なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

エルサレムが陥落したのは紀元前607年?

2008年03月29日 00時00分40秒 | 肯定的意見
エルサレムが陥落したのは西暦前607年だとエホバの証人は根拠もなく主張している。
多くの考古学者は西暦前587年~586年だとしているが、そのことは信者に一切知らせていない。


…という内容の批判記事を読んだことがあって、どういう理由で607年だと主張しているのだろう、と思っていたのですが、1981年発行の「あなたの王国が来ますように」の14章に解説されていました。(今頃気づきました)

最初と最後を少しだけ抜粋すると、こんな感じです。

聖書の伝えるところによると,ネブカデネザル配下のバビロニア人は,彼の治世の第18年(即位した年を含めると第19年)にエルサレムを破壊している。(エレミヤ 52:5,12,13,29)したがって,上記の新バビロニアの年表を受け入れるとすれば,エルサレムは西暦前587年から6年にかけて荒廃したことになる。しかしこの一般の年表は何に基づいており,聖書の年表とどのように比較されるだろうか。

[中略]

ユダヤ人が西暦前537年に故国に戻った時から70年を逆算すると西暦前607年になる。それはネブカデネザルの治世の第18年で,彼がエルサレムを破壊し,ゼデキヤを王位から除き,地上のエルサレムで王位に座すユダの王統に終わりをもたらした時である。



資料の全体を知りたい方は、どうぞお近くのエホバの証人にお尋ねください。

「エホバの証人」を「エホバ」と略さないで。

2008年03月26日 23時53分10秒 | 肯定的意見
エホバは出ていけ!!

よくエホバの証人のことを「エホバ」と略す人がいますが、それですとまったく意味が違ってきます。

キリスト教会の人を「キリスト」、仏教徒の人を「仏陀」と呼ぶようなもので、信者そのものを表す適切な表現とは言えません。

略すなら、「エホ証」や「JW」の方が僕は好きですね。

ちなみに、神の名前を「エホバ」と呼んでいるのはエホバの証人だけではありません。
参考リンク:神の御名を復元している聖書翻訳

エホバの証人の訪問を断る方法

2008年03月24日 23時55分40秒 | 一般記事
インターネットを検索していると、エホバの証人の訪問がしつこいと言う内容の投稿をよく見かけます。

どうして断っても、何度も来るのだろうと疑問に思う人がいるかもしれませんが、僕に言わせれば、断り方が曖昧だから何度も来るわけですよ。

本当に来て欲しくなければ、「もう来ないでください」と言ってください。
その家は「訪問拒否」のリストに登録され、一年間は訪問しないように取り決められます。

え?一年経ったらまた来るの?って思う場合は「二度と来ないでください」と言えば良いかと思います。


この「訪問拒否」についての取り扱いについての内部資料(「わたしたちの王国宣教」1994年1月号 「質問箱」のページ)を載せておきます。
参考にしてね

■ 家の人が,エホバの証人にはもう訪問してほしくないと言って譲らない場合,どのように事態を扱うべきですか。

宗教的な性質の訪問を厳重に断わる標示,あるいは特にエホバの証人に言及した標示がドアに貼ってあるなら,その希望を尊重して,訪問しないのが最善です。

セールスマンや勧誘を断わる標示を時々見受けますが,通常はそのまま訪問することができます。家の人が異議を唱えるなら,自分たちは慈善的な宗教活動を行なっているのであり,そうした標示が当てはまらないと考えたことを巧みに説明できます。それでも家の人が,エホバの証人も断わるとはっきり述べるなら,わたしたちはその希望を尊重します。

家の人が見るからに気分を害し,断固とした態度で二度と訪問しないようにと言って譲らない場合も時々あります。わたしたちはそのような要望に応じるべきです。今後その区域で奉仕する人がその家を訪問しないようにするため,日付を記したメモを区域のカード・ケースの中に入れます。

しかしわたしたちは,そうした家をいつまでも避けるべきではないということを思いに留めなければなりません。今の住人が移転するかもしれません。好意的に応じる,家族の他の成員に会えることもあるでしょう。住人の心情が変わり,わたしたちの訪問に快く応じるようになる可能性もあります。それで,しばらく時間を置いてから,家の人の今の気持ちを見極めるための調査を巧みに行なうことができるでしょう。

区域のファイルを1年に1度検討し,訪問しないようにと書かれている家のリストを作ります。奉仕監督の指示で,経験を積んだ巧みな奉仕者たちにそうした家の訪問を割り当てることができます。家の人が今も変わらずにそこに住んでいるかどうか調査するために訪問していると説明できるでしょう。奉仕者は「論じる」の本の15‐24ページの「対話を拒否するような返事に対処する方法」に載せられている資料に精通しているべきです。理にかなった反応が返ってくるなら,それからは普通の方法で訪問できるでしょう。家の人が引き続き敵対的である場合は,次の年まで訪問すべきではありません。ある特定の状況について別の方法で事態を扱うほうがよいかどうかは,会衆の長老団が決定できます。


主の記念式レポート

2008年03月23日 20時00分50秒 | 一般記事
主の記念式に行ってまいりました。
といっても毎年のことなんですけどね。

うちの会衆の出席者は120名ほどでした。

毎年、姉妹の中で妙に浮いた格好をしてくる人が必ずいるんですよね。

写真をお見せできないのが残念ですが、今年一番奇抜だったのが、真っ青なドレスを来た長老婦人。
まるで社交ダンスでもするかのような格好でした。
いったい、どこで手に入れるんでしょうか。謎ですね。

JWが大好きなしまむらには置いてなさそうですが。


で、今年もいましたよ。着物姿の姉妹。
プログラムに集中できたのでしょうか。
式が終わった後はもちろん撮影会でした。


ワインは無添加のはこだてわいんを使ったようです。

ちなみに、うちの会衆で天に召される人と自称する人はいませんでした。
どうでもいい疑問ですが、未成年やお酒がまったく飲めない人が「天への召し」を受けたらどうなるんでしょう。


レギュラーメンバー以外で記念式に出席するのは、未信者のご主人や親戚とか、普段集会に来ていない子供とか、不活発な伝道者が大半なわけです。
昨日のブログで、果たして招待ビラだけを見て来る人がいるのか、って書きましたが、なんと、それに近い方が一組来られました。

招待ビラを配っておきながら、一見(いちげん)さんが来ることはほとんど期待してないわけですが、実際に来られるとスムーズに対応できないみたいでした。


そんなこんなで、今回の式は無事に終了しましたとさ。

主の記念式♪

2008年03月22日 08時16分59秒 | 一般記事
今日、3月22日(土曜日)は「主の記念式」です。


研究生、未信者が「今日だけは出席して」とお願いされる日でもあります。

で、わけもわからないまま会場に入ってみると、やけにニコニコした姉妹から厚い歓迎を受け、男性だと兄弟から握手を求められるわけです。

プログラムが始まってみると、よく分からない話が始まって、途中でなぜか煎餅みたいなパンが回ってきて、そしてワインが回されるわけです。

初めて来た人にとっては、なんだかわかりにくい行事でしょうね。


僕が気になるのは、この日だけ、ここぞとばかり気合いを入れた格好をしてくる姉妹。
なぜか着物が多いんですよね。で、プログラムが終わると、お決まりの撮影会。


今年は何人集まるでしょう。


「招待ビラ」を持ってやってくる人は果たしているのでしょうか?
招待ビラだけ読んで来る人はほとんどいないでしょうね。

なんせ、招待ビラをとにかく受け取って欲しいがために、内容をほとんど説明せずに渡してくるわけですから。


式のレポートはまた後で。