地球の危機!

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「「幸せ」とは?」

2009-12-08 08:44:19 | Weblog
「「幸せ」とは?」

(『ニッポンNPO戦記ーーアフリカに緑の革命を!』 大高未貴著、徳間書店より)

筆者の大高さんが、アフリカ人のマルセル・ガリバ氏に、「アフリカでは、貧困、内戦、疫病… 人類の苦しみが、これでもか、これでもか、というくらい、全部集約されているのに、どこがパラダイスなのですか?」と質問したら、

ガリバ氏は、
「… 一歩郊外に出れば、本当に たおやかな時間が流れ、’大地の鼓動’に呼応し、何も持っていなくてもニコニコしながら生きている人がたくさんいる」

と言われたということです。(全文は→(*))

私もガリバ氏に大賛成です。そこにあるものを、(あ、いいな)、と思ったら、ありがとう、と受け取ればいいのです。

アメリカでは、困難を乗り越えて進むことが、価値あることらしいけど、何も、困難を乗り越えなくても、今ある惠を掴み取って、ガッシリと放さず、自分のものにして、あなたが、良い目をしたら良いのに、と思います。

お金の多寡で計る’お金持ち’も良いけれど、時間の多寡で計る’時間持ち’も、これも、幸せでしょう。

アメリカでは、困難を乗り越えて、動物たちに、たくさん乳を出させ、卵を産ませ、少しでも短い期間に肉をつけさせることが’良い’とされているようだけど、何の努力をしなくても、そこにあるものを1つでもいい、卵が10個なければ3個でもいい、(全く無かったら困るけど)生きられたら、私なんか、絶対安易な方を選ぶけどな、と思う。

そこに花が咲いていて、(綺麗だな)と思えたら幸せになれるのに、長時間労働、低賃金で、気持ちにゆとりが無くて、(綺麗だな)と思えない。それで幸せになれない。これをもったいない と言わずして、何をもったいないと言おうか、と思う。

幸せはすぐそこにあるのに、「1位になってこそ」とか、「早く! 速く!」で、ブチ壊されてしまう。

すぐそこにある「幸せ」も得、かつ、「困難を乗り越える」こともされたら(これは私は、汗)良いのに、と思う。



(*)

大高氏:
「アフリカでは、底抜けに明るい笑顔の人に、たくさん出会いました。なぜなのでしょう?」   

ガリバ氏:
「’大地の鼓動’」が身近だからです。

地球や宇宙が’グレートマザー’だということは異論はないと思います。大地は地球そのものであり、したがって、我々’人類の母’なのです。滋養に富んだ食物を育み、惜しみもなく与え続けてくれる母です。

ところが先進国の都市では、’母’と人間がコンクリートで遮断され、高層ビルの林立によって大地の惠である緑も片隅に追いやられています。

大地に足の着かない不安定な生活を余儀なくされているのです。そして財産や地位や名誉など、二次的な価値に左右される激しい競争社会を生き抜いていかなければなりません。こうした生活に真の安らぎや癒しは存在しません。

もちろんアフリカの都市にも、そういう価値観に縛られた人がいます。でも、一歩郊外に出れば、本当に たおやかな時間が流れ、’大地の鼓動’に呼応し、何も持っていなくてもニコニコしながら生きている人がたくさんいます。」