京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

生きてゆくのにも情熱がいる

2024年08月14日 | 日々の暮らしの中で
娘の夫と娘がそれぞれに誕生日を迎えるので、お祝いのカードを送っていたが、昨日「今朝受け取りました」と言ってきた。5日のずれがあるので、わざわざ中一日あけて7月29日と31日に出したのに何の意味もなさず、一緒に届いた。ということは、はてさて、どういうこと。


帰省されたとか、お盆だからとか、墓参りに来たのでと立ち寄ってくださる方がいる。墓地とは離れているので、わざわざという方ばかりだし、それを思えば留守にもできない。
盆正月だけの出会いとなると、かつては義母でないとせっかくの客人に気の利いた話もできず、愛想無しのままお帰り頂くことになりかねなかった。
「今の人誰?」と問えば、「〇〇さんとこからでた▢▢さんで…」と義母の説明は長く続く。

けれどこちらも先方さんもぼちぼち代変わりが進み、とともに距離は縮まり、身近なところでの会話も成立するようになった。こうして人は生き継いでいくのだろう。
それでもやっぱり家々の歴史への関心は薄く、相変わらずの愛想無しが顔に出てやしないかな? いや、それは言葉に現れているのかもしれないねえ。

「来る人の絶え間を己がものにして」
ときどきテレビをつけて、大阪の桐蔭高校はどうしたかと高校野球の経過を確かめ、“総裁選に出馬しない”という速報を目にしたけれど消した。そして、

 新しく乙川作品を読み始めることにした。
帯裏には「生きてゆくのにも情熱がいる。萌えるように輝いていたときは過ぎてしまったが、終わりはまだ遠いとも思う」とある。
ー 情熱はかけがえのない命のように愛おしい


来る人の絶え間を己がものにして結ぶも涼し滝の白糸
  熊野若王子神社(京都市左京区)の滝を江戸後期の歌人河本延之が詠んだことを「京近江 名所句巡り」に教えられ。


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