
「草津駅(滋賀県)のプラットフォームは、底冷えと音を立てて吹く風に、吐く息まで凍てつくようで痛かった。
〈比良の八荒、荒れじまい〉
湖国に住む人たちは、この琵琶湖を中にはさんで荒れ狂う風を、そう呼んでいる。
しかし、この風がすめばもう春、そんな希望がある言葉である。
その季節は、ちょうど、奈良のお水取りの儀式の頃でもあった。」
大津市に生まれた花登筐の『ぼてじゃこ物語』(1971年-昭和46)の書き出し部分は、こう綴られていた。
少し前、点訳の作業をよく共にしているメンバーでひとときを過ごした折、この作品が話題にあがったのだった。
「このあたりじゃ比良八荒が終わらないと本当の春が来ない」と口々に言われる私より少しばかり年長の方々は、この作品がドラマ化されたのをご存じだった。
主人公を演じた女優さんのイメージを払いのけてしまいたい。読む前に聞かなきゃよかった、と実は思った。
浜大津の湖岸緑地公園に建つ記念碑には「泣くは人生 / 笑うは修行 / 勝つは根性」の文字が刻まれてるという。
55歳で亡くなっているが、残された台本、脚本等の作品はおよそ6千冊に及ぶというから驚きだ。
ぼてじゃこ、って…。
「琵琶湖で、そう呼ばれる魚である。雑魚の類で、雑魚、腹がふくれているからぼてである。貪欲な魚で、鉤をおろすとすぐに喰いつく。釣れても食えた魚ではなく、鶏の餌になるくらいである」。

「どんなときでも、ぼてじゃこになったらいかんえ」
さて、どのような生き方を母は娘の心に遺して死んだのか。
私などはともすると楽な方へと逃げる。根性論は好みではない。が、彼女にとって生きている価値とは何だったのか。捜し求めた生涯とは、読んでみよう。
顔は練白粉の花嫁化粧のまま。ショールで顔を隠すようにして電車の座席に腰をおろした。
「次は石山、次は石山」
確か、毎日あったような、、、?
新玉美千代さんに似た女優さんが ごりょんはんになって出てられましたでしょうか?
確か船場のお話で、丁稚の粗末な食事などが映し出され、鮮明に覚えています。
旦那は、先々代の鴈次郎さんでしたでしょうか?
なんだか懐かしいです。
三十年ほど前に図書館で探していただいたのですが、奈良には花登筐の『ぼてじゃこ物語』は在庫がないということでしたので、残念ながらあきらめました。
keiさんは読んでおられたのですね。
小説で読みたくなるほど、子供にとってはインパクトのあるドラマでした。
なぜか私は知らず、今読み始めました。
脚本家としてのお名前は知っていますが、それにしても多作ですね。
知っている地名に入り具合はよいです。
電車内で白塗りの化粧を落としていました。
石山駅から先、続きを読みます。
どこへ行くんでしょうか…(笑)
ドラマ『ぼてじゃこ物語』は『細腕繁盛記』のあとに放映されたドラマだったのですね。
父母が毎週テレビをかけていたので、見ていました。
当時は、根性ものとか、教訓物とか、船場ものが多かったように思います。
懐かしさだけで書き込み、失礼いたしました。
そして当時を思い出させていただき、ありがとうございました。
『ぼてじゃこ物語』は記憶にないのですが、『細腕繁盛記』は
我が家でも両親が見ていたのか、画面の新玉美千代さんの姿を覚えています。
『どてらい男』なんてのもありましたね。
見てはいませんが西郷輝彦さんでした。
ほんと、懐かしい話題ですよね(笑)
妙満寺にお墓があると知りました。
安珍清姫にちなむ梵鐘を拝見に、一度訪れたことがあります。
そのうちに…?
このドラマを見ていた母は配役がぴったりだったと言ってました。我慢強くて根性のある役は大河ドラマいのちの主人公とかぶります。私からすると本を読んだ印象では雪子は三田佳子さんでぴったりだと思いますよ。
何かのきっかけがないと手に取りにくい、言うなら少し古い作品ですよね。
面白く読んでらっしゃるのですね。
「我慢強くて根性のある」女性を三田佳子さんが演じておられるとのこと、なるほどと思います。
一人の人生など知れているとも言われますが、さまざまに人生体験重ねて
読みも深まり共感を覚えることも多々あるようです。
あれれ…?となりましたのは、大河ドラマの「いのち」を知らずにおりましたことです。
コメントありがとうございました。