年金や介護保険に関する日々の不満から、生活保護を都合よく利用する人々への自立方法論まで、暮らしにくくなったご時世を反映してか、思い思いの言い分が手厳しく、時にはうっぷんを晴らすかのように喋り出したら止まらない人がいます。その一方に、えっ?えっ?そうなん?、いつのこと?知らなんだ…と、いちいち話の流れを止めて水を差す人も混じります。まあまあ、女性ばかりが寄ったしゃべり放題の輪の中にはいろいろなタイプがあるものです。
戦闘態勢まがいの会話では、迂闊に同調のテンポに乗ってしまってはなりません。正しく意図したことが伝わらなければ、ああ言った・こう言ったと噂の花が咲くからです。優柔不断な性格なのか、過去の体験を生かしてのらりくらりと交わしてしまいます。
ところで、どうしてお地蔵さんの耳が長いか知っていますか?それは私たちの苦しいこと悲しいこと、楽しいことなどすべてをしっかり聞いて下さるからだそうです。ふっとこぼす胸の内も上手にすくい取れる聞き役ができたら…。相手の心の中へ、隙間からでも入り込むには…。そんなことも考えます。
笑顔は最高の相づちとのこと。ちょっと心を傾けて、言わんとするところを察しながら相づちを打ったり驚いた気持ちを乗せる言葉にしたりして、わからない話にもついて行っている気がします。昔話中心の、年代の大きく違った人との会話では大抵こんな調子で、今年のお盆も過ぎます。
不満をぶつけ、とうとうとしゃべったあとのむなしさ。感じたことがあります。多くをしゃべり過ぎない知性も必要だなと思ったわけです。
宇野千代さんが「私の小説作法」の中で言っていました。「語り過ぎない。詳しく書き過ぎると大切なものが消える。その大切なものを露出してはならない」と。見えない心の姿勢の様なものに相通じると感じています。
(写真:三千院のわらべ地蔵)
聞き役、確かに大変なお仕事です。
この頃では「傾聴ボランティア」なるものもあります。
笑顔は最高のあいづち・・・これはまたいいことを教わりました。
言われてみるとまさにその通り。
小さい子が一生懸命話すのを、母親が笑顔で聴いてくれるだけで安心するのをよく見かけます。
心して笑顔で聴くように・・・。
家族間だとつい不愛想になりがちですが…。
仕事をされ小さな子を抱えたお母さん、三兄弟もそんなお母さんの笑顔に自信を得て成長されているのですね。
もちろん応援団長の笑顔には勇気百倍でしょう~。
聞いてるふりでは貧しいなあ…と思うのです。
全身全霊で聞くこともできずですが、話しての思いを探りながら、気持ちを傾けて…。
長い耳を持つって難しいことです。
「それはたくさん聞いて話すのは少しでいいから」
つい最近ふと目についた活字でした。
何で読んだのかはすっかり忘れましたが、
「なるほど」といたく感心しました。
「聞き上手は話し上手』と言いますものね。
笑顔で話し手の目をを見て聞くことが大事ですね。
立場を変えれば、自分の話を聞いてくれているかどうかは感じられるものです。
年に1-2度、お会いした方のお話をたっぷり聴かせていただいて、
よしゃべった!とお帰りいただくのもオツトメノうち?かなと。
相づちを打ったり感心したり、話しは次々に広がって…。
今夜は大文字の送り火です。