京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

押しやられる市民権

2009年03月19日 | 日々の暮らしの中で


現在は京都府立盲学校と聾学校に分離したが、前身の、日本最初の障害のある子どもたちが学ぶ場として誕生した「京都盲唖院」が今年百三十年を迎えた。
「教育によってこそ、人は等しく貴い存在になれる」と説く初代院長。

電話を発明したベルやヘレンケラーも視察に訪れていて世界的に注目を集めてきたという。
卒業生たちは各地で同種の学校設立に尽力するほか、点字出版にも携わったり、仲間の社会参加を後押しするなどして障害者福祉の基礎を築き、現在へと続いている。
当時の町衆の教育熱は高かったらしい。その中から初代院長を支える人物も出たという。
「自立と社会参加」の理念は変わっていないと。

そんな卒業生の一人が立ち上げた活動が三十年近くに渡って続く。人が変わり、手段を変え、活動内容を見直しながら継続されてきている。

総会があった。

『点字拡大文字メニューについて、実質「利用者が少ないから」という理由で、数の論理で活動が鈍りがちになっている。「点字の市民権」を得ていく初期の目的を遠のかせている。
飲食店側は、視覚障害者が客、一消費者であることをしっかり認識しているのか?
理念の上での理解だけで止まり、正当に受け入れようとしているのかまだまだ疑問がちである。

一つの枠の中にちがった存在があるとき、それを抱合していこうとすると余分なエネルギーが必要となる。一つの異物として片隅に追いやっておくことの方がエネルギーとしては少なくて済む。この違った存在を混ぜ合わせることが真に正当だと思うのであれば、当然一定の時間とエネルギーは必要となる。私は個々人がこの理念と現実のはざまを、どのように向かい合って問いかけてもらえるのかを問いたい』

とは、会の代表の思いの一部。私はここで少なからず学ばせてもらっている。
数の論理で、「点字メニュー」に関しては「点字」の市民権が押しやられようとしている。
あって当たり前、この論理は無理なのか。使われないから無駄なのか?
「点字」は視覚障害者にとって様々な情報をえるための文字でもある。

手段を変えることも視野に入れ模索が続く……。
「音声」という手段だが……


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17 コメント

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市民権… (yattaro-)
2009-03-20 10:27:09
素敵な写真・・シダレ桃? シダレ梅? しだれ桜?
いずれにしてもこの時期、確かな春の訪れを、目を見張る実像で示してくれますね。

「音声で知らせる…」というキャンペーンを最近多く耳にするようになりました。大変結構なことだと、幾ばくかの協力もしました。その陰で点字の市民権が脅かされる…寂しい現実があるのですね。
「視覚障害者も一人のお客・一消費者であること…」この現実味あふれる原点を、世間全体が忘れるかかっているのは許し難いことです。
“一つの枠の中にちがった存在があるとき、それを抱合していこうとすると余分なエネルギーが必要となる……” ズシンとのしかかる言葉です。それに続く“異物…”にはならないように…ですね。

この場を借りて…。先だっての「論語・文庫本」の件、残念ながら絶版となっており入手できない羽目になりました。図書館にはあるのでしょうが、こういった本は手許にあってこその値打ちのように思います。思い切って、朝日新聞に直訴してみましょうかねー。もし、何かヒントがあれば是非お願いします。
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みんな一緒だわ… yattaro-さん (kei)
2009-03-20 18:55:59
世の中には、精神的にも身体的にも様々なものを抱えながらいろいろな人が生きているわけです。
視覚に障害のある人もそう、聴覚に、さらには身体的に障害を持つ人たちもいます。
学校に会社になど、行きたくても行けないこ子どもや大人、不登校や引きこもりのケースもあります。難しい病名がつく人たちも…

「ふつう」と称しがちな枠に入れると、それは少数派になるでしょうね、いけませんかね?異物ですか?

お互いに無いものを埋め合わせ手を貸し合って、少しでも誰にとっても住みよい方向にと舵をとっていくことこそ普通だと感じます。
できることは人のためにその力を使えばいい、普通に。
それは確かにエネルギーがいることでもあります。摩擦も生じるでしょう、時間もかかるはずです。
しかし異物として少数派、弱い立場の人たちを知らん顔で見過ごすことは許されません。エネルギーを使わずにやり過ごしておく方が楽でしょうか。

メニューも自分で選びたい人はいます。
点字そのものが読めない人も増えていることで、利用度は下がります。成人病など中途失明の多くの人たちがそうです。でもあっていいものだと思うのですよね、点字でのメニューも。
何で外国からの観光客のために英語でのメニューは整えようとするんですか…

だいぶ感化されてきている自分を意識します。かなり意見を言い合ってきました。

「論語」は、解説付きでいくつか出ていますが。
岩波新書の文庫もあったと思いますし。私はこれしか持ってないのです。吉川幸次郎さん自体が「ふるい」ですが、改定本でもないとなると、別に他のものでも、と思いま~す。
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Unknown (rabbit125cc)
2009-03-20 22:30:45
「教育によってこそ、人は等しく貴い存在になれる」
130年も前にも、同じ想いをされてた方がいるのに勇気付けられると同時に、130年経っても・・・という弱気も^^;
でも、その後のkeiさんの強い言葉が私をまた勇気付け^^
点字は私も読めません^^;以前「点字のソフトが古くてPC98じゃないと出来なくて、古いパソコン欲しがってるよ~」って聞いて、実際家にあったオンボロをあげたっけな~。あれって役に立ったのだろうか^^;
小学校でローマ字教える辺りで、一緒に教えちゃえば良いのにと思った事もありますw
社会理念と現実のギャップ・・・点字ブロックでさえまだまだな、この社会はやはり歪な気がします。
解決策は?教育ではないでしょうか^^

私の従兄のあっちゃんは、聴覚障害でゴッホに傾倒しひまわりばかり書いていました。若干の知的障害もあり、今の私ならもっと話し相手になれただろうにと、後悔先に立たずですね。思春期の私に今の心が備わっていれば・・・これも教育でどうにでもなる問題。

「教育によってこそ、人は等しく貴い存在になれる」
勝ち組とかセレブとか思ってる方々に言いたい。
「残念ながら、あなた方を等しく貴い存在に出来なかったのは、やはり教育のせいである」っと^^;
豊かな生活はそこには無いのだよっと
だってw
私は貧乏だけど心豊かな暮らしできてますもの^^
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なんか怒っていませんか……? (yattaro-)
2009-03-20 23:02:53
「ふつう」と称しがちな枠に入れると、それは少数派になるでしょうね、いけませんかね?異物ですか?

異物として少数派、弱い立場の人たちを知らん顔で見過ごすことは許されません。エネルギーを使わずにやり過ごしておく方が楽でしょうか。

こちらからのコメントが何かお気に召さなかったのか??と心配しました。

最後の方に、“だいぶ感化されてきている自分を意識します。かなり意見を言い合ってきました。”というくだりで、あ~そういうご事情がおありだったのか…と感じた次第ですが…。ピント外れがあったら教えて下さいね。
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教えてください、yattaro-さん (kei)
2009-03-20 23:44:59
何もおこっていません。
この代表とは長いおつきあいになるのですが、
理念を前面に出し過ぎて迫ってくるんですよね~。ですからたくさんの人が去っていきました。
ボランティアとしてのかかわりと、当事者として、ここまででサヨナラですと言われても困る人たちの代表との間で、理念についていかれないのが実情でした。
だから私も2回ほど休会しつつ。
それでも少しずつわかりかけてきて、今です。

おこってません、問いかけてしまいました、きつすぎでしたね、ごめんなさい。

でも、読めない人が多い中、作って各店に置くことは、あって当たり前というけれど、無駄、意味のないことなんでしょうか。
ここがわかりかねるところなのです。いつもここで思考はストップ…
使わないものを作って置いておく、意味あるでしょうか?
半年に一人、使う人がいるかもしれない…、その人のためにも置いておくのが良いのでしょうか。

結論なんて出ることなのでしょうか…。
何でいつもここでぶつかるのか、壁のようです。
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やはり、どうなんでしょうか~ rabbit125ccさん (kei)
2009-03-21 00:01:49
私も点字を習ったことから、視覚障害者の方たちと知り合いこの代表とも縁を持ちました。点字でのメニューがあることすら知りませんでした。外食で食べたいものを自分で選ぶ、そんな当たり前のことを、角度を変えて考えたこともありませんでした。

知らないってことはそういうことなんですね、少しずつ学んで、衝突しながらやってきています。

思い、会の趣旨?だけは代表の「代弁」できますが、
その実、yatttaro-さんにも申し上げたように、無駄なのか、意味あるのか、そういう次元でないことも承知しつつ、考えさせられます。
使わないのなら意味ない?
使わなくても置くことで点字メニューの存在を知ってもらう、視覚障害者への理解の啓蒙の意味での一助として置くべきだ、
ここでストップです…

勝ち組セレブを自称する方々の側がありますね、そうですね・・・
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「論語」、yattaro-さん (kei)
2009-03-21 00:07:07
「論語」朝日新聞社の黄色の箱入り、どこかで見たと考えていたのですが
どこの本屋さんだったかなと最初、あれは古本市でした。

古書店ならもしかしたらあるかもですね。
もし見かけたら、ですが、お教えしましょうか~。電話番号でも、本屋さんの。
もし見たらですよ、期待せずに、なのですがね。
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納得です、そして… (yattaro-)
2009-03-21 00:20:02
この分野に関しての思考は得意?です、というか柔軟な色んな思考を巡らします。

先ずは「点字の文化」をもっとアピール・定着させ、市民権の充実・確立が眼前の課題ですね。
そんな意味から行くと、「半年に一人、使う人がいるかもしれない」これが原点だと思います。絶対に必要なんです。数の論理でないことはkeiさんもおっしゃてたとおりです。でも、一人だって必要とする人がいれば、それはなくしちゃいけないんです。
大人になってからの病気などで、聴力や視力を失った人たちと、先天的な境遇な人たちと一緒くたに考える思考が間違っています。前者の場合、点字も手話もいきなりマスターできるほど甘くはありません。そのためにも、点字・手話・音声・要約筆記などなど、多くの方法を備え付ける中で、選択は受益者の側にゆだねる……。このくらいの広い度量で、息長く、必要経費は惜しまず……こういったことが行政の役割・ではないでしょうか…などと思うんですよ。

盲唖=弱者、本当にそうでしょうか。お年寄り=弱者そう思いますか。もちろん、時・場所・環境…などで当然弱者ですが、いつもいつもことさらに弱者扱いをすることで、彼らに憐れみを投げかけている…という思い上がりを感じる時があるんですよ。そうではない彼らを“普通”いわゆる普通の人なのだから、我々と同じ生活を営む条件整備をする……。全く特別なことではない、至極当然な自然なことではないでしょうか…などとyattaro-が小理屈こねてます。
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論語…keiさん (yattaro-)
2009-03-21 00:29:00
あれこれ考えましたが、今日もフタバ書店に行ったら、それに近い論語を扱った新刊がでていましたので、そちらも含めてもう少し努力してみます。
こんな努力が惜しみなく出来るようになれたのも、つたないながら、ブログアップのせいでしょうか。
やっぱりkeiさんに触発されるのでしょうか。
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無駄なもの (rabbit125cc)
2009-03-21 01:16:41
そもそも無駄とは、荷を乗せてない馬の事。荷を背負わない馬がいても良いじゃないですか。私の愛馬ダンボ号は私以外誰も乗せませんでしたよ^^常に荷を背負ってないと馬は生きてちゃ駄目ですか?そうじゃないですよね^^そりゃ~無駄は少ないほうが良いですがwだから点字は我々には無駄ですが、必要な人がいる以上、完全な無駄ではない。そう考えると無駄なものなど何もなくなってしまうのだが^^;
無駄なくせに高給取りの官僚一人の生涯年収(5億前後^^;)で、点字の問題が大きく前進できるとしたら?
高級クラブや料亭で豪遊する方々と税金の繋がり。
無駄なのはどちらなのでしょうね・・・
無駄と思えるものから芸術が現れます。
馬好きな私は無駄が大好きです^^
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