なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

主の記念式 招待ビラ 2010年度版

2009年12月20日 23時12分04秒 | 一般記事
2010年 招待ビラ 表 2010年 招待ビラ 裏

去年に引き続き、今年も「主の記念式」の招待ビラを入手しましたので紹介します。

2010年の記念式は 3月30日(火曜日)です。

このビラは、3月頃みなさまのご家庭に配りに来るはずです。
いつにも増して気色が悪い絵ですが、受け取ってやってください。

区域の多い地域では会えた人だけに渡しますが、狭い地域やビラが余りそうになるとピザのチラシ並みにポストインしていきますのであらかじめご了承ください。
着物姿の女性(大抵はオバハンですが)が見たい方は、記念式の日にお近くの王国会館へどうぞ。

クリスマスソングでも聴きましょ♪

2009年12月20日 14時52分28秒 | 一般記事
世の中はクリスマス一色で、ついクリスマスソングを口ずさんでしまいそうになります。
今がまさに「終わりの日」なので、サタンが躍起になってるんでしょうね。

それはおいといて、たまにはキリスト教の賛美歌でも聴いてみるのもいいんじゃないですかね。

曲はパーフェクトワールドさんのところで知った、賛美歌469番「Once in Royal David's City」です。
それでは、張り切ってどうぞ~。


歌詞はここにあります 英語 / 日本語
もう一度いいますが、これはキリスト教の賛美歌で、エホバの証人の「賛美の歌」55番じゃないですよ。

聞き比べると前半は同じですが、後半が違うので、パクリとか言わないでくださいね。
MP3 の 2:10あたりから55番)

この曲は 2010年から使う新しい本「エホバに歌う」にも 48番で掲載されています。

裏表紙の変な挿絵出版物と霊の力より)と共に削除すれば良かったのに。

エホバの証人どうしの別居問題

2009年12月18日 00時51分47秒 | 一般記事
交際しているカップル

前回、片方がエホバの証人になった人が離婚に至るケースについて載せましたが、オトカさんが言うとおり、エホバの証人どうしで結婚した後に家庭内別居状態の人もいますし、実際に別居している人もいます。

別居しても名目上は「妻が病気になって、実家で療養している」のように何か理由があるようですが、要はエホバの証人どうしでもうまくいかない場合があるということです。

幼い頃からエホバの証人として育てられれば、世の人との交際はおろか、信者どうしでも結婚を前提としなければ交際することはできません。

交際するときでも「付き添い」(監視役)を頼み、最後まで行かないよう見張られている状態での交際となります。

この短い交際でお互いのことが分かればいいのでしょうけど、やはり理想と現実は違うもの。結婚した後で「こんなはずじゃなかった」となるのでしょうね。

で、エホバの証人どうしでは離婚できないため別居になるようです。
(別居してまでエホバの証人をやってる理由が分かりませんが。)

こんな兄弟姉妹は「幸福な家族生活を築く方法」なんて証言や話はできないでしょうね。

ま、独身の僕が言える立場じゃないですけど。

エホバの証人の離婚問題

2009年12月17日 01時26分06秒 | 一般記事
目ざめよ!2010年2月号

僕の会衆や近隣の会衆では、エホバの証人になったゆえに反対者の夫と離婚した姉妹が何人かいます。

エホバの証人の間では「夫が理解してくれなかった」だけで済まされることが多いようですが、外部の立場に立って夫の気持ちを考えると、どうもそれだけでは済まない問題だと今さらながら考えるようになりました。

見ず知らずの他人と自宅で研究するようになり、家にはものみの塔の本が増え、そして平日の夜遅くや週末に子供を連れて集会に行くようになり、布教活動に参加するようになる…

いつも家族でやっていた行事をしなくなり、子供にはエホバの証人の教えを吹き込み、物事の判断基準がエホバの証人の教理がどうかで決まる…

組織の教えに盲従しながら「自分の意志で良心的に決定している」の一点張り…

そんな、エホバの証人に染まっていく妻を見ているといたたまれない気持ちになるんでしょうね。

以前、顕正会の主婦と会話する機会がありましたが、盲信している信者と関心のない立場との会話がこんなにも悲しいもんだと実感しました。

以前、元エホバの証人の兄弟に会ったのですが、辞めたきっかけは、幸せそうな主婦が雑誌を受け取ったことだそうです。

「この人の人生を変えてしまう。」それを考えるといてもたっていられず、長老に伝えてきっぱりと辞めたそうです。

多くの人はそんなことは考えず雑誌の配布に精を出していますが、それが人の人生にどう影響するか、考えて欲しいと思います。
(幸いなことに多くの雑誌はそのままゴミ箱逝きのようですが)

なまぬるい2010年カレンダー

2009年12月08日 23時31分17秒 | 一般記事
2010年表紙

以前、エホバの証人用カレンダーを作ったことがあったのですが、2010年のカレンダーを作ってみました。

「わたしの聖書物語の本」から、個人的に印象に残っている名場面をチョイスしてみました。

画像を切り貼りしただけの手抜きですが、数が多いのでご了承ください。

本家カレンダーには祝日が載せられていませんが、こちらは祝日に色を付けています。

今回改めてこの本をじっくり見ましたが、強烈な挿絵やグロい挿絵が多いですなぁ。

2010年1月 2010年2月
2010年3月 2010年4月
2010年5月 2010年6月
2010年7月 2010年8月
2010年9月 2010年10月
2010年11月 2010年12月

開拓者の要求時間

2009年12月04日 23時46分50秒 | 一般記事
僕が子供の頃から会衆には何組かの開拓者パートナーがいて、常に接する機会がありました。

開拓者の話題はいつも「あとどれくらい時間を入れれば良いか」のように、常に時間を気にしている様子の方が記憶に残っています。

そんな、開拓奉仕の要求時間が 1999年1月に90時間から70時間に減りました。
あれからもう10年以上になるんですね。時が経つのは早いもんです。

開拓奉仕者は要求時間の変更をどう思ったのか、王国宣教 1999年8月号に載せられています。

3ページ / 4ページ

3ページ 3節にはちょっと気になるこんな「感謝の言葉」があります。
「天の父からの本当にありがたい贈り物です」。
「この備えに対する喜びや愛や感謝を何と表現したらよいか分かりません」。
「予定をこなすこともこれで随分楽になります」。
「これを機会にもっと多くの人が全時間奉仕を始めて,エホバに大いに仕えることから来る祝福を享受されるよう祈っています」。
これらの感謝はどれも的外れな感じがします。

要求時間が減ったことがなぜ「天の父からの本当にありがたい贈り物」なのか、「楽になった」と喜ぶのか不思議ですよね。

エホバの証人にとって、「正規開拓奉仕」こそが一種のステータスであり、特権意識があるんでしょうね。

だから、開拓者の要求時間が減ったことで、月70時間でも「開拓者」でいられることが「感謝の言葉」となったわけです。

統治体のさじ加減一つで「全時間」の定義が変わり、それを開拓者たちが「感謝する」というのはなんとも不思議な現象です。

この件については「エホバの証人の開拓者制度について」をご覧ください。
鋭い視点でこの問題が取り上げられています。

月の途中で70時間に達成すると奉仕に出てこなくなったり、時間の蓄積があると年度末の8月はほとんど奉仕に出なかったりと、「時間」だけのために奉仕している開拓者がいるのはなんとも悲しいことです。
(1年で840時間に達すればよい)


ところで、この1999年8月号の王国宣教には「目標:7万人の正規開拓者」とあります。
その時点で6万3,000人ほどであり、今まで補助開拓をしていた人が加われば 7万人に達するというわけで、それが「道理にかなった達成可能な目標と考えて」いたそうです。

このように数字を目標にするのって、宗教というより企業の考え方ですね。

宣教奉仕にどれだけ携わるかは、各人が「心に決めたとおりに」(コリント第二 9:7)行うべきだと思いますし、組織の目標を達成するためにせっつかれるのもなんだかなぁと思いますね。

さて、結果はどうなったかというと 1999年9月10月11月の奉仕報告を見る限りいずれも 6万3千人代で、目標の7万人には届きませんでした。

目標に達成していれば「7万人に達成しました!」と大々的に公表したでしょうけど、協会のもくろみ通りにならならなかったため、その記事はなかったことにしたようです。

ちなみに「王国宣教」には 2008年まで数ヶ月前の奉仕報告がすべて記載されていたのですが、2009年にリニューアルしてからは「野外奉仕のハイライト」と称して都合の良い数字だけを公表するようになりました。

2010年 エホバの証人の年句

2009年12月02日 00時07分50秒 | 一般記事
来年の年句が「日ごとに聖書を調べる 2010年」(日々の聖句)に載せられていますので、気になる人はいないと思いますがここに掲載したいと思います。

『愛はすべての事を忍耐します。愛は決して絶えません』。
コリント第一 13:7,8

最後の句点「。」が括弧の外に出るのは、日本のエホバの証人の伝統です。

その他に読点が「、」ではなく「,」を使うことや、協会からの手紙は段落ごとに文頭に5文字分空けることなど、様々な伝統的な書き方があります。


エホバの証人以外の人に説明しますが、「年句」とは一般社会で言う「今年の目標」のようなもので、特定の聖句が一年間、王国会館のステージ脇に掲げられます。
そのボードは地元の兄弟が手で作ったり、カッティングマシンを使える兄弟が近隣の会衆分を一括して作ったりと、いろいろ工夫しているようです。
(協会からカッティングシートが送られてくるわけではありません。)

年始めは一時的に注目されるのですが、毎日復唱するわけではなく、すぐに忘れられてしまいます。

統治体さまがお選びになった聖句なんですから、一年間忘れないようにしましょうね。

エホバの証人は唯一の正しい宗教であるか

2009年12月01日 02時25分34秒 | 一般記事
以前、2008年11月1日号の「エホバの証人は,自分たちだけが救われると信じていますか」の記事を取り上げましたが、このような内容の質問を提起するのが好きなわりに、答えをハッキリ書かないんですよね。

「聖書から論じる」の99ページは「エホバの証人は,自分たちの宗教が唯一の正しい宗教であると信じていますか」とありますが、「~という理由で、エホバの証人が唯一正しい宗教であると信じています」とは書かれていません。

このような資料にはあいまいな答え方をすることが多いのに、公開講演の講演者用「筋書き」には他の出版物には見られないこんな言い回しで指示されています。
講演者への注記:
エホバの見える組織に対する認識,およびエホバとわたしたちとの関係においてその組織が果たす肝要な役割に対する認識を築き上げてください。
組織を退けることは,エホバと,『すべてのものを,キリストにおいて再び集める』というエホバの目的を退けるも同然であるということを示す必要があります。(エフェソス 1:10
エホバおよびその組織と一致した関係に入り,そのような一致を保つ人々だけが命を得られるということを明らかにしてください

ところで、原稿 1ページ目にある、「すべての人を単なるロボットのように画一化しようと」する組織って、どこのことでしょうね。

子やぎをその母の乳で煮てはならない

2009年12月01日 00時55分21秒 | 一般記事
ものみの塔 2006年4月1日号 31ページ

PC のファイルを整理していたら、以前作った第4(現在第3)の割り当ての原稿が出てきました。

出エジプト記 23章19節後半の禁止命令から,何を学べますか」という主題で、ものみの塔 2006年4月1日号 31ページをほぼそのまま話の形に組み立てて話しました。

今改めてその資料を見てみると、「ある学者によれば」、「○○であったかもしれない,と言われています」なんてあやふやな内容で、よくもまぁ演台から話したなぁと思いました。

資料がおもしろくないのか、話し方が悪かったのか、聴衆はそれほど興味のなさそうな反応でした。

「この聖句を現代に当てはめるなら、イクラと鮭や、卵や鶏肉の親子丼は神の目から見て不快な食べ物だと言えるかもしれません」なんて言った方がおもしろかったですかね。

ちなみに、協会の指示によると「エホバの証人の出版物を調査してこの割り当てのための資料を集める必要がある」ので、いくら分かりやすい資料であろうと、感銘を受ける資料であろうと、一般の解説書を参考にしてはいけないんですよね。

ベテルの図書室には一般の「聖書の注解書」が山ほどあり、ものみの塔の出版物には度々引用されているのにね。
(「良心の危機」29~31ページを参照)


第4の話について調べていたら、僕が当時中学生で、当時20代か30代の独身兄弟が
「マスターベーションはそんなに悪いことなのでしょうか」
「マスターベーションというわなを避ける」
なんて割り当てを果たしていたのを思い出しました。

姉妹から「扱いにくい内容の割り当て、ありがとうございました」なんて言われていたのを覚えています。