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「臓器移植ーー宇和島徳洲会病院」

2009-09-18 18:56:35 | Weblog
「臓器移植ーー宇和島徳洲会病院」

宇和島徳洲会病院(2004年開院)の万波医師が腎臓移植をしたことで話題(問題)になりました。

争点は、
・なぜ、病腎移植を公表してやってこなかったか。移植に仕える腎臓なら、なぜドナーに戻さなかったのか?

・倫理委員会を通さなかったのは、独断だ。

の2点でしょうか。

「病腎移植」というのは、「病気の腎臓」を移植したのではなく、「病気の人の腎臓」を移植した、ということです。

どちらでも同じではないか、といわれるかも分かりませんが、万波医師は、

「4cm以下の小さな腎ガンは、腎臓そのものを摘出する必要はない。それでも患者から「ガンの腎臓は嫌だから、取ってほしい」と頼まれることがある。

「一旦取り出したものでも仕えるものは元に戻すのが大原則だ。しかし、患者が元に戻すのを望まないなら、捨てることになる。捨てるなら、苦しんでいる透析患者のその腎臓を移植してあげたいと思った。」

「腎臓を摘出する患者には「移植に使う」と納得してもらい、移植を受ける患者には腎臓提供者の年齢や病歴を十分説明した。」

と言われています。

日本移植学会の大島真一副理事長(2004年当時)は、
「移植して他の人の体内で機能する腎臓だったら、摘出する必要がない。患者は取られる必要のない腎臓を失ったことになる。」と批判したということですが、

万波医師は、
「特に批判を受けた例に、ネフローゼ(腎機能の低下で尿にタンパクが漏れる病気)の腎臓を患者から摘出し、別人に移植した手術がある。ネフローゼは患者の免疫が患者自身の腎臓を攻撃して、腎機能が低下する自己免疫疾患だ

本人の体内では良くないが、免疫に反応しない人に移植すれば、タンパクが出ないようになるのではないかという確信が私にはあった。」

と応えています。

病腎移植を倫理委にかけなかったことについては、「「独断による人体実験」、と批判を受けた。

私は倫理委を通しても解決できる問題ではないと思う。委員は患者の苦しみについては、知らない。

患者と接していたら、「倫理委にかける」という発想が出てこなかった。そんな手続きを踏んでばかりでは、時間がかかり、腎臓がダメになってしまう。」

日本移植学会を通してだと、ドナーが見つかるまでに20年くらいも待たないといけないという、そういう背景もあったようです。


「万波医師は、病腎移植を、倫理委にかけることもなく、行った」

これだけ聞いたら、万波医師って何て酷いことをしたんだ、と思うけれど、万波医師の言い分を聞いたら、私は(なるほど、そうか)と、納得できました。

万波医師は「人」を見(観)ているんですね。

対して、倫理委や移植学会は、「正しくあること」を第一にしているように見えます。

必要としている患者がいて、捨てる腎臓があったから、万波医師は腎臓移植をした。

倫理委は、移植をする医師が、もしも金儲けを第一とするような医師だったらえらいことになるから、やはり倫理委で決めたことは守ってもらわないと困る、というところでしょうか。

患者を診察して、「○○病だから(病名を決定する)、どういう処置や薬が必要だ」と判断を下すことは医師に委ねられているのですよね。

ドナーを20年も待たなければいけないという状況があるのならば、もう少し医師に委ねても良いのでは? とも思ってしまいますよね(私は思いました)。