京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

兵戈無用

2022年03月25日 | 日々の暮らしの中で

お寺の掲示板に「兵戈無用」とあった。「ひょうが むよう」。傍らにNO WAR」とあるので意味は想像がつく。

「兵戈」という言葉に出会ったのは初めてだった。「戈」は「が」と読むのかと思ったとき、自然と「我」という文字が浮かんだ。
辞典によれば「戈(か)」には①ホコ 片方に枝が出たほこ ②いくさ、戦争 ③武器、兵器、戈兵などの意味が取れた。「兵戈無用」の言葉を掲げたことには、武器を持ってのたたかいは無用だ!と強い抗議の意思とともに平和を願う心があふれている。

ちょうど昨日付け新聞で中国の兵馬俑に関した解説があったので読んでいたところ、馬上の敵を引き倒す青銅製の武器を「戈(か)」というとあり、「青銅戟(げき)」の写真があった。


この「戈」は、時代とともに刃先が長くなり強力さを増していったようだ。

自己の理念を絶対的に正しいと確信すると、その理念に合致しないものはすべて否定すべきものとなり、その確信が強ければ強いほど、破壊するということがそこに起こってくる。ところがこの理念は残念ながら自分の不満の裏側でしかないということがしばしばある。などといった出雲路暢良氏の文章を読んだことがあった。
こうした主観的な立場は無数に可能だ。
この先どれほどの我が増幅するのだろう。いま現実に起きていることに大きな危惧を抱きながら、私もNO WARの声をあげている。




コメント (2)
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