京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「洗骨」

2019年07月21日 | 映画・観劇
  〈監督・脚本  照屋年之〉
お笑いコンビ・ガレッジセールのゴリさん監督・脚本による「洗骨」。よい映画を楽しませてもらいました。
タイトルのインパクトの大きさで一度はスルーしたが再上映が始まり、この機会に観ることにした。


冒頭、母の柩にもたれ亡きがらに触れる娘が映し出される。沖縄県の小さな島に暮らす家族を描きながら今なお残る洗骨の風習を盛り込んで、家族の絆、命のつながり、本来あるのだろう日本人の死生観まで感じさせてもらえた映画でした。

笑いながら、すーっと心を打たれ、沁みるものがあって、特に信子おばさんの毅然とした強さ、やさしさ、大きさに圧倒され、親しみを覚え、心を持っていかれたり、と大きな存在でした。
小さな島の小さな店で、姪っ子の陰口を耳にしたときの信子の態度とハイライトでもある洗骨のシーンでは場内一瞬息をのむ空気が流れたような…。
ラストでも信子おばさんは大活躍で、そこには笑いも生まれる存在感。見事だった。

巨岩をきれいにくり抜いた岩屋のような中に柩を納め、上部を少し開けた状態で入口を塞ぐ風葬。4年後、柩を取り出し、…すべての骨をきれいに洗って、小さな箱に収め直し、供養する。ここでは新しい命の誕生もあるが、様々に抱え込んだ思いから解き放たれた、それぞれの笑顔が浮かんだ。「亡き人の骨を洗うことは自分自身を洗うこと」、と。

 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹き渡っています

美しい、大きく広い海の映像に、この歌詞が思い起こされる。


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4 コメント

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「洗骨」 (Rei)
2019-07-21 15:53:56
ちょっと恐いような・・・
沖縄の風習なのですね。
丁寧な弔いの方法ともいえますね、
信子おばさんの存在の大きな映画ですね。
20数年前中国奥地(山の向こうはチベット)へ旅したとき
鳥葬に出会いました。遠くからでしたが
ハゲタカが舞っていました。
もう少し近づけるよと添乗員さんが言いましたが
誰も望みませんでした。
鳥葬はチベットの風習のようです。

日本語は「死生観」ですが
同じ意味で中国語は「生死観」です。
その時同じ意味で生と死が逆に・・・
少しばかり論争しましたがもう忘れました。
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タイトル (ryo)
2019-07-21 17:59:23
タイトルで、一瞬引いてしまいますが
内容はすばらしいようですね。
「千の風になって」をまさに楽譜に書いて
います。市販のものでは難しすぎて
初級のでは易し過ぎる、生徒さんには
いつも手書きなんです。
さて、果物はバナナと桃です。
最近は果物が一番食べたい感じです。
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丁寧な弔い、Reiさん (kei)
2019-07-21 21:07:10
このような風習があることを知りませんでした。
再び柩をあけて、緊張する場面、瞬間でした。
信子さんを見ていて、女の魂の強さを思わされます。

そういえば高野山で、鳥葬の話に触れたお話があったこと思い出しました。
いのちの循環?みたいですが、ちょっと抵抗あります。
葬儀は生きているものが死者を慰める儀式でしょうか。
そして、そうすることで残されたものが慰められる。
輪廻転生、何度でも生まれ変わるとなると死生観、などと勝手に思いますが、
「生死鑑」と表現するのですか。さて、この違いは…。儒教と関係があるのでしょうか。わかりません。
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千の風になって、 ryoさん (kei)
2019-07-21 21:25:09
「千の風になって」が出た頃、
「人間は死んだらお浄土にいくのだ、けしからん」と法然院の貫主さん。
「「お墓がいらないとはけしからん」」と西本願寺門主さん。
仏教界ではちょっとあったようです。
人間以外に生まれ変わる、命の循環とか死と再生といったことを考えてしまいます。
森羅万象に感じる心があるのが日本人ですよね。
死者の側から慰められる、スケールの大きな歌ですね。

桃でしたか(笑) 

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