのを仲間から聞いていたので、「宗教の勧誘が目的だろうな」という予感はしていたのですが、ブログのネタになるだろうと誘いに応じてみました。

で、最初は仕事の話など、たわいもない話をしていたんですね。
そして、一段落付いたところで予想通り宗教の話をし始めました。

「○○君にどうしても聞いてもらいたいことなんだけどね…」こんな感じで話を切り出し、今の日本がこれから滅びるとか、中国から攻めてこられるとか、感染症が蔓延するだの、富士山がどーのこーの、運命はあらかじめ決まっていて運はだんだん減っていくけど何妙法連と唱えればどーのこーの、意味不明なことを永遠としゃべり続けるんですね。
邪教の信者が死ぬと青白く硬直するなんて、まじめな顔で言われたときにはズッコケそうになりましたよ。

その、いかにもインチキくさい宗教は「顕正会」というんだそうです。

こっちが相づちを打っていたらどれくらいしゃべり続けるだろうと思い、あえて質問には「どうなんでしょう」などと曖昧に答え、否定もせず話を聞いていました。

一方的な長い話が一段落付いたところで、こちらの事情を説明しました。
生まれたときからエホバの証人の親で育てられた現役のエホバの証人であること、現在は籍は置いているが もはや教理をすべて信じているわけではないこと、そもそもすでに宗教自体に興味がないことを話しました。

そして、「○○さんの信条は尊重するけど、宗教自体に興味がないので、お誘いにはお応えすることはできません」とハッキリ言ったんですね。

がっかりして話をやめるかと思いきや、また同じような話をし始めたんですね。
そしてさらにヒートアップして「いつかこの教えに気づくときがくる、今回話ができたのは運だ、これこそ唯一正しい教えだ、エホバ神など空想の世界だ」などと、ついにはこちらの宗教まで否定されてしまいました。

こちらが「興味がない」と言っても構わず押しつけてくるし、こちらが質問してもピントのずれた答えしか返ってこないし、会話もかみ合わないし、なんだか悲しくなったんですね。

ふと、奥さんがエホバの証人になってしまった「未信者の」ご主人ってこんな気持ちなんだろうなぁ、と思ってしまいました。