京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

余情残心の5000日

2021年11月05日 | 日々の暮らしの中で

何に心を留め、影響され、考えつつ過ごしてきたか。書かない、書けなかった、大ごとも些細なこともある。過ぎてみれば、自分の楽しみごとを楽しんだ多くの時間がここにあります。


5000という区切りの良い数字だが、ことさらな感慨はない。2008年2月末日に書き始めてから今日に至る5000日ぶん(13年8カ月余り)の道ができたわけだ。道は、なるほど歩いた後ろについてきた。
たくさんの方が黙って立寄ってくださる。のぞいてやろうと、そのお気持ちに感謝しております。ブログではないページから、もう何年と顔を出してくださる方々もおいでだ。本当なら会話して、言葉の向こうに想像力を働かせたいという気持ちがありますが、追いかけたりは致しませんから。ありがとうございます。

  明日ありと思ふ心のあだ桜夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは    親鸞

明日はないかもしれないのだ。長さではなく深さ。誰の評価でもなく、自分自身が充実したと思える人生なら最良だろう。後悔のない人生などないと思っている。悔やまれることは多々あるが、それでも、今日一日を大切にしていくことしか道はない。
しつこく、暑くるしくないように。名残りの心をとどめていきたい。「余情残心」。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぽんぽこぽん)
2021-11-05 18:44:25
こんにちは。
ブログを始められて5000日になられるんですね✨

わたしはまだ一年も満たない身なので尊敬しかありません。。

〝明日はないかもしれない〟〝長さではなく深さ〟本当にそうですね。
いつも心に響くお言葉を、どうもありがとうございます🍀
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たまには意識して…、ぽんぽこぽんさん (kei)
2021-11-05 22:02:30
こんばんは。
平素ほとんど意識もしない数字ですが、たまたま4993ぐらいででしたか、目がいきました。
一日一日の積み重ねだけの話ですから、尊敬などというお言葉には無縁です。
常に、明日はないかもとは意識などしていませんよね。
でも時折、思うのです。思った時に記して、の繰り返しに気づかされる何かが…。
よりよく生きよう、とか??
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Unknown (リュウ)
2021-11-05 22:42:11
こんばんは。
ブログ開設5000日!
「積み重ねだけの」とおっしゃいますが、やはり大変なことです。
おめでとうと言わせていただきます。

私はこの前1000日過ぎたばかりです。
この広場に来る前には2,3か所ほど道草食っていましたから、
日数だけから言えばかなりの古手です。
いつまで続けられるか全くわかりませんが、元気なうちは言い
たいこと言いながら続けます。
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積み重なって、リュウさん (kei)
2021-11-06 16:43:21
こんにちは。
お返事が遅くなりすみません。

いつしか積み重なったという感じなのです。
やめるも続けるも自分次第と思うので、かえって続いているのでしょうか。
400字詰原稿用紙1枚、と工夫するのですが、つい駄文をずらずら…。
これには少しこだわりたいなと思っています。
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Unknown (yo-サン)
2021-11-06 19:42:16
ご健筆何よりです。
kei女史が書かれるなら「余情残心」では。
「残心余情」は学なき私の勝手な読み替えで、今なお「余情残心では」なんて
ご親切なご指摘を頂きます。読み替えは親鸞聖人に肖った訳でもないのですが。
今宵はこれにて。
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余情残心と、yo-サンさん (kei)
2021-11-06 22:20:51
こんばんは。ご無沙汰しております。

そうでした。以前yo-サンにお話しいただいたことがありました。
「余情残心」というのが本来ですね。「残心余情」とお話くださった。
ブログを綴る思いの根底に、〈思いを惜しみ、余韻をとどめつつ〉と念じております。
お言葉がそのまま心に残ってしまっていたのでしょう。
よく確かめもせず、浅はかなことでした。yo-サンのお言葉をそのまま拝借、ではいけません。
本当に失礼いたしました。直しておきますので、失礼のほどお許しくださいませ。

気候の変わり目、お身体大事にお過ごしください。
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