「熊野へ参るには 紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し
広大慈悲の道なれば 紀路も伊勢路も遠からず」
『梁塵秘抄』にある、熊野をうたう今様。紀路は京から舟で淀川を難波まで、そして泉・紀の国の海岸伝いに南下して、中辺路(今の田辺市)から本宮へと参る道。伊勢路は京から伊勢へ出て、新宮に至るものである。
熊野までははるばる山川八十里と。
「熊野へ参らむと思へども 徒歩(かち)より参れば道遠し すぐれて 山さびし
馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽賜(た)べ 若(じゃく)王子」
歩いて行くのはしんどいし、馬で詣るのでは苦行になるまい。羽を下さい… 。
一度歩いてみたい、そう思い続けてついにそのチャンスを得た蟻の熊野詣。明日は紀伊路最後となる8回目だ。田辺市にある南方熊楠が眠る高山寺までの11.5kmを、ずっと海沿いに歩く。
「広大慈悲の道なれば」… 一遍上人や西行、芭蕉も寂聴さんも歩いた中辺路の道へ、一歩近づきたいものだ。
楽しんで歩けたら言うことないのだけれど。
これからです!これからは山の中、万全の準備をして臨もうと反省です。
中辺路はよかった! 昨日、バス席で隣り合わせたかたの言葉です。季節違いにもう一度歩こうと、前回雨だったというこのコースから改めての参加なのだそうです。
最初の心配が嘘のようです。
8回続けるなんてめったに出来ませんよね。
最期の行程をどうぞお気をつけて、そして楽しんで歩いて着てください。
おめでとうございます。
空が明るくなってきたな、と窓から眺め、初夏の日差しの中で一日を過ごせました。
これほど潮が引いたのをみたのは初めてだ、という語り部さんの驚きの声が上がった天神崎の光景、およびその周辺… 印象に残りました。
洋々たる海の広さ・大きさというものではなくて、沿岸の風景と共に歩いたようです。
帰路が渋滞でした。一時間ほど余分にバスに座る、これが意外と疲れます。
折角45分も早くにコースを歩き終えているのに…。
振り返れば早くも8回目。
秋のいい時期にスタートして、真冬の寒さに耐え、厳しい峠を幾つも超えて8ヶ月。
紀伊路の最終コース。本当によくがんばられました。
また改めて中遍路に向けて・・・ですね。
少しの不安を胸に、遠くから見つめて来ました。
さすが、挫折のザの字もなく、ここまでの完歩。
拍手喝采。お疲れ様でした。