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スカウト~後藤正治

2012-06-06 | Book

後藤正治の「スカウト」読んだ。広島カープを振り出しに大洋、オリックス、日本ハムでスカウトを務めた伝説のスカウト、木庭教(2008年5月23日没、享年81歳)を題材にしたスポーツノンフィクション。1996~1998年に書かれた本。ブックオフで購入した、ちょっと古い本だが、読み応えは満点評価。スポーツノンフィクションの傑作との評価に異論なし。

スカウトという仕事の厳しさ、奥の深さを実感。騒がれて入ったけど泣かず飛ばずで終わった選手、一軍に一度も上がれず戦力外となった選手は数知れず、プロ野球で生き残るのは本当に至難の技。

在籍した広島、オリックス、日ハムの選手を中心に入団にごぎつけるまでのエピソード、入団後の浮き沈みが実名でリアルに描かれている。懐かしい選手、もう名前さえ忘れてた選手、そんな選手おったかな?という選手まで玉石混淆で紹介。

1975年のカープ初優勝の話。感動的だねぇ。思わずユーチューブで探し観てしまったよ。当時、中1だったけど、ラジカセで優勝を聴き届けてから塾に行ったのを覚えてる。当時は広島ファン以外の野球ファンもカープを応援していたような記憶がある。プロ野球日本シリーズが国民的行事の時代。

http://www.youtube.com/watch?v=4d05-QNL-8k

アンダースローの金城基泰。昔はテレビ中継はバックネット裏から撮るスタイルだったけど、あのテイクバックが大きく浮き上がる速球は今でも覚えている。失明してもおかしくないような交通事故から復活したのは奇跡に近い。アンダースローが少なくなっているうえ、あれだけのスピードを投げれるアンダースローピッチャーは出ないのではないか?

同じくアンダーハンドの堂園喜義、1974年の広島カープのドラ一選手。外れ一位だったが、一軍登板は一度もないまま引退している。この年は定岡(巨人)、工藤(阪神)、土屋(中日ーロッテ)、永川(ヤクルト)が高校四天王と呼ばれた。66勝の工藤が最高。永川は1試合の登板に終わり、77年に退団。95年に癌で他界。享年35才。

石本龍臣。83年、広島ドラフト5位。高卒投手で入団も眼の病気のため2年でクビ。しかし木庭の紹介で競輪の世界に入り、トップ選手になる。昨年、競輪界も引退。競輪界では2,112勝。人生は何が幸いするかわからない。


後藤氏は現在、関西にある大学の学長を務めているようだ

現在千葉ロッテマリーンズのヘッドコーチ高橋慶彦の入団からスタープレーヤーになるまでの逸話。失礼ながら足も速いが、女にも手が速いという印象の選手時代だが、猛練習でレギュラーを掴み、彼の練習が80年代の強いカープに導いた。今のようにFAなどない時代でも、巨人、阪神に比べ契約金は安く、有力選手を集めるのには苦労した。猛練習で強くなるしかなかった。古葉監督の鉄拳制裁もあったらしい。今の時代なら、ちょっと問題だが、選手も反面教師で付いてきたと思う。そして高橋の後輩に当たる長嶋清幸。1979年ドラフト外でカープ入り。静岡出身だが、札付きの悪で準地元の中日が指名を見送ったという逸話もある。通算安打数1,091本。現在、千葉ロッテマリーンズ一軍打撃コーチ。

高卒選手を育てるのは難しい。マリーンズは中堅選手は高卒選手が結構多い。渡辺正人(15年目)、塀内久雄(13年目)。一般的には知られていない選手だが、控え選手として生き残っている。これは凄いことだ。

今、マリーンズで売り出しの若手、角中は四国独立リーグ出身。ルーキーの益田は関西国際大学出身だが、中央球界では無名のため、ドラフトで四位指名って聞いた時、知らん。契約金6,000万の選手?と思ったが、スカウトの眼は間違っていなかった。

野球人の人生は縁で決まる。才能を見出してくれるアマチュア時代の指導者、プロのスカウト、プロ入り後の監督、コーチ、ある時はチームメート、裏方との縁も野球人生を左右する。

広島カープというチームの歴史を考えると、カープがもう1度強い時代が来ないと、野球人気が回復しない。

 

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